ジョギング日めくり

ジョギング日めくり

お引越しのためしばらく休業!(てか最近更新も余りしてなくごめんなさい)
年内には復活予定です!

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文芸春秋刊の人気シリーズにベストエッセイ集がある。

毎回の装丁は安野光雅画伯の風景画で印象的だ。

表紙を見れば以後続刊とわかる。


その何冊目かの確か冒頭だったと思うが、衝撃的な

内容の随筆が掲載されていた。

筆者は「忠犬ハチ公の記事を書いた記者の息子」。


それによると彼の記者はある時期

「心温まる記事」の連載に悩まされていた。

単発ならともかく、日々そうそう心温まる話などある筈がない。


そこで、ネタの払底に困った記者の行う定番、

「捏造」を企てた。


何でも渋谷駅前に毎夕出没する犬がいるらしい。

飼い主はもう何年も前に天国へと旅立っているのに

その犬が出没する訳とは。


「焼き鳥」。

その頃渋谷駅前には焼き鳥の屋台があり、客達が

犬に与えていたのが病みつきになったらしい。


さて、これを暴露したのが息子だからかなり信憑性は高い。

しかし、「捏造記者の息子」だ。

蛙の子は蛙、ということを考えると穿った見方をすれば

受けを狙って書かれたものかも知れない。


という訳で結論はニワトリタマゴになり真相は藪の中であるが、

リチャード・ギアが真面目にプロモートしているのを見るにつけ、

しかもやんごとなき人々まで鑑賞しているというのを聞くにつけ、

大変複雑な気がする。




しばらく前の話。

梅原猛の「神と怨霊」を読んでいた。


その一節にヤマトタケルを題材にした神話についての

随筆があった。


ヤマトタケルは大切な守り刀、草なぎの剣を尾張のミヤズヒメの

もとに置いて伊吹山の山神退治に向かい、山神は

「とうとうヤマトタケルも人間を滅ぼす最も重い病である

傲慢という病にかかったか」とひとりごちた。


結果、ヤマトタケルは伊勢で敗れ、魂は白鳥となり

昇天する。


彼はこの神話に基づいたかも知れない姓を持ち、

その日に随分と話題になった有名男性にこの話を

したいと思った。


ただそれだけの偶然。

それでも、ここまで符合するとちょっと気になる。



元ドリフターズの高木さんが象牙の塔の住人と

衝撃の結婚。これは格差婚とはいえないが、

何だ? 隔絶異業種婚?


新年度一発目は休日、寝ぼけ眼で見たニュースに

目を覚ましつつ、本日のジョグを開始。


雨だ。

ボトムには家人の雨用ゴルフズボン、

上着は自転車用の合羽。

かなり変な格好だが、風邪をひくのは嫌だ。


いつもの犀川べりのコースに入る。

途中でウォーキングをしている夫妻がスマートな

レインウェアを身に着けているのを見て、

近々購入を決意。


5キロ過ぎ、折り返した辺りで晴れてきた。

ほっとしつつ尚も川べりを下る。


旧年度は勤務先で色々な改変があった事もあり、

一月一日のジョギングの時より改まった気持ちで走る。


何事もなく健康で走れることに感謝しつつ、

本日のジョグ12キロ終了。


帰って家事をこなしていると12キロ走とは思えぬ

疲労が襲ってきた。

まだフルのダメージが残っているのかも知れないし、

先日ジョグ&ゴルフの練習と盛りだくさんにし過ぎた

日があったからかも知れない。


これからの季節、一番走れる気候だ。

体調に気を配って、楽しく走りたいと決意を新たにする。


部屋の模様替えとかも…







あやうく初の死者が出るかもと懸念された東京マラソンで

あったが、済んでのところで回避された。


実は初マラソンのゴールで昏倒したことがあるので

他人事とは思えない。


レースの一週間前に親しい人物が他界した。

まともに食事が摂れず、マウイ入りしてから

無理矢理に食べた。


スリムにはなったものの、持久力が要のマラソンに

通用する訳がない。10k迄は自己記録更新ペースであったが、

当然後半は失速に次ぐ失速。

ゴールではボランティアの女学生に

「アイ ワナ ゴゥ トゥ ズィ エマアジェンシイィィ…」と

言い残して倒れ込んでしまった。そんな情況でどうして

冠詞のtheをズィと言えたかは今となっては不明。


意識が戻ると、白人女性ドクターが「点滴を!」と。

そこは野外のERそのものだった。単語の意味が

わからないのに察知できたとは極限の人間の本能か。

注射が大嫌いなので、「ノーサンキュー! アイム 

ファイイン!」と叫ぶとその元気が認められ、点滴は

免れた。


ランナーズのツアーで参加していたので、すぐ近くに

テントのブースがあったのに、誰も私が救護所にいると

気付く人はいなかった。


そしてこれも地元の学生の運営するマッサージを受けて

ブースに帰り、一部始終を説明すると、皆異口同音に

「どうしてゴールしてないのかなあ? と思ってたよ」

あのね、ゴールはしてたんだよ。


それでもツアーのオプションの記念撮影にばっちり

メイクして臨んだ私に、またしても異口同音に

「そうゆうとこ、すごいかも。そっちじゃなく、レースに生かせ」


今となっては、懐かしい思い出だ。


一番の気懸りだった天候は曇り。


スタートは10時と遅目。前日エントリーし、スタート地点すぐ

そばに宿泊していた私達(スポーツクラブから参加の四人

ほぼ初対面)はレースを控えているとは思えない程だらだらと

しかし抜かりなくストレッチをしつつ過ごしていた。


9時になりやっと部屋をあとにしスタート地点へ。

先頭には緊張漲る入賞候補のランナー達も控えていたのだろうが、

4時間以上ランナー達のスタートは、ただの歩行者天国かのような

思い思いにてんでに歩き出すだけだ。


20K付近で湾内に正午のサイレンが響きわたる。

時計を見る習慣がないので、「2時間経ったんだな」と

初めて時間を意識する。程なくハーフ地点を通過したので

まずまずのペースと知る。


山間部で後ろから「○○さん(何故か下の名)」と声を掛けられる。

細かなアップダウンでかなり消耗していた時だったので

「そーだよ!」と投げつけるように返事。

また「○○さん(今度は苗字)」と再び声が。

「そーだよ(怒)!」訳もわからず振り返ると、そこには系列会社の

偉い人が。グループ内の走友会の代表で、投擲の種目で全国3位

というアスリートでもある。


(やばい)と思いつつもにこやかに

「今日は参加されなかったのですか?」と打って変わって

丁寧に尋ねる。「うん。応援だけだよ」

さすがに他のランナーを鮮やかに抜き去り、ばっちり写真を

撮ってくれた。熊でなくて良かったけど、Hさん、あんな所で

待ち伏せしていないで欲しい。


海岸線と2つの橋を廻るコースは地元の私でも惚れ惚れする

美しさである。

しかし美しいのは地上ばかりではなかった。曇りから陽射しが

強くなってくると、太陽の周囲に大きな虹の輪ができた。

淡い色合いだが大変美しい。そばにいた2、3人には伝えたが、

どの位の人が気付いただろう。

しばらくして晴れ渡ると虹は消えてしまった。


かなりの間、練習会でお馴染の石川遼似君と抜きつ抜かれつ

していたが、ある時「もうだめ、さようならあ」と宣言して先に

行ってもらう。


しかし、残り5Kで奇跡が。

脳内にエンドルフィンだかドーパミンだかが分泌されたらしく、

突然軽快に走れるようになり、もう最後なのでそのまま走り抜ける。

遼君にも追いついて抜いてしまう。


4時間前後のゴール付近は歩いている人の方が圧倒的に多い。

その中をすいすい走るのは快感だ。


ゴールでは最後のスパートまでできた。


体調の悪い中での参加だったので完走さえすればいーや、

と思っていたのだが、終わってみればそれなりの成果があった。


前回のマウイでは途中足に痙攣が起きて1時間程走れず、

歩いたのがとても悔しかったので、その後研究してカリウム

ナトリウム不足が有力だったので塩を意識して摂った。

今回はエイドに用意されていて良かった。


タイムは亀級だが、一度も歩くことなくゴールでき、満足だ。


翌日はのんびりプールで過ごす。

当分フルマラソンはいいや、とレース中、レース直後は思ってたけど…


この大会は第1回だが実は前身のハーフの大会があった。

その時に足湯で出会った野村萬斎似の青年に

「フルを走ってみたらいいですよ」と勧められ、初心者だった私は

「他人事だと思って気楽に言うなよな」と心中思ったけど、

今はしみじみその言葉の意味がわかる。


あの青年は今回の大会に出場していただろうか。







村上春樹氏がイスラエル賞を受賞した模様が

朝のニュースショーで紹介された。


愛読者としてはうれしいけど、常々極力人前に姿を現さないように

している氏が決意したものを想像し、複雑な感銘を受けた。


以前雑誌「ランナーズ」のツアーに参加した時、編集の方に

氏のファンであることを告げると

「村上春樹さん、ううむ、彼は走力ありますからね」とまるで

「筆力ありますからね」と同等のように呟いたのが

印象に残っている。


タイトルの箴言は氏の言葉ではない。

村上朝日堂のHPで紹介されていた言葉である。

「虎の威を借る狐」

辺りが近いかも知れないが、上手くあてはまる

言葉が見つからない。


次回のジョギングの時、退屈凌ぎに

考えるといいかも知れない。


この歴史的な記念日に、相も変わらず20キロLSDを行う。


変化を求めて犀川べりから上流の野田山に入る。

我家のお墓もあるので墓参りジョグ。

一石二鳥である。


お盆に一度来ているが、「こんなに急な上り勾配だったっけ…!?」

そうだった。あの時は墓地公園内でジョギングはしたが、

車で来たんだった。


後悔の嵐と、「有意義な、内容の濃いジョグになったな~」

というプラス思考とがない混ぜになり、マイナスとプラスを

行きつ戻りつしながら、いい加減「限界です」となった頃

目的の墓地公園に着いた。


平地は数日前に雪が消えているが、山間であるこの辺りは

まだ50cm程の積雪がある。

我家の墓を探し出して何も持参してはいないが

「気持ちだけ」込めて墓前に手を合わせる。


上りがきつかった分、下りは快調だ。

こういう時、良く膝を故障すると聞く。

最近2キロ程減量したから大丈夫だろうとタカをくくっていたら

平地に戻ってしばらくすると左膝内側に違和感が。

尚も走り続けていると、痛みはだんだん酷くなる。

家人に携帯でSOSし、途中まで迎えに来てもらう。

こんなことは初めてだ。


帰宅して風呂に入ったりすると痛みは収まったが、

再発しないようバンテリンを塗り塗りし、大事をとる。


今週はもう一日有休が取れたので20キロを予定していたが、

微妙になってきた。

レースまで一ヶ月強になってから足の故障はまずい。


ひとまず素晴らしい焼肉「和久」でレバ刺しその他を食べ、

寝ることにする。

どうか、治りますように。

車である。まだ買っていない。


冬にしては気温は高め、小雨模様だが20キロLSDを決行。


しばらく練習不足が続いていたので不安だったが、快調だ。

だった。15キロ辺りまでは。


明らかな練習不足によるスタミナの欠如。


しかし練習しないとそれは解決されない。

そんなニワトリ卵な理論がぐるぐる脳裏を駆け回り、

いつも走り慣れている川辺りがどの辺りなのかも

少々怪しくなる位疲労が来た頃、エンドルフィンだかが

分泌されたのか救われ、やや元気を取り戻し帰宅する。


てかタクシーにでも乗らない限り物理的に帰宅できないと

いう事もあり、トレッドミルと違って外ランはメリットが多いと

納得。


また練習会の集合場所にしている緑地公園にある

大規模な展示場でM自動車の中古車市が開かれており

ついでに車を物色。


しかし全身明らかにランニング中のウェアの為冷やかしと

思われたのか、或いは隠し難い貧乏オーラが放たれているのか、

どの出展業者も話しかけてくれない。

つきまとわれるのも嫌だが、年末に車が壊れてしまい本気で

購入を検討しているのに無視され寂しい思いをする。


帰ろうかなと思った所に漫才師の様な雰囲気の初老の男性が

「ラウムどうですか?」とラウムを見ていた男性に話しかけ、

「大根じゃあるまいし!」と私が大いにウケたのをきっかけに

試乗車として使用していた美しい車について購入を検討。


この男性はN自動車社長という名刺をくれ、

一応お客扱いを受けた私はその点は満足であったが、

大きな謎も残った。


☆運転席側の窓がないことを自慢

 (そんな筈はないので違うことを言っているのだろうが、

  入れ歯が合っていないのか、そう聞こえる)


☆運転席の足元に置く泥除けのマットがないことを自慢

 (上記に同じ)


本当はオンボロ車を快く整備してくれていたI自動車で購入を

決めており、文字通り冷やかしだったのだが、面白かった。

もう何回目か良くわかんないので新年なのを

いい事に勝手にリセットして第一回と命名。


ここは北陸・金沢。予報は雪100%

半信半疑でとりあえず集合場所へ自転車で向かう。


太平洋側の人には馴染みがないと思うが、こちらの冬は

一日の内に晴・曇・雪・雨・みぞれ・その他がもれなく

ローテーションという日が多い。


今日も例によって晴からあっという間に激しいあられに変わった。

顔が痛い。

三月のレースでもあられ対策が必要、と文字通り

身をもって痛感する。


こんなんじゃ練習会は中止だよね…

と思いつつ集合場所の緑地公園に差し掛かると

公園の出口に架かる白い優美なデザインの橋上に

これ又白いあられに吹雪かれながら、色とりどりの

冬用ウェアをまとった一団が現れた。

ひときわ鮮やかな紫の上下は見覚えのあるYコーチのだ。


ただただ唖然とするしかなかった。


しばらく自転車で並走した後、自宅近くの橋下に停め、

折り返しの犀川神社まで走った。

3、4キロ程度だがこんなタフな条件の日に外練をするのは

一人では無理だよね~、と石川遼(仮名。遼君に少し似ている)君と

うなずき合う。


もう、この会は天変地異でも起こらない限り

中止になることはない、と確信した。


心強いメンバー達と、三月の能登万葉マラソンを完走するべく、

年頭の誓いを新たにするのであった。


でも、雪用のシューズが欲しい。

足の裏には靴底用ホッカイロを貼ってたけど。

「今日は二人だけみたいですね」

第一回で初対面だった石川遼似君と私を見て

「いや今日は中止のお知らせだけに来ました~」と

主催のYコーチはにこやかに告げた。


何しろ前日までの降水確率は100%。

「でも、ほら、海の方は青空が…」なんて話している内に

何故か六人程度集まって来てしまう。


なし崩し的に練習会始まり始まり~


走り始め並んでいた男性に

「来週知り合いの何人かはホノルルマラソンに…

 こっちは寒空のもと強風に吹きっさらしで…」

と話しかける。

別に羨ましくはない。

腹立たしいだけだ。(嘘。みんな、楽しんで来てね!)


先週は夕方4時開始、折り返して集合場所に戻ったのは

丁度日没の少し後、その頃は雨も降り出していた。


その日は荒天だったので中止だと思った田上氏は、

(仮名・山手の田上町から来られた。

 平地には見られなかった雪がこんもりと車上に積もっていた)

日曜の夕方たまたま川に架かる橋の上を車で通ったそうである。


すると暗闇の川べりを走る集団が見え、「信じられない」と

我が目を疑ったそうだ。

それで今朝は荒天だけど来て見たとか。


私は大いにウケた。次の二点に、である。

①同じ会の会員の人に「信じられない」と思われるって何…!

②そう思った本人が「ひどい天気だな」と思いつつ参加しにやって来る。


まあ、本番の万葉マラソンが3月初旬、海沿いのコースということで

どんな天候もありなので、荒天に慣れる練習も大事である。


てゆうか本会の3分の1程がランニング馬鹿であると判明した。

勿論、褒め言葉である。