Toyou☆Fromaju -606ページ目

大好きな人へ…

物凄くお久し振りです。改めましてajuです。

だいたい四ヶ月ぶりの更新となってしまいました。。

待って下さった方、これからまた少しずつではございますが、更新していきますので宜しくお願いします。



今回はタイトルを見て、ちょいドキリとした方もいらっしゃるかも知れませんが…。

実は、ブログを書けなかった大きな理由と致しまして、今年の4月2日に叔父を亡くなってしまったのです。四十九日も無事終わり、今月の15日には新盆を終えました。

少しだけ落ち着いたので、22回目の今日はajuの叔父の事を書きたいと思っております。



叔父は、その前から、仕事も辞め、闘病・療養生活をトータル4年間以上送っていました。

とっても優しく、いっつも笑っていて、人を思いやる気持ちを絶対忘れない、悩み相談も出来る、ステーキを焼かせたら世界一で、必ず何かあったときは報告をしあうという…沢山の事があって、私が幼い頃からの自慢の叔父だったのです。



昔からの顔なじみの皆様なら、そんな叔父の本当の、真実の姿を当たり前の様に見てきました。

ところが、具合が悪くなってから、だんだん「らしくない」言動・行動が目立ち始め、ようやく3件くらい回り辿り着いた病院で、最終的に「脳腫瘍」という診断を下され、放射線治療に専念しました。

それからは入退院を繰り返しました。

若い人というのは、がんが転移をしてしまう事が早いといわれていましたが、数年かかって奇跡的に、「脳腫瘍」を完治させた叔父…。これからは、自宅療法でのんびりという時でした。


普段から痩せ型なのに更に痩せこけた姿、髪の毛も全て抜け、目も見づらくなり、顔のしびれが突然走り、耳も聞こえづらくなっていました。そう、全て、放射線での後遺症……=頑張った叔父の姿と言ってもいいと思います。
ただ、性格が180度変わってしまいました。悪魔でも取り付いたかのように………。

会いに行きたいのに、会うのが恐い。沢山沢山話したいのに、そんな空気ではない。
泣いてしまったくらい酷い事も言われました。
それでも、何をされても、何を言われても、嫌いになる事はなりませんでした。
むしろ、大好きな叔父だからこそ分かち合いたかった…ただ、ただ、それだけを願っていました。

そんな中、叔父とは、携帯でメールをほぼ毎日していました。
メールならいつでも確認ができ、好きなときにマイペースで返答が出来るから、叔父の調子の悪い時には特に安心して会話が出来たのかもしれません。
そんな時、良くメールをくれていた内容は「ajuへ、遊びに来ませんか?」でした。

注※(本当に、姪のことをajuと呼ぶときもありました。自ら作詞し始めたときからの愛称で使っている(aju)なのですが、そういう事も、叔父とは日常茶飯事で話していました。)

タイミングも勿論ありましたが、7割は断っていたと思います。願いとはうらはらに、対話をする事に自身がなかったからです。

会いに行けていた日は、殆ど母と会いに行っていました。
叔父の家で、乾杯して食事をするというスタイルは、後々話していきたいと思っておりますが、まだ祖父も祖母も生きていた頃から月に何回も会食が開かれていまして、昔からうちのお決まりでした。

そんな中で、一回だけ叔父と二人きりで外食をした事もありました。
叔父は私が幼い頃から、私とデートがしたい…というのが念願だったのです。
それはそれは、本当に嬉しそうな笑顔でした。病気をして初めてあんな笑顔になったかも知れないくらいでした。私もすごく楽しかったです。

そう、最後に病院に運ばれた日の三日前も叔父と会食をしました。

入院をしてからも少しだけ会話をしましたが、はっきり覚えているのは会食した日「叔父さんにとってajuはたったひとりの姪だし、ajuにとってもたった一人の叔父だからな」が私にとっての最後の言葉でした。その時、堅い握手を交わしました。

その三日後の明け方、血糖値が11に下がってしまい、早朝に叔母から電話がかかってきたのでした。

そして、何週間か経ち、家族全員病院にいたのですが、皆ちょっとの間席を離していた為、最後に看取れたのは私だけでした。

最後まで最後まで、ajuを愛してくれた最愛の叔父。
今でも会いたいです…夢であえるのはやっぱり闘病生活のときの叔父で…。
プリクラも色あせてきたけど、心の中はずっと色あせないよ。
私は、そんな叔父の人生の中にいられた事が幸せです。

マザコンとかファザコンとかシスコンとかありますが、私は本当に叔父が大好きです。
腕枕や膝枕のぬくもりも絶対忘れません。

「フェバラブ」に相応しい人なんで、また、登場させることがあるかもしれません。
その時はまた読んで下さいね。


追伸:ねえ、おじさん、「おじさんのこと、素敵な叔父さんだってブログに載せろよ?」と言われたこと、ほら、きちんと覚えているよ(笑)実際まだまだ書ききれないから、いつか第2部で書くからね。さて、第何部までいくかな?^^また、明日からはajuらしく、一歩前進していくからね♪おじいちゃんとおばあちゃんと見ていてね。今頃競馬やっているかな?



キリンさんも好きだけどアサヒさんも好きです

21回目の今日は、「お酒」について。



と、言ってものんべではないと最初に言っておこう(笑)

主に好きなテイストは、サワー・カクテル系。何か割らないと呑めない。そんな私のお気に入りは、ア○ヒの「カク○ルパー○ナー」。その中でも一番好きなのは、グレープフルーツとウォッカで割った、ソルティドッグだ。本来のソルティドッグとは違うものと思うが、この味が好き!



あと「氷○」も好き!あっ「○結」は、キ○ンさんでしたね☆



どちらにしても、たまには夜のお供にしている事には変わらない。



だけど店で友達と呑むのが一番だなっ。



♪あなた~のい~ちにちが~♪By優しいキスをしてドリカム

20回目の今日のテーマは、「歌」。私は歌う事が大好きだ。

私の中で歌に関しては、良い意味でも悪い意味でも、色んな感情が詰まっている。

ただ単に好きだった「歌」に、こだわりのスイッチが入ったきっかけは、高校生の頃に遡る。

ここからは、またajuの愚痴が始まったと広い心で見てくれると助かります。





お楽しみ会の時、友達を誘い楽器も弾けないがスタイルだけの「ビジュアル系」を演じた。

ものすごく気持ちが良かった!!

当時、先生達に逆らい気味なところがあった私は、その姿を見ていた担任に呆れ気味に思われた様子だったが、反対にその呆れ顔を見ていた方が面白く、友達も、一緒にやってくれた安心感というのもあって、この自己満さがなんとも言えない快感だった。



お楽しみ会終了後、担任に体育館に呼ばれた。

不思議に思ったが、何の悪い事もしていないので、楽しい余韻を残しながら堂々と向かった。



「はっきり言って、聞いてた皆は音痴と言っていたよ。先生もそう思った。」



開口一番そう、深刻そうに告げられた…。

そんなのは自分でわかっていた。音楽の教科書の楽曲を歌わせば演歌になり、アルトより低い声しか合わなくて、音楽の先生はやりづらい生徒を受け持ったなって思われていた事くらい…。

挙句の果て担任は、「多分分からないで音程がとれない訳じゃなく、真正の音痴だから音楽の先生に習って勉強を重ねるといい。」とも言い出した。
だが、いくら教師とはいえ、この瞬間くらい、「お楽しみ会」という余韻がある時くらい、当時の生徒だった私の心の中は「うまい」とか「下手」とかは二の次で、この場合何かを問うならば、「楽しかったか楽しませてもらった」とか、「またやりたいが次はこんな案で…」とかが重要視になっていた。

「調子に乗った事もありますが、企画から考えて楽しかったんだからそれで満足してます。」と一言残しその場を去った。

またまた遡るが、その音楽の先生には歌のレッスンなんか頼めるはずが無い。
音楽の授業の時、私だけピアノを使った音合わせをさせられた。まあ、それはよしとして…。
側に居た外野の先生が、「用意するからバケツをかぶって練習しろ。」と煽った。
普段笑わない子も含めて、皆大笑い。
それを思い出したもんだから、涙が止まらなくなった…。
歌が「音程通り」に歌える人を妬んだ。それが友達でも……。

それからは自分なりに、沢山練習した。好きだから苦悩は感じなかった。
歌いやすい歌を見つければ、それを重点的に歌う。
気持ちよく鼻歌を歌っていたら、「そんな歌聴いた事ない」と言われたこともあるが、19歳頃、十八番ができた。これをまず歌わないと次へ進めないので、声の具合で考えながら、カラオケを楽しむ。

普段行かない人が、カラオケに行くにはやっぱりajuとがいいと言ってくれる友達もいるし、選曲により、カッコいいと言ってくれる場合もある。

負け犬の遠吠えかもしれないが、声が綺麗で原音をきちっと歌っていて何を歌っても同じに聞こえる人よりは、音程は外れていてもなりきり、パフォーマンスを重視し、味のある歌を歌う事の方が断然魅力がある。
私は、いつだって後者のような気持ちでカラオケに挑む。

うまく説明はできないが、誰が何を言おうが、前回の絵関連のことと、この気持ちだけは譲れない!!

これと関連して、たまたま見ていた番組で、長者番組ともなる「のど自慢」が、記念すべき第一回目の時の放送で、予選で受かり出場したという現在80歳の方が、「心の中でうっとおしい事があっても、大声出すとスッキリするもんだよね。いつか鐘3つ鳴らしてみたいという夢は未だに持っているよ。それくらいの自身はある。ははは!」と金歯をニッと見せて自信満々に笑っていたその姿が、あまりにも清々しかった。

こだわりとは、強がりではなく、えばって人にいうものでもないけれど、誰かに夢を与えるものなんだとその方に教えてもらった気がした。