♪あなた~のい~ちにちが~♪By優しいキスをしてドリカム
20回目の今日のテーマは、「歌」。私は歌う事が大好きだ。
私の中で歌に関しては、良い意味でも悪い意味でも、色んな感情が詰まっている。
ただ単に好きだった「歌」に、こだわりのスイッチが入ったきっかけは、高校生の頃に遡る。
ここからは、またajuの愚痴が始まったと広い心で見てくれると助かります。
お楽しみ会の時、友達を誘い楽器も弾けないがスタイルだけの「ビジュアル系」を演じた。
ものすごく気持ちが良かった!!
当時、先生達に逆らい気味なところがあった私は、その姿を見ていた担任に呆れ気味に思われた様子だったが、反対にその呆れ顔を見ていた方が面白く、友達も、一緒にやってくれた安心感というのもあって、この自己満さがなんとも言えない快感だった。
お楽しみ会終了後、担任に体育館に呼ばれた。
不思議に思ったが、何の悪い事もしていないので、楽しい余韻を残しながら堂々と向かった。
「はっきり言って、聞いてた皆は音痴と言っていたよ。先生もそう思った。」
開口一番そう、深刻そうに告げられた…。
そんなのは自分でわかっていた。音楽の教科書の楽曲を歌わせば演歌になり、アルトより低い声しか合わなくて、音楽の先生はやりづらい生徒を受け持ったなって思われていた事くらい…。
挙句の果て担任は、「多分分からないで音程がとれない訳じゃなく、真正の音痴だから音楽の先生に習って勉強を重ねるといい。」とも言い出した。
だが、いくら教師とはいえ、この瞬間くらい、「お楽しみ会」という余韻がある時くらい、当時の生徒だった私の心の中は「うまい」とか「下手」とかは二の次で、この場合何かを問うならば、「楽しかったか楽しませてもらった」とか、「またやりたいが次はこんな案で…」とかが重要視になっていた。
「調子に乗った事もありますが、企画から考えて楽しかったんだからそれで満足してます。」と一言残しその場を去った。
またまた遡るが、その音楽の先生には歌のレッスンなんか頼めるはずが無い。
音楽の授業の時、私だけピアノを使った音合わせをさせられた。まあ、それはよしとして…。
側に居た外野の先生が、「用意するからバケツをかぶって練習しろ。」と煽った。
普段笑わない子も含めて、皆大笑い。
それを思い出したもんだから、涙が止まらなくなった…。
歌が「音程通り」に歌える人を妬んだ。それが友達でも……。
それからは自分なりに、沢山練習した。好きだから苦悩は感じなかった。
歌いやすい歌を見つければ、それを重点的に歌う。
気持ちよく鼻歌を歌っていたら、「そんな歌聴いた事ない」と言われたこともあるが、19歳頃、十八番ができた。これをまず歌わないと次へ進めないので、声の具合で考えながら、カラオケを楽しむ。
普段行かない人が、カラオケに行くにはやっぱりajuとがいいと言ってくれる友達もいるし、選曲により、カッコいいと言ってくれる場合もある。
負け犬の遠吠えかもしれないが、声が綺麗で原音をきちっと歌っていて何を歌っても同じに聞こえる人よりは、音程は外れていてもなりきり、パフォーマンスを重視し、味のある歌を歌う事の方が断然魅力がある。
私は、いつだって後者のような気持ちでカラオケに挑む。
うまく説明はできないが、誰が何を言おうが、前回の絵関連のことと、この気持ちだけは譲れない!!
これと関連して、たまたま見ていた番組で、長者番組ともなる「のど自慢」が、記念すべき第一回目の時の放送で、予選で受かり出場したという現在80歳の方が、「心の中でうっとおしい事があっても、大声出すとスッキリするもんだよね。いつか鐘3つ鳴らしてみたいという夢は未だに持っているよ。それくらいの自身はある。ははは!」と金歯をニッと見せて自信満々に笑っていたその姿が、あまりにも清々しかった。
こだわりとは、強がりではなく、えばって人にいうものでもないけれど、誰かに夢を与えるものなんだとその方に教えてもらった気がした。
私の中で歌に関しては、良い意味でも悪い意味でも、色んな感情が詰まっている。
ただ単に好きだった「歌」に、こだわりのスイッチが入ったきっかけは、高校生の頃に遡る。
ここからは、またajuの愚痴が始まったと広い心で見てくれると助かります。
お楽しみ会の時、友達を誘い楽器も弾けないがスタイルだけの「ビジュアル系」を演じた。
ものすごく気持ちが良かった!!
当時、先生達に逆らい気味なところがあった私は、その姿を見ていた担任に呆れ気味に思われた様子だったが、反対にその呆れ顔を見ていた方が面白く、友達も、一緒にやってくれた安心感というのもあって、この自己満さがなんとも言えない快感だった。
お楽しみ会終了後、担任に体育館に呼ばれた。
不思議に思ったが、何の悪い事もしていないので、楽しい余韻を残しながら堂々と向かった。
「はっきり言って、聞いてた皆は音痴と言っていたよ。先生もそう思った。」
開口一番そう、深刻そうに告げられた…。
そんなのは自分でわかっていた。音楽の教科書の楽曲を歌わせば演歌になり、アルトより低い声しか合わなくて、音楽の先生はやりづらい生徒を受け持ったなって思われていた事くらい…。
挙句の果て担任は、「多分分からないで音程がとれない訳じゃなく、真正の音痴だから音楽の先生に習って勉強を重ねるといい。」とも言い出した。
だが、いくら教師とはいえ、この瞬間くらい、「お楽しみ会」という余韻がある時くらい、当時の生徒だった私の心の中は「うまい」とか「下手」とかは二の次で、この場合何かを問うならば、「楽しかったか楽しませてもらった」とか、「またやりたいが次はこんな案で…」とかが重要視になっていた。
「調子に乗った事もありますが、企画から考えて楽しかったんだからそれで満足してます。」と一言残しその場を去った。
またまた遡るが、その音楽の先生には歌のレッスンなんか頼めるはずが無い。
音楽の授業の時、私だけピアノを使った音合わせをさせられた。まあ、それはよしとして…。
側に居た外野の先生が、「用意するからバケツをかぶって練習しろ。」と煽った。
普段笑わない子も含めて、皆大笑い。
それを思い出したもんだから、涙が止まらなくなった…。
歌が「音程通り」に歌える人を妬んだ。それが友達でも……。
それからは自分なりに、沢山練習した。好きだから苦悩は感じなかった。
歌いやすい歌を見つければ、それを重点的に歌う。
気持ちよく鼻歌を歌っていたら、「そんな歌聴いた事ない」と言われたこともあるが、19歳頃、十八番ができた。これをまず歌わないと次へ進めないので、声の具合で考えながら、カラオケを楽しむ。
普段行かない人が、カラオケに行くにはやっぱりajuとがいいと言ってくれる友達もいるし、選曲により、カッコいいと言ってくれる場合もある。
負け犬の遠吠えかもしれないが、声が綺麗で原音をきちっと歌っていて何を歌っても同じに聞こえる人よりは、音程は外れていてもなりきり、パフォーマンスを重視し、味のある歌を歌う事の方が断然魅力がある。
私は、いつだって後者のような気持ちでカラオケに挑む。
うまく説明はできないが、誰が何を言おうが、前回の絵関連のことと、この気持ちだけは譲れない!!
これと関連して、たまたま見ていた番組で、長者番組ともなる「のど自慢」が、記念すべき第一回目の時の放送で、予選で受かり出場したという現在80歳の方が、「心の中でうっとおしい事があっても、大声出すとスッキリするもんだよね。いつか鐘3つ鳴らしてみたいという夢は未だに持っているよ。それくらいの自身はある。ははは!」と金歯をニッと見せて自信満々に笑っていたその姿が、あまりにも清々しかった。
こだわりとは、強がりではなく、えばって人にいうものでもないけれど、誰かに夢を与えるものなんだとその方に教えてもらった気がした。