Toyou☆Fromaju -605ページ目

25歳のこれからの人生。その1。

また、何ヶ月ぶりの更新。。日付は8月13日付けですが、実際の執筆は10月23日です^^;

夏は本当にくたくたしていました。。とはいえ、こんなずるは、これからはなるべく控えたいです。

楽しみにしてくれている人にごめんなさい。。

私のブログは、日記というよりもどっちかっていうとコラムよりです。

けれども、切に切に、これからも宜しくお願いします。



どうして、8月13日付かといいますと…、ajuの誕生日だからです。今年は25歳という事もあり、長年の友達などが、気持ちの入った誕生会を祝ってくれました。(毎年ありがとう!)



そう、私にとっての25歳というものはもう一つ思い入れがあるのです。

25回目の今日は、「私自身」について。(おお、25歳の話で25回目とは。)



ajuは、何を隠そう外出の際は、常に車椅子に乗っての行動なんです。

生まれつき障がいを持っていたのですが、物心がついてから10歳くらいまで、多少の「足が悪い」という自覚はあっても「骨折」くらいの気持ちでした。

成長期、徐々に歩く事がキツくなり、装具を履く事からキッカケに、杖をつき始めました。

そして、13歳の時に、初めて車椅子の存在を知りました。

車椅子に乗り始めて、全てを合わすとCHANELより高いので、歩くブランドを言われ、現在に至り早いもので13年が経ちます。(笑)



実は、今年、0歳から13歳、13歳から25歳と、2つの人生を歩んできた中間点に差し掛かろうとしています。(もう既に25歳になったので差し掛かりました。)



小学生の時、毎日ランドセルを玄関に置いては友達と遊びに行っていたり、一輪車にのったり、跳び箱もできました。そんなうらはら、障がい者だという事だけで、今のご時世でしたら、一面記事に取り上げられるような、いじめもされた事もありました…。続く。





ある駅員さんから教わった事…

24回目の今日は、「駅員と私」という事で、Y楽町線のとある駅員さんと、電車を待っている間に話した内容をお届けしたいと思います。



ある日、電車が行ってしまったばかりのホームで、次の電車が来るのを待っていた私。



良く私は、駅員さんと電車の待ち時間の時など話す事が多いのだが、その時も、駅員さんとの話に華が咲いた。



その駅員さんは、定年間近で、家が埼玉の山奥らしく、五時半に家をでてその駅に向かうそうだ。



たまに、もうそんな遠いところから通う必要がなくなるんだな…と思う事があるらしい。同時に、駅員になりたての頃の自分を思い出すそうだ。



歴史を振り返ると、Y楽町線がまだない頃、その駅は改札で切符を切っていたそう。



だいたいどこも、改札の真ん中にカチャカチャカチャカチャ…とパンチを鳴らしながら乗客を待ち、切符を切ってくれる人達がいましたよね。



パンチは、駅員さんごっこをするおもちゃのセットにも、付いていましたね。



後に駅も使い易くなり、自動改札になって、駅員の数も少なくなり、六人になった今現在、今の方がその駅員さんにとって、大変と多いに感じるとの事。





それは…



自動改札だ、車椅子用のリフト操作だ、と勤務中トラブルで修正等をしなくてはならない時…



いくら機械で便利になったとはいえ、人がごった返しの時や乗客に長く引き留められた場合、やはり人が多い方がスムーズになるし、お客様の事をもっと良く見られると思う事と、まして今までにない機械の操作を覚えなくてはならない現状に、若い駅員さんに注意されるとの事。

若い人は、切符を切る事を知らないし、切る動作すらできないし、パンチすらわからないみたいで、「今時の若い者は…」とチクチクいう壮年もいるが、実際最新機器を動かす事が困難な壮年は、若い子ばかり攻めるのはおかしいと思うという。



その後ちょっと寂しく



「これが時代なのかな…」と言った駅員さんの事を忘れる事はないだろう。



当たり前と普通と常識…

「そんなの常識だよ~。」



「普通は、こうだよね?」



「当たり前な事言わないでよ。」



そんな言葉を、ある時耳にした。



23回目の今日は、言葉の意味にて。



この三つの言葉を使っていた内容とは…



餃子にはラー油・お酢・醤油、携帯は折りたたみ式、おむすびは白いご飯…といった内容で、これらの事は皆、「常識」でも「当たり前」でも「普通」でもない。個々の「決め事」だ。



だが、厳密に考えると「普通」や「当たり前」の事なんて存在しないのかも知れない。



ふとした時に、「今まで、普通・当たり前と思ってた事が実は違った…」と感じる事が生きていて必ずある。



それに対して人を責めるより、挨拶や礼儀を欠かせず、人様に悪意に満ちた言動をしたりしないでお互いを思い合う…例をあげればもっとあると思うが、とにかく生きていく中で、必要な「常識」を忘れずに、私は、「普通」で「当たり前」と思っている事を大切に思う「生き方」をしたいと思った。