目指せ!森林インストラクター。 -3ページ目

目指せ!森林インストラクター。

日本の山を元気にしたい!
そんな思いから、森の案内人「森林インストラクター」の資格を取りました。

自然は私達に、たくさんのメッセージを投げかけています。
その声は、あまりにも小さく儚いものです。

そんな「森の囁き」を、お伝えします。

ようやく春らしい陽気になって来ました。
山々も、若葉が萌ゆる気持ちの良い時期です。
そんな中、春の高尾山を楽しみつつ清掃活動をしてきました。

毎月第一土曜日に行なわごれる定例イベント、「高尾山 GREEN CLEAN 作戦」。

森林インストラクター東京会が主催する、自然観察をしながら登山道のゴミを拾うエコハイキングです。

サクラも満開でしたが、春の植物も元気です!
待ちわびたかのようにいっせいに開花する、ダイナミズム。四季のある国ならではのお楽しみです。

道端で出迎えてくれたのは、エンレイソウ。緑色の目立たない花です。

enreisou


春の妖精、ニリンソウ。一輪咲きでもニリンソウです(笑)

ニリンソウ


高尾の春といえば、コレ ハナネコノメ。

ハナネコノメ


対して、こちらはヨゴレネコノメ。このネーミングはちょっと…
でも、群生する様はそこだけパッと明るく感じさせる綺麗な花です。

ヨゴレネコノメ


スミレシーズン到来!スミレのプリンセス ヒナスミレ。

ヒナスミレ


冬芽で紹介したアブラチャンも、こんな花を咲かせました。

アブラチャン


サクラも見頃でしたが、撮り忘れました
今年も花のリレーが、目を楽しませてくれます。

来月は5/3を予定しています。
よろしければ、ご参加ください。



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引き続き、「森林と市民を結ぶ全国の集い」の聞きかじりです。
今回は、被災地の森づくりとこれからの講演についてです。

岩手県大槌町。
先の震災による津波で、多大な被害を受けました。
150隻あった漁船も、わずか3隻に。
多くの家が漁師である港町にとって、それは町が無くなると共に海を失うのと同じことです。
住居・生計・全てを失う中、3週間は「生きるための期間」であったそうです。
まず、行方不明者の捜索をかねた道の整備、傷病者のためのヘリポートを作る瓦礫撤去が行なわたそうです。
まだ寒さの残る時期、避難所の暖房を確保するため、被災したガソリンスタンドの地下タンクから油を抜いた(オーナーは行方不明)話など、生々しい現実を突きつけられるようでした。
昼間の作業にどんなに疲弊しようとも、亡くなった方々の無念を思うと夜も眠れなかったそうで、そんな時心の支えになったのは、昼夜問わず絶やされることの無かった避難所の焚き火。
「無念の思いを背負って生きていくことを教えてくれた。」
静かな言葉に込められた重みを、ひしひしと感じました。

避難所の生活が落ち着いてくると、じっとしていることの苦痛が待っています。
そんな中、瓦礫撤去の中から木造部分の材を薪にして販売する活動が起こります。
「復活の薪プロジェクト」と題されたそれは、9月一杯まで続きました。
ただし、瓦礫撤去にもいつか終わりが来る。
目指すのは、森の整備と材の活用。
「海がなくなった。町が無くなった。それでも、山があった!」
生かされた自分の一生は、森に奉げたい。
そう語るのは、今回登壇された「NPO 吉里吉里共和国」代表の芳賀さん。
その後、塩害林の伐採と薪作りの傍ら、現場に立つことのできる人材育成を目指し、林業技術の習得・教育を進めました。
現在は「復活の薪プロジェクト」の第二章として、森林整備で出た間伐材の薪作りと共に、林業大学校を立ち上げ、次世代を担う若者への林業技術の指導を行なわれています。
林業とは、「先人の汗をいただき、40~50年先に、私たちの汗を届ける恩送りの仕事」とお話されていました。
こういった一連の活動が、地域への埃につながったるきっかけとなったそうです。
今でもボランティアの受け入れは行なっていて、その際には、こうお伝えしているそうです。
「吉里吉里人になりなさい。」
被災者とそのお手伝いという関係でなく、同じ場所に暮らす同胞として活動してほしい。
互いに学びあう仲間でありたいという思いが、多くのリピーターにつながっているようです。


「森は海の恋人」
漁師さんが木を植えることで有名な活動ですが、地元である気仙沼・三陸の水産業は壊滅しました。
まず頭をよぎったのは、この海でやっていけるのかという不安。
養殖の行なわれていた海には、油のようなものが底に溜まり、とても再開を望む状態ではなかったそうです。
NPOとして、研究者や企業とともに、海の状態を始めてとした、被災地の表面化しにくい課題の抽出・解決に向けた取り組みがなされ、復興の糸口へとつながっていきました。
地元に古くから、「養殖は津波の後は急げ」と伝えられていたのも、研究から明らかになり、早い時期からの再開を可能にしました。
波により堆積していた汚泥が浚われ、沈殿していた油のようなものも自浄・拡散作用で薄れ、かえって被災前より綺麗な海が戻ってきたことが明らかになりました。
陸でも、地震による地盤沈下の影響で、沿岸に干潟や湿地が現れました。
そこにはアサリが発生するなど、浅瀬の生き物たちの新たな生態系の可能性を持つ土地であり、そのまま環境教育などの利用も考えられます。
農地であったその土地は、法制上では農地への転換が義務付けられており、トラストとして買い取ることで、子供たちへのフィールドとして保全されることになったそうです。
話題にもなっている防潮堤の問題も説明があり、建設自体は復興とは関係が無く、復旧事業とされている現状が伝わってきました。
建設費はもちろん、一度作れば管理費が発生し、これから人口減少をしていく地域にとって、費用負担の枷を負わされることになります。
そもそも防潮堤の背後地には人が住めず、誰を守るためのものなのかという疑問もあるようです。
もちろん、本当に必要な場所もあり、一概に不要論を唱えることはできないでしょう。
住民の合意形成を待たずして、疑問を残しつつも事業が進んでいく現状に不安を感じさせます。
未来に何を残すべきか。
次世代が自発的に活動するための余地こそが、多様性である。
復興も新たな局面を迎えており、私たちもしっかりと見守っていかなければならないと思いました。

前回に引き続き、先日行なわれた「森林と市民を結ぶ全国の集い」の様子をお届けします。

二日目は、各分科会の報告が行なわれました。
他の分科会も、どこも興味のある話題ばかりです。

教育・文化をテーマに、木育と森のようちえんについて取り上げた会。
木のおもちゃやプレイルーム・スペースの木質化の取り組みが発表されました。

木製玩具の木材自給率は、なんと3%!!あまりの低さに、正直おどおきました。
赤ちゃんから始める生涯木育を目指し、企業や市町村・自治体を対象にした「ウッドスタート宣言」について触れられたようです。

木質化の効用として、子供が泣かない・母親が携帯をいじらなくなる=子供が活き活きとするという効果が見られるとのことです。
森のようちえんでも、子供の体力向上に効果があり、二歳児でも木登りをするというお話にはビックリ!

ただ、保護者への、擦り傷や洗濯の協力といった理解が、不可欠とのことです。

以外にも大きな怪我は少なく、「危険なのは人工物」という説明には説得力があります。

大切なのは、大人のかかわり方。子供の主体性を伸ばすことを第一に考えることを、強調されました。

NPOとしての活動について、技術とマネージメントが必要ということです。
さらに、ボランティアの活用も考えるべきで、やはり全体的な運営能力が問われるのだと感じました。

食をテーマにした分科会では、ジビエと山菜入門ということで、都市と山村の認識の違いについて感じさせられました。

まずは、地産地消として地元の食文化を受け継いでいくことが必要です。
忙しい共働き家庭で、手間のかかる山菜料理をどう伝えていくのかが課題となっています。

また、奥まったところでしか採れないものもあり、さらに加工が必要なため生産者の減少に繋がることもあるようです。
採取の手間だけで考えることも、生産者の確保に必要なのかもしれません。

小さい頃から山菜に親しみ、自分で取って食べる経験を育むことが求められています。

野生動物を食すジビエ。実は狩られたうち食肉として処理されるのは14%。
一部は自家消費、そのほとんどが処分されているのが実情のようです。

エゾジカに限ってかは分かりませんが、狩ってから2時間以内に処理が必要であることも、食肉としての利用の壁になっているようです。

自家消費でも衛生管理の問題があり、ハンターはエゾジカを食べないという話もあるようです。

ジビエには、味のクセや加熱により固くなる等の課題もあり、おいしいレシピの開発も必要です。

山菜いにしてもジビエにしても、サイズや量・味の安定が難しいのが課題です。
また、都市の消費と生産地で、種類や時期にギャップがあることも分かりました。

郷土食の違いもあり、ニーズにこたえていくことも考えなければなりません。

こういった意識の違いを相互に理解し、山の恵みが食卓に届きやすくする仕組みづくりが必要なのだと感じました。

エネルギーをテーマにした分科会では、バイオマスエネルギーの取り組みが紹介されました。
「伐って燃やす」、昔から行なわれていた燃料供給の形が見直されています。

効率的なのは、熱源としての利用。都市と山をつなぐ、薪のあるところの情報をまとめる「薪バンク」といった取り組みがあります。

山と都市をつなぐ森林ボランティア等のイベントもからめ、楽しさを提供していくのが要のようです。

ランニングコストは、12時間で10kg、ペレットで¥500とのことです。
着火4分間、燃焼が安定するまでは煙が出るので、周囲の理解が必要とのことでした。

全国的な広がりは現状では難しいとしても、里山を持つ地方での、地産地消には可能性が見出されており、事例もあるようです。

キーワードは、「地域の中で」「小さいビジネス」。

持続可能性を、地方の山村から実現していく。大きな可能性を感じました。

最後に、ずばり「女子会」という分科会。
ぜひ入りたいのですが、女性限定です(笑)

今話題の林業女子会の方が企画し、森と女子のつながる力を探る試みです。

なぜ、女子会?

答えは、女子のみぞ知るところなのでしょうが、「何となく」がポイントなように感じます。

何となく、楽しそう。何となく、ためになる。だから、何となく続けられる…
決して強制ではない、緩やかな持続性。

興味を共にする人がつながる、場の演出がポイントになりそうです。

結婚・出産と、ライフスタイルへの柔軟な適応による、パラレルキャリアの実現も、女性ならではの感性なのではないでしょうか。

どんな場にも適応できる力は、出会いに発生する物語や実験的な試行錯誤につながり、ビジネスへの成長の可能性を秘めているのかもしれません。

目の前の課題への取り組みや、同じ興味への関心は、集まり続けるモチベーションにつながります。

女子会でも、四つテーマについて話し合われたようです。
間伐材で何かおもしろいことができないか、人を森に行きたくならせるには、身近なもので木に置き換わるもの、森をおいしくいただきたい、といったテーマです。

詳細は分かりませんが、女性ならではの視点でワールドカフェ形式のディスカッションが行なわれました。

「女子力は、イノベーションに投下されるべき。」

環境関連の取り組みは、女性の参画が大きいです。

オンナの勘というやつも実際にあるそうですし、女子の直感的な意見に、これからの森を考えるヒントがあるような気がします。

各分科会の報告は、以上です。

次回は、被災地の森林への関わりについてお届けします。
「森林と市民を結ぶ全国の集い」へ行って来ました。
森林に携わる活動をする方々のフォーラムで、年一回国際森林デーである3/21に合わせて行なわれています。

今回は22日、23日と東京で開催され、分科会でのディスカッションと全大会での講演が行なわれました。

分科会は五つに分かれ、それぞれのテーマに分かれて様々な話し合いがもたれました。
私は住まい・暮らしをテーマに、森の木でつむぐ木の暮らしと題して木を消費者に届けるための活動についてお話を伺いました。

紹介されたのは、西川材を使った体験型工房、木材コーディネーターの育成を通じた流域デザイン、日本全国スギダラケ倶楽部の企業・地域・人の接点を模索する活動です。

現在、森林に求められるのは、水源涵養・土砂流出防止・二酸化炭素吸収といった公益的機能への関心が高く、木材生産への期待は薄れています。

その中で、川下の消費者と川上の生産者をつなぐ中間的な立場の役割が求められているのを、強く感じました。

補助金頼りの、伐るほどお金が落ちるシステムの弊害として、材の品質が置き去りにされている現状にも触れられていました。

これは規格にも言える事で、径級や長さ・節の有無に重きをおく一方、年輪幅のつまり=そこまで育てる年数や経費が正当に評価されない現実があります。

市場取引価格が1㎥10,000円、伐採・搬出・運搬にかかる経費が、出しやすいところで1本6~8,000円、奥山で12,000円。

足代も出ない状況では、林業離れにも頷けます。

ユーザーの価値観も様々ですが、実際に現場で本物に触れることを通じて、価値の転換により利益の出る、山に再投資できる取引きを目指した取り組みが行なわれています。

コストの考え方で、生産コストだけでなく、最終処理にかかるエネルギーや環境負荷をも盛り込んだ、生涯コストを見込むことで、安価な石油原料に対する木材への正当な評価も必要なのではないかとの意見もありました。

ユーザー側の取り組みとして、デザインの担う役割について取り上げられていました。

デザインは、企業利益の為だけのものではなく、生み出される価値が利益の先にある文化につながら。

飲み下されるモヤモヤとした経済主義に異を唱え、「スギというソウル」に魅せられた活動は市民を巻き込み、企業を動かしました。

企業は、儲けのある所にしか来ません(笑)

そして、企業が儲かっても、そこで働く人は豊かにはならない。

ですが、お金の無いところから「何か」を捻り出すことで、企業が地域と繋がると経済が生まれます。

まずは自分が心底楽しむこと。
楽しいところには人が集まり、後からビジネスがついてくる。

人と繋がる面倒くささの狭間に喜びがあり、価値が生まれる。
地域を巻き込み、企業を巻き込むお祭り騒ぎ。

その裏の、「見えない時間で築かれる信頼に」ついて伺うことができました。

山側の現状を踏まえ、エンドユーザーのニーズを理解し、その橋渡しを行なう人材。

木材コーディネーター制度の目指す役割りについても紹介されました。

製材者の視点から、取引の仲立ちとして需要に合わせて立木を評価する。

毎木調査による「資産」としての山林管理から、製材・流通・加工・納品までをトータルでコーディネートすることの重要性を感じました。

実は、公共事業などでの地産材への需要はあるものの、木を知る設計者や取引できる建設業・木材商とのつながりが薄まっています。

古くは製材者や大工の棟梁さんが担っていた役割りが、複雑化する流通の中で失われつつあります。

木材ポイント制度も、予算を余し、不発に終わったとの評判も聞きますが、やはり時期尚早。流通の仕組みづくりが急務であると思います。

同時に、遅れた除間伐の後の、先を見据えた森づくりについても考える時期に来ているのでは
ないでしょうか。

山に手を入れるにしても、どのような考えで、どんな森を目指し施業されたのか。
次世代の為にも、記録に残し伝えていく事も重要です。

木材生産の場であると同時に、生態系を担う環境的な側面も持ち合わせる林業。

特効薬は無く、それぞれの地域性や文化によっても、取り組みは変わってくるのだと思います。

一ついえるのは、一方的な消費を旨とする経済のメカニズムは、限りある資源を前にして破綻するのが目に見えていること。

儲かることの先にある文化や、受け継がれるものが生まれていくエコロジカルネットワークの創出が求められています。

自分たちの中に既にあることを、未来に伝える。

生産から利用、そして持続までを視野に入れた、山と消費者の結びつきについて考えさせられた分科会でした。

盛りだくさんの内容で、消化し切れていないなりにまとめてお伝えしました。

他の分科会・全大会の様子は、次回お届けします。

久々に山作業の活動報告です。

毎月第三日曜日に行なわれる定例イベント。

「多摩の森大自然塾 鳩ノ巣フィールド」

URL http://hatonosu.blog39.fc2.com/

今年初の作業は、いつも開会式の行なわれる駐車場から見えるかつての植栽地の話題から。

12回目のお正月を迎える鳩ノ巣フィールド。

私はまだ関わり始めてから浅いのですが、スタート当初に植えられた植栽木が成長し、夏になれば木陰を落とすほどの森に成長したしたそうです。

植樹の森

苗木を植えられた参加者の方々、また木々を見守ってきた書先輩の想い。
100年の森づくりを掲げる鳩ノ巣の、確かな積み重ねを見るようでした。

そこから一同、薬師堂へ。一年の安全を祈念し、山ノ神の神事を行ないました。

色とりどりの御幣はトブサとも呼ばれ、伐採した樹木の梢を切り株に刺し、感謝と共に再生を願ったそま人の文化を受け継いだものです。

続いて、水・米・塩のお供え。左からみこしと覚えます。

神事

手道具を備えるのは、斧立て(よきたて)。これから伐採する樹木への敬意と感謝を表す、杣人の伝承です。

斧には、刃の元に3~4本の筋が彫られています。

これはみこしの代わりであり、また四大(地水火風)を表すと言われ、立て掛けることでこれらをお供えする意味が込められています。
いずれもこれから伐らんとする樹木に対し、命を奪うことの悔悟であり、感謝なのではないでしょうか。

山仕事の安全=山ノ神への畏怖。

道具が変わり、技術が確立されたとはいえ、相手は自然。
気の引き締まるひと時です。


神事の後は、各班に分かれての作業。
植樹に向けての地拵えを担当しました。

木を植えるための整地に向け、地面に散らばった枝葉を片付けます。
まずは寄せるための止め柵になる杭を、作業する場所の下部に打ち込みます。

杭打ち


打ち込んだ杭を目掛けて、上から枝葉を落としていきます。

まくり棒と呼ばれる背丈ほどの棒で、掃くように集めて塊を作ります。
その塊と地面の間にまくり棒を差し込み、転がすようにてこの要領で落としていきます。

巻き落し


巻き込むように落としていくので、巻き落しと言います。
残ったものも丁寧に集めながら転がしていくと、地面が綺麗に片付いていきます。

完了


植樹の為には、当然ながら場所が必要です。
植栽地の設定、そして除伐・藪払い。

続く地拵えと、一連の作業は新しく生み出さないと経験できません。
事実、鳩ノ巣フィールドでも十年近く行われておらず、私含め未経験の方も多くなっていました。

森づくりは、継続と同時に循環していくものです。
それは、木を育むと共に人も育てることなのだと実感しています。

これから植えられ、共に成長していく新植栽地。
次の十年を託されていく期待と責任を、ゆっくりと感じています。