「森林と市民を結ぶ全国の集い」へ行って来ました。
森林に携わる活動をする方々のフォーラムで、年一回国際森林デーである3/21に合わせて行なわれています。
今回は22日、23日と東京で開催され、分科会でのディスカッションと全大会での講演が行なわれました。
分科会は五つに分かれ、それぞれのテーマに分かれて様々な話し合いがもたれました。
私は住まい・暮らしをテーマに、森の木でつむぐ木の暮らしと題して木を消費者に届けるための活動についてお話を伺いました。
紹介されたのは、西川材を使った体験型工房、木材コーディネーターの育成を通じた流域デザイン、日本全国スギダラケ倶楽部の企業・地域・人の接点を模索する活動です。
現在、森林に求められるのは、水源涵養・土砂流出防止・二酸化炭素吸収といった公益的機能への関心が高く、木材生産への期待は薄れています。
その中で、川下の消費者と川上の生産者をつなぐ中間的な立場の役割が求められているのを、強く感じました。
補助金頼りの、伐るほどお金が落ちるシステムの弊害として、材の品質が置き去りにされている現状にも触れられていました。
これは規格にも言える事で、径級や長さ・節の有無に重きをおく一方、年輪幅のつまり=そこまで育てる年数や経費が正当に評価されない現実があります。
市場取引価格が1㎥10,000円、伐採・搬出・運搬にかかる経費が、出しやすいところで1本6~8,000円、奥山で12,000円。
足代も出ない状況では、林業離れにも頷けます。
ユーザーの価値観も様々ですが、実際に現場で本物に触れることを通じて、価値の転換により利益の出る、山に再投資できる取引きを目指した取り組みが行なわれています。
コストの考え方で、生産コストだけでなく、最終処理にかかるエネルギーや環境負荷をも盛り込んだ、生涯コストを見込むことで、安価な石油原料に対する木材への正当な評価も必要なのではないかとの意見もありました。
ユーザー側の取り組みとして、デザインの担う役割について取り上げられていました。
デザインは、企業利益の為だけのものではなく、生み出される価値が利益の先にある文化につながら。
飲み下されるモヤモヤとした経済主義に異を唱え、「スギというソウル」に魅せられた活動は市民を巻き込み、企業を動かしました。
企業は、儲けのある所にしか来ません(笑)
そして、企業が儲かっても、そこで働く人は豊かにはならない。
ですが、お金の無いところから「何か」を捻り出すことで、企業が地域と繋がると経済が生まれます。
まずは自分が心底楽しむこと。
楽しいところには人が集まり、後からビジネスがついてくる。
人と繋がる面倒くささの狭間に喜びがあり、価値が生まれる。
地域を巻き込み、企業を巻き込むお祭り騒ぎ。
その裏の、「見えない時間で築かれる信頼に」ついて伺うことができました。
山側の現状を踏まえ、エンドユーザーのニーズを理解し、その橋渡しを行なう人材。
木材コーディネーター制度の目指す役割りについても紹介されました。
製材者の視点から、取引の仲立ちとして需要に合わせて立木を評価する。
毎木調査による「資産」としての山林管理から、製材・流通・加工・納品までをトータルでコーディネートすることの重要性を感じました。
実は、公共事業などでの地産材への需要はあるものの、木を知る設計者や取引できる建設業・木材商とのつながりが薄まっています。
古くは製材者や大工の棟梁さんが担っていた役割りが、複雑化する流通の中で失われつつあります。
木材ポイント制度も、予算を余し、不発に終わったとの評判も聞きますが、やはり時期尚早。流通の仕組みづくりが急務であると思います。
同時に、遅れた除間伐の後の、先を見据えた森づくりについても考える時期に来ているのでは
ないでしょうか。
山に手を入れるにしても、どのような考えで、どんな森を目指し施業されたのか。
次世代の為にも、記録に残し伝えていく事も重要です。
木材生産の場であると同時に、生態系を担う環境的な側面も持ち合わせる林業。
特効薬は無く、それぞれの地域性や文化によっても、取り組みは変わってくるのだと思います。
一ついえるのは、一方的な消費を旨とする経済のメカニズムは、限りある資源を前にして破綻するのが目に見えていること。
儲かることの先にある文化や、受け継がれるものが生まれていくエコロジカルネットワークの創出が求められています。
自分たちの中に既にあることを、未来に伝える。
生産から利用、そして持続までを視野に入れた、山と消費者の結びつきについて考えさせられた分科会でした。
盛りだくさんの内容で、消化し切れていないなりにまとめてお伝えしました。
他の分科会・全大会の様子は、次回お届けします。