震災を超えて -森と海の狭間にー | 目指せ!森林インストラクター。

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日本の山を元気にしたい!
そんな思いから、森の案内人「森林インストラクター」の資格を取りました。

自然は私達に、たくさんのメッセージを投げかけています。
その声は、あまりにも小さく儚いものです。

そんな「森の囁き」を、お伝えします。

引き続き、「森林と市民を結ぶ全国の集い」の聞きかじりです。
今回は、被災地の森づくりとこれからの講演についてです。

岩手県大槌町。
先の震災による津波で、多大な被害を受けました。
150隻あった漁船も、わずか3隻に。
多くの家が漁師である港町にとって、それは町が無くなると共に海を失うのと同じことです。
住居・生計・全てを失う中、3週間は「生きるための期間」であったそうです。
まず、行方不明者の捜索をかねた道の整備、傷病者のためのヘリポートを作る瓦礫撤去が行なわたそうです。
まだ寒さの残る時期、避難所の暖房を確保するため、被災したガソリンスタンドの地下タンクから油を抜いた(オーナーは行方不明)話など、生々しい現実を突きつけられるようでした。
昼間の作業にどんなに疲弊しようとも、亡くなった方々の無念を思うと夜も眠れなかったそうで、そんな時心の支えになったのは、昼夜問わず絶やされることの無かった避難所の焚き火。
「無念の思いを背負って生きていくことを教えてくれた。」
静かな言葉に込められた重みを、ひしひしと感じました。

避難所の生活が落ち着いてくると、じっとしていることの苦痛が待っています。
そんな中、瓦礫撤去の中から木造部分の材を薪にして販売する活動が起こります。
「復活の薪プロジェクト」と題されたそれは、9月一杯まで続きました。
ただし、瓦礫撤去にもいつか終わりが来る。
目指すのは、森の整備と材の活用。
「海がなくなった。町が無くなった。それでも、山があった!」
生かされた自分の一生は、森に奉げたい。
そう語るのは、今回登壇された「NPO 吉里吉里共和国」代表の芳賀さん。
その後、塩害林の伐採と薪作りの傍ら、現場に立つことのできる人材育成を目指し、林業技術の習得・教育を進めました。
現在は「復活の薪プロジェクト」の第二章として、森林整備で出た間伐材の薪作りと共に、林業大学校を立ち上げ、次世代を担う若者への林業技術の指導を行なわれています。
林業とは、「先人の汗をいただき、40~50年先に、私たちの汗を届ける恩送りの仕事」とお話されていました。
こういった一連の活動が、地域への埃につながったるきっかけとなったそうです。
今でもボランティアの受け入れは行なっていて、その際には、こうお伝えしているそうです。
「吉里吉里人になりなさい。」
被災者とそのお手伝いという関係でなく、同じ場所に暮らす同胞として活動してほしい。
互いに学びあう仲間でありたいという思いが、多くのリピーターにつながっているようです。


「森は海の恋人」
漁師さんが木を植えることで有名な活動ですが、地元である気仙沼・三陸の水産業は壊滅しました。
まず頭をよぎったのは、この海でやっていけるのかという不安。
養殖の行なわれていた海には、油のようなものが底に溜まり、とても再開を望む状態ではなかったそうです。
NPOとして、研究者や企業とともに、海の状態を始めてとした、被災地の表面化しにくい課題の抽出・解決に向けた取り組みがなされ、復興の糸口へとつながっていきました。
地元に古くから、「養殖は津波の後は急げ」と伝えられていたのも、研究から明らかになり、早い時期からの再開を可能にしました。
波により堆積していた汚泥が浚われ、沈殿していた油のようなものも自浄・拡散作用で薄れ、かえって被災前より綺麗な海が戻ってきたことが明らかになりました。
陸でも、地震による地盤沈下の影響で、沿岸に干潟や湿地が現れました。
そこにはアサリが発生するなど、浅瀬の生き物たちの新たな生態系の可能性を持つ土地であり、そのまま環境教育などの利用も考えられます。
農地であったその土地は、法制上では農地への転換が義務付けられており、トラストとして買い取ることで、子供たちへのフィールドとして保全されることになったそうです。
話題にもなっている防潮堤の問題も説明があり、建設自体は復興とは関係が無く、復旧事業とされている現状が伝わってきました。
建設費はもちろん、一度作れば管理費が発生し、これから人口減少をしていく地域にとって、費用負担の枷を負わされることになります。
そもそも防潮堤の背後地には人が住めず、誰を守るためのものなのかという疑問もあるようです。
もちろん、本当に必要な場所もあり、一概に不要論を唱えることはできないでしょう。
住民の合意形成を待たずして、疑問を残しつつも事業が進んでいく現状に不安を感じさせます。
未来に何を残すべきか。
次世代が自発的に活動するための余地こそが、多様性である。
復興も新たな局面を迎えており、私たちもしっかりと見守っていかなければならないと思いました。