私の好きな作家、末永直海が最近20歳以上年下の男性と結婚し、そのせいで女友達全部を失くしたと、手記を書いていた。


 末永直海は45か6、相手の男性は出会い系で知り合った弱冠25歳の、まだ学生だと言う。結婚を自らのブログで発表した時、親友だと思っていた人からまったく祝福の言葉が無かった。その後その親友は結婚祝いを持って末永を訪れたのだが、言葉にいちいちトゲがあり、とても本心から祝福しているようには見えなかった。面白くも無い時間を過ごし、末永は「この友達とはもう付き合っていけない」と感じた。案の定、その親友からそれ以来連絡は途絶えた。


 女同士の友情は、お互いが似た環境にあるというのが前提条件かも知れない。末永はそれまで結婚もせず仕事一筋のいわゆる「負け犬」だった。恋人は常にいたがいつも既婚者で、報われない刹那的な関係ばかりだった。末永の親友も似たような立場で、作家であったり劇団を主宰していたりの、クリエイティブなフリー稼業の「負け犬」女性たち。大半が不倫をしていて、一人の時間の無聊を友人同士で快気炎を上げて慰めあう、と言った付き合いだったようだ。お互いの恋愛の相談に乗ったり、仕事で助け合ったり、人生の「戦友」とも言うべき存在で、絆は堅固だったはずだった。


 しかし、末永の結婚によって全てが変わってしまった。末永が夫を得たことで負け犬ではなくなり、その他の親友たちと立場が変わることで、親友たちは離れて行った。末永自身は何も変わっていないのに、親友たちは手のひらを返したようによそよそしくなり、疎遠になって行った。


「人は、友達には自分より少しだけアンラッキーでいて欲しいのかも知れない。その方が優しくできるから。彼女らは、私が一人だけ『一抜け』して幸せを掴んだことに、嫉妬を覚えたのだ」友達が離れて行った原因を、末永はこう分析している。概ね当たっていると思う。


 人の不幸は蜜の味という言葉がある。ならば人の幸福は苦い味がするのだろう。自分と同じくらい不幸で大変な思いをしている人が近くにいると、それだけで嬉しいものだ。苦しみを共有できるから。どんなに性格が良くても、自分とまったくかけ離れた人とは友達になれない。やはり近くにいる人でないと。そしてできれば、自分よりちょっとだけ不幸でいて欲しい・・・。人間の闇の心理だろう。誰もが、自分が一番可愛いのだ。


 女同士の友情は案外脆い。どちらかの環境が変われば急に疎遠になったりする。例えば結婚とか、出産とか離婚とか・・・。まるでその人自身がまるごと変わってしまったみたいに、「もう彼女とは友達でいられない」と、関係が希薄になったり、途絶えてしまう。それまでの友情は一体何だったのか。所詮、それだけの関係だったとも言えるが。それなら、「それだけでない関係」とは、一体どんな関係なのか。


 結局、立場への共感がベースになった関係は、立場が違えば壊れてしまう。しかも相手が自分より幸せになったら、嫉妬や憎しみを感じてしまう。これって、女同士特有の現象だろうか。実は、私も経験がある。特に喧嘩をした訳ではないのに、疎遠になってしまった友達は、ひょっとしたら隠された嫉妬や憎しみが原因かも知れない。そしてそれは、立場や生活環境の変化に端を発しているのかも知れない。


 人間関係の現実ってこんなものなのだろうか?ひどく寂しい気がするが、こんなものと割り切ればすっきりするのかも知れない。


 

似たようなテーマで以前にも書いたかも知れないが、最近人間関係に煮詰まっているのでもう一度。

私はあまり人の問題に首を突っ込みたがる方ではないのだが、人の方から私に『悩みを聞いてくれ』とやって来る場合が多い。で、聞いてアドバイスをする。しかしそのアドバイスは必ずしも、耳に心地好いものだけではない。だからたまに逆ギレする人がいる。逆ギレだけでなく、逆恨みされる。

もう一つのパターンとして、いつの間にか嫉妬されている。勝手に嫉妬して勝手に憎み、それでも表面上は普通に付き合ってくる。ただ言葉や態度の端々に嫌みや刺が見えかくれする。冗談が通じにくくなる。

どちらのパターンも、私は心底相手のことが嫌になる。絶交したくなるほどだ。胸にわだかまりを抱えてまで、付き合っていたくない。

常に理性的な付き合いがいい。感情的になったり、わめいたり怒ったりしながらの友達付き合いなど、まっぴらごめんだ。不毛過ぎるし、疲れるだけだ。穏やかに微笑みながら、楽しく有意義な時間が過ぎて行くのがいい。

しかし、私は何故か仲良くなった人とは軋轢が生まれやすい。仲良くなり過ぎるせいだろうと思う。付き合いの程度は、腹6分ぐらいでちょうど良い。私はいつもそうしたいと思っているし、そうしているつもりだが、気がつくとぬかるみにはまっている。相手のペースに巻き込まれ過ぎるのだ。

相手が自分の言葉に傷ついていないか、気を悪くしていないかと、常に考えて接するせいかも知れない。相手の気持ちをおもんばかり過ぎてしまうのか、ただ単に小心なのか、こういう心理は『加害妄想』とでも言うのだろうか。

『人は人、自分は自分』とドライに割り切って、その上で楽しく人と付き合えればいいのだが。

人間関係はシンプルが一番だ。『いつも笑顔で』『愚痴や悪口は控える』これだけ守れば十分だ。何も喋らずただニコニコしていようか。

 従妹の5歳の息子、瑛太くんは最近児童カウンセリングを受けた。保育園の保母さんに再三再四勧められてのことだったという。


 理由は「瑛太くんが異常行動を取るから」。異常行動って一体なんだ、とよくよく聞いてみれば、「みんなで遊んでいる時、他に興味を引くことがあると一人でそちらへ走って行ってしまう」らしいのだ。


 そんなん普通やん。(@ ̄ρ ̄@)


 5歳の子供なんだから、あちこち興味が動いて当たり前。団体行動が徹底できなくて当たり前だと思うのだが。従妹(瑛太くんの母親)も納得いかなかったらしく、保母さんに何度も質問したらしい。しかし帰って来る答えはいつも同じ。「瑛太くんは他の子と違います」。


 瑛太くん以外の子は、みんなで遊ぶ時は最初から最後まで一緒にいる。途中で抜けたりなんかしない。瑛太くん以外の子は、遊びの最中に他のことに気を取られたりしない・・・だから瑛太くんはおかしい、というのが保母の理屈である。


 他の子と違うからどうだと言うのだ。確かに瑛太くんは集中力に欠け、マイペースかも知れない。でもだからと言ってそれが即異常行動とされてしまうのは、あまりにも短絡的過ぎると思うのだが。


 保母さんにしてみれば、瑛太くんが医者へ行き「ナントカ症候群」とでも言うような病名がつけばある意味安心するのかもしれない。ああ、あの子は普通と違うんだ、だからそのつもりで対応しなければならないんだと。そうやってレッテルを貼ることで、自分たちが瑛太くんに抱く違和感の答えをみつけるつもりなのだろうか。私から見るとまったく無意味な行為に見える。


 瑛太くんのような子は一昔前なら異常でもなんでもなかった。ただちょっと落ち着きがないだけで、十分、集団生活に溶け込み得るとみなされ、何ら特別な対応は必要なかったように思われる。仮に瑛太くんの行動が、園の集団生活を乱して困ると言うなら、遠慮なく叱れば良いのだ。いくら言って聞かせても本人が態度を改めない、または言われていることが理解できない様子なら、その時初めて母親と面談すれば良いと思う。(尤も、保育園なんて元々キチキチに子供たちを管理する目的の場所じゃないんだから、遊びの時間くらい個々の子供の自由にさせても、支障はないだろうに)


 ちょっと他の子と毛色の違う子にレッテルを貼って、他の子と区別したがるのは最近の傾向かも知れない。それをやってどういう利点があるのかは不明だが。とにかく、保母は瑛太くんの気まぐれな行動に意味を見出し、「ナントカカントカ児」という名前をつけて、他の「普通の子」と区別するのだろうか。


 アホらし。┐( ̄ヘ ̄)┌


 瑛太くんが異常児だったら、幼稚園時代1年間一言もしゃべらず、他の園児とのコミュニケーションを一切拒否して一人遊びを続けたこの私はどうなる?きっと今なら問題児扱いだろう。しかし、当時は一度もそんな風に言われたことはなく、担任の先生は友達を作れない私のために、いつも付きっきりで相手をしてくれた。だから私はなんとか園での生活を続けられたのだ。2年目以降には徐々に幼稚園にも慣れ、友達もできた。私を問題児扱いせず、ただ「ものすごくおとなしい子」として相応の対応をしてくれた、先生のおかげである。


 レッテルを貼ることは色眼鏡で見ることに繋がる。全ての5歳児が、マニュアル通りの行動をするとは限らない。そんなことは常識だと思っていたが、最近は違うらしい。


 瑛太くんは(当たり前だが)何の異常も見当たらなかった。保育園はまた「他の病院へ行って下さい」とでも言うのだろうか。

ちょっと前見た雑誌の占いに『今月は人間関係のトラブルに注意』と書いてあった。

…当たってる。(-.-;)最近どうもぱっとしないのだ。人間関係が…。深刻なトラブルと言うほどでもないのだが。

なんか、失言が多かったり、言ったことが裏目に出たり、仲の良かった友達の言動にとげを感じたり。(これはちょっと前から)

私の考えすぎが原因かも知れないが、対人関係が順調とは言い難い。

こんな時もあるのだろうが、どうやってやり過ごそう?

とりあえずブログに愚痴ってます。f^_^;

敢えて誰とも会わず、一人の世界に没頭してみようかな…

 今年もニューヨークから、ひとみさんが里帰りで日本に帰って来た。


 というわけで、毎年恒例のプチオフ。会うのはこれで4回目?5回目?なんかもうずっと前からの知り合いのような気がするが・・・。今年は彼女の地元でカラオケをすることになった。偶然なのだが、ひとみさんの地元は名古屋からアクセスが非常に便利で、新幹線を使えばあっという間に行ける。ひとみさんがもしずっと日本に住むことになったなら、それこそ毎月だって会えるだろう。


 11時半ごろ、ひとみさんの地元の最寄り駅で待ち合わせ、とりあえず近くのミスドでお茶をする。カラオケボックスが開店するまでの、30分程度の時間つぶしのつもりだったのだが、気がついたら1時間もしゃべっていた。(私は何故かミスドが好きで、雰囲気のいい店に入るとついつい長居してしまう。)


 12時半からカラオケを始める。フリータイムだったので好きなように歌いまくり、しゃべりまくっていたら、あっという間に3時間半が過ぎていた。ご自身のブログにも書いておられたが、ひとみさんは今大変な状況にある。そのせいかかなりストレスもたまっていたようだ。私とのおしゃべりで少しでも気が晴れただろうか?何もできないけれど、(ブログを通じて)事情を知っている者として、少しでも彼女の心を軽くするお手伝いができたらと思う。


 ひとみさんは長身のスレンダー、長い髪。私は小柄でややぽっちゃり(少し痩せたのだが)、ショートカット。当日の服装も彼女はパンツで私はスカートと、本当にまったく何もかも、笑ってしまうくらい正反対な私たち。性格もきっと違う。でも気が合う。本当に気が合う。感覚や、感性に共通点が多いからかも知れない。


 人といるとつい気を遣ってしまう私だが、ひとみさんといる時はまったく気を遣っていない。とにかく一緒にいてラクなのだ。まるで昔からの友達のように。これは、私には本当に稀有なことで、つくづく彼女との縁の不思議さを感じる。ブログを通じてたまたま『出会い』、アメリカと日本に離れていたのにひょんなことから会うことになり、同世代ということもあってすぐに意気投合し、友達になって現在に至る。たまに直感が働くことがあるが、ひとみさんと初めて会った時「この人とは仲良くなれそう」と思った。私の直感は当たっていたという訳だ。


 前記事に書いた、「理想に近い付き合い方ができる友人」の二人のうちの一人は、ひとみさんである。こんな私と友達になってくれて、本当に感謝している。これからもこの縁が続きますように・・・。(^人^)

 元々一人でいるのが好きで、しょっちゅう誰かとつるんだりするのは苦手だし、買い物や旅行に一緒に行ってくれる友達も別にいなくても構わない。一番親しい友人とだって、会うのは一ヶ月に1回か2回。それでも別に寂しいとは思わない。(まぁ、私の年代は子育てに忙しい人が多くて、そもそも友人付き合いが疎かになりがちなのだが)


 子供がいないことも手伝って、普段あまり誰かと一緒にいることがない。私のような子無しの女は、世間から忘れられがちなのだ(笑)


 理想はともかく現実は、同じような境遇、同じような生活レベルの人と友達になりやすいのではないだろうか。友達が多い人と言うのは、必ずしもその人本人が人間的魅力に溢れているわけではなく、単純に似たような境遇の人が周りにたくさんいるか、元々大勢でいることを好む性格である場合が多いのかも知れない。


 だから私のような立場の人間は、いきおい友達が少なくなる。私だって特別非常識な性格というわけではなし、人が大勢集まる所に入ればそれなりに友人はできると思う。ただその機会自体が無いのだ。


 私はどちらかというと、大勢でワイワイやるより、一対一の関係がいい。その方がきちんと話ができて、お互いを理解し合えるからだ。大勢の人間関係と言うのは、関係が良好な時はともかく、往々にして派閥ができやすいし、対立を生みやすい。(特に女同士は)正直、あまり実りのない関係だと思う。誰かと誰かの悪口言い合ったり、自慢しあったり、愚痴をこぼしあったり、一体何が楽しいのか。そんな不毛なイザコザに巻き込まれるくらいなら、一人で居た方がましだと思う。今のこの「世間から忘れられている」状態が、心地良くさえある。


 私の考える理想の友人関係は・・・月に一度か二度会って、酒を酌み交わしながら、(もしくは何か食べながら)お互いの近況、今興味のあること、家族の様子、愚痴や悩みごと、政治経済、時事問題まで、とにかくありとあらゆることを時間を忘れて「しゃべり合える」関係。普段頻繁に連絡は取らなくても、会えば必ず盛り上がれる関係。性格や性別、年齢は違ってもいいから、感性や価値観が同じかもしくは似ていて、お互いの違いを認めつつ、程よい距離感で仲良くできる関係。嫉妬や腹の底の探り合いが無く、気持ちよく付き合える関係。


 今、理想に近い関係の友人が二人いる。その人たちとこれからもずっと縁が続くことを切に願う。でも新しい友人の開拓もしたい。世の中本当に色んな人がいて、その中には私に「ものすごく合う」人がもう何人かいるかも知れないから。(^~^)

 先週、『インディジョーンズ4 クリスタルスカルの王国』を観て来た。


 感想は・・・ジェットコースタームービー。少なくとも退屈はしない。序盤からアクションあり、サスペンスありの怒涛の展開で、ハリソンフォードが何度も殺されそうになり、間一髪で助かるという場面が延々と続く。2時間ちょっと、ラストまでこれほどハイテンションな映画というのも却ってめずらしいと思う。たいてい20分ぐらいは冗長な場面があるものだが。


 ディズニーランドのアトラクションにあったら人気が出そうだ。悪漢に撃たれたり、刺されたりしながらジープを乗り回し、時にジャングル、時に倉庫の中を縦横無尽に走り回る。最後には滝からまっさかさまに落ちてずぶ濡れでゴール。うん、実際ありそうだから笑える。


 確かにすごかった。最後まで息つく暇もないほどすごかった。・・・でも、それだけ。後には何も残らない。


 この間名駅裏のシネマスコーレで見た、マイナーな韓国映画の方が余程面白かったなぁ。『妻の愛人に会う』ってタイトルなんだけどね。

昨日イオンで買いました。



古代柄(正しくは古代波柄)の小丼と、布と皮コンビのショルダーバッグ。

昨日の晩御飯は穴子にゅうめんです。買った丼を使いました。写真を撮っておけば良かった!
気候のせいか、この前ひいた夏風邪が尾を引いてるせいなのか…どうも気力が湧かない。
ポジティブに『やるぞー!』と言う気に、どうしてもなれない。

心の栄養不足かも知れないな。韓国語には『心が重い』と言う表現があるけれど…ちょうどそんな感じ。

こんな時は、『綺麗なものを見て、美味しいもの食べて、友達と他愛ないおしゃべり』でもすれば、一気に元気になるのかも知れないけど。

地元のイオンに行って、陶器のお店を覗き、古代柄の小丼を2個買う。

夕飯の献立を考えつつ、食料品の買い物をする。夫は胃の調子がよくないので、消化の良いものを作ろう。

前から目をつけていた、新しいバッグを買う。今普段使いにしてるのが大分くたびれて来たから。

友達から来たメールに、丁寧に返信をする。これだけで、何だか元気になってきた。

家に帰ったら、掃除機をかけなくちゃ。

きっと誰もがそれぞれに抱える『しんどさ』があって、それを何とかやり過ごして生きているんだと思う。