先日のことだが、夕方のワイドショーでボディビルの全国大会の模様を特集していた。画面に映るたくさんのボディビルダーたち。つくづく思った。物事には限度というものがあると・・・。


 不自然に日焼けして、オイルとブロンズパウダーを全身に塗りたくった全身筋肉のビルダーたちが、舞台上で思い思いのアピールポーズをきめている。それを見て、私はかっこいいともセクシーとも思わなかった。あんなに筋肉が付いていたら、関節を動かすのにも不自由しそうだ。もはや同じ種族とは思えない。違う惑星(筋肉星?)から来た人々のようだ。( ̄_ ̄ i)


 番組は二人のビルダーにフォーカスを当てて密着取材していた。一人は17歳の高校生、もう一人は47歳の塾講師である。二人とも、毎日炭水化物と糖分を極限まで控えた食生活で、暇さえあればウエイトトレーニング。有酸素運動は体脂肪を増やすので、極力やらず、ひたすらバーベルを持ち上げる。偏った食生活のためカロリーと栄養が不足しがちで、それをサプリメントとプロテインのガブ飲みで補っている。そうして全身これ筋肉、体脂肪率5%未満の体を作り上げるのである。ほぼ一年365日、ボディビルが生活の中心にあり、大会前は更に絞り込むと言う。


 高校生ビルダーの日課は寝る前にTバックをはいて鏡の前でポージングの練習をすること。塾講師ビルダーは浜辺で体を焼くこと(やはりTバックで)。住んでいる所が田舎なので、日焼けサロンがないのだそうだ。日焼けしたカラダは、ビルダーにとって不可欠なものだという。その方が筋肉がきれいに見えるためだ。彼らに共通しているのは、理想の肉体を追求する、そのストイックさ。しかし彼らにとっての「理想」は、一般人にとっては「異形」以外のなにものでもないと思うのだが。ボディビルも歴史を重ねるごとに、肉体の鍛え方も次第にエスカレートして、過激になって行ったということか。優勝するためには、生半可な鍛え方ではダメなのだろう。


 17歳は高校生部門で見事優勝したが、47歳は成人部門で残念ながら予選落ちしてしまった。一晩だけ酒を飲んで好きな物を食べて、明日からまた頑張ると言う。大したものだ。


 ちなみに女性部門もあるのだが、彼女らの肉体もまた物凄かった。遠目には女性だとは、まず分からない。乳房があるべき所に発達した大胸筋があるので、ブラジャーの意味をほとんど成していない。力士の方がカップが大きいかも知れない。男性が筋肉美を追求する気持ちは分からないでもないが・・・女性があれほどの筋骨隆々になって、一体何が嬉しいのだろうか?女の体は本来、いくら鍛えても男のようにムキムキにはならないようにできている。それを男性並の体にするには、やはり男性ホルモンの投与などが必要なのではないか。そんなことして大丈夫なのか?他人事ながら、同じ女性として心配になる。


 男も女も色んな物を犠牲にして、究極の肉体を作り上げているのだ、ビルダーたちは。しかしその熱意の原動力は、結局ナルシシズムなのだから、正直私はあまり理解できないし、好きになれない。まぁ私などに好かれなくとも、彼らは居たくもかゆくもないだろうが・・・。


 余談だが、大会で自分の筋肉をアピールする時は、好きな音楽をBGMにしてポージングをするらしい。誰か一人ぐらい、「筋肉マンのテーマ」をかける人がいても良さそうなものだと思う。ついでに額に肉と書いて。一人ぐらいはいるだろう・・・いるはずだ。ゼッタイ。( ̄ー ̄)

【ステイヴのナイト】/正位置
遊びに行くなら年下の男友達と。
楽しく過ごせるわょ。
遠方の人に連絡するとラッキー。
電話やメールしてみてね。





年下の男友達がいない場合は…?(^_^;)

 昔は不倫と言ったものだが、今は婚外恋愛と言う呼び方が主流(?)らしい。若干罪悪感が薄れるからだろうか?「不倫」はもともと、「人倫にもとる」という意味だし。どっちにしろ、やってることは同じだが。


 私の「婚外恋愛」観を書こうと思ったが、考えがまとまらず、どうしても自分の言葉で書くことができない。なので、人の言葉を借りることにした。最近読んだ林真理子のエッセイからの引用。



 私は作家であるから、「不倫がいけない」などという道徳観はまるで持っていない。もちろんいけないことではあるが、人の心を鎖で縛るわけにいかない、というのが私の持論である。



 私は主婦であるから、「不倫がいけない」などという道徳観はまるで持っていない。


 私は四十路であるから、「不倫がいけない」などという道徳観はまるで持っていない。


 私はブロガーであるから、「不倫がいけない」などという道徳観はまるで持っていない。



 ( ̄ー ̄; ・・・ダメだ。全然決まらない。



 やはり作家でもない限り、前半の『「不倫がいけない」などという道徳観はまるで持っていない。』などと言える資格は無さそうだ。しかし後半部分の、「もちろんいけないことではあるが、人の心を鎖で縛るわけにはいかない」と言う言葉には激しく共感する。


 私は平凡な、そのへんにいる主婦であるから、道徳観はまるで持っていないなどとは口が裂けてもいうことはできない。世間の「道徳観」や「常識」に、縛られつつも守られて生きている身の程を知っているからだ。私の人生は、基本的に夫に守られることで成り立っている。その夫も、世間の「道徳観」や「常識」に裏打ちされた平和な社会で仕事を得、金銭を得ているのであるから、私は間接的にそれらに守られていることになるのだ。しかも作家のように、道徳観を打ち破って新しい価値観を生み出し、それを作品に生かして世に出す使命を帯びている訳でもない。だから自分を守ってくれているものを貶めるという事は、自分の存在を否定することにも近く、守ってくれているものから抜け出す覚悟が無ければしてはならないと思う。


 だから私は、不倫を全肯定することはできない。夫がいようと妻がいようと自由に、おおっぴらに異性との恋愛を楽しんだっていいじゃないか、と言い切る勇気はない。


 ・・・しかしだ。人の心は鎖で縛れないのもまた事実なのである。美しいもの、素晴らしいものに感動する感性があったら、人は何かに、誰かに恋することができる。この事は既婚だとか未婚だとか一切関係ない。だから夫がいようと妻がいようと、誰か別の異性に恋する可能性は十分にあると思う。「好き」という気持ちは感性から来るもので、理屈ではないからだ。特に恋愛感情は性欲と密接に結びついているので、性行動が活発な若い時代は、恋に落ちる確率も高まる気がする。


 そう、恋に「落ちて」しまうのだと思う。いけないことだと思っていても、引き返さなければと思っていても、心に特定の誰かが住み着いたらもうそれは恋である。それなら、配偶者がいた時はそんな気持ちをどうしたらいいのか・・・?


 誰かに恋して、その気持ちにどう向き合うかに、その人の美意識、人間性が現れると思う。不倫の恋なら尚更だ。それなら、不倫の恋への向き合い方にはどんなパターンがあるのだろうか?思いつかないのでまた次回に続く。

 この間、「秘密のケンミンショー」スペシャルを見ていた。


 その中で「愛知県民のソウルフードはコメダ珈琲のシロノワール」というくだりがあったが・・・納得いかないので反論させていただく。



 愛知県民のソウルフードは、寿がきやのラーメンである。



 少なくとも、私はそう思う。小さい頃、母の買い物に付いて行って、ショッピングセンター内の寿がきやで、ラーメンとソフトクリームを食べるのが何よりの楽しみだった。当時はラーメンが150円、ソフトが50円だった。(確か)ちなみに現在はラーメンが300円、ソフトが120円である。それでも他店のラーメンより遥かに安い。そして旨い。


 寿がきやのラーメンの旨さは独特である。すごくチープな味なのに、飽きない。ベースは和風とんこつで、スープが白い。基本のラーメンはシナチクにチャーシュー1枚が載っている。肉入りになるとチャーシューの数が4枚に増える。卵入りは生卵が載る。スペシャルは肉入りと卵がドッキングしたもの。最近は冷やし中華とかネギラーメンとか五目おこわとか、色々バリエーションが出てきたが、やはり基本はラーメンである。私の子供の頃はラーメンのラインナップと、ソフトクリームしかメニューが無かった。それでも大繁盛していたものだ。


 スープは蛇でだしを取っているとか、チャーシューが実は犬の肉だとか、様々な都市伝説が生まれたが、そんな伝説が生まれるのもそれだけ寿がきやが愛知県民に浸透しているからであり、またその種の噂が出ながら潰れないのも、寿がきやの「愛され度」を物語っていると思う。


 東京には何年か前、出店したと言う噂を聞いたが・・・定かでない。本当だとしたら、まだあるのだろうか?最近は寿がきやのラーメンがカップ麺になって、コンビニで販売されているので、愛知県以外の方も食べることができると思う。


 私の意見に同意してくださる方、コメントにて一票を!

 基本的に私は、人と人の信頼関係を築く、そして維持するのは、それほど簡単なものではないと思っている。人間は自己中心的なものだし、他人の気持ちはそう簡単には分からない。「分かったようになった気でいる」ことがどれだけ人を傷つけるか知れない。


 だから、「簡単なこと」を地道に守って行くしかない。すなわち・・・約束を守る。人の悪口は言わない。お金の貸し借りは簡単にしない。借りたものは必ず返す。噂を吹聴しない。突き詰めて言えば「誠実である」以外に信頼関係を得る術は無いのではと思っている。話が面白いとか、友人が多いとか、社会的地位が高い、お金持ちであるなんてのは、実のところ信用度のバロメーターにはならない。それらのことは「どれだけ人気者であるか」を計る目安にはなっても、「どれだけ信頼できる人物か」という目安にはならない。例えば社交的で賑やかで話が面白い人と、物静かで地味だけど思慮深くて口の固い人、どちらを友人にしたいかと聞かれたら、私は躊躇無く後者を選ぶし、自分もそうありたいと思っている。あ、ちなみに「優しい」なんてのは基準が曖昧過ぎて、人を見る上では参考にならない。「自分は優しい」とか「あの人は優しいから信用できる」とか軽く言う人は、それだけで思慮が浅いと思えてしまう。


 いくつかのシンプルな条件の中で私が一番重視するのは、「口が固い」こと。口の軽い人はそれだけで信用できない。たとえどんなに陽気で魅力的な人であってもだ。「舌禍」という言葉もあるように、本人は悪気無く喋ったことでも、後々トラブルの元になったり、思わぬ所で人に迷惑をかけたりするものだと思う。それほど言葉というのは恐ろしい。噂や伝聞には必ず尾ひれが付く。「また聞きしたこと」は、それがどんな内容であれ、必ずネガティブなニュアンスが加味されてしまうものだと、私は思っている。例えば誰々が入院したんだって、という話が、いつの間にか具体的な病名が付いて余命何ヶ月、なんて話になってるとか。実際私の友達に起こったことなのだが、何でもない日常会話の電話がいつの間にかその友達が悪口を言いふらしたという話に変わっていたり。


 嫉妬、被害妄想、そして話を面白おかしくしてやろうというスケベ心が、事実をどんどん捻じ曲げる。噂とはそういうものだと思う。だから私は、会話の中にむやみやたらと「○○さんがこう言っていたんだけど」とか「○○さんてこうなんだって」と脈絡もなく話す人は、それだけで信用できない。○○さんは私の知り合いでもあったりするが、よくよく聞いてみると別に私が知らなくてもいい情報だったり、○○さんと親しい自分を自慢したい意図が感じられたり、いずれにしてもあまり聞いていて愉快ではない。もちろん一々目くじら立てたりはせず、一応聞くが、それでも心の中で(ケッ)と思っていることが多い。私自身は一対一で話している時に、唐突に誰かがこう言っていた、なんて話はほとんどしない。共通の知り合いに関する話題はむしろ避けている。全然関係ない人の話ならたまにするが。


 過去に人間関係で色々失敗してきたが、そのうちの多くは「人の噂」に貶められたり、私自身の舌禍のよるものであったので、人一倍警戒心が強くなっているのだ。言葉は本当に恐ろしく、口から出た瞬間から一人歩きを始めるものだ。そのことを知らない、またはあまり深刻に考えない人とは、できるだけ距離を置いていたい。いきおい友達が少なくなってしまうが・・・複雑な人間関係の中で、噂話で身動き取れなくなってしまうよりはよっぽどいい。


 舌禍は本当に怖い。「人の振り見て我が振り直せ」である。リアルでも、ブログでも。

 本来私は、「ドンパチドンパチドッカンドッカン」のアクション映画は嫌いなのだが。


 主演がアンジェリーナ・ジョリー、更には「ナルニア国物語」のタムナスさんこと、ジェームズ・マカヴォイと知って、何となく興味を引かれて観に行った。


 アクションヒーローらしからぬビジュアルのタムナスさんは、やっぱり映画の冒頭では「冴えない男」として描かれていた。メタボな女上司に毎日小言を言われ、親友に恋人を寝取られ、貯金は無く・・・徹底的に「負け組みな人生」を送っていた。この辺、「スパイダーマン」とかぶるなぁ。


 しかし、スーパーでアンジェリーナ・ジョリー演じる謎の美女フォックスと出会って、彼の運命は一転する。フォックスは秘密の暗殺組織「フラタニティ」の一員であり、主人公をスカウトするためにやって来たのだった。主人公の父親はフラタニティの一員で、凄腕の殺し屋だったらしい。しかし組織の「裏切り者」に殺された。父の敵を討つためにも、殺し屋にならないか、と誘うのだ。


 実は主人公ウェスリーには、常人ばなれした能力が備わっていた。(ご都合主義)退屈で惨めな人生に別れを告げるべく、意を決して組織の一員になることを決意し、暗殺者になるための厳しい訓練を経て、新しい人生を雄々しく歩み始めるのだったが・・・?


 というのが大まかなストーリー。予告編の目玉、アンジーが車のボンネットに身を投げ出して銃を撃つシーンは、けっこう最初の方に出て来る。あのシーンだけで映画が観たくなってしまうほどカッコいい。とにかくこの映画はほとんど「アンジェリーナ・ジョリー主演」と言ってもいいくらい、アンジーの派手で華麗なアクションシーンが全編に散りばめられている。(実際の主人公はタムナスさん)


 それにしても、この映画でのアンジーの女っぷりは凄い。やはり彼女には文芸作品より、アクション映画が似合う。これほどセクシーで、ワイルドで、分厚い存在感のある女優は他にいないだろう。豪快なガンファイトの中でも女らしい体のラインを強調したアクション。銃を撃つ時のキッとした表情。純粋な白人なのにあの厚い唇。ラテンな曲線メリハリボディ。今回映画の中でヌードを披露していたが、女の私でも「おおっ(///∇//)」と思ってしまうほどきれいなお尻をしていた。全編通して「アンジー姐さん」と呼びたくなるほどのかっこ良さである。


 基本的にはドンパチドッカンの超アクション映画なのだが・・・もう、何台車が廃車になったか、巻き添えで何人人が死んだかって言うくらいの。しかし、ストーリーはそれほど単純でなく、物語の中盤で二転三転し、どんな結末を迎えるのか分からなくなって来る。絶対的に正義だと思っていたものが実は正義でなく、敵かと思えば完全な敵でもない。謎の美女フォックスも一体何を考えているのか分からず、主人公ウェスリーは大いに葛藤する。何が幸せか、どんな人生が正解なのか・・・最低だと思っていた自分の人生が実はこの上なく恵まれたもので、暗殺者になってからの毎日は虚構だったのかも知れない・・・ウェスリーは自分の選択が間違っていたのかも知れないと悩み、結局何をやっても自分はバカでダメで、生きる価値が無いのではと思いつめてしまう。こういう所は他のアクション映画にはない複雑さだと思う。演技派と言われるタムナスさんが、主人公役に選ばれた所以なのだろうか。冒頭での冴えない男が、訓練によって次第に自信に満ちた精悍な男に変わって行く。しかしそれだけでは終わらず、結局もともとのナイーブで傷つきやすい面も出さなければならないのだから、これは難しい役だろう。ちなみに吹き替え版の声はDAIGOが担当しているらしい・・・大丈夫なのか?


 ネタバレになるので結末は書かないが・・・なるほどそう来たか、結局そう来るしかないんだろうな、と思わせるラスト。アメリカ映画らしい終わり方ではある。しかし演出がけっこう洒落がきいていて、単なるアクション映画のラストっぽく無かった。ちょっとだけハリウッドテイストが薄いかな?皮肉な台詞回しは、イギリス映画っぽくもある。(そういえばジェームス・マカヴォイはイギリス人)


 「ウォンテッド」意外とオススメである。文句無しに面白かった!DAIGOがんばれ~!


「ウォンテッド」公式サイト

 現在アメンバー申請中の二人の人。何回言えば分かるんですか。


 アメンバーは募集しません。アメンバー記事も書きません。


 未だに毎日申請が・・・。そんなに私のアメンバーになりたいか?なってもいいことなんか一つもないのに。


 一度もコメント残したことない人がいきなり「アメンバーにして下さい」と言って来ても、胡散臭さしか感じないだろう、常識的に考えて。私の常連さんは私がアメンバー記事を書かないのはご存じなのだから。


 しかし、どう考えても分からないのが、「何の為にアメンバーを増やしたがるのか」という事。誰でもいいからアメンバーになってくれなんて言う人は、アメンバーを増やすと何か特典があることを知ってるからなんだと思う。アメブロが褒賞でも作ってるのか?


 私がブログを始めた頃に比べると、アメブロも随分様変わりした。プチメ、ペタ機能が付き、アメンバー制度ができ、掲示板ができ、リクエスチョンができ・・・ごてごて色んな機能が増え過ぎたように思う。昔のシンプルなアメブロが懐かしい。


 プチメ機能やペタ機能が付いた頃から、以前と毛色の違うブロガーさんが増えた気がする。あちこちのブログにペタを付けて自分の存在をアピールし、読者やお気に入りをどんどん増やし、いつの間にかアメブロ内での存在感を増すタイプのブロガーさん。ニュータイプブロガーとでも呼ぼうか。


 私のような旧タイプのブロガーはひたすら地道に記事を書き、気に入ったブログを訪問し、興味のある記事にコメントを付ける。そこで交流が生まれてお互い「知り合い」になり、定期的に訪問してコメ欄で会話や論争が生まれ、いつしか議論が白熱したり時には炎上したりする。そうやってお互いの理解を深め、信頼関係が出来る。みんな本音で熱く語るから喧嘩もするけれど、それだけに仲良くなると「気のおけない友人同士」になれる。顔も本名も知らないHNだけのつながりなのに、リアルな人間関係より温かいこともある。


 実際、私がブログを始めた2年半前は今よりコメント数も多かったし、ブロガーでない純粋な読者コメもあったし、横レスや議論がしょっちゅうで、非常にコメ欄に活気があった。色んな意見を言える雰囲気があり、リアルの世界のようなしがらみもないから個性的で魅力的な人たちが好きなようにブログ世界を闊歩していた。何でもありで、すごく自由だった。


 ところが、現在はそういう空気が随分薄まってしまった気がする。プチメやペタやアメンバーのせいでアメブロが限りなくmixiに近づき、仲良しサークルのような雰囲気になってしまった。全部ではないが、内容のない「ご挨拶コメ」や、賞賛しか書いてない「お世辞コメ」が増え、ほとんどのコメにURLが付くようになった。批判、毒、演説、言いっぱなし、何でもアリのコメ欄が楽しかったのに。


 更に、近頃はコメントではなくプチメでコミュニケーションを取りたがるブロガーさんも増えた。プチメブロガーとでも呼ぼうか。プチメブロガーの人たちは、あまりコメントは残さない。残しても短い「ご挨拶コメ」が多い。代わりに、鬼のようにペタを付ける。そして、何かと言うとプチメを送って来る(笑)


 私は本来プチメは「業務連絡用」だと思っている。コメ欄に書きづらい個人的な情報などを、仲良くなったブロガー同士でやり取りし合う為にあるのだと思う。あくまで主体はブログで、メインとなるコミュニケーションはコメントのやり取りだと思う。だからある程度の期間のブログでの交流が不可欠である。どういう人間か分かってもらうためにも。よく知らない人とメールのやり取りなんか通常しないだろう。


 ブログはその人自身のプレゼンテーションの場である。記事テーマ、内容、文体、行間の空け方、絵文字顔文字の量、写真の有無、コメント、スキンの絵柄など、全部にその人の人間性が出る。ブログは不特定多数の人に向ける独り言なので、意識しなくても自ずと人柄がにじみ出てしまうものだと思う。ブログのかもし出す「空気感」のようなものが、それを書いているブロガーさんと言う人を如実に物語ると、私は思っている。


 対してプチメは個人が個人に向けて発信するものなので、逆に嘘がつき易い。情報は主に文章で、伝える相手は一人だから相手の心証を良くするために、いくらでも粉飾可能だ。しかも真偽を確かめる術もない。「私はこういう人です」と自分で言う人ほど信用できないように、主観的な情報だけが頼りのプチメは、送る人の「本当」を実は殆ど伝えられないのではないかと思う。これは、メールだけのやり取りで結婚詐欺が成功してしまった事件を見ても分かる。


 だから私は、最初からプチメ主体のコミュニケーションを取りたがる人を信用できない。今までも何人かプチメブロガーさんがいたが、みんな短いお付き合いだった。結局、私がその人たちを信用し切れなかったのが原因だ。一定期間ブログでの交流があった人からのプチメなら大歓迎だが、そうでない人からのプチメは、正直怖い。なぜコメントで言えばいいようなことをわざわざプチメで・・・?と勘ぐってしまうのだ。


 これは、私の性格も影響しているかも知れない。オープンな性格の人なら、プチメ主体のやり取りに何の警戒心も抱かないだろうし、親密な関係になれたように感じるだろう。しかし、本来ブロガー同士は文章だけの付き合いで、一面識も無い間柄なのだ。そんな相手との「親密な関係」は、所詮幻影ではないかと私は思う。


 本当に親密になりたかったら、やはり実際会ってみるべきで、それまではどこかで一線を引いて付き合うことが肝要だろう。顔も知らない相手に、多くのことを期待するのは間違いというものだ。私にとってはその「一線」の部分がブログ上の交流であって、記事を読んだり読まれたり、コメント欄で交流したりと言うのは、とても心地いい人間関係の形である。そしてブログで交流して違和感が無く、無理なく本音を語れる相手なら、きっと実際に会っても嫌な印象は受けないと思う。


 私としては、これ以上「ニューブロガー」や「プチメブロガー」が増えると、ブログ本来の、コメ欄での活発な交流が少なくなってしまうような気がして寂しい。もしアメブロがこれ以上「mixi化」したら、私のような旧ブロガーには居心地が悪くなるかも知れない。(´・ω・`)

【3女帝】/逆位置
感情がコントロールできなーい。
周りが見えなくなっちゃうかも。
お金づかいも荒くなりそう。
今日は一人で行動するといいわょ。




今、近所のイオンに来ています。感情がコントロールできず、金遣いが荒くなる…既にCD一枚とストール買ってますが。(^。^;)
【カップのクイーン】/正位置
聞き上手になると好感度アップ!みんなに平等に優しくをモットーにね。
面倒見の良い女の人が助けてくれるわょ。




女王様出ました!(^_^)v 正位置でラッキー!今日もがんばろっと。
【コインのペイジ】/正位置
読書やゲームをして過ごすとグー。
子供と遊ぶことで幸運を呼びそうよ。
お金にまつわるラッキーな知らせが届くかも。





お金にまつわる良い知らせかぁ…ほぉ~…( ̄∀ ̄)