昔は不倫と言ったものだが、今は婚外恋愛と言う呼び方が主流(?)らしい。若干罪悪感が薄れるからだろうか?「不倫」はもともと、「人倫にもとる」という意味だし。どっちにしろ、やってることは同じだが。


 私の「婚外恋愛」観を書こうと思ったが、考えがまとまらず、どうしても自分の言葉で書くことができない。なので、人の言葉を借りることにした。最近読んだ林真理子のエッセイからの引用。



 私は作家であるから、「不倫がいけない」などという道徳観はまるで持っていない。もちろんいけないことではあるが、人の心を鎖で縛るわけにいかない、というのが私の持論である。



 私は主婦であるから、「不倫がいけない」などという道徳観はまるで持っていない。


 私は四十路であるから、「不倫がいけない」などという道徳観はまるで持っていない。


 私はブロガーであるから、「不倫がいけない」などという道徳観はまるで持っていない。



 ( ̄ー ̄; ・・・ダメだ。全然決まらない。



 やはり作家でもない限り、前半の『「不倫がいけない」などという道徳観はまるで持っていない。』などと言える資格は無さそうだ。しかし後半部分の、「もちろんいけないことではあるが、人の心を鎖で縛るわけにはいかない」と言う言葉には激しく共感する。


 私は平凡な、そのへんにいる主婦であるから、道徳観はまるで持っていないなどとは口が裂けてもいうことはできない。世間の「道徳観」や「常識」に、縛られつつも守られて生きている身の程を知っているからだ。私の人生は、基本的に夫に守られることで成り立っている。その夫も、世間の「道徳観」や「常識」に裏打ちされた平和な社会で仕事を得、金銭を得ているのであるから、私は間接的にそれらに守られていることになるのだ。しかも作家のように、道徳観を打ち破って新しい価値観を生み出し、それを作品に生かして世に出す使命を帯びている訳でもない。だから自分を守ってくれているものを貶めるという事は、自分の存在を否定することにも近く、守ってくれているものから抜け出す覚悟が無ければしてはならないと思う。


 だから私は、不倫を全肯定することはできない。夫がいようと妻がいようと自由に、おおっぴらに異性との恋愛を楽しんだっていいじゃないか、と言い切る勇気はない。


 ・・・しかしだ。人の心は鎖で縛れないのもまた事実なのである。美しいもの、素晴らしいものに感動する感性があったら、人は何かに、誰かに恋することができる。この事は既婚だとか未婚だとか一切関係ない。だから夫がいようと妻がいようと、誰か別の異性に恋する可能性は十分にあると思う。「好き」という気持ちは感性から来るもので、理屈ではないからだ。特に恋愛感情は性欲と密接に結びついているので、性行動が活発な若い時代は、恋に落ちる確率も高まる気がする。


 そう、恋に「落ちて」しまうのだと思う。いけないことだと思っていても、引き返さなければと思っていても、心に特定の誰かが住み着いたらもうそれは恋である。それなら、配偶者がいた時はそんな気持ちをどうしたらいいのか・・・?


 誰かに恋して、その気持ちにどう向き合うかに、その人の美意識、人間性が現れると思う。不倫の恋なら尚更だ。それなら、不倫の恋への向き合い方にはどんなパターンがあるのだろうか?思いつかないのでまた次回に続く。