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foo-d 風土

自然や芸術 食など美を 遊び心で真剣に

染めと織の万葉慕情20

 牽牛と織女の恋

   1982/8/20 吉田たすく

 

中国でも盛んに七夕の詩が作られていたようです。この七夕の伝説が日本に伝わって来て、日本でもたくさんの歌が作られました。 七夕の天上の恋も、中国と日本では少々違うようです。 中国では織女の方が美しい馬車をしたてて行っているようですが、日本の七夕では牽牛が天の川の瀬を徒歩で渡ったり、舟で渡っています。

 当時の日本の風習では、男が女の家に夜会いに行き、朝帰るのが普通で、この結婚の形式を「よばう」といい「よぱい」といいました。この風習にしたがって、牽牛も女のもとへ出かけて行くのでしょう。

 

 天の河

  白波高し

    わが恋ふる

   君が舟出は

    今し為らしも

 

白波が高く、少々荒れているけれども、いよいよ彼はお出ましらしい。

 

 天の河

  波は立つとも

    わが舟は

   いざ漕ぎ出でむ

    夜のふけぬ間に

 

 波高くとも、漕ぎ出そう夜がふけないうちに。

 

 今年の七夕の晩は雨でしたが、年に一度の袖巻きに牽牛は舟を漕いで出かけます。

 

 このゆうべ

  降り来る雨は

    彦星の

   早漕ぐ船の

    櫂の散味(かいのちり)かも

 

 地上に降る雨は、天の川を漕ぐかいのしづくだというのです。

 織女は彦星を待っています。

機を織って、 彦星の着物を作って待ちますが、待ちかねて機を壊してしまいました。

 

 機(はたもの)

  まね木持ち行きて

    天の河

   打橋わたす

    君が来むため

 

 機を壊し、そのふみ木をかついで行って天の川に打ち橋を渡して、君がおいでになるのに役立つためにと、もう一生懸命です。

いよいよおいでだ。

 

 天の河

  川門に立ちて

    わが恋いし

   君来ますな

    紐解き待たむ

 

 川門に立っていると櫂の音が聞えて来ました。下紐を解いて待ちましょう。はやく寝れるように、と。 素直ですね。きついですね。はっきり歌えるのですね。

 

 わが待ちし

  秋は来りぬ

    妹とわれ

   何事あれぞ

    紐解かざらむ

 

 一年間待った、ようやく来たこの夕、どんなことがあっても下紐を解かない事がありましょう。 

 解きますわよ。

 長い月日を待ちに待って、二人は互いに袖を巻く事が出来ました。

 

 一年(ひととせ)

  七夕(なぬかのよ)のみ

    逢ふ人の

   恋も過ぎねば

    夜は更けゆくも

 

 一年に、この七月七日の夜だけしか逢う事の出来ない牽牛、織女の恋、今愛し合っても愛し合ってもまだ満たされない。

 

もっともっとと思うけれども、夜は更けて行く。

二人の愛は深まるけれども、暁が近くなるのです。

 お別れが近づくのです。

   はかなくもうるわしい歌です。

 

      (新匠工芸会会員、 織物作家)

 

…………………………………………

 

 今回はすごく素直で赤裸々な歌でしたね。

次回も続きますが、万葉集はとても鷹揚で万(よろず)のうたがありますね。

染めと織の万葉慕情20

 牽牛と織女の恋

   1982/8/20 吉田たすく

中国でも盛んに七夕の詩が作られていたようです。この七夕の伝説が日本に伝わって来て、日本でもたくさんの歌が作られました。 七夕の天上の恋も、中国と日本では少々違うようです。 中国では織女の方が美しい馬車をしたてて行っているようですが、日本の七夕では牽牛が天の川の瀬を徒歩で渡ったり、舟で渡っています。

 当時の日本の風習では、男が女の家に夜会いに行き、朝帰るのが普通で、この結婚の形式を「よばう」といい「よぱい」といいました。この風習にしたがって、牽牛も女のもとへ出かけて行くのでしょう。

 天の河

  白波高し

    わが恋ふる

   君が舟出は

    今し為らしも

白波が高く、少々荒れているけれども、いよいよ彼はお出ましらしい。

 天の河

  波は立つとも

    わが舟は

   いざ漕ぎ出でむ

    夜のふけぬ間に

 波高くとも、漕ぎ出そう夜がふけないうちに。

 今年の七夕の晩は雨でしたが、年に一度の袖巻きに牽牛は舟を漕いで出かけます。

 このゆうべ

  降り来る雨は

    彦星の

   早漕ぐ船の

    櫂の散味(かいのちり)かも

 地上に降る雨は、天の川を漕ぐかいのしづくだというのです。

 織女は彦星を待っています。

機を織って、 彦星の着物を作って待ちますが、待ちかねて機を壊してしまいました。

 機(はたもの)の

  まね木持ち行きて

    天の河

   打橋わたす

    君が来むため

 機を壊し、そのふみ木をかついで行って天の川に打ち橋を渡して、君がおいでになるのに役立つためにと、もう一生懸命です。

いよいよおいでだ。

 天の河

  川門に立ちて

    わが恋いし

   君来ますな

    紐解き待たむ

 川門に立っていると櫂の音が聞えて来ました。下紐を解いて待ちましょう。はやく寝れるように、と。 素直ですね。きついですね。はっきり歌えるのですね。

 わが待ちし

  秋は来りぬ

    妹とわれ

   何事あれぞ

    紐解かざらむ

 一年間待った、ようやく来たこの夕、どんなことがあっても下紐を解かない事がありましょう。 

 解きますわよ。

 長い月日を待ちに待って、二人は互いに袖を巻く事が出来ました。

 一年(ひととせ)に

  七夕(なぬかのよ)のみ

    逢ふ人の

   恋も過ぎねば

    夜は更けゆくも

 一年に、この七月七日の夜だけしか逢う事の出来ない牽牛、織女の恋、今愛し合っても愛し合ってもまだ満たされない。

もっともっとと思うけれども、夜は更けて行く。

二人の愛は深まるけれども、暁が近くなるのです。

 お別れが近づくのです。

   はかなくもうるわしい歌です。

      (新匠工芸会会員、 織

物作家)

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 今回はすごく素直で赤裸々な歌でしたね。

次回も続きますが、万葉集はとても鷹揚で万(よろず)のうたがありますね。

染めと織の万葉慕情19

 七夕の歌

   1982/8/13 吉田たすく

 涼しい空梅雨の今年もだんだん暑くなって、七夕の季節も過ぎました。この「万葉慕情」の第一回に七夕の歌を取り上げましたが、もう一度七夕の歌を賞味してみましょう。 万葉巻十の秋の雑歌に七夕の歌が九十八首あります。 その他 巻八に山上憶良の十二首、巻九に二首と合計して百十二首にものぼります。

集中、同じ主題を歌った歌はいろいろありますが、百首以上も歌われた歌は珍しいものです。

こんなに沢山歌われたのは、その頃大陸から次々新しい文化が導入されて、憧れの国の中国の秋の夜空のロマンはすばらしく新鮮で、ハイカラなポエムとして受け取られていたのでしょう。

 天の川

  梶の音(と)聞こゆ

    彦星と

   織女(たなばたつめ)と

    今夕 (こよい) 逢ふらしも

夜空にかかる天の川に、舟で行くのでしょう。 かじの音が聞こえるなんて、おつなものです。

 彦星と

  織女(たなばたつめ)と

    今夜(こよい)逢ふ

   天の河門(かわと)に

    波立つなゆめ

今夜二人が逢う晩だから、天の川よ、波立たせるな、早く渡れるように。

 君に逢はず

  久しき時ゆ

    織るはたの

  白衣(しらたえごろも)

   垢(あか) つくまでに

 昨年の七夕から長く逢っていない。君が織ってくれた白い衣も、垢づくまでになってしまっている。今年も早く逢いたい。

織女は家で機を織りながら一年間、この夕を首を長くして待っています。

 わがためと  

  織女(たなばたつめ)の

    その屋戸に

   織る白栲(しらたえ)は

    織りてけむかも

わしのために織っている白い衣は、織り上がっているだろうか。 早く行って着たいものだ。

 織女(たなばた)の

  五百機(いそはた)立てて

    織る布の

   秋さり衣

    誰か取り見む

 織女が多くの機を立てて織る布の秋になって着る着物は、誰が取って見るのでしょうか(それは勿論わかった事、彦星です)

今年の七夕は残念ながら雨でした。

 秋風の

  吹きただよはす

    白雲は

   織女(たなばたつめ)の

    天つ領巾(ひれ)かも

秋風が吹き、白雲がたなびいていて天の川は見えない。あれは織女が肩のストールをなびかせなびかせ、彦星をよんでいるのでしょう。 天つ領巾(ひれ)(ストール)に白雲をたとえ、今夕、二人のちぎりを領巾のベールの向こうに祝福するのです。

                                  (新匠工芸会会員、織物作家)

…………………………………………

今日2022年8月4日は、旧暦の七月七日です。

 丁度七夕の日にこれを紐解くことができて嬉しいです。

  しかし今日は雨。

  それでも雨のおかげで、彦星と織女(たなばたつめ)は雲の上で誰にも見られずに静かな逢瀬を楽しんでいることでしょう。

父は、織物につかれると夕刻にいつものように自転車で小鴨川へ行っていました。

 川の土手から望む大山や川面を眺めて癒すのですが、初夏から今時分の 蛍が舞い、宵待草の咲き始める頃が一番好きでした。

 宵待草 

  待てど暮らせど 来ぬひとを

   宵待草の やるせなさ

    今宵は月も 出ぬそうな

           竹久夢二

 

 

あめふりの

 あけてあおさの

    ありがたさ

 …………………………

長雨が続いた後

 ふと空を仰げば青空が

  ああ! と感嘆

 

染めと織の万葉慕情18

 はかない露草

   1982/8/6 吉田たすく

古代の染物は、摺染(すりぞめ)(注1)をいろんな草花でためしています。 カキツバタもそうでしたが露花もその一つです。

 今年の梅雨は空梅雨なのか、この山陰でも降りそうで降りません。むし暑さもなく、すごしやすい日がつづきます。

梅雨の時期になれば、庭さきの雑草の中に可憐な露草の花がつつましく顔を見せます。 笹に似た葉を持った細い茎に、同じ淡緑色の小さな舟形のがくが花を包んで伸びてくると、上側が割れて藍紫の花が顔を出します。 まだ朝露の残っている時刻に咲く草であり、朝露が消える風情をもつのでその名に露草をもらったのでしょう。 やさしくちょっとはかない名前です。

 夕方になるとしぼみます。 小さな花ですが、近くで見るとちょうど鴨の鳥の頭の色羽根の形によく似ているのです。

 万葉集にこの露草の歌が九首し ありますが、その内の四首は「鴨頭草(注2) 」の文字があてられています。 形から来た文字ですね。他の歌は「月草」になっています。

そして両方とも「つきくさ」と読んで「つゆくさ」とは読みません。月草の月はお月様の意でなく着き草、布に花の色の着く草、染草のことです。露草が染料として斑(まだら)の衣染に使われたのです。

この九首とも気持ちを表すのに露草の摺染を使って歌います。

 月草に

  衣ぞ染(し)むる

    君がため

   斑(まだら)の衣

    摺らむと思ひて

ところが、露草で染めた紫色は間もなくうつろうてしまうのです。また、水に濡れると色あせてしまいます。定着しないのですね。

染まる(恋愛する)けれどもうつろう色(はかなく消える恋)として、美しくも悲しい歌が生まれます。

 月草に

  衣は摺らむ

    朝露に

   濡れて後には

    うつろいぬとも

 露草で衣を染めて、あすの朝露で色あせてしまうかも知れないように、あすの朝はあなたと別れてしまうでしょうが、せめて今夜一夜だけでもあなたに染まりたい、女心の切ない気持ちを歌っています。

 露草の色が消える、あの人の色も消える恋の悲しさ。

 朝は咲き

  夕は消ぬる

    鴨頭草の

   消めべき恋も

    我はするかも

 結ばれる事のないあの人への想いを歌い、露草を手にそぼ降る雨にうたれている姿が見えるようです。

 鴨頭草に

  衣色どり

    揺らめども

   変(うつろ)ふ色と

    いふが苦しき

 申し出をうけたが、移り気なところが心配でというのでしょう。

 また、それとは対照的な歌で

 百に千(ももにち)に

  人は言ふとも

    鴨頭草の

   移(うつ)ろうこころ

    われ持ためやも

 他人がいくら言っても、あなたへの想いは変わりません。どうぞ一緒になりましょう。 初夏の清く涼やかな可憐な露草にたくして、恋心を歌います。

 現代は、露草の液を「青花」といって、洗えば必ず消えるので染物の下絵描きに使っています。

(新匠工芸会会員、織物作家)

 …………………………

(注1)

摺染(すりぞめ)

古くから用いられてきた技法で、草や木の葉、花などをそのまま布に置き上から叩いてその形を生地に染めつけたり、葉や花の汁を摺りつけて染めていました。

この方法で染めたものを摺衣(すりごろも)といいます。

(注2)

鴨頭草(つきくさ・かもとぐさ)露草(つゆくさ)の古名であり、この草の花弁の色素を得ることからこの名がつきました。

 …………………………

 こうやって「染めと織の万葉慕情を読みといていますと、今回はいつも以上に、ロマンティストで繊細で優しい父の姿と その愛する母の姿が浮かんできました。 

 この繊細さがあの素晴らしい織物を作り続けたのだと思います。

「野の花料理・恵那の野山の 蕎麦懐石」では、いつもお客様のテーブルの脇に小さな野の花を飾っていますが、 露草の咲く頃はいつも大好きな露草を飾ろうとするのですが、とても小さく儚く、花を一日持たせるのがとても大変です。それでも飾って見ていただきたい大好きな花です。

染めと織の万葉慕情17

 カキツバタ

   1982/7/30 吉田たすく

東郷池(注1)の湖畔に新しい公園が出来て、そこにカキツバタの大花園が造られています。 先日、誘われて参りました。

紺、紫、白の大輪の花がたおやかにほころび、水面(みずも)にゆれていました。コンクリートではありますが、ジグザグに橋も造られ、伊勢物語の八橋をわたる気持ちです。

この時期になりますと、 万葉のカキツバタの歌がうかびます。

 住吉の

  浅沢小野の

   かきつばた

  衣に摺り付け

   着む日知らずも

カキツバタの花を衣に摺(す)りつけて着る日はいつなのだろうか、という歌です。花の色を衣に摺りつけることは、桃の花の時にもありましたが、染の技術のまだ発達していない原始染色は花そのものの色をすりつけて、斑(まだら)の衣に染めたのです。

カキツバタは日本人に古くから親しまれた花の一つです。カキツバタの名は、衣に摺りつけたのでカキツケバナから起こったと言われております。

 大伴の家持の歌に

  杜若(かきつばた)

   衣に摺りつけ

    大夫(ますらお)の

   きそい猟りする

    月は来にけり

という歌があります。

 青紫に摺り染した衣を、ますらおが着飾って初夏の野に猟をしている 月が来た、という季節感あふれる歌です。森や林の間の野草の野原を進む大夫の姿が見えるようです。

 カキツバタの美しさを美人にたとえた歌もあります。

 われのみや

  欺く恋すらむ

    杜若(かきつばた)

   丹つらふ妹(いも)は

    如何にかあるらむ

杜若(かきつばた)

 丹つらふ君を

   ゆくりなく

  思ひ出でつつ

   嘆きつるかも

私だけが、こんなにあなたを恋いしたっているのであろうか。 カキツバタのようにうるわしく、ほおをほのかに紅に染めた貴女は、私のことを思ってくれているのかい? 少々心配な気持ちです。

次の歌も同じように、カキツバタのような紅さしたほおの美しい君を思い出しては、 嘆き会いたい気持ちでいっぱいだ。

 杜若

  咲く沼の官を

   笠に縫ひ

  着む日を待つに

   年を経にけり

カキツバタの咲く沼の管で作る笠を着る日を待つうちに、年月は經てしまった。好きなあの娘と結ばれるのはいつのことか、と嘆いた歌です。

 失恋の気持ちは、カキツバタのあまりにも美しい花によって一層深さを増していきます。万葉には、心を花に寄せた歌がたくさんあります。

  (新匠工芸会会員、織物作家)

 …………………………

杜若丹つらふ君をゆくりなく思ひ出でつつ嘆きつるかも

杜若(かきつばた)は色の美しいことから丹(に)つらふにかかる枕詞。丹(に)つらふとは赤く照り映える美しい色をしているの意。

杜若のようにほんのりと紅いろの美しいあなたの顔をふと思い出してはため息をついております

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(注1)東郷池

東郷池(とうごういけ)は、鳥取県東伯郡湯梨浜町にある周囲12kmほどの汽水湖であり、長さ2kmほどの橋津川を通じて日本海につながっています。池の中央付近の湖底からは温泉が湧くという全国でも珍しい池であり、湖畔には はわい温泉と東郷温泉があります。僕は子供の頃実家から釣り竿を持って東郷池に鮒や鯉釣りに自転車で50分ほどかけて何度か行ったことがあります。(車だと18分くらいです)

また、冬には池から湯気が立つ神秘的な風景も見られることがあります。

 東郷池周辺は鳥取でも有数の20世紀梨の産地。 梨は日本中で作られていますが、20世紀梨は鳥取県が一番だと思います。その中でも東郷の20世紀梨は肌理細かく瑞々しい美味しさで世界で一番美味しい梨だと思います。

 古くは入江であり、近くには伯耆(ほうき)一宮の倭文(しとり)神社や羽衣石(うえし)という天女の羽衣伝説の場所もあり、古代の出雲王朝の織物や物資の重要な積出港であったとおもわれます。

 羽衣石(ウエシ)は倉吉市の中心でお城もあった打吹山の天女伝説の天女の舞い降りたところです。

 倭文(しとり)とは倭文織(しずおり)のことで、まだ綿や麻が無い頃から織られていた日本最古の織物と言われています。文章に出てくるのも、源義経を慕って鶴岡八幡宮で頼朝の前で静御前が今様を踊って歌った「しずやしず しずのおだまき」の本歌の、平安時代に在原業平の伊勢物語を最後に倭文織の文献は出ていません。

伊勢物語は、現存する日本の歌物語中最古の作品です。

 伯耆国(ほうきのくに=鳥取県の西半分)の第一番の神社が織物に関するという事はここは古代織物の大産地だったということですね。

 倭文織もまだ現代でも多くの研究者が解明中です。

写真の東郷池は湖畔の旅館に泊まった時に撮った夕景です

 

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『染と織の万葉慕情』は、私の父で、手織手染めの染織家、吉田たすくが60歳の1982年(昭和57年)4月16日から 1984年(昭和59年)3月30日まで毎週金曜日に100話にわたって地方新聞に連載したものです。

 尚このシリーズのバックナンバーは私のブログ 「foo-d 風土」の中のカテゴリー『染と織の万葉慕情』にまとめていきますので、そちらをご覧ください。

http://foo-d.cocolog-nifty.com/blog/cat24334548/index.html

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吉田 たすく(大正11年(1922年)4月9日 - 昭和62年(1987年)7月3日)は日本の染織家・絣紬研究家。廃れていた「組織織(そしきおり)」「風通織(ふうつうおり)」を研究・試織を繰り返し復元した。

風通織に新しい工夫を取り入れ「たすく織 綾綴織(あやつづれおり)を考案。難しい織りを初心者でも分かりやすい入門書として『紬と絣の技法入門』を刊行する。

東京 西武百貨店、銀座の画廊、大阪阪急百貨店などで30数回にわたって個展を開く。

代表的作品は倉吉博物館に展示されているタピストゥリー「春夏秋冬」で、新匠工芸会展受賞作品。昭和32年(1957年)・第37回新匠工芸会展で着物「水面秋色」を発表し稲垣賞を受賞。新匠工芸会会員。鳥取県伝統工芸士

 尚 吉田たすく手織工房は三男で鳥取県染織無形文化財・鳥取県伝統工芸士の吉田公之介が後を継いでいる。

吉田たすくの詳細や代表作品は下記ウイキペディアへどうぞ。

https://ja.wikipedia.org/wiki/吉田たすく

染めと織の万葉慕情16

 神前の弊と喪服

   1982/7/23 吉田たすく

 幣(ぬさ)に使われた麻は神に祈るときに榊に、こうぞの糸や切り紙をささげますが、麻の糸も使われています。真白い麻糸は神を迎える境域を清めます。

 

 

 山鳥の

  尾ろの初麻(はつを)に

    鏡懸(かがみかけ)

   唱(とな)ふべみこそ

     汝(な)に寄そりけめ

山鳥の尾の(初麻のにかかる詞)のように長い、今年初めて取れた清らかな麻を榊に幣としてそれに鏡を懸(か)けて、呪文をとなえるはずの私です。ですから、私はあなたの妻として寄りそうはずですよ、というのでしょう。

次は麻を刈って衣に作って着せた事を歌っている歌。

 小垣内の

  麻を引き干し

   妹がねが

  作り着けむ

  白(しらたえ)の

   紐も解かず

  一重結ふ帯を三重結び… 

長歌でまだつづきますが、

小さな垣根の内に植えた麻を引きぬき、妹かそれとも姉が手作りに織った紐もとかないで、一重の帯を三重にまでまけるほど、やせてくるしくお仕えして死んだ人を歌った挽歌です。

次も挽歌の中の一節ですが、白い麻衣を喪服に着ています。

 ….大殿を

   ふり放 (さ)け見れば

      白栲(しらたへ)に

   飾りまつりて

    うち日さず

      宮の舎人(とねり)も

   袴(たく)の穂の

    麻衣着れば

     夢かも現(うつつ)かもと… 

 皇子命(みこのみこと)がなくなられて、御殿をあおぎ見ると、白布で飾りおおい、宮中の高官達がこうぞのほのように白い麻の喪服を着て、これは夢か現(うつつ)か、と歌われています。

 以前、藤衣のときにも書きましたが、当時の都人の喪服は藤衣とかこうぞ衣などの一段低い衣料を着用したようですが、 舎人(とねり) のような高級官吏の喪服には白無垢の麻衣を着たのでしょう。

 今の韓国の喪服が麻衣だと聞きましたが、奈良時代、大陸から入って来た衣服着用のきまりがそのようであったのでしょう。

 今日は神前の幣と喪服の話になりましたが、麻衣や麻製品は身分の上下をとわず、 生活に密着していたものです。

 近年、夏の衣料として使われていた麻の着物は現代ほとんど着られなくなり、今では高級呉服としてお茶会などに着られるくらいになってしまいました。万葉時代から江戸中期頃まで、日本の衣料として着つがれて来た麻の着物の事を思うと、隔世の感にたえません。

         (新匠工芸会会員、織物作家)

 

一枝の

 紫陽花の中

   涼を見ん

 

 先回の余話3では苧環(おだまき)について苧環(おだまき)は、「おだ - まき」ではなく、苧(お)を輪にする「お - たまき」「苧(お)環(たまき)」からきていますと書きましたが、苧環はまた、「綜麻(へそ)」ともいいます。(「へ」は動詞「綜 (へ) る」の連用形から。「そ」は「麻」)。

「へそくり」は、さらに、蓄財を内緒で腹の「臍(へそ)」の上にしまっておくからなどの説があります。

 

 

 糸を巻いていく作業のことを「繰る(くる)」と言いますが、この糸繰り作業は、糸を細く紡げば紡ぐほど長く良い糸がとれました。しかし、その良い糸を繰るためには、時間も腕も要り本当に少しずつしかできません。 努力の末、腕が上がってくると細長く良い糸が余分に紡げ、余分の手当てにつながりました。

つまり、へそくりとは、元々は麻糸を上質に繰って巻いた「綜麻(へそ)」を繰って得た副収入のことでした。

 はじめは家計を助けるためだったのですが、しだいに主婦たちはこの「綜麻繰り」で得たお金を少しづつ旦那に内緒で貯め込むようになったといわれ、これが「へそくり」の由来だそうです。

 (写真はイメージで、麻糸ではありません。ウールですねゴメンナサイ🙇

 金も学問も同じで、何ごとも一石二鳥や一攫千金を狙わず、小さなことからこつこつと努力して、一生懸命に汗をかき、綜麻(へそ)繰りをして、努力の結果与えられたものに感謝し、大切に遣わせて頂くことが大切ですね。

‥‥‥‥‥‥‥‥

 父の「染と織の万葉慕情」を読み解く中で出てくる様々な言葉を「余話」として記していきます。

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『染と織の万葉慕情』は、私の父で、手織手染めの染織家、吉田たすくが60歳の1982年(昭和57年)4月16日から 1984年(昭和59年)3月30日まで毎週金曜日に100話にわたって地方新聞に連載したものです。

 尚このシリーズのバックナンバーは私のAmebaブログ 「food 風土」の中のカテゴリー『染と織の万葉慕情』にまとめていきますので、そちらをご覧ください。

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吉田 たすく(大正11年(1922年)4月9日 - 昭和62年(1987年)7月3日)は日本の染織家・絣紬研究家。廃れていた「組織織(そしきおり)」「風通織(ふうつうおり)」を研究・試織を繰り返し復元した。

風通織に新しい工夫を取り入れ「たすく織 綾綴織(あやつづれおり)を考案。難しい織りを初心者でも分かりやすい入門書として『紬と絣の技法入門』を刊行する。

東京 西武百貨店、銀座の画廊、大阪阪急百貨店などで30数回にわたって個展を開く。

代表的作品は倉吉博物館に展示されているタピストゥリー「春夏秋冬」で、新匠工芸会展受賞作品。昭和32年(1957年)・第37回新匠工芸会展で着物「水面秋色」を発表し稲垣賞を受賞。新匠工芸会会員。鳥取県伝統工芸士

 尚 吉田たすく手織工房は三男で鳥取県染織無形文化財・鳥取県伝統工芸士の吉田公之介が後を継いでいる。

吉田たすくの詳細や代表作品は下記ウイキペディアへどうぞ。

https://ja.wikipedia.org/wiki/吉田たすく

染めと織の万葉慕情15

  糸の乱れ‥‥たたり

   1982/7/16 吉田たすく

麻糸をあつかう機道具(はたどうぐ)の歌があります。

 乙女らが

 績麻(うみ)の絡垜(たたり)

 打麻(うちぞ)かけ

 うむときなしに

  恋いわたるかも

乙女が「たたり」という道具に麻糸を績(う)んでは、かけ仕事(しごと)を長く長く続けるように、長い長い恋をしているのです。

 恋をしているというのは結ばれていません、いつの日か二人は愛し合うことが出来るでしょうか。

 この悲しい長い時間の装飾詞に、麻糸を作る長時間の作業を使って、その作業に使用する道具の「たたり」が出て来ているのです。 この歌を万葉集の中から見つけたとき私は大変な驚きと親しみを感じました。

 私は織物の工人です。 織(はた)にかかるには、機に糸をかける前に織の下仕事をいたします。織をしている者でなければ、目につかない地味な作業ですが、 この準備作業は織そのものよりも時間がかかり、技術的にも難しい仕事なのです。

 糸より、糸くり、かせかけ、糸染、のりつけ、わくとり、整経、ちぎり巻、綜絖、おさ、とうしなどの仕事が続きます。

 「かせ糸」を「わく」に取るときは、「ごこう」という回転する道具にかせ糸をかけて「わく」に巻き取りますが、「かせ」の様子が良くないときには、糸の機嫌をとりながら作業をいたします。

 機嫌が悪くなると「糸口がわからぬ」の言葉があるように、どこから糸に手をつけたらよいのやら、ますます糸の乱れに手を焼くものです。

 このように「かせ糸」が乱れてくると、「たたり」という道具を取り出します。「たたり」という道具は、五十㎝くらいの幅に二本の棒が立ったものと、もうひとつ一本棒の立っているものと、ひとくみの道具でこれに「かせ」をかけ、糸口の糸を上にひきあげて糸巻きに巻き取る道具です。

この「たたり」に、乱れた糸かせをかけて取れば糸は生きかえったように、 すなおにほぐれて取りが出来るのです。

 時折、乱れたかせのときに使うこの「たたり」が、万葉集に歌われていたのです。 この道具が千数百年後の私の機場で、私の糸の乱れをほぐしてくれるのです。

 古典の乙女が、麻の仕事の「たたり」で歌った恋心と、今の私の仕事とが目に見えない糸のつながりを感じるのです。

 この歌を見つけてから、万葉の染めと織の歌を集める気持ちになったのです。

(新匠工芸会会員、織物作家)

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 余談ですが

たたり【〈絡垜〉】

四角形の台に柱を立て、糸を掛けて、もつれを防いで手繰りをするための道具。

 たたり石という石が三島大社前旧東海道の中央にあり、行き交う人の流れを整理する役目を果たしていたが、後に往来頻繁になり、これを取り除こうとする度に災いがあったと言われ、絡垜(たたり)が祟りに置き換えて考えられる様になったと言われています。