「染と織の万葉慕情」余話3 苧環(おだまき)
父の「染と織の万葉慕情」を読み解く中で出てくる様々な言葉を「余話」として時々記していきます。
経糸(たていと)と緯糸(よこいと)を交差させて布にする装置が機(はた)で、織機で布を織るためには糸が大量に必要になりますが、このとき大量の糸がお互いに絡まないよう四角い枠上の糸巻きで糸を巻いて玉状や環状にして貯めたものを苧環(おだまき)といいます。苧環は、麻績(麻続(おみ)ともいいます。
布を織るためには、まず植物の繊維を糸状にする必要があり、古代では材料に麻(あさ)、楮(こうぞ)、苧(お/からむし)、苧麻(からむし)など様々な植物が使われますが、 苧環(おだまき)は、「おだ - まき」ではなく、苧(お)を輪にする「お - たまき」「苧(お)環(たまき)」からきています。
日本の古代では官吏が使う大量の布を賄うために大量の麻績を作る専門の部民、麻績部が設けられていました。倭名類聚鈔などには全国各地に「麻績」の郷名が記されており、これで麻績を作るための民戸が全国に置かれていたことがわかります。
苧環(おだまき)とは、紡いだ糸を「糸繰り」して巻きつけた糸巻きのことで、糸巻きは、糸を巻きつける道具として、古来から世界各地で用いられてきました。
日本でも、糸巻きの歴史はとても古く、釣り糸や凧揚げの糸、楽器の糸などと使用する糸の用途により、さまざまな種類の糸巻きが作られてきたのですが、その中でも、布を織る際に用いる「苧環(おだまき)」は、とくに古来より人々の間でたいへん身近な物でした。
苧環は糸巻きの道具ですから、糸の巻き方が乱れると機織りの際に絡まったりするので、巻き戻して糸の乱れを造作も無く直せたのです。
古代の日本では、糸巻き全般を千切(ちきり)とも呼んでました。千切とは2つのものを結ぶという役目から、人と人との仲を結んだり、愛を交わす「契り」にも通じるというので、縁起が良いとされてきました。
そのため、糸巻きの文様は平安時代の頃より、吉祥の文様として用いられ、長い糸に長寿や子孫繁栄の願いを込めて、嫁入りの際には、糸巻き文様の着物や帯をもたせたといいます。当時の女性にとって織物は重要な仕事で、糸巻きは大切な道具でしたから、糸巻き文様には、手仕事が上手にできるようにとの願いも込められていたのでしょう。
家紋にも用いられ、その文様の種類も多く、苧環の他にも、柄が付いていて凧揚げなどに用いられる枠糸巻き、重ね糸巻き、陰重ね糸巻き、また丸の中に糸巻を描いた丸に三つ重ね糸巻きなどがあります。
苧環の糸を巻いた形状から、食品でもこの形状のものを「小田巻き」と呼ばれています。紐状のうどんを巻いて茶碗蒸しのなかに入れた「小田巻蒸し」、半練りの食材をところてんの天突きに似た器具で押し出して糸状にする調理器具も一部で「小田巻」と呼ばれます。
植物のオダマキは、別名を「糸繰草(イトクリソウ)」と言いますが花弁の形状が似ているためこの名があります。
おだまきは万葉の昔から歌にも詠まれ、和歌などでもその名をみることができます。平安時代のはじめには、在原業平の書いた「伊勢物語」のなかに
古の
しづのおだまき
繰りかへし
昔を今に
なすよしもがな
現代訳は、「昔の倭文織(しずおり)の糸を巻くおだまきを
繰(く)るように再び繰り返して、昔の二人の仲を今に繰り返す方法はないものだろうか」
注・・しづ=倭文。倭文織(しずおり)。日本最古の織物の一種。
おだまき=苧環。しづを織る糸を中空にして丸く巻く機物。
よし=方法、手段。
この歌は皆さんどこかで聞かれたことのある様な歌でしょう、
そう、静御前が、この歌を模して、鶴岡八幡宮の舞台で源頼朝の前で、源義経を想い、
しずやしず
しずのおだまき
繰りかへし
昔を今に
なすよしもがな
と歌いながら踊った今様ですね。
現代訳は「静よ静よと繰り返し私の名を呼んでくださったあの昔のように懐かしい判官様の時めく世にしたいものよ」
そして、この時静御前の後ろでこれを演奏していた一人が、私の父(旧姓 伊藤祐いとうたすく)の遠い先祖 工藤祐経(くどうすけつね)でした。 工藤氏と伊藤氏の名には代々、中心的に「祐」が使われていました。
父が織物をはじめたのもこの今様の苧環から解けた糸が時空を超えて織物のちぎりとなったのでだったのでしょうか。



















