染と織の万葉慕情 ⑺
つばき市
1982/5/28 吉田たすく
倉吉打吹公園に椿の平(なる)という台地があります。いま博物館のある所で、ツバキの大木が群生している平らな台地ですからそういわれるのです。桜が満開の頃と前後して、濃い緑の葉と対比して真っ赤な花が咲いており、下の地面は落ちた花でうめつくします。児たちが小笹に通して、首飾りにしたりする春風の昼下がりの風景を見ます。
椿の平のように、地名にツバキの名のあるところがたまにあるものです。
きょうはツバキの名のついた歌を取りあげてみます。この歌は「つばき市」という奈良の昔の地名をうたったものです。
紫は
灰さすものぞ
つば 市の
八十(やそ)のちまたに
逢へる児や誰
つば市の八十のちまた〜 といいますから、ツバキの木のたくさんある道の交籍したにぎやかな街の事で、その街であったあの美しい女の児はどこの児だろうか、という歌なのです。
そのつばき市を飾る前の詞“紫は灰さすものぞ”にツバキに対する別の意味が含まれているのです。
紫染色には灰さして染める、紫草で紫色を発色させ、定着させるためには灰の汁 (あく)を使うのです。この事を私たちは媒染(ばいせん)といっていますが、紫草を媒染して染色ずるにはツバキの灰が適しているのです。化学的にいえば、ツバキの灰にはアルミニウムが多く含まれているので、にごらない明るい美しい紫に発色するのです。
花をしぼった汁で摺り染をしていた原始染色の万葉時代に、すでにこのような大変進んだ染色で、化学変化による色があった事がわかります。
紫はツバキの灰で染める。そのツバキの名前のつばき市で逢った「あの人に染まりたい(身も心も)、あの人はどこの人なのだろうか、ああ」 と歌うのでしょう。
また横道にずれますが、平安時代の藤原兼家の妻の「かげろう日記」の中に。“初瀬詣”のくだりがありますが、主人の足が遠のき もののあわれを感じていたおり、願い事などあるので奈良の長谷寺にお参りします。お供をつれ牛車で出かけますが、途中で万葉に出てきたつばき市に一泊いたします。
足くびを布切れで巻いている旅の人たちが、騒いでにぎやかに通っているつばき市の宿で認戸((しとみど)=つっかい棒で戸を軒に押しあげる原始的な戸)をあけて街をのぞくと、いろいろな格好をした人たちが往き来している。この人たちも私のように思い悩むこともあろうか、などといった日記文です。
万葉にうたわれた頃から、この日記の書かれた平安中頃までつばき市は繁華街であったのかもしれません。
私は植物染色をしている時、この古の歌のつばき市の乙女やかげろう日記の事などが頭をよぎります。古代染色のような深く清らかな発色を願いながら。
今も色々な木の灰で媒染していますが、万葉染色と比べちっとも進歩していないのであります。
(新匠工芸会会員、織物作家)
(カットも筆者)
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海石榴市(つばいち)は奈良県桜井市金屋あたりにあった古代で最も大きな市場です。桜井市金屋は桜井駅から1.2kmほど北側にあり、現在は静かな住宅地ですが、万葉の時代には国内有数の交易の中心地でした。大阪から大和川をさかのぼってくる川船の終着点で、当時の幹線道路である山の辺の道・初瀬街道・磐余の道・竹ノ内街道が交錯する交通の要衝だったのです。市の立つ日はにぎわいを見せ、若い男女が集まって互いに歌を詠み交わす「歌垣」も行われたようです。海石榴市(つばいち)には、椿の木が多く植えられていたようです。
「衢(ちまた)」とは分かれ道や交差点のことで、道がいくつにも分かれている所は「八衢(やちまた)」と呼ばれていたのですが、海石榴市は四方八方からの主要な街道が交差している場所なので、「八十(やそ)の衢(ちまた)」と表現されました。
都で一番の繁華街の椿の木が多い交差点でナンパして振られ、その美しい女性に未練を残している歌ですから、今ならさしずめ渋谷のスクランブル交差点であまりにも美しい女性をナンパしようとして未練が残るという失恋の歌ですね。 この当時は和歌が上手でなければ他が良くてもモテませんから男も大変ですね。
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『染と織の万葉慕情』は、私の父で、手織手染めの染織家、吉田たすくが60歳の1982年(昭和57年)4月16日から 1984年(昭和59年)3月30日まで毎週金曜日に100話にわたって地方新聞に連載したものです。
尚このシリーズのバックナンバーは私のブログ 「foo-d 風土」の中のカテゴリー『染と織の万葉慕情』にまとめていきますので、そちらをご覧ください。
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吉田 たすく(大正11年(1922年)4月9日 - 昭和62年(1987年)7月3日)は日本の染織家・絣紬研究家。廃れていた「組織織(そしきおり)」「風通織(ふうつうおり)」を研究・試織を繰り返し復元した。
風通織に新しい工夫を取り入れ「たすく織 綾綴織(あやつづれおり)を考案。難しい織りを初心者でも分かりやすい入門書として『紬と絣の技法入門』を刊行する。
東京 西武百貨店、銀座の画廊、大阪阪急百貨店などで30数回にわたって個展を開く。
代表的作品は倉吉博物館に展示されているタピストゥリー「春夏秋冬」で、新匠工芸会展受賞作品。昭和32年(1957年)・第37回新匠工芸会展で着物「水面秋色」を発表し稲垣賞を受賞。新匠工芸会会員。鳥取県伝統工芸士
尚 吉田たすく手織工房は三男で鳥取県染織無形文化財・鳥取県伝統工芸士の吉田公之介が後を継いでいる。
吉田たすくの詳細や代表作品は下記ウイキペディアへどうぞ。
https://ja.wikipedia.org/wiki/吉田たすく




















