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自然や芸術 食など美を 遊び心で真剣に

染めと織の万葉慕情23

  白たえの袖

   1982/9/10 吉田たすく

 

白梓(しらたえ)という枕詞は白い衣や白い物の詞を飾るもので、(

)は、楮(たく) こうぞの事で紙の原料になる事は先週書きました。 それでは白い布というのは何かと申しますと、おもに麻の布をさしています。当時の大かたの衣類

は、麻布でありましたから。また、楮(こうぞ)や葛(くづ) などの曝(さら)した白い布にも使っているようです。

 その白の布ではどんな歌が多いのか、読んでみますと「白たえの袖」がいちばん多くありました。 次が「白たえの衣」が有り、「白たえの衣手」もかなり有りますが、この「衣手」は袖の事ですので、袖の枕詞が多いようです。 その他「白たえの帯」「白たえの紐」などが各一首づつありました。

 今日は「白たへの袖」の歌を取り上げてみます。

 

 白たへの

  袖をはつはつ

    見しからに

  かかる恋をも

    われはするかも

 

 あの人の真白い袖をちらっと見ただけですのに、私はこんなにも深い恋をしている事です。

 

 白たへの

  袖はまゆひぬ

    吾妹子(わぎもこ)

   家のあたりを

    止まず振りしに

 

 袖はまゆいぬとは、袖の織り糸があまりにふられるので、たて糸とよこ糸がゆるんですき間が出来ることです。

 わがもこの家のあたりで別れるとき、力いっぱい袖をふって別れを惜んだので袖がゆるんでしまった。 こんなにもつらい別れでした。

 

 白たへの

  袖にふれてよ

    わが背子に

   わが恋ふらくは

    止む時もなし

 

背の君と袖をまじえてからこのかた恋のとりこになり、止むときもなく恋慕しています。

 

 君に恋ひ

   我が泣く涙

    白への

   袖さへひちて

    せむすべもなし

 

 君に恋いしはじめてから思うように会えなくて、泣く涙で袖がぐっしょりぬれてしまってどうする事も出来ません。

 白たえの袖で、 恋のせつなさをよりいっそうなまめかしく表現していきます。「袖にふれる」 「袖を振る」 「袖をぬらす」など、袖をつかいワンクッションをおいて歌う事によって情緒がやわらかく、また深く現わされ、そして動きが大きく感じられて来ます。

 

 白たへの

  袖の別れは

    惜しけれど

   思いみだれて

   ゆるしつるかも

 

 袖を合わしていた二人の仲を離れ離れになるのは惜しいけれど、あの人は別れたいというので私の心は乱れに乱れたけれども、とうとう許して別れてしまった。

 

袖の別れって、何とも悲しいいい方ではありませんか。

 

  (新匠工芸会会員織物作家)

染めと織の万葉慕情22

  白たえの衣

   1982/9/2 吉田たすく

 

 今年の梅雨はから梅雨のように降らないで、涼しい日がつづいていましたのに、七月末になって大雨になり長崎地方は大変な事になってしまった。毎日の報道で死者の人数がふえていくのを聞くと何とも痛ましいかぎりでございます。それにしましても鳥取県は、いつもこのような災害にみまわれない幸を思います。

 

 

 夏になると毎年頭にうかぶ歌にこんな歌があります。

 百人一首の中にも取り入れられているから、私のような素人の耳になれているからでしょうか。

 春すぎて

  夏来るらし

    白たえの

   衣干したり

    天の香具山

 春がすぎて夏がやって来た天の香具山に、真白い布が干してあるよというのですが、この歌のリズミカルな調韻は暑さをわすれるようなすがすがしさを感じさせます。持統天皇が藤原の宮で天の下を知らしめておいでの頃の御製となっています。

 和銅三年に奈良の都に遷都されるまで橿原の高殿にあった宮を藤原の宮と申上げていました。 そこで天の香具山の景風をご覧になっておつくりになったのでしょう。

ここでこの歌を取り上げましたのは「白たえの衣」という衣に関係した言葉があるからです。

「白たえ」というのは衣の枕詞に使います(衣だけでなく白い物をうたう時にも)。

 麻の歌を書きましたおりにも出ましたが、白い麻衣の上にも白たえでした。その白たえのたえは何かといいますと「拷」(たえ)と書きますが「楮」(コウゾ)の事だそうです。 こうぞは、今では和紙の原料として紙をすきますが、古代は麻と同じようにこうぞの木の皮をはぎ細くさいて糸にし「こうぞ衣」に織って着用したものです。

 木綿の無かった日本国では木の繊維を採集して糸にしたものです。

こうぞの瀑した糸がかがやくばかりに真白いので白をたとえる枕詞にしたのでしょう。

大伴旅人が香椎の浦で作った歌

 いざ子ども

  香椎の隅に

    白妙(しらたえ)の

  袖さへぬれて

    朝菜摘みてむ

 皆々よ海水に白い袖さえぬらして海草を摘みましょう。 袖の枕詞につかっています。

(新匠工芸会会員、織物作家)

 

 

 

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『染と織の万葉慕情』は、私の父で、手織手染めの染織家、吉田たすくが60歳の1982年(昭和57年)4月16日から 1984年(昭和59年)3月30日まで毎週金曜日に100話にわたって地方新聞に連載したものです。

 尚このシリーズのバックナンバーはこのブログ 「food 風土」の中のカテゴリー『染と織の万葉慕情』にまとめていきますので、そちらをご覧ください。

 

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吉田 たすく(大正11年(1922年)4月9日 - 昭和62年(1987年)7月3日)は日本の染織家・絣紬研究家。廃れていた「組織織(そしきおり)」「風通織(ふうつうおり)」を研究・試織を繰り返し復元した。

風通織に新しい工夫を取り入れ「たすく織 綾綴織(あやつづれおり)を考案。難しい織りを初心者でも分かりやすい入門書として『紬と絣の技法入門』を刊行する。

東京 西武百貨店、銀座の画廊、大阪阪急百貨店などで30数回にわたって個展を開く。

代表的作品は倉吉博物館に展示されているタピストゥリー「春夏秋冬」で、新匠工芸会展受賞作品。昭和32年(1957年)・第37回新匠工芸会展で着物「水面秋色」を発表し稲垣賞を受賞。新匠工芸会会員。鳥取県伝統工芸士

 尚 吉田たすく手織工房は三男で鳥取県染織無形文化財・鳥取県伝統工芸士の吉田公之介が後を継いでいる。

吉田たすくの詳細や代表作品は下記ウイキペディアへどうぞ。

https://ja.wikipedia.org/wiki/吉田たすく

文月の生花

  夏を装う

 

 

 

 

フロックス

  行李柳

   グラジオラス

    向日葵

     シャガ

 

 

 

 

 

 

暑い夏は 涼しい場所へタイムスリップ

 

映画 ストーリー・オブ・マイ・ワイフ 

 

 パリ、マルタ、ブダペスト、ハンブルクなどの美しく古い街並 ファッション 海 港など美しい世界に

  じっくりとタイムスリップしたような中での優雅で切ない物語 

なんと2時間49分という大作

 20年代の都市生活を再現する衣装や美術はとてもうまい。大変だったと思うが、とても優雅で美しい 

戦争や国同士の軋轢で混迷する2022年こそ こういう世界に浸るのもまたいいものだ

1920年代のパリ、

オランダの地方で育ち海の男として遠洋航海の船長が、生まれながら大都会パリで育った都会っ子らしい女と知り合い結婚。

お互いがとても深く愛しているのだが生まれ育った感覚による表現の差 微妙なすれ違い。

  見ていてどちらも良くわかるのだが…………………

       ちょっぴり切ない

 かつて 私にもこんな恋があったな

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解説

「心と体と」で2017年・第67回ベルリン国際映画祭金熊賞を受賞したハンガリーのイルディコー・エニェディが監督・脚本を手がけ、「アデル、ブルーは熱い色」のレア・セドゥーが主演を務めたラブストーリー。

ハンガリーの作家ミラン・フストの小説を原作に、出会ってすぐに結婚した男女の官能的で切ない愛の行方を描き出す。1920年、マルタ共和国のとあるカフェ。船長のヤコブは友人と、店に最初に入ってきた女性と結婚するという賭けをする。現れたのはリジーという美しい女性で、ヤコブは初対面の彼女に結婚を申し込む。そして週末、ヤコブとリジーは2人きりで結婚の儀式を行う。幸せな時間を過ごすヤコブとリジーだったが、リジーの友人デダンが現れると、ヤコブは2人の仲を疑って嫉妬するようになり……。

ヤコブを「マイ・フーリッシュ・ハート」のハイス・ナバー、デダンを「グッバイ・ゴダール!」のルイ・ガレルが演じる。2021年・第74回カンヌ国際映画祭コンペティション部門出品。

豊田市民芸館

 第一美術館 常設展 本多静雄コレクション展

 第三美術館 ガラス展 本多静雄コレクション展

 第二民芸館 第104回企画展 雑誌『工藝』の美

写真は第一、第三美術館だけ可なので、少し撮りました。

 

第一美術館 常設展 本多静雄コレクション展

いつもの感じなのですが、毎回展示内容が少し変えられています。

●根来の瓶がいいですね。格好良くキューッと腰を狭め いい感じ。

 

 

 ●かすり織の鯉の滝登り、これは素晴らしい

  この織のレベルはとても高いです。並の職工では織れません

 

 ●瓶型の着物

 父がまだ若い頃沖縄で紅型なども研究していて、私も小さい頃から見慣れた懐かしい柄

 

 ●インドカッチ県のミラー刺繍

これもいいですね、私の持っているものの長さが5倍以上あり、とても素晴らしい物

 

 ●中国の椅子

 

 これと同じものと、よく似たインドネシアの椅子はどちらも偶に使っているおなじみだが、

座ると幼い日のプリミティブ感というか温かいです。

 

●バーナード・リーチの蓋物

 これも味があっていいですね。

  展示などしていなくて 普段使いで使いたい 

      欲しいな

 

 

 ●朝鮮の水屋ダンス

 これは格好いい 在るだけで存在感がある

 

 ●朝鮮の拭き漆八角鉢 いい感じ

  これに八朔を載せてたべたいね。

 ●朝鮮の漬物甕も素晴らしい これは高さが70cm位ある見事なものだ。

第三美術館 ガラス展は 特に見るものはなかったが、ガラスの衝立は良かった。陽を通して観ると更にいいだろう。

 

 

第二民芸館 第104回企画展 雑誌『工藝』の美展

 

雑誌「工藝」は実家に数冊あり、子供の頃から読んだことがありますが、とても内容のある素晴らしい本です。

今回の雑誌「工藝」の美の展覧会、雑誌「工藝」はガラスケースに収められていて本なのに中は読めません。

 本当は素晴らしい内容のものなのに、多くの方に知って欲しいのに とてもとても残念ですが、仕方ないですね。

 この展示室全体が撮影禁止なので何も資料はありませんが

ただ、表紙だけ見ていただいても、とてもいいものだということが十分伝わります。

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昭和6年 (1931 年 に創刊した雑誌『工藝』は、思想家の、

『工藝』は、柳宗悦の民藝運動の機関誌で昭和6年(1931)に発刊され、昭和26年(1951)の終刊120号まで続きました。

雑誌そのものが「工芸的な作品」であるべきという考えのもと、用紙には各地の手漉き和紙が用いられ、表紙の装丁や小間絵は民藝運動の同人たちが担当しました。その美しさから本自体が工芸品と言われる装丁の多くは、芹沢銈介の図案を手織り布や漆絵等で飾ったもので、他に棟方志功の版画で装丁されたものなどもあります。本文は様々な和紙を用い、柳宗悦をはじめ河井寛次郎、富本憲吉、濱田庄司らが執筆し、”暮らしの美”を啓発する民藝運動の機関紙として重要な役割を果たしました。

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 豊田市民芸館は

駒場の日本民藝館が改築される時に旧大広間と柳宗悦の館長室を譲り受けて豊田市に移設し、第一民芸館として本田静雄氏のコレクションを譲り受けて始まりました。

全国に14の民芸館があり、私も結構行っていますが、おそらく敷地が一番ゆったりとしていて、春の桜 秋の紅葉 冬は横を流れる矢作川の水鳥等、のんびりできるいい所です。

 常設展が中心なので、今回も入場料は無料です。

染めと織の万葉慕情21

 年の恋今夜つくして

   1982/8/27 吉田たすく

 七夕の夜も明けがたに近づいてまいりました。

 遠妻と

  手枕交(か)へて

    寝る夜は

   鶏(かけ)はな鳴きそ

     明けば明けぬとも

 夜が明けてもかまわない。二人で寝ている今夜、一夜の手枕じゃないか。

鶏さんよ、大きなこえで鳴いてくれんなよ。

 さ寝そめて

  幾何(いくだ)もあらねば

    白袴(しらたえ)の

  帯乞ふべしや

   恋も過ぎねば

 二人で寝そめていくらもたたないのに、白袴の帯を結ぶからよこせなどとまだおっしゃらないで、恋もつきないですもの。

 ただ今夜(よい)

  逢ひたる児らに

    言どひも

   いまだせずして

    夜そ明けにける

 ようやく今夜、一年ぶりに会ったあなたに、恋の睦言も、思ふ十分の一も言っていない。もっともっと長くお話もしましょうと思っている。夜も東の空の明けに染まってしまった。あなたのお帰りが近づいてしまいました、となげきます。

 年の恋

  今夜(こよいつくして)

    明日よりは

   常の如くや

    わが恋ひ居らむ

 年に一夜の恋、 一年分をこの一夜で恋いつくし、つくし暮らしました。

明日よりは、いつものようにまた一年間、恋いつづけることであろうか。

「年の恋、今夜尽して」などは中国の詩に歌われ、言葉の翻訳の輸入語であろうといわれています。

こんなところを見ると、七夕は中国の詩でそれが当時の日本に入って来ては海国舶来のポエマとしてもてはやされ、日本の歌として宮廷で歌われたものです。

 明日よりは

  わが玉床を

    うち払ひ

   君とはい寝ず

    独りかも寝む

 もう夜もあけてしまった。 二人で袖を巻いたこのうるわしの床ももういらない。明日からは君は居ない。ただ独り寝のわびしい夜のつづく事よ、と歌います。

 織女(たなばた)の

  今夜逢ひなば

    常のこと

   明日を隔てて

    年は長けむ

 織女がこの夜、 彦星と逢ったならば(もう会ってしまった) 明日を境にして毎年のように一年間逢えなくなって、長い時をすごすことになるでしょう。

織女と彦星は一夜をあかし、来年の七夕を約して別れて行くのです。

 七夕の顔は沢山あり、その中で彦星をまつ歌、いよいよ来る歌、二人になっている歌などありますが、別れに彦星を送る歌がありません。 織女が赤裳の裾を天の川でぬらして別れを惜しみ、朝露に衣の袖をぬらす場面を想像するのですが、万葉にはないのです。

 やはり七夕は恋人が来るのを待つ事を歌って、地上のわれわれの恋のときめきを感じさせたのかもしれません。 これらの歌の大半は、宮廷歌人であった柿本人麿の歌です。

持統天皇(女帝)の宮中の七夕の夜宴に、華やかに歌われた事でしょう。

                      (新匠工芸会会員、織物作家)