染めと織の万葉慕情22
白たえの衣
1982/9/2 吉田たすく
今年の梅雨はから梅雨のように降らないで、涼しい日がつづいていましたのに、七月末になって大雨になり長崎地方は大変な事になってしまった。毎日の報道で死者の人数がふえていくのを聞くと何とも痛ましいかぎりでございます。それにしましても鳥取県は、いつもこのような災害にみまわれない幸を思います。
夏になると毎年頭にうかぶ歌にこんな歌があります。
百人一首の中にも取り入れられているから、私のような素人の耳になれているからでしょうか。
春すぎて
夏来るらし
白たえの
衣干したり
天の香具山
春がすぎて夏がやって来た天の香具山に、真白い布が干してあるよというのですが、この歌のリズミカルな調韻は暑さをわすれるようなすがすがしさを感じさせます。持統天皇が藤原の宮で天の下を知らしめておいでの頃の御製となっています。
和銅三年に奈良の都に遷都されるまで橿原の高殿にあった宮を藤原の宮と申上げていました。 そこで天の香具山の景風をご覧になっておつくりになったのでしょう。
ここでこの歌を取り上げましたのは「白たえの衣」という衣に関係した言葉があるからです。
「白たえ」というのは衣の枕詞に使います(衣だけでなく白い物をうたう時にも)。
麻の歌を書きましたおりにも出ましたが、白い麻衣の上にも白たえでした。その白たえのたえは何かといいますと「拷」(たえ)と書きますが「楮」(コウゾ)の事だそうです。 こうぞは、今では和紙の原料として紙をすきますが、古代は麻と同じようにこうぞの木の皮をはぎ細くさいて糸にし「こうぞ衣」に織って着用したものです。
木綿の無かった日本国では木の繊維を採集して糸にしたものです。
こうぞの瀑した糸がかがやくばかりに真白いので白をたとえる枕詞にしたのでしょう。
大伴旅人が香椎の浦で作った歌
いざ子ども
香椎の隅に
白妙(しらたえ)の
袖さへぬれて
朝菜摘みてむ
皆々よ海水に白い袖さえぬらして海草を摘みましょう。 袖の枕詞につかっています。
(新匠工芸会会員、織物作家)
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『染と織の万葉慕情』は、私の父で、手織手染めの染織家、吉田たすくが60歳の1982年(昭和57年)4月16日から 1984年(昭和59年)3月30日まで毎週金曜日に100話にわたって地方新聞に連載したものです。
尚このシリーズのバックナンバーはこのブログ 「food 風土」の中のカテゴリー『染と織の万葉慕情』にまとめていきますので、そちらをご覧ください。
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吉田 たすく(大正11年(1922年)4月9日 - 昭和62年(1987年)7月3日)は日本の染織家・絣紬研究家。廃れていた「組織織(そしきおり)」「風通織(ふうつうおり)」を研究・試織を繰り返し復元した。
風通織に新しい工夫を取り入れ「たすく織 綾綴織(あやつづれおり)を考案。難しい織りを初心者でも分かりやすい入門書として『紬と絣の技法入門』を刊行する。
東京 西武百貨店、銀座の画廊、大阪阪急百貨店などで30数回にわたって個展を開く。
代表的作品は倉吉博物館に展示されているタピストゥリー「春夏秋冬」で、新匠工芸会展受賞作品。昭和32年(1957年)・第37回新匠工芸会展で着物「水面秋色」を発表し稲垣賞を受賞。新匠工芸会会員。鳥取県伝統工芸士
尚 吉田たすく手織工房は三男で鳥取県染織無形文化財・鳥取県伝統工芸士の吉田公之介が後を継いでいる。
吉田たすくの詳細や代表作品は下記ウイキペディアへどうぞ。

