foo-d 風土 -60ページ目

foo-d 風土

自然や芸術 食など美を 遊び心で真剣に







金沢のグルメの方のお土産で 金沢西茶屋街のかわむらの甘納豆を頂きました。
 とてもいい味
金沢らしい甘さ控えめな上品な美味しさ 流石金沢の銘菓ですね。

この上品な美味しさに
 同じ金沢で350年の歴史と伝統をもつ楽焼の脇窯であり金沢藩の御用窯 大樋焼の珍しい緑色の茶碗でお抹茶をたてて 頂きました。


いいお菓子は微笑みを生み
お茶も更に
  おいしいくしますね

染めと織の万葉慕情25

  あらたえ

   1982/9/24 吉田たすく

 

「白たへ」は布、袖などに、「しきたへ」は敷く布から床枕、手枕、家などの枕詞に使われています。その「たへ」も荒いたへや柔らかいたへがあったのです。

 こうぞの木の皮をはいで織った布、たえ布、こうぞ布、の事ですから、その繊維の作り方によってそうなったものでしょう。

 その荒い“たへが枕詞になって「荒たへの」とくるのです。

 その枕詞が藤にかかります。藤衣が荒い衣ですから、藤の衣から変わって藤の地名や藤名の場所にもかかります。

 

 柿本人麿の旅の歌八首のうち一首

 

 荒栲の

  藤江の浦に

   すずき釣る

  あまとか見らむ

   旅行われを

 

 明石の西海岸の藤江の地名の藤に、新栲がかかります。 そこの浦にこの地の人は、旅行く私をすすきを釣るあまと見てるであろうか。

また、持統天皇の藤原の宮の藤の枕詞に、荒栲がついています。

 

次の歌は、藤原宮を造るため「役民」 労役の人が歌った歌

 

 やすみしし

  わご大王(おおぎみ)

   高照らす

  日の皇子

    新栲の

  藤原がうへに

 食 ()す国を

  見し給はむと

 都宮(みあらか)は

  高知らさむと

  神なから思ほす…..  (注訳1)

 

とつづき、藤原宮をお造りになる大君は、神ながらでいらっしゃると称たええて歌った歌です。

労役を課せられた人々は、作れそうもないハイレベルの歌ですから知識人の作だろうと言われて、たぶん人麿あたりではなかろうか、との説も

"あるそうです。

 同じく、藤原の宮の御井(みい)の歌にも「新栲の」が藤にかかっています。

 

 やすみしし

  わご大王

   高照らす 

  日の皇子

   荒栲の

  藤井が原に

  大御門(おほみかど)

   始め給ひて

  埴安(はにやす)の

  堤の上に

  ありたたし

  見し給へば

  大和の 青香具山(あをかぐやま)は・・・ (注訳2)

 

大君のお造りなる藤原の宮は、大変すばらしい地にあって美しく、その御殿に湧く御井の清水は絶えることなく永久に湧いてほしいという歌で、藤原の宮の永久の弥栄をめでているのです。

次の歌は山上憶良の歌で、児を思う歌の中にある一首ですが、荒栲の布衣(荒い粗末な楮の衣)の歌です。

 

新栲の

 布衣をだに

  着せがてに

  斯くや嘆かむ

  為() むすべ無み

 

楮の粗末な衣さえも子供に着せてやれないで、こんなにも私は嘆くことだろうか。 何とも仕様がなくて、と貧乏生活で子供が可愛そうだと嘆いています。

まさに荒栲な歌の一首です。

 憶良の歌には、このような親の心を歌った歌がたくさんあります。

 

                 (新匠工芸会会員、職物作家)

…………………………………………

 

(注訳1)

意味: 我が大君、日の皇子(みこ)様が、藤原の地で国内をごらんになるとして、宮を高くおつくりになろうと、神であるままにお考えになる

(注訳2)

国を治められている大君(おおきみ)の日の皇子(みこ)が、藤井(ふぢゐ)が原(はら)に大御門(おほみかど)をお建て始めになり、埴安(はにやす)の堤(つつみ)の上にお立ちになってご覧になれば、大和の青々とした香具山(かぐやま)

 

 

 

 

紅色に
 頬を染めつつ
     宵の風

    〈名古屋テレビ塔〉
 

 

 

「物語のある料理『野の花料理・恵那の野山の 蕎麦懐石』」へおいでになるお客様をお迎えする花材を探しに山へ行ってきました。

明日から3日間は台風の予想で今日しか行く時がありません。

軽自動車一台がやっと通れる山道まで来て今日は見つからないかなっとちょっと不安。

藪に囲まれた道をノロノロ進んでいるとようやく花が!  見つかりました。

山アザミ 一瞬躊躇  アザミも痛いけど、山アザミの葉には針より鋭い強い棘がありとても痛い。

 でも他にはない。 貴重な花

車を置いて山道を奥に入って行くとヤマハギがあった。 よかった。花が2種。

これに尾花を入れて三種

 下手の横好きですが 

ハギは枝垂れるように

 ススキは凛と

1階玄関に飾りました

 

少しは秋の今を感じていただけるでしょうか

 

   (花器は拙作 両翼花器 「飛翔」2017年11月作)

 

 

 秋の今を

  感じて頂けるでしょうか

(花器は両翼花器 「飛翔」2017年11月作)

染めと織の万葉慕情24

  しきたえ

   1982/9/17 吉田たすく

 

白栲(しらたえ)の衣、白栲の袖と続きましたが、衣や袖のほかに敷物の布の枕詞として敷栲(しきたえ)というのがあります。

 寝床に敷く布から枕にかかり、黒髪や家などの枕詞に使われています。

 

 敷栲(しきたへ)

  手枕(たまくら)巻かず

    間(あひだ)置きて

   年そ経(へ)にける

     逢はなく思へば

 

この歌は安貴王(あきのおおきみ)が、因幡の八上(今の八頭郡)の采女(うねめ)を娶(めと)り、おもい極めて甚しく、愛情尤(うつくしびもと)も盛んであったが、時にして不敬の罪にさだまり、本郷(もとつくに=因幡の八頭郡)に帰されました。そこで、安貴王は妻を想う切々とした長歌をつくって送ります。

その歌の反歌に「八上采女」が歌った歌であります。

 

「あなたと手枕をむすんで寝る事がなくなって一年もすぎてしまった。

あなたに逢わない事をつくづく思う」と

このように枕、手枕に敷栲(しきたえ)の枕詞が使われています。

 

 田部忌寸榛子(たなべいみきいちひこ)が太宰府へ赴任して行く時の歌

に、こんなのがあります。

 

 置きて行かば

  妹恋ひむかも

    敷栲の

   黒髪しきて

    長きこの夜を

 

 万葉時代から単身赴任があったのです。 妹をすておき、九州太宰府へ行ってしまったなら(二人で手枕まいて毎夜寝たものを)、妹は私を恋い慕うでしょう。 この秋の夜長を黒髪をしいて独り寝て。

 独り寝の床に黒髪が乱れしかれて、背の君を想う妹の姿が見えるような

艶っぽさが歌われています。

 

 また、別のしきたえの歌二首。

 

 敷栲の

  枕をまきて

    妹と吾が

  寝る夜は無くて

   年は経にける

 

 このころの

  眠 () の寝らえぬは

    敷栲の手枕まきて

     寝まく欲() りこそ

 

 妹と吾と二人で、手枕を巻きあてて寝る夜がなくなって長い年月が過ぎ

てしまいました。 妹が想われてしようがありません。

 

次の歌は、この秋の夜長にすねをかかえて独り寝のわびしく眠られないのは、妹と手枕まいてねたいばかりの想いがつのるからです。

 

 神亀五年、太宰帥、 大伴旅人(おおとものたびと)が、故人(いまはな

き妻) 思恋(しのぶ) 歌 三首があります。(注)

 

 愛 (うつく)しき

  人の纏(ま)きてし

    敷栲(しきたへ)の

  わが手枕(たまくら)を

   まく人あらめや

 

 いとしい妻が枕にしたこの私の手枕を、枕にして寝る人があるだろうか、ありはしないのだ。

 

太宰をはらって京へ上るときの歌

 

 還(かへ)るべく

  時は成りけり

    京師(みやこ)にて

  誰(た)が手本(たもと)をか

   わが枕(まくら)かむ

 

京へ帰って、誰がわがたもとを枕にして寝てくれるだろうか、妻はもういない。

 

 敷栲の枕の歌をならべましたが、皆独り寝のわびしい歌ばかりになって

しまいました。

 

   (新匠工芸会会員、織物作家)

 

 …………………………

 

(注)

大伴旅人(おほとものたびと)が亡き妻 大伴郎女を思って詠んだ三首の歌のうちの二首が載せてあります。


大伴旅人は大伴家持の父で、大宰府の長官として筑紫(現在の福岡県)に赴任してすぐ翌年に病で妻を亡くしました。
 旅人が

「愛 (うつく)しき

  人の纏(ま)きてし

    敷栲(しきたへ)の」歌を詠んだのは妻が亡くなってから十日程後とのことです。

 一説によると旅人の大宰府への派遣は新興貴族である藤原家との確執が原因の左遷とも言われており、年老いた身(この頃、旅人は六十代半ば)での遠き地への赴任は甚だ不本意なものだったはずです。
そんな不本意な地方への赴任の直後に同行した最愛の妻(大伴郎女)を亡くした衝撃は、旅人の心を深く落ち込ませるものになったようです。

この歌で、そんな最愛の妻を亡くした悲しみを隠すことなく素直な表現で詠って亡き妻を偲んでいます。

 

 41年前の昭和56年(1981)、日本紀行で染織家の父(吉田たすく)と弟(公之介)が出演していましたが、NHK BS「よみがえる「新日本紀行 かすりの似合う町 倉吉」に弟(公之介)が再度出演します。

 時間が早朝ですが、皆様どうぞご覧ください。

…………………………………………

9月10日AM5:27~6:05

NHK BS

「よみがえる「新日本紀行 かすりの似合う町 倉吉」

昭和56年、鳥取県倉吉市を訪ねた新日本紀行を鮮やかな映像で再び!赤瓦と白壁が美しい商人の街を舞台に、伝統の絣(かすり)を守り継ぐ人々が描かれている。 新日本紀行から41年、倉吉市を再訪。戦後、衣服の大量生産や生活スタイルの変化で手織りの絣は姿を消して行ったが、倉吉絣はいまも健在。人々の趣味として受け継がれている。自宅に機織り機を持って自分だけの作品に挑戦する人も多い。新日本紀行に登場した染織家の息子は父と同じ道に進み大学で絣の研究と創作を続ける。自信作は出来ても父を目標にする思いは変わらない。江戸風情が残る町で絣を愛する人々に出会った。

 

41年前の父(吉田たすく)と弟(公之介)と 現代の弟がNHK「よみがえる「新日本紀行 かすりの似合う町 倉吉」に出ます。

 時間が早朝ですが、皆様どうぞご覧ください。

 

放送日 9月10日(土)午前5時27分〜6時5分NHK BSプレミアムです。

 41年前、倉吉の街並み、酒蔵の絣布団干し、醤油蔵での醤油搾り、絣を織り続けている女性、若い染織作家の展示会、私の実家での父やその弟子と私の弟の作業風景などが放送されました。

 これをデジタル4k化して再放送、その後、9分位にまとめた今の倉吉の様子をプラスして放送するようです。今年の初夏に実家で弟と当時のことなどの話や一部収録がありました。

 

総合、bs4kでの再放送もあるかも知れません。

ご興味のある方はどうぞご覧になってください。

皆さんは昔食べた果物やお肉は美味しかったと思われることはありませんか。

 私は30年ほど前から少しづつ感じてきたことなのですが、特に1970年代以前の果物もお肉も美味かった。

 1960年代イチゴは初夏のもので、それ以外の時期 冬から春に食べたい時は銀座千疋屋の石垣いちごだった。1960年代の露地栽培のイチゴは熟すまでは酸っぱくて食べられないが、熟すとミネラルたっぷりの厚みのある旨味があり本当に美味しかった。

現代のイチゴは品種改良という名で、とても甘く酸味も良い。だけどそれだけ。 苺が大地からもらってきた複合された旨味などない単純な味になってしまっている。

 

お肉も60.70年代に帝国ホテルや、マキシム・ド・パリ、銀座三笠会館、松坂の和田金・牛銀・三松その他神戸などの美味しい店で食べた牛肉の味は、それぞれ個性があり深い旨味があり本当に美味かったと思います。

しかし、年を経ていくうちにわずかづつ個性が減り味が薄くなり、昔ほど美味しくなくなった。

 特に食材を生かす料理である日本料理が表れていると思います。50年も昔から京都に年に2度以上行っていてその度に老舗や美味しい和食屋さんで食べていましたが、美味しさが年を追う毎に微かに減っていて、昔の様な満足度は随分減っています。

 

 これは昔を懐かしむということでも、味覚が衰えたからでもなく、料理屋さんが手を抜いているわけでもなく、可能な限り最高の食材を使われていると思いますが、全ての食材自体が味も栄養素も薄くなってしまっているのです。

 

そんな薄いものなので味が落ちる。

 

その為、使わなくても済んだであろう余分な調味料や、様々な食材を加えすぎる料理がとても増えています。

 もう一度健康な大地でのびのびと育った食材を食べられる世界にしませんか。

 

 子供の頃の頃、海に行き、濁りも汚れもない綺麗すぎる海水にスイカを浸して食べたあの美味さ。その海に潜って捕ったバフンウニ、それを海岸で割って親指の爪の甲ですくって食べた磯の香の中にとても濃厚で甘い味のウニはもういない。 

 ウニはいるけどあんなに自然できれいでミネラルの濃い海はもう無いから。 ウニの味も魚の味も変わってしまった。

  海も大地も変わってしまいました。

もう一度健康な大地でのびのびと育った健康な食材による料理を普通の店でも食べられる様になってほしいと思います。

 

 農薬・化学肥料を使う慣行栽培による集中生産にも食糧確保という意味合いがあり重要な部分ですが、オーガニックや自然栽培は農薬無しだから余分な皮むき等必要なく、食材一つ当たりの可食部分が増え、廃棄量が減り生ごみ減になり、大地は微生物が増え大地も海も汚染が徐々に減り食物連鎖に貢献。 SDGsですね。(日本のオーガニック認定は多少の問題点がありますが)

 

 日本は食料の半分を廃棄している国。もしもこの廃棄分だけでも単位面積あたりの生産を減らしゆったりと育てればその分だけでも美味しくなると思います。

 

 多少私も田圃や畑で自然栽培を行っていましたが、自然栽培って本当にとても大変な重労働。 やめたいと何度も思いましたが、出来た形の悪い、シミのある子供たちはそれぞれの個性があり、いい味わいをしています。

 だから単純な料理でもとても美味しいから時短にもなります。

 

本当にうまいものを食べたいから、

いつでも食べたい時に どこでもゆったり伸び伸びと健康に育った食材で作ったうまい料理を食べられる様にしたい。

 

そしてそういう健康食材は医食同源 人を健康にしてくれます。特に未来を生きる子供たちを健康にしてくれます。

 

 皆様の中には同じ様なことをされておられる方も多いと思いますが、僕は、食事に行くとお店の方に、素人ですが、素朴な感想や料理のこと素材のことを尋ねたりしています。少しでも健康で生きた食材での美味しい料理にしてほしいから。今日より明日更に美味しいものを食べたいから。

 

料理屋さんも食べられる方も同じ様な思いの方が多いと思いますが、

 グルメの皆様が、料理屋で店主と料理のこと素材のことを会話をされるようになると、何年かかるかわかりませんが、何年後かにはこういう食材を使うお店も随分増えて生産者も増え、食材の値段も徐々に普通となってくると思います

 

 食材の良さオーガニックを売りにしている店でも料理が美味しくない所が多いです。オーガニックに頼りすぎて味が追いついていないんですね。

 

 料理は美味しいところから始まり美味しさが健康の源

 

  なによりも最高に本物のうまいものが食べたいです。

 

 私は岐阜の山の中の小さな街に住んでいますので情報はないので申し訳ありませんが、

皆様のお持ちの多くの情報の中からそういう頑張っているお店や最高にうまいお店なども教えていただければいつか食べに行きたいと思います。

 

 (今回シェアしたのはアメリカのデータで栄養素はほぼ半減ですが、日本の野菜類は狭い土地に密集して作られるから栄養素は10分の1になっているそうです。 これでは病気にもなりますね。 悲惨な日本なんとかしなければ。)

 

https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUD24D1W0U2A520C2000000/