染めと織の万葉慕情25
あらたえ
1982/9/24 吉田たすく
「白たへ」は布、袖などに、「しきたへ」は敷く布から床枕、手枕、家などの枕詞に使われています。その「たへ」も荒いたへや柔らかいたへがあったのです。
こうぞの木の皮をはいで織った布、たえ布、こうぞ布、の事ですから、その繊維の作り方によってそうなったものでしょう。
その荒い“たへ”が枕詞になって「荒たへの」とくるのです。
その枕詞が藤にかかります。藤衣が荒い衣ですから、藤の衣から変わって藤の地名や藤名の場所にもかかります。
柿本人麿の旅の歌八首のうち一首
荒栲の
藤江の浦に
すずき釣る
あまとか見らむ
旅行われを
明石の西海岸の藤江の地名の藤に、新栲がかかります。 そこの浦にこの地の人は、旅行く私をすすきを釣るあまと見てるであろうか。
また、持統天皇の藤原の宮の藤の枕詞に、荒栲がついています。
次の歌は、藤原宮を造るため「役民」 労役の人が歌った歌
やすみしし
わご大王(おおぎみ)
高照らす
日の皇子
新栲の
藤原がうへに
食 (お)す国を
見し給はむと
都宮(みあらか)は
高知らさむと
神なから思ほす….. (注訳1)
とつづき、藤原宮をお造りになる大君は、神ながらでいらっしゃると称たええて歌った歌です。
労役を課せられた人々は、作れそうもないハイレベルの歌ですから知識人の作だろうと言われて、たぶん人麿あたりではなかろうか、との説も
"あるそうです。
同じく、藤原の宮の御井(みい)の歌にも「新栲の」が藤にかかっています。
やすみしし
わご大王
高照らす
日の皇子
荒栲の
藤井が原に
大御門(おほみかど)
始め給ひて
埴安(はにやす)の
堤の上に
ありたたし
見し給へば
大和の 青香具山(あをかぐやま)は・・・ (注訳2)
大君のお造りなる藤原の宮は、大変すばらしい地にあって美しく、その御殿に湧く御井の清水は絶えることなく永久に湧いてほしいという歌で、藤原の宮の永久の弥栄をめでているのです。
次の歌は山上憶良の歌で、児を思う歌の中にある一首ですが、荒栲の布衣(荒い粗末な楮の衣)の歌です。
新栲の
布衣をだに
着せがてに
斯くや嘆かむ
為(せ) むすべ無み
楮の粗末な衣さえも子供に着せてやれないで、こんなにも私は嘆くことだろうか。 何とも仕様がなくて、と貧乏生活で子供が可愛そうだと嘆いています。
まさに荒栲な歌の一首です。
憶良の歌には、このような親の心を歌った歌がたくさんあります。
(新匠工芸会会員、職物作家)
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(注訳1)
意味: 我が大君、日の皇子(みこ)様が、藤原の地で国内をごらんになるとして、宮を高くおつくりになろうと、神であるままにお考えになる
(注訳2)
国を治められている大君(おおきみ)の日の皇子(みこ)が、藤井(ふぢゐ)が原(はら)に大御門(おほみかど)をお建て始めになり、埴安(はにやす)の堤(つつみ)の上にお立ちになってご覧になれば、大和の青々とした香具山(かぐやま)は

