まだ静かなり
秋の暮れ
まだ静かなり
秋の暮れ
ゆらゆらと
ゆらぎの先に
緋の夕べ
〈恵那峡〉
今日もまた、蕎麦懐石のネタ探しに山に行きましたが、新しい木の実を見つけました
。
岐阜県では少ない珍しい椎の実。ようやく見つけたという感じです。
椎の木は主に滋賀県以西に生え、東は福島、新潟位まで生えていますが、海岸近くのやや温暖な場所で少し生えている位です。
岐阜県は標高が少し高くやや寒いので少ないです。
この為滋賀県以東では椎の実もドングリと呼ばれ、違いがわからない人が大部分です。
私の故郷は鳥取県倉吉市ですが、子供の頃 秋になるとおやつがわりにと椎の実を拾いに 良く山へ行きました。
椎の実も栗もドングリの仲間ですが、ドングリは苦くて食べられませんし、栗はイガが痛すぎるしとても皮が渋く渋皮を剥くのも大変ですが、椎の実は渋い皮がなく、苦味が全く無くて採ったそのまますぐ割って生でも食べられるからです。でも、とても小さいのが難点ですね。
これを自分で食べる時は歯で割るのですが、お客様用にはプライヤーで割っていきます。
僕は子どもの頃からの味で、生で食べるのが好きですが、お客様はまだ食べた事がないでしょうから、少し甘味が増す様に、湯がいたものをお出ししますね。
染めと織の万葉慕情29
萩の花摺
1982/10/22 吉田たすく
萩の花の摺り染の歌がたくさんあります。先日、平凡社発行の「茶碗」という写真と解説の豪華本を見ていましたら、真熊川 (まともがい) 銘、花摺の名茶碗がのっていました。真熊川は熊川の本流ともいうべきものです。 熊川とは、室町時代に朝鮮の熊川港から船に積まれたので、この手を「こもがへ」と呼ぶのです。
この熊川の 「花摺」 茶碗は濃いびわ色の釉肌に、雨漏りの紫じみがあるのにちなんで小堀備中守宗慶が、万葉集ではないけれども、「新千載和歌集」の権大納言実俊卿の
露わくる
袖にそうつる
むらさきの
色とき野辺の
萩か花すり
という一首によってつけたもので、熊川において景とされる雨漏りの ことにすぐれた本碗として、まことに適切な雅銘と称すべく、熊川といえば花摺というほどに、その名は茶人の間に絵炙(かいしゃ)されています。
外箱、蓋裏にその歌が書きのこされています。
もともと、この歌の源流は万葉の歌から来ていると思います。 万葉には萩の花摺の歌がありますから、
わが衣
摺れるにはあらず
高松の
野辺行きしかば
萩の摺れるぞ
私の衣はわざわざ摺り染したのではありません。奈良、春日の南の高まどの野辺を歩いて行ったところが、萩が私の衣に摺りつけて摺り染にしてしまったのです。
私は想わなかったんですが、あの児からそまって来てしまったのです。というのをいいまわし良く萩になぞらへて歌っています。
ことさらに
衣は摺らじ
女郎花
咲く野の萩に
にほひて居らむ
ことさらに衣摺り染にはしまい、オミナエシの咲いている野にある萩の中で美しい色に照らされていよう。 美しい萩のような乙女のそばに居て、彼女のムードの空間にひたっていたい。
なんともうるわしい情緒ですね。 我が家のまずしい小庭にも、 キキョウのそばに小さな一群(ひとむら)の萩が咲いてくれて、秋の風情を楽しませてくれました。
わがやどの
萩花咲けり
見に来ませ
今二日だに
あらば散りなむ
この歌のように秋の深まってまいります。
先日の台風の荒れで、庭の草花もかたむいたり、こけたりして、その萩はもう散ってしまっていました。
わが屋戸の
一群萩を
思ふ児に
見せずほとほと
散りしつるかも
大伴家持の歌です。
(新匠工芸会会員、織物作家)
…………………………
●写真の茶碗
真熊川茶碗 銘 花摺
高さ:8.5~9.2cm
口径:13.8~14.2cm
高台外径:5.7cm
同高さ:0.8~1.0cm
花摺は真熊川でも最も有名な茶碗で、草間和楽も「咸鏡道の手なり」と賞美しており、広く熊川を代表する名碗として、古来茶人の間に推賞されています。真熊川は、いわば熊川の本流ともいうべきもので、端正な熊川形りの姿、温雅な作ふうを特色とし、落ち着いた品格をたたえて、熊川の中でも最も熊川らしい本領の発揮された茶碗です。熊川は、井戸と並んで古くから茶人になじまれ、熊川形りは、和え物でも古唐津に、古萩に、あるいは初期素焼きの高麗写しに、大きな影響を与えています。ことに真熊上川の手は、その深めでふところ広く、口当たりの上でも茶を飲むのによいこともあって、井戸にはまた見られぬ温雅な品格のゆえに、いたく賞玩されています。
●我がやどの 萩花咲けり 見に来ませ いま二日だみ あらば散りなむ 作者 巫部麻蘇娘子(かんなぎべのまそのおとめ) 生没年未詳
我が家の庭の萩の花が素晴らしく咲きましたから、見に来てください。あと二日ほどすれば、散ってしまいます
●わが屋戸(やど)の一群萩(ひとむらはぎ)を思ふ児(こ)に見せずほとほと散らしつるかも 大伴家持
歌の内容は「私の家の一群れの萩を恋しい子に見せもせずあやうく散らせてしまうところだった」と、自分の家に咲く萩の花を恋人に見せたいとの思いが詠われています。
今日は初冬のように寒い雨
家で「物語のある料理『野の花料理・恵那の野山の 蕎麦懐石』」に来週来られるお客様用に仕込みなどを行なっています。
昨日は雨少々の曇空でしたが、何か懐石で使えるものないかと山方面へ出かけました。
山柿はまだ青く使えそうになく、その他 実なども発見できず、花を探しました。
所で、万葉集は4500首のうたがのっていますが、そのうち約3分の1が何らかの植物を詠んでいるといわれ、150種をこえる植物が出てきます。 その中で一番詠まれている花は137首、次いで119首です。
一番はなんだと思いますか?
二番目は?
日本の花とも言われる桜は意外に少なく42首で五番目。そして全てが山桜。更に桜の花は出てきますがお花見は出てきません。そういう風習はなかったのでしょうね。
桜が日の本の花と言われ出したのは、皆さんご存知のように平安時代、都が京に移ってからで、それ以前は梅でした。
所が、その梅も万葉集では二番目。
さて、一番はなんでしょう?
咲いているのは、僕も大好きな、枝垂れた枝に小さな花が流れるように咲いている 秋の七草です。
そう、この時期の野山は萩の花が沢山咲いていました。お客様をお迎えする花としてこれを採ろうと思いましたが、でもこれは手折ってきても水やりが結構難しくすぐ枯れてしまうので、来週迄持ち越し。
ただ、今が盛りなので 来週枯れずにいい花が見つかるかどうかはわかりません。
万葉集の花ですが、梅の歌の詠み人の名は7割程はわかるのに対し、萩の歌では多くが読み人知らずで4割ほどしかわかりません。
つまり、梅は上流階級、萩は庶民に好まれた花だったのですね。
現代日本では品種改良も含めて萩の仲間は20種類程あるそうですが、元々日本に自生していたものは8種類だそうで、万葉集に詠まれているのはヤマハギだそうです。ヤマハギは他の萩とは違い花は小さく地味ですが却ってそれが愛おしくも感じます。
野山で服に引っ付いて困るのも同じ仲間のヌスビトハギ。
気が付かないうちにそっと付けられています。
少しなら可愛いですが、結構たくさんつくことが多いですよね。
盗人なら付かないでそっといなくなればいいのにっと😡怒りますよね。
先日、うちの犬がそのヌスビトハギを上手に付けてきた写真を昨日FBにアップしたところでした。
染めと織の万葉慕情28
萩の花
1982/10/15 吉田たすく
山上憶良の秋の七草の中で、いちばんたくさん歌われている草は何といっても萩(ハギ)の花です。 赤紫の小さな花を丸みの葉とならんで、ふさふさとたれた長い枝がもつれあって秋風にそよぐ風情は、秋の代表の花なのでしょう。万葉植物中もっとも多く歌われた植物で、百四十一首もあります。その萩の美しさを風景画的にして歌い、また秋の恋歌にしています。 そして萩の花の点景として鹿が遊んでいるのです。
萩と鹿の歌は二十数首あります。
大伴旅人の歌
わが岡に
さ男鹿来鳴く(さおしかきなく)
初はぎの
花妻問ひに
来(き)鳴くさ男鹿(さおしか)
この歌は大変に句調のよい歌で、さ男鹿、さ男鹿とくりかえし歌われて、花妻(つまり美しい妻であり萩の花である)を妻問に来て萩の草むらの下で牡鹿は恋の相手を招いている。万葉当時は、鹿がそのあたりの野に見えたのでしょう。
秋萩の
散りのまがひに
呼び立てて
鳴くなる鹿の
聲のはるけさ
秋も深まり、秋萩がばらぱらと散っていく時期になり、牡鹿の妻問ふさみしい声がはるか彼方の山波まで聞こえている景色の歌です。
妻恋いに
鹿(か) 鳴く山辺の
秋はぎは
露霜寒(つゆしもさむ)み
盛り過ぎ行く
牡鹿の鳴いていた秋萩の花も、露霜の寒さに盛りはすぎてしまって、だんだん秋も深まって行きます。
奥山に
住むとふ鹿の
初夜(よい)さらず
妻問萩の
散らまく惜しも
奥山に住むという牡鹿が、宵ごとに妻問に来て鳴いている萩のくさむら、その秋萩の散って行くのはおしい事である。
この歌もそうですが、萩の歌の大半は作者不詳の歌なのです。
という事は、萩の花は古くから民衆の間に愛され、生活に密着した秋の花であったのです。
自然の萩だけでなく、庭さきにも植えてながめた歌もあります。
わが屋どに
咲ける秋萩
常にあらば
わが待つ人に
見せましものを
わが屋どに
植え生(お)ほしたる
秋萩を
誰か標(しめ)刺す
われに知らえず
はじめの歌は、いつまでも萩が咲いていてくれたならあの人に見せたい。 次の歌は、わが家に植えた秋萩に私がしらないまに占有のしるしをしてしまったのは誰だろう。
私が愛するこの萩を(いとしい児を)というのです。
高円(たかまど)の
野辺の秋萩
いたづらに
咲きか散るらむ
見る人無しに
この歌は笠金村(かさのかなむら)の歌で、志貴皇子が、高円山の宮でなくなったのを悼んで歌ったものです。
高円山の野辺の秋萩は、いたずらに空しく咲いては散り咲いては散ってゆくでしょうか。見る人も無いのに。見る人、すなわち萩の花を愛していた志貴皇子なのです。
(新匠工芸会会員、織物作家)
…………………………
万葉に詠われているハギは、ハギ属の中のヤマハギという品種だと言われています。
我が岡にさお鹿来(き)鳴く 初萩の 花妻(はなつま)どひに来(き)鳴くさお鹿
意味
私の岡に、牡鹿がやってきて鳴いている。萩の花に求婚しにやってきた鹿が。
★ 妻恋い 鹿鳴く山辺の 秋はぎは 露霜寒み 盛り過ぎ行く
妻を慕って、牡鹿が鳴く山辺に咲く秋萩は露霜が寒々として、もう盛りが過ぎていくのでしょう。 内舎人石川朝臣広成
染めと織の万葉慕情27
葛布 2
1982/10/08 吉田たすく
先週の葛布の話で、北陸の山地の一部で織られている所が残っていると書きましたが、あれは科布(しなふ)の間違いでございました。 葛も科も同じ荒たへの布ですが、ごめん下さい。
葛布につきまして、鳥取市出身の岡村吉右衛門氏の文によりますと、次のように書かれています。
をみなへし
生ふる沢辺の
真葛原
何時かもくりて
我が衣に着む
先週のせたこの歌をあげ、奈良時代には経緯(たて、よこ)とも葛を用いて織って着用していた。
近年まで、佐賀県唐津市佐志と鹿児島県薩摩郡甑村で織られていたものは、古代の残存形と考えられる。
近世の葛布では、静岡県掛川をあげ、大井川西岸の町で参勤交代の武家や、上り下りの旅人たちを相手に幾軒もの織屋が「名産葛布」の看板を軒下につるして商っていた。
麻布は放熱性があり、夏物に喜ばれるが、葛布は水切れがよく保温性が良いので、雨衣に用いられた。
合羽(かっぱ)や道中袴(どうちゅうばかま)に、紺や茶に染めて使われていた。
今では、衣料としての命はなくなり、襖貼(ふすまばり) や壁貼(かべばり)に使用する。などと書かれています。
万葉時代には、庶民の衣料として盛んに織られていた布も、近世まで実用の衣料として使用していた事がわかります。
もう一度、葛の古歌にもどりまして、
先週のせました歌に「葛ひく乙女」というのがありましたが、葛の長い蔓を手で引っぱって採集し、糸を作りました。そこで「引く」という言葉を装飾するために「葛」を使った歌があります。
真葛延ふ
小野の浅茅(あさじ)を
心ゆも
人引かめやも
わが無けなくに
引いて取る葛のはえている小野の浅茅を引くように、他人があなたの気持ちを引いてしまうという事が有りましょうか、私という人が無いではありませんのに。
足柄の
箱根の山に
粟蒔きて
実とはなれるを
はう葛引かば
寄り来ぬ心なほなほに
箱根の山に粟を蒔いて実になるように、地をはう葛を引くようにいざとなったら私に従い寄って来なさいよ、心素直にね、というのでしょう。
染織とは関係ないのですが、葛の歌一首
水茎(みずくき)の
岡の葛葉を
吹きかへし
面知る子等が
見えぬ頃かも
水くきは岡の枕詞です。
岡にはへる葛の葉が風で吹きかへって白い葉うらを見せている、秋風の吹く山裾でよく見かける景色です。その風景を写実的に歌っています。その葉うらの白が「面知る子」にかけています。
顔なじみの子の顔が見えないこのごろだなあ、というのでしょう。
(新匠工芸会会員、職物作家)
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『染と織の万葉慕情』は、私の父で、手織手染めの染織家、吉田たすくが60歳の1982年(昭和57年)4月16日から 1984年(昭和59年)3月30日まで毎週金曜日に100話にわたって地方新聞に連載したものです。
尚このシリーズのバックナンバーは私のブログ 「foo-d 風土」のカテゴリー『染と織の万葉慕情』にまとめていきますので、そちらをご覧ください。http://foo-d.cocolog-nifty.com
…………………………
吉田 たすく(大正11年(1922年)4月9日 - 昭和62年(1987年)7月3日)は日本の染織家・絣紬研究家。廃れていた「組織織(そしきおり)」「風通織(ふうつうおり)」を研究・試織を繰り返し復元した。風通織に新しい工夫を取り入れ「たすく織 綾綴織(あやつづれおり)を考案。難しい織りを初心者でも分かりやすい『紬と絣の技法入門』として刊行する。東京 西武百貨店、銀座の画廊、大阪阪急百貨店などで30数回にわたって個展を開く。代表的作品は倉吉博物館に展示されているタピストゥリー「春夏秋冬」で、新匠工芸会展受賞作品。昭和32年(1957年)・第37回新匠工芸会展で着物「水面秋色」を発表し稲垣賞を受賞。新匠工芸会会員。鳥取県伝統工芸士
尚 吉田たすく手織工房は三男で鳥取県染織無形文化財・鳥取県伝統工芸士の吉田公之介が後を継いでいる。
吉田たすくの詳細や代表作品は下記ウイキペディアへどうぞ。
https://ja.wikipedia.org/wiki/吉田たすく
染めと織の万葉慕情26
葛布 1
1982/10/01 吉田たすく
今年の夏は梅雨が長びいて、いつの間にか秋が来てしまった感じです。
秋草の花が例年より早く咲きはじめ昨今は、もうどの秋草も咲きそろって来ました。 秋になると、山上憶良の秋草の歌の二首がうかびます。
秋の野に咲きたる花を指折りかき数ふれば
七種(ななくさ)の花
萩の花
尾花葛花
なでしこの花
女郎花
また藤袴
朝がほの花
この最後の朝がほの花の事ですが、あちこちの夏の庭や垣根に朝咲くあさがほの花ではないのであります。 このあさがほは、室町時代に舶来された花で、万葉時代には無かった花でした。
この秋の七草のあさがほは二つの説があります。一つは「むくげ」だそうです。 朝開き、晩にはしぼむ花ですからあさがほだというのです。 もう一つは、 ききょうの花です。美しいききょうが、七草の中に入っていないのですから、このききょうこそあさがほだとするのです。
七草は草ばかりで木ではありません。ところで、むくげは木ですから、やっぱりききょうがあさがほなのでしょう。 話がそれましたから、染織の話に戻しましょう。
七草の草の中で、このたびは「葛」(くず)を取りあげてみます。
葛は山の根に大きな葉を広げ、ふとい蔓をのばして木から木へからみついています。 その墓の憂の繊維で織って葛布を作.り、着用しました。 先週あらたへの衣」の歌を出しましたが、それと同じく庶民の衣料として葛布を着たのです。 この葛をひき抜いて、織物を作る歌、二首。
をみなへし
佐紀沢の辺の
ま葛原
いつかも繰りて
我が衣に着む
剣太刀(つるぎたち)
鞘ゆ納野(いりの)に
葛引く吾妹(わぎも)
真袖もち
着せてむとかも
夏草刈るも
をみなくしが生えている沢のへりの葛を取って糸に繰(く)って、いつの日にか衣に織って憧れるのであろうか。
もう一首は、入りくんだ野に生える君を引き取っている吾が妹は、葛布を織って着物につくり、両手で私に着せてやろうと思って夏草の葛を刈り取っているのかしらん。
同じような歌で
ほととぎす
鳴く声聞くや
卯の花の
咲き散る岡に
葛ひく娘子(をとめ)
葛はこのように、 衣料の材料として盛んに使われていたのです。 現在、葛布はほとんど織られていませんが、北陸の山地の一部で襖(ふすま)の張布や、壁張布用に細々と綴られているところが残っています。
(新匠工芸会会員、職物作家)
…………………………………………
秋の七草
葛の花