染めと織の万葉慕情27
葛布 2
1982/10/08 吉田たすく
先週の葛布の話で、北陸の山地の一部で織られている所が残っていると書きましたが、あれは科布(しなふ)の間違いでございました。 葛も科も同じ荒たへの布ですが、ごめん下さい。
葛布につきまして、鳥取市出身の岡村吉右衛門氏の文によりますと、次のように書かれています。
をみなへし
生ふる沢辺の
真葛原
何時かもくりて
我が衣に着む
先週のせたこの歌をあげ、奈良時代には経緯(たて、よこ)とも葛を用いて織って着用していた。
近年まで、佐賀県唐津市佐志と鹿児島県薩摩郡甑村で織られていたものは、古代の残存形と考えられる。
近世の葛布では、静岡県掛川をあげ、大井川西岸の町で参勤交代の武家や、上り下りの旅人たちを相手に幾軒もの織屋が「名産葛布」の看板を軒下につるして商っていた。
麻布は放熱性があり、夏物に喜ばれるが、葛布は水切れがよく保温性が良いので、雨衣に用いられた。
合羽(かっぱ)や道中袴(どうちゅうばかま)に、紺や茶に染めて使われていた。
今では、衣料としての命はなくなり、襖貼(ふすまばり) や壁貼(かべばり)に使用する。などと書かれています。
万葉時代には、庶民の衣料として盛んに織られていた布も、近世まで実用の衣料として使用していた事がわかります。
もう一度、葛の古歌にもどりまして、
先週のせました歌に「葛ひく乙女」というのがありましたが、葛の長い蔓を手で引っぱって採集し、糸を作りました。そこで「引く」という言葉を装飾するために「葛」を使った歌があります。
真葛延ふ
小野の浅茅(あさじ)を
心ゆも
人引かめやも
わが無けなくに
引いて取る葛のはえている小野の浅茅を引くように、他人があなたの気持ちを引いてしまうという事が有りましょうか、私という人が無いではありませんのに。
足柄の
箱根の山に
粟蒔きて
実とはなれるを
はう葛引かば
寄り来ぬ心なほなほに
箱根の山に粟を蒔いて実になるように、地をはう葛を引くようにいざとなったら私に従い寄って来なさいよ、心素直にね、というのでしょう。
染織とは関係ないのですが、葛の歌一首
水茎(みずくき)の
岡の葛葉を
吹きかへし
面知る子等が
見えぬ頃かも
水くきは岡の枕詞です。
岡にはへる葛の葉が風で吹きかへって白い葉うらを見せている、秋風の吹く山裾でよく見かける景色です。その風景を写実的に歌っています。その葉うらの白が「面知る子」にかけています。
顔なじみの子の顔が見えないこのごろだなあ、というのでしょう。
(新匠工芸会会員、職物作家)
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『染と織の万葉慕情』は、私の父で、手織手染めの染織家、吉田たすくが60歳の1982年(昭和57年)4月16日から 1984年(昭和59年)3月30日まで毎週金曜日に100話にわたって地方新聞に連載したものです。
尚このシリーズのバックナンバーは私のブログ 「foo-d 風土」のカテゴリー『染と織の万葉慕情』にまとめていきますので、そちらをご覧ください。http://foo-d.cocolog-nifty.com
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吉田 たすく(大正11年(1922年)4月9日 - 昭和62年(1987年)7月3日)は日本の染織家・絣紬研究家。廃れていた「組織織(そしきおり)」「風通織(ふうつうおり)」を研究・試織を繰り返し復元した。風通織に新しい工夫を取り入れ「たすく織 綾綴織(あやつづれおり)を考案。難しい織りを初心者でも分かりやすい『紬と絣の技法入門』として刊行する。東京 西武百貨店、銀座の画廊、大阪阪急百貨店などで30数回にわたって個展を開く。代表的作品は倉吉博物館に展示されているタピストゥリー「春夏秋冬」で、新匠工芸会展受賞作品。昭和32年(1957年)・第37回新匠工芸会展で着物「水面秋色」を発表し稲垣賞を受賞。新匠工芸会会員。鳥取県伝統工芸士
尚 吉田たすく手織工房は三男で鳥取県染織無形文化財・鳥取県伝統工芸士の吉田公之介が後を継いでいる。
吉田たすくの詳細や代表作品は下記ウイキペディアへどうぞ。
https://ja.wikipedia.org/wiki/吉田たすく

