染めと織の万葉慕情29
萩の花摺
1982/10/22 吉田たすく
萩の花の摺り染の歌がたくさんあります。先日、平凡社発行の「茶碗」という写真と解説の豪華本を見ていましたら、真熊川 (まともがい) 銘、花摺の名茶碗がのっていました。真熊川は熊川の本流ともいうべきものです。 熊川とは、室町時代に朝鮮の熊川港から船に積まれたので、この手を「こもがへ」と呼ぶのです。
この熊川の 「花摺」 茶碗は濃いびわ色の釉肌に、雨漏りの紫じみがあるのにちなんで小堀備中守宗慶が、万葉集ではないけれども、「新千載和歌集」の権大納言実俊卿の
露わくる
袖にそうつる
むらさきの
色とき野辺の
萩か花すり
という一首によってつけたもので、熊川において景とされる雨漏りの ことにすぐれた本碗として、まことに適切な雅銘と称すべく、熊川といえば花摺というほどに、その名は茶人の間に絵炙(かいしゃ)されています。
外箱、蓋裏にその歌が書きのこされています。
もともと、この歌の源流は万葉の歌から来ていると思います。 万葉には萩の花摺の歌がありますから、
わが衣
摺れるにはあらず
高松の
野辺行きしかば
萩の摺れるぞ
私の衣はわざわざ摺り染したのではありません。奈良、春日の南の高まどの野辺を歩いて行ったところが、萩が私の衣に摺りつけて摺り染にしてしまったのです。
私は想わなかったんですが、あの児からそまって来てしまったのです。というのをいいまわし良く萩になぞらへて歌っています。
ことさらに
衣は摺らじ
女郎花
咲く野の萩に
にほひて居らむ
ことさらに衣摺り染にはしまい、オミナエシの咲いている野にある萩の中で美しい色に照らされていよう。 美しい萩のような乙女のそばに居て、彼女のムードの空間にひたっていたい。
なんともうるわしい情緒ですね。 我が家のまずしい小庭にも、 キキョウのそばに小さな一群(ひとむら)の萩が咲いてくれて、秋の風情を楽しませてくれました。
わがやどの
萩花咲けり
見に来ませ
今二日だに
あらば散りなむ
この歌のように秋の深まってまいります。
先日の台風の荒れで、庭の草花もかたむいたり、こけたりして、その萩はもう散ってしまっていました。
わが屋戸の
一群萩を
思ふ児に
見せずほとほと
散りしつるかも
大伴家持の歌です。
(新匠工芸会会員、織物作家)
…………………………
●写真の茶碗
真熊川茶碗 銘 花摺
高さ:8.5~9.2cm
口径:13.8~14.2cm
高台外径:5.7cm
同高さ:0.8~1.0cm
花摺は真熊川でも最も有名な茶碗で、草間和楽も「咸鏡道の手なり」と賞美しており、広く熊川を代表する名碗として、古来茶人の間に推賞されています。真熊川は、いわば熊川の本流ともいうべきもので、端正な熊川形りの姿、温雅な作ふうを特色とし、落ち着いた品格をたたえて、熊川の中でも最も熊川らしい本領の発揮された茶碗です。熊川は、井戸と並んで古くから茶人になじまれ、熊川形りは、和え物でも古唐津に、古萩に、あるいは初期素焼きの高麗写しに、大きな影響を与えています。ことに真熊上川の手は、その深めでふところ広く、口当たりの上でも茶を飲むのによいこともあって、井戸にはまた見られぬ温雅な品格のゆえに、いたく賞玩されています。
●我がやどの 萩花咲けり 見に来ませ いま二日だみ あらば散りなむ 作者 巫部麻蘇娘子(かんなぎべのまそのおとめ) 生没年未詳
我が家の庭の萩の花が素晴らしく咲きましたから、見に来てください。あと二日ほどすれば、散ってしまいます
●わが屋戸(やど)の一群萩(ひとむらはぎ)を思ふ児(こ)に見せずほとほと散らしつるかも 大伴家持
歌の内容は「私の家の一群れの萩を恋しい子に見せもせずあやうく散らせてしまうところだった」と、自分の家に咲く萩の花を恋人に見せたいとの思いが詠われています。




