染めと織の万葉慕情49
麗しき姿 (1)
1983/03/18 吉田たすく
庭のサンシュの黄色な花も満開になり、桜前線も南から近づきます。 時おり雪がちらつきますが、もう春です。
竹取の翁の話の続きですがも春、青春のころの衣服やスタイルが詠われています。
水標(みはなだ)の 絹の帯を 引き帯なす 錦帯に取らせ 海神(わだつみ)の殿の甍(いらか)に 飛びかける すがるのごとき 腰細に 取り飾らひ まそ鏡 取並(な)め掛けて 己(おの)が顔 かへらひ見つつ 春さりて 野辺を巡(めぐ)れば おもしろみ 我を思へか さ野つ鳥 来鳴き翔(かけ)らふ
高貴な美男子の着こなしが、細かく描かれているのがおもしろいです。
先週は二色綾織の靴下に、黒のうるしの革靴をはいて庭に立ったところでしたが、それを見ていた乙女が私にくれた帯です。水とはうすい藍色で、すでに藍染の布があったのです。その薄青色の絹の帯を引き帯みたいにして、朝鮮半島から来た舶来の帯にとり付けては、海の宮殿の屋根に「飛びかはす、すがるのごとき細腰につけて飾って」
すがるとは、じが蜂の事で、蜂の腰は大変細いでしょ。
そのように、ウエストを細くスタイルよく帯をきゅっとしめて取り飾るというのです。現代のスタイルは、ウエストを細くヒップの形よくはったのが喜ばれますが、万葉の当時の乙女の姿も同じ事を詠った歌があります。ところが翁は男です。
当時のハンサムは、乙女と同じ細腰をよしとしたのでしょう。翁は自分の青年時代の姿をこのように表現しているのです。
その麗しき姿を鏡で見るのです。「まそ鏡取り並め掛けて」というのですから、今でいう三面鏡のように前、左右も見られるように鏡を並べて、自分の顔をためつすがめつながめ見たのでしょう。春ともなって野辺をさまよえば、風流だ、粋だと私を思ってか、野のキジまでも来て鳴き、まわりを飛びかっています。
そのようだから、乙女達はもちろんの事、私のまわりに寄り集まって来たというのです。なんとも、竹取の翁の若いころのベストドレッサーぷりがうかがわれて来ます。
(新匠工芸会会員、織物作家)
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『染と織の万葉慕情』は、私の父で、手織手染めの染織家、吉田たすくが60歳の1982年(昭和57年)4月16日から 1984年(昭和59年)3月30日まで毎週金曜日に100話にわたって地方新聞に連載したものです。
これは新聞の切り抜きしか残されていず、古いもので読みづらい部分もあり、一部解説や余話を交えながら私が読み解いていきます。
尚このシリーズのバックナンバーはアメーバの私のブログ 「food 風土」の中のテーマ『染と織の万葉慕情』にまとめていきますので、そちらをご覧ください。
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吉田 たすく(大正11年(1922年)4月9日 - 昭和62年(1987年)7月3日)は日本の染織家・絣紬研究家。廃れていた「組織織(そしきおり)」「風通織(ふうつうおり)」を研究・試織を繰り返し復元した。
風通織に新しい工夫を取り入れ「たすく織 綾綴織(あやつづれおり)を考案。難しい織りを初心者でも分かりやすい入門書として『紬と絣の技法入門』を刊行する。
東京 西武百貨店、銀座の画廊、大阪阪急百貨店などで30数回にわたって個展を開く。
代表的作品は倉吉博物館に展示されているタピストゥリー「春夏秋冬」で、新匠工芸会展受賞作品。昭和32年(1957年)・第37回新匠工芸会展で着物「水面秋色」を発表し稲垣賞を受賞。新匠工芸会会員。鳥取県伝統工芸士
尚 吉田たすく手織工房は三男で鳥取県染織無形文化財・鳥取県伝統工芸士の吉田公之介が後を継いでいます。
吉田たすくの詳細や代表作品は下記ウイキペディアへどうぞ。



























