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自然や芸術 食など美を 遊び心で真剣に

染めと織の万葉慕情78

  人の見ぬ下紐あけて

   1983/10/07 吉田たすく

 

 

 紐の歌のつづきです。

沢山の紐の歌がある巻十二の中に「物に寄せて思を陳(の)ぶ」という一群の歌の最初にこんな歌がのっていました。

 人に見ゆる

  表は結びて

    人の見ぬ

   下紐あけて

    恋ふる日ぞ多き

 人に見える表面は何事も無いようによそおっていますが、 実を言いますと人の見えない下紐はすぐにでもあなたをだけるように、解きあけてまってるんですよ。 と

 大変にエッチな思をずばり詠った歌です。 その歌につづいて「衣」又「紐」の歌とならんでいます。

 人言の

  繁かる時は

    吾妹子(わがもこし)

   衣にありせば

    下に着ましを

 真珠(またま) つく

  遠(をち)をしかねて

    思へこそ

   一重衣(ひとへころも)を

    一人着て寝れ

 恋をする者は人の噂にのぼるのをおそれるものですが、万葉時代も今も変っていないところがおもしろいところです。 噂のうるさい時は、もしも彼女が衣であったなら下衣に着てしまいたいものを下衣のように人見につかない所で膚と膚をふれあいたいものだと詠うのです。

 だけれども、そんな事を思ってはいけません。次の歌はもっとよく考えてと歌っているのです。

 「真珠(またま) つく 遠(をち)をしかねて 思へこそ」とは、あらかじめ将来の事をよく考えてるからこそ、そんな事思わないで今は辛抱して、一重の衣を(さむいけれど) 私が一人着て寝ているのに、それにして思われてなりません。

 白栲(しらたえ)の

  わが紐の緒の

    絶えぬまに

   恋結びせむ

    逢はむ日までに

 白栲のわが下紐が切れてしまわない間に。(彼女への恋い心の絶えないうちに)。下紐を結びなおして恋の永続を祈ってまちましょう。 彼女と逢う日までは。

 恋の噂を気にしながら、恋慕と理性の葛藤になやまされながらも「恋結びせむ逢はむ日までに」と永い恋いを願うのです。現代ではもうこんな恋心はなくなってしまったかもしれません。

 又これにつづいて下紐の歌一首

 紫の

  我が下紐の

    色に出でず

   恋ひかもやせむ

    逢ふよしをなみ

「紫の我が下紐の」は 色にかかる序文ですが、紫色の下紐を結んでいた人だったのでしょうか。

紫は高貴な人にしか使えない色でありましたから紫色高麗銘の華麗な下紐を使って居た人の歌かもしれません。思いを顔色にも見せず、違う手段もなくて恋に悩んでやせてしまう事であろう。 と、

又の歌一首

 何故(なにゆえ)か

  思はずあらむ

    紐の諸の

  心に入りて

   恋しきものを

 紐を結ぶには一方を輪にして片方をそれに入れて結ぶので「入る」 にかかる序です。どうしてあなたの事を思わずにいられましょうか、紐の緒のように心にしみて恋しいものを。こんなセンチメンタルな歌もありました。

   (新匠工芸会会員、織物作家)

 

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『染と織の万葉慕情』は、私の父で、手織手染めの染織家、吉田たすくが60歳の1982年(昭和57年)4月16日から 1984年(昭和59年)3月30日まで毎週金曜日に100話にわたって地方新聞に連載したものです。

 これは新聞の切り抜きしか残されていず、古いもので読みづらい部分もあり、一部解説や余話を交えながら私が読み解いていきます。

 尚このシリーズのバックナンバーはアメーバの私のブログ 「food 風土」の中の、テーマ『染と織の万葉慕情』にまとめていきますので、ご興味のある方はそちらをご覧ください。

 https://ameblo.jp/foo-do/theme-10117071584.html

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吉田 たすく(大正11年(1922年)4月9日 - 昭和62年(1987年)7月3日)は日本の染織家・絣紬研究家。廃れていた「組織織(そしきおり)」「風通織(ふうつうおり)」を研究・試織を繰り返し復元した。

風通織に新しい工夫を取り入れ「たすく織 綾綴織(あやつづれおり)を考案。難しい織りを初心者でも分かりやすい入門書として『紬と絣の技法入門』を刊行する。

東京 西武百貨店、銀座の画廊、大阪阪急百貨店などで30数回にわたって個展を開く。

代表的作品は倉吉博物館に展示されているタペストリー「春夏秋冬」で、新匠工芸会展受賞作品。昭和32年(1957年)・第37回新匠工芸会展で着物「水面秋色」を発表し稲垣賞を受賞。新匠工芸会会員。鳥取県伝統工芸士

 尚 吉田たすく手織工房は三男で鳥取県染織無形文化財・鳥取県伝統工芸士の吉田公之介が後を継いでいます。

吉田たすくの詳細や代表作品は下記ウイキペディアへどうぞ。

https://ja.wikipedia.org/wiki/吉田たすく

   彫刻の森美術館は野外で彫刻を陳列する野外美術館が広まり始めていた1969年8月に、富士箱根伊豆国立公園の箱根の壮大な自然を生かして開館しました。

 広大な敷地には丘や小川、池があり、両側の山を借景とし、地平線の彼方に海が遠望できる景観を備えています。

 私が初めて彫刻の森美術館へ行ったのも、開館したこの年。

 

 1969年は高度経済成長のど真ん中。それでも日本の空港からアメリカが直接ベトナム人の大量殺戮へと爆撃に行っていたベトナム戦争の時代。そして大学紛争の時代。

 

 故郷の鳥取県で高校時代は受験勉強など一切せずサックスを吹きつづけ遊び呆けていたのに、運良く大学に受かり上京。

私の入った日大も紛争真っ最中で入学式も遅れ、校舎はロックアウト。 このため授業も新宿から京王線で府中市の郊外、人家もまばらな武蔵野台という無人駅から10分以上歩く畑のど真ん中に急遽畑を潰して「日大アウシュビッツ」と呼ばれる簡易バラック校舎が数棟作られ、バリケードで囲い、周りは機動隊が守っている中で授業は行われていた。

 元が畑なので雨の日はとてもぬかるんでどうしようもない。トタン屋根で雨が煩く、 でも、晴れた日は授業中に鳥の声、カエルの歌、虫の声も聞かれた長閑なところだった。

 

 貧乏学生で、授業の後や休日はいつもバイトをして生活費を稼ぎながら、 授業の無い暇な時は新宿の紀伊國屋書店、時々神田の古書店巡りか銀座で画廊回り(銀座は画廊が数百ありどこも無料で見られた) 時々、銀パリに行ってシャンソンを聞いていた。

 

「日大アウシュビッツ」での授業の帰り、毎週土曜日夕方にはベトナム戦争反対のフォークゲリラが新宿西口公園(JR新宿西口改札のすぐ側で、現在は西口通路と名を変えて座れなくされているが)に来て、帰宅途中の会社員、学生など5000人以上がいつも集まり平和を求め、ベトナム戦争反対の反戦歌を私も群衆の中で歌っていた。

 

 そんな1969年の秋のある休日、

 彼女と新宿で待ち合わせ、小田急ロマンスカーで箱根へ 山と湖と美術館。新宿から2時間で着くとても近い別天地だ。

 

 初めての箱根 登山電車、2人で乗るロープウェイ 芦ノ湖

オープンしたばかりの彫刻の森美術館 美術館といえば建物の中で見るものだったが、1969年オープニング当時はピカソ舘もなく、アップダウンのある広大な庭園に作品も今ほど多くはなく、ゆっくりと回りながら山々を借景としながら様々な彫刻を見て回る。

本当に素晴らしかった。

 

 でも この同じ青空の向こうでは大量殺戮が行われていると心の片隅にモヤモヤがあった。

 

 

 彫刻の森美術館はその後作品が行く度に増えて行きましたが、ここへは何度来ただろうか

  5回位かな

大学時代2回くらい 就職してからも何度か その後長い間来なかったが 久しぶりに訪問。

 とても懐かしくゆったりと そして新鮮な気持ちで 彫刻の森。

 

 

さて今回。

 

エスカレーターを降り

 

トンネルを通り

 

本館前入り口側には豊満な後ろ手に縛られ身をよじったポーズの、マイヨールの作品にしては珍しくダイナミックな動き「とらわれのアクション」1906年

 

 

 極端に存在感のある本館ギャラリー横のロダンの巨大なバルザック像。

そしてロダンを敬愛し15年間もの間ロダンの助手を務めロダンを超えるとも言われる大彫刻家ブールデルの

弓を引くヘラクレス  これはいつ見ても格好良いですね

クロード・ラランヌ 「嘆きの天使」1986年

 

 

4体のブロンズ像。

「自由」「勝利」「カ」「雄弁」この寓意的な4体の像は、アルゼンチン建国の父、アルヴェアル将軍

騎馬像の高い台座の四隅を飾っているものである。ブールデルは、同国政府の委嘱により第一次世界大戦中にこの壮大な記念像を制作した。

 

 

 

 

 ヘンリー・ムーアは彫刻を野外に展示することを好みました。
「彫刻の置かれる背景として空以上にふさわしいものはない」と語っています。独特の丸く優しいフォルムのムーア作品は遠くからでもよくわかる。 開館当初から沢山あり、今では10体もあり、これだけムーア作品を揃えるのは世界でも珍しいそうです。

 

 

 

 

 

 

ジュリアーノ・ヴァンジ  (イタリア  1931-)

 私の好きな現代イタリアを代表する具象彫刻の巨匠で、「追憶」「偉大なる物語2004年」の2体もあった。こんな所で見られるとは、嬉しいな。

ジュリアーノ・ヴァンジは石を使う現代の彫刻家で、「ヴァンジ彫刻庭園美術館」が静岡県長泉町東野クレマチスの丘にある。素晴らしい大作ばかりがあり永遠に残って欲しい美術館だが、コロナ等の影響もあり今月で閉園となっている。とても残念だ。ヴァンジは100年もしないうちに評価が格段に上がり、ヴァンジ美術館の窮状に手を差し伸べなかった静岡県は馬鹿だなっと言われる様になるだろう。この偉大な作品群は、間違いなくどこか違う場所等できちんと展示される様になるだろう。


 

 ヴァンジの彫刻の森美術館にある「偉大なる物語2004年」という作品。

白大理石(カラーラ産) 250×420×330 cm

総重量25トンを超える大理石に掘られた群像、人間の存在とその意味、人生の物語が時の流れと共に刻まれている。洞産で膝を抱えてかがむ古代の男。背後には記憶の中の女性が顔を見せ、その脇ではオリープの若木が薬を茂らせている。その横に人生の入口が開いているが、先が良くなり、人生の苦労を麦わしている。反対側には、樫の古木の葉が愛し合うカップルの顔を優しくなで、人と自然が共に生きることの大切さを表わす。その先に顔を上げる男の姿があり、苦難にあっても現代の男は希望を持って前進する。

 

追憶」

 

 

 アントニー・ゴームリー 「密着 Ⅲ」1993年


鉄 27×201×174 cm

名古屋市美術館でいつも死体の様に腹ばいになっている自身の体をモデルにしたアントニー・ゴームリーの作品。秋の日は、枯葉などが脇に溜まり、まるで放置され忘れられた死体の様にいつも感じていた作品だが、ここにもあった。

 ここでは赤い裸で芝生に大の字になっていた。芝生だからまだ柔らかく見えて良いかっと思うがやっぱり死体だね。

 

 流政之(ながれまさゆき) 「風の刻印」1979年
白花崗岩 393×310×137 cm

ニューヨークのワールドトレードセンターのシンボルとして約250トンの巨大彫刻『雲の砦』を作ったり欧米の美術館所蔵など、どちらかというと日本より欧米で有名な作家です。

 かつて流(ながれ)の出身地、四国の高松で一緒に酒を飲んだが、古武士のように豪放磊落な中に繊細さを秘めた面白い方で私の好きな作家です。

 「この作品は流(ながれ)に似ているけど、なんか違う。

流れの代表作品でよく使われる「割肌」に近いけど、流の「割肌」はもっと繊細なはず、流の方がもっと上手だな」っと話しながら近くに来たら作者は流だった😆

 

その他、

 ちょっとおとなしい岡本太郎作品 「樹人」1971年

 

 バリー・フラナガンの「ボクシングをする二匹のうさぎ」1985年

 

 ニキ・ド・サン・ファール 「ミス・ブラック・パワー」1968年

 

この美術館にはちょっとクラシックな高村光太郎の「みちのく」1953年


等々

 

 

中にはちょっと悲しい作品も。

井上武吉作「my sky hole79(天を除く穴79)」

 

鉄の箱から階段で地下にもぐり、真っ暗な中を天井に開いた10cmほどの穴を見てガラスの箱から再び出るという鑑賞者の体験そのものを作品としているのだが、穴の部分の地上の草が伸びてしまっていてよく見えないのと水滴が沢山付いて完全にぼやけて全くものにならない。

 作品という以上 意図がわかる様、鑑賞に耐えうる様、常時手を入れておくべきだ。

 

 

 

 屋内展示では

1984年会館のピカソ舘 319点のピカソコレクション

 

別の室内展示では

 ウンベルト・ボッチオーニ「空間の中の一つの連続する形」1913年

 

 ジャコメッティ「腕のない細い女」1958年


 

 フリオ・ゴンサレス「腰かける女 No.3」1935-36年頃年

 

 

 

 モディリアニのブロンズ作品 「頭部」1911-12年頃年

 

 荻原守衛の有名な「坑夫」1907年

  等々

 

じっくり見ていると時間を忘れますね。

3時間で回ろうとしましたが、私は気に入ったものは数回見るのでどうしても時間が足りなくなってしまいます。

 

染めと織の万葉慕情77

  下紐の解くる日

   1983/09/30 吉田たすく

 

 紐の歌のつづきです。

紐の歌が万葉集に沢山のせられていますが、 第十二巻には二十数首もありました。 その巻に「旅にして思ひを(おこ)す」と、旅さきで妻を思う又は旅さきの夫を思ふ歌が集められています。

 その中で紐を歌材にしている歌をひろってみました。

 草枕

  旅の衣の

    紐解けて

   思ほゆるかも

    この年ころは

 草枕、長旅の間に衣の紐が解けてしまったが、家で妹子(妻)といっしょに紐解いた頃が思い出されることだよ、この最近は。

 草枕

  旅の紐解く

    家の妹(いも)し

   我を待ちかねて

    嘆かすらしも

 妹と結びあった紐も長い旅路に自然に解けてしまった。これは、私の帰りを待ちかねてなげいているらしい。 そのしるしなんだなあ。

 吾妹子(わぎもこ)し

  我を偲 (しの) ふらし

     草枕

   旅の丸寝に

    下紐解けぬ

 私のあの子が私の事をしのんでいるらしい。 旅さきでの私は一人で丸寝をしているのに、あの子の結んでくれた下紐が自然に解けてしまうのは、わびしい一人寝の床で下紐を手にあの子を思うのです。

 旅さきで妹をしのぶ歌には、雲、山路、舟、海などや草花を媒体に詠った歌も沢山ありますが衣、袖、裳(も)などの染織品を使った歌の方が、はだにふれる実感として読む人に伝わりその中でも紐の歌になるとなおさらの思いが感じられるのです。

 それにしても「紐の解ける」と詠われると、妹の甘はだから遠のいているせつない気持ちがいっそうつたわってまいります。

でもこれらの歌は郷に吾が妹子が吾をしのんでまっている歌なのですが、旅も遠く長くなってくると、紐を解く又は解ける日がいつくるのであろうかと、あきらめもわいて来るのでしょう。

 ま玉つく

  をちこちかねて

    結びつる

   我が下紐の

    解くる日あらめや

 下紐ゆえになやみはいっそう身にしみてまいりました。又郷で夫をまつ妻の身になっても同じ思いです。

 結える紐

  解かむ日遠み

    しきたへの

  我が木枕(まくら) は

   苔生(こけむ)しにけり

 夫は遠いひな地に行って帰って来ません。互に結んだ紐を解く日は遠く、私の木枕は苔生してしまった。二人してたのしく袖巻く夜はいつの事なのか、となげくのです。

細い下紐一本にかける思いのふかさを詠います。

 今の旅とちがって当時の旅は明日の命もわからないきびしいものであっただけに妹への思い背の君への思いの深さがしのばれて来ます。

         (新匠工芸会会員、織物作家)

 

 

誰一人いない全ての美を独り占め

静寂の中

苔の美しさ

 日本人ならではの喜び

この あたたかな やわらかな 緑の段通

とてもうれしくなる

こんなにも美しいのに

紅葉の頃はさぞや更に美しいだろう

しかし その時は  人  人の山だろう

 人のいない

心に爽やかな空気を感じ

この美しい緑を愛でながら

紅葉を想う美しさこそ

  なお 美しいであろう

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箱根美術館・神仙郷

 箱根で最も古い美術館であり、MOA美術館を建てる前の原点の美術館

衣・食・住・生きとし行けるものすべてに対する美意識の美術館

館内は鎌倉・室町時代に製作された力強く重厚な六古窯の壺や甕などを中心に、「日本のやきもの」が陳列されている。

陳列品は全体的に地味だが、しっとりとしてどっしりとして大地から作られた いいものがある。

 そして、この美術館の最高の作品は敷地面積約3万坪にひろがるという庭「神仙郷」である。

箱根の山々を借景としながら約130種類の苔と200本のモミジの「苔庭」や、「萩の道」、「竹庭」など変化したお庭が広がっている。

先回は館内の作品を載せましたが、今回は真骨頂「神仙郷」です。

 

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 ちょっと一服

 

 

お抹茶 葛羊羹

 

 

 

目の前の緑の涼しさの様に

綺麗なさらっとした柔らかな葛のお菓子

お抹茶もいい味

ここも熱海のMOA美術館も創始者岡田茂吉の美学に則っとり上品で美味しい

とても美味しい

 

 

 

 

 

さすが岡田茂吉の美術館

衣・食・住・生きとし行けるものすべてに対する

美意識の素晴らしさが現されている

 箱根で最も古い美術館であり、MOA美術館を建てる前の原点の美術館であり、館内は鎌倉・室町時代に製作された力強く重厚な六古窯の壺や甕などを中心に、「日本のやきもの」が陳列されている。

陳列品は全体的に地味だが、しっとりとしてどっしりとして大地から作られた いいものがある。

 今回はこの「日本のやきもの」をのせましょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして次回は、この美術館の最高の作品である、敷地面積約3万坪にひろがるという庭「神仙郷」を。

箱根の山々を借景としながら約130種類の苔と200本のモミジの「苔庭」や、「萩の道」、「竹庭」など変化したお庭が広がっています。

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箱根美術館

神奈川県足柄下郡箱根町強羅1300

昭和27年(1952)神仙郷内に箱根美術館を建設して、日本の伝統文化の継承と発展、日本東洋美術品の収集と公開に力を注ぎました。

箱根美術館の開館時に次のような挨拶をしています。

「元来美術品なるものは、できるだけ大衆に見せ、楽しませて、知らず識らずのうちに人間の心性を高めることこそ、その存在理由といえましょう。日本本来の美の国、世界のパラダイスとしての実現を念願する以外、他意はないのであります」

「日本全土を打って世界の公園たらしめ、美術に対する弛まぬ努力によって最高標準にまで発達せしめるべきである。観光事業と美術工芸の二大国策を樹立し、それに向って邁進することである。この結果として人類に対し思想の向上に資する。一言にしていえば高度の文化的芸術国家たらしめることである」

「優れた美術品には、人々の魂を浄化し、心に安らぎを与え、幸福に誘(いざな)う力がある」と考え[1]、「美術品は決して独占すべきものではなく、一人でも多くの人に見せ、娯しませ、人間の品性を向上させる事こそ、文化の発展に大いに寄与」するとの信念のもと、戦後は東洋美術の優品の蒐集に努めて海外流出の防止を目指した。昭和27年6月に箱根町強羅に箱根美術館を開館しする。

昭和57年、姉妹館であるMOA美術館の開館以降は、鎌倉・室町時代に製作された力強く重厚な六古窯の壺や甕などを中心に、縄文時代の土器から江戸時代の作品まで、「日本のやきもの」を常設展示している。

建築物(鉄筋コンクリート3階建て)、内装、展示ケースはすべて創立者 岡田茂吉の設計。箱根強羅の箱根美術館のある一帯は、「神仙郷」(敷地面積約3万坪)として整備されている[3]。神仙郷には、約130種類の苔と200本のモミジの「苔庭」や、「萩の道」、「竹庭」などがあり、四季折々に美しい姿をみせる。特に11月は、庭園内のモミジが一斉に色づき、紅葉の名所として名高い。土日祝日と11月には通常公開されている庭園に加え、巨岩の石組みを中心とした庭園「石楽園」も、特別公開をしている。これら一帯は平成25年8月1日に国の登録記念物に登録され[4]、令和3年3月26日には国の名勝に指定されている[5]。

苔庭に面した茶室「真和亭」では、無農薬で栽培された抹茶と季節ごとに変わる和菓子が楽しめる。

 

秋風に

 楚々とゆらめき

     燃える火は

  彼岸へさそう

    松明の花

 

染めと織の万葉慕情76

  旅にすら紐とくものを

   1983/09/23 吉田たすく

 

 

 下紐の歌のつづきです。

 夫婦のちぎりのしるしに結ぶ下紐であれば長い草枕の旅の夜でも、下紐を解かないで一人で丸寝をする事が、当時の夫が妻への恋心というものであったのです。

 二人して

  結びし紐を

    ひとりして

 我は解き見じ

  直に逢ぶまでに

 妻と二人で結びあって旅に出た君にないしょで、一人で別の女と紐を解くような事はしないよ。 直接に君にあうまではという歌があるように、二人のちぎりは純情の清い心でむすばれた歌です。

 万葉の男たちは皆このような人たちばかりだったのでしょうか。万葉を読んでるうちに次のようなおもしろい歌が見つかりました。

先週ものせた 笠朝臣金村の

 紐解かず

  寝(い)も(寝)ねずに

   妹をただかに恋ふる

と詠ったその人の歌ですが、実はなかなか粋なあそび心のある人だったのです。

 三香の原旅の宿りに

  道の行き逢ひに 天雲の 外のみ見つつ 言間はむ よしのなければ 心のみ せむつつあるに 天地の 神の言寄せて しきたへの 衣手かへて 自妻(おのつま)と 頼める今夜 秋の夜の 百夜(ももよ)の長さ ありてこせぬかも

 旅のかり寝のおり、道で出あって、遠くに見るだけで言葉をかける。きっかけがないので、心の中でむせび泣きしてばかりいたところ(旅先きの土地で美しい娘子に一目ぼれしたのでしょう)、天地の神の口添えで(勝手なうまいことを言うものです)。

 袖を交わして、かりの妻として思い頼んだ春の今夜は、秋の夜の、

百夜分の長さであってくれればいいがなあ。旅さきで娘子との出会がよほどよかったと思われます。

 このような男の気持ちは万葉時代も現代もちっとも変わらないのがおもしろいところです。

この歌の事を頭にうかべて読むと、歌人の気持ちのわかる歌がもうひとつありました。

問答歌です。

 旅にすら

  紐解くものを

    言繁み

  丸寝ぞ 我がする

   長きこの夜を

 郷では妻と夜ごと紐解くのだが、旅先では人は、他の女と紐解くものらしい。 けれど私は人のうわさがうるさいので、この長い夜を一人丸寝をするんだよ。

妹(妻)これにこたえて詠う。

 しぐれ降る

  暁月夜(あかときつくよ)

    紐解かず

  恋ふらむ君と

   居らましものを

 しぐれ降る暁の月夜に紐を解かないで、恋してくださるというあなたと、いっしょにいられたらどんなによいのにね。

 紐結ぶ紐解くと小さな織布をつかって夫婦の愛の問答歌がくりかえされるのです。

 

   (新匠工芸会会員、織物作家)

 

昨日は雨でした

 

 長月の

  しぐれの雨の

   山霧の

  いぶせき我が胸

   誰(たれ)を見ばやまむ

      〈詠人知らず〉

 

長月の時雨の雨で山に霧が立ち込んでいる

 そんな風に鬱々としている私の胸の内は、誰を見れば晴れるのでしょうか

 

 憂鬱な雨 どこにも行けない

 

 今来むと

  言ひしばかりに

    長月の

  有明の月を

   待ち出でつるかな

 

 あなたが「すぐ行くよ」と言われたので私は九月の夜長を待ち続け、そしてとうとう明け方になり有明の月が出てきてしまいました。

長い秋の夜長を、空が白々と明けるまで待っていて、ついに待ち人が来てくれなかった女の寂しさを表現していますが、

女性にこんな思いをさせては行けませんね。

 

 あなたの待ち人は現れましたか?

 

さて、長月の生花

 

 

花材

孔雀草

ハナトラノオ(花虎の尾)

クルクマ

鶏頭

八手

 

 クジャクソウの花言葉は「いつも愉快」「ひとめぼれ」「可憐」です。たくさんの花がつく様子から、「いつも愉快」「ひとめぼれ」。

「可憐」は花自体の小さくかわいらしい様子からつけられました。

ハナトラノオ(花虎の尾)

花言葉は「希望」「望みの達成」。

「クルクマ」花言葉の「あなたの姿に酔いしれる」や「乙女の香り」は、美しく幻想的な雰囲気を持つハスに似ていることからつけられました。

ケイトウは「鶏頭」と書き、雄鶏のようなトサカに似ていることから個性を象徴する花言葉がつけられました。花言葉は「風変わり」「おしゃれ」「気取り屋」「個性」「風変わり」「色あせぬ恋」です。

それぞれに特徴のある花々

下手な活け方ですが、

あなたはどの花がお好みですか

 …………………………

 花器 銘 「双龍」 2015年作

大地に眠る二頭の竜が目覚めて頭をもたげようとしているイメージで造りました。

落書きT

孔雀

世界を飛び活躍する孔雀明王の様に

 飛翔しすぎたいとは思わない

もっと素朴に

  大地を彷徨い

   野を彷徨い

 四季七十二候

  この永遠の変化と共に

   野に塗れ(まみれ)

    野の花達と生きていきたい

  下手の下手絵もまた楽し

 …………………………

クジャク等キジの仲間は卵や雛を守るために毒蛇やサソリ等の毒虫を攻撃する習性から、邪気を払う象徴として「孔雀明王」の名で仏教の信仰対象にもなっています。

ヒンドゥー教では、孔雀はスカンダという神の乗り物であり、インドの国鳥ともなっている。クルド人の信仰するヤズィード派の主神マラク・ターウースは、クジャクの姿をした天使である。

 また、ギリシア神話においては女神ヘーラーの飼い鳥とされ、上尾筒の模様は百の目を持つ巨人アルゴスから取った目玉そのものであるとする説がある。

苔の緑の美しい公園

  苔独特の湿り気を帯びた草の冷たさの香り

   心の癒しの香りだ

  ここに

   パフュームの臭い

どんなに美人でも

どんなにスタイルが良くても

どんなに綺麗な服を着ていても

 これ以上の醜はない

 美を完全に駆逐してしまう

  世界の破壊者だ

なぜ こうなるのだろう

 トイレをきちんと掃除しなくて汚いから消臭剤や芳香剤を使ってごまかす

気をつけて掃除すれば臭いなど付かないのに

不潔の冴たるものだ。

体も同じ。

 食事と生活に気をつければ変な体臭などしない

臭いがないということは

 何よりも重要で

  何よりも高貴で

様々な良い匂いをいつでも感じられるということなのに

 どんなに素晴らしいことかを知ってほしい