アマゾネス系女子のためのコーチ 伊藤史子です
前回の記事はこちら
https://ameblo.jp/fmk110/entry-12497027359.html
〔感想 14〕
Part.Ⅱ 女性のキャリアを阻害する12の悪癖
第4章「12の悪癖」
(vol.2)
今回は「男女共通の悪癖」、性差のあまりない悪癖(行動)の4つです。

○共通その1 「善し悪しの判断を下す」
「なんで彼はあんなことを言うのか? 自分なら絶対言わない!」と思うことがあったなら、
それはあなたが「その人物に対する善し悪しの判断を下している」ということだ。
「善し悪しの判断を下す」とは、彼らの仕事があなたの期待に沿うようにあなたの水準を押し付けようとすることだ。
「あなただったらどうするか?」と彼や彼女の行動を比較する。
普通はあなたの方が優れた行動を取るという想定になるが。
考えてみれば、これはいかにも不毛なことだ。
なんでまた、一緒に働く人がすべてあなたの行動基準と同じでなければならないんだ?
ここで、マーシャルのクライアントの例です。
極めて批判的なCEOが、会議で彼の質問に対する答えに評点をつけるのを楽しんでいた。
「どこでそんな考えを拾ってきたんだ?」
部下は「スタッフの役に立とうと思っているだけだ」と言った。だが、部下はCEOが批判していると見ていた。
CEOは、すぐさま反応して評価を下すのではなく、
話がどう広がるか、じっくり聞いてすべてを考慮する時間を取る方が良いと考えたことは無かった。
この一見単純な指摘を受けた後、CEOは驚くほどの進歩を遂げ、話を聞くのが上手になった。
批判はゴシップ的な会話に勢いをつけ、職場の空気を悪くする。
扱いの難しい同僚やちょっとずれていると思う同僚に否定的な見方を話すのは満足感を得られるかもしれないが、
批判をするのはあなたの時間を浪費するし、マイナスなエネルギーを生み出し、
やる気を弱らせ、ほかの人を遠ざけてしまう。
ゴシップはリーダーとしてのあなたの力を損なう。
人とうまく接するにはどうすればよいかを考えるとき、欠点も含めて受け入れることが最初の一歩だ。
それがまさに良いリーダーのすべきことだ。
はっきりと部下のことが見えれば見えるほど、戦略的に行動できる。
否定的な評価で反応を曇らせることは、行く手を阻むだけのことだ。
会議の席上で、こんな上司や同僚などはいませんでしたか?
人の発言の揚げ足を取る
部下の仕事や、部下からの質問に対して、根幹の問題ではなく枝葉の些末なところばかり指摘している。
私もかつていた職場で、誰かが何か提案しても、同僚が必ずと言っていいほどネガティブに言いかえし
(そんな余裕ありません!!みたいな)、
だんだんと定例会議で誰も何も提案も前向きな意見も言わなくなった という経験があります。
そこで、管理職なり上の立場の人が、丁寧に諌めるなどすれば変わったかと思いますが、
彼らも「我関せず」
各自予定発表会で終わる という会議に成り果てていました。
「批判がマイナスのエネルギーを生み出し、やる気を弱らせる」
そのことをリーダーは自覚しておく必要があるのでしょうね。
○共通その2 「『いや』『しかし』『でも』で文章を始める」
「いや、その方法はもう試したよ」
「でも、その情報が計画通りに入ってこなかったら?」
「しかしながら、1つ言い忘れていると思うんだけど…」
会議や人事考課の席で、発言を否定的な接続詞で始める癖はないか?
人の言うことに実際に反対しているわけではないかもしれない。
たんに言おうとしていることの重要性を強調しようとしたり、自分の考えをまとめようと準備したりしているだけかもしれない。
だが、否定的な接続詞を使うと、必ず誰かの言っていることにまっこうから反論することになる。
そういうつもりでなくても、あなたが話した相手にはそのように聞こえる。
否定的な接続詞は、言葉のつなぎとして使われる。
単に話した人の言ったことをまず否定してからポイントを話すのはやめたほうがいい。
たんに、「そうですね、それから」と言う、
あるいは「ありがとう」と言うだけのほうがいい。
そのほうが後の言葉に滑らかにつながっていく。
この否定的な接続詞、おそらく無自覚に言っているのでしょう。
言っている側は無自覚でも、言われた側は自分の話を否定された、受け止めてもらえなかった とそんな感じになります。
コミュニケーションを上手く図る上でも、否定的な接続語ではなく、
「そうだね、そうなんですね」と相手の発言を受け止めて、それから話をするのが良さそうです。
コーチングでも、カウンセリングでも「傾聴」では、相手の言うことを否定せず受け止めることを教わります。
そこでは、自分の意見・考えを無理やり相手に合わすということではなく、
「『相手はこういう考え(意見)なんだ』とただ認める」んですね。
○共通その3 「言い訳をする」
著者曰く、人は職場でよく2種類の言い訳をするという。
「あからさまな言い訳」か、「微妙なものか」の2種類。
あからさまな言い訳は、「遅くなってすみません。ベビーシッターの車が故障しちゃって」という感じだ。
あからさまな言い訳の問題は、
人に尊敬され信頼されるリーダーとしての立場を守るには効果的ではないという点だ。
こういう言い訳を常に使っていると、
きちんと行動できない人、自分の行動に責任を取りたがらない人に見えてしまう。
言い訳なしでただ、「すみません」と言う方が効果的だ。
もう1つの言い訳の「微妙な言い訳」は、自分の性格の欠点のせいにするものだ。
それは昔からのものであなたの一部になっているから直せないとする。
男性も女性もこの種の微妙な言い訳をする。
だが、女性の使う言い訳は、わざわざ自分の立場を悪くするようなものが多い。
「私はいつもだらしないから」
「黙っていられないのよね」
こういうセリフは、自分の行動に責任をとっているようにあなたは感じるかもしれないが、
人の耳には、あなたが変わることができないと言っているように聞こえる。
自分をマイナスイメージの型にはめることで得ることはない。
もし、あなたが遺伝子のせいだとする自己破滅的な信念にしがみつくなら、あなたの前進を妨げる癖を変えることはできないだろう。
これも耳が痛い気がします。
全く言い訳をしない事は無い筈だから、ほとんど無意識のうちにどちらかの言い訳をしていそうです。
しかし、言い訳って、どこで覚えてきたんでしょうね?かなり小さい子も言い訳をします。(赤ちゃんは言い訳しませんね)
言い訳は自己防衛だと思いますが、それが実は役立たないどころか、
わざわざ自分の立場を悪くすることに結びつくとはなかなか恐ろしいものでもあります
○共通その4 「私はこうなんだ」と言いすぎる
昨今、職場では自分らしくあることに重きが置かれるようになってきた。
「自分らしく」ありたいという強い思いは、男性にも女性にもみられるが、異なる形で現れる。
著者の男性クライアントである、シニア・エグゼクティブが部下を褒めたくないということをすさまじい勢いで自己弁護するのを聞くことがある。
「部下の業績を大げさに話すのは私らしくない」
それに対し、自分らしくしようとする罠にはまった女性は、こういう言い方をする。
「私は自分のことを売り込むタイプじゃないから」
だが、
その行動がうまくいっていないと知りつつ、それでもやり続けるのは、
自分らしくないということではない。
単に頑固なだけだ。
だから
「何かが私らしくない」と自分で自分に言い聞かせているのなら、
なぜそうするのかその理由を自問した方が良い。
ある自分のイメージに過度にこだわったら、行き詰まりの状態でいることになる。
それは頑固なだけのことで、上昇しようとする道を阻む。
これも無意識にやっていそうで、意識してみるとありそうですね。
「○○するタイプじゃないから」
「私は人前で話すタイプじゃないから」
「私は主張するタイプじゃないから」
時には心の中で言っているかもしれません。
客観的に自分を捉えて言っているのか、自己弁護なのか 意識してみる必要もありそうですね。
そして、「○○するタイプじゃないから」という人は、○○するタイプの人を陰で悪く言ったりしてはいませんか?
そこも要注意です。
次回は、「組織が変化を難しくする」です。
6月から、この本をテーマに読書会を始めました。
日本一ゆる〜い読書会。
本を読んで、感想や自分の体験、
会社の女性・男性の様子はこんな感じ
男性には「察する」機能がない、だから女性は実績ややっていることを伝えないと! とか、
女性ばかりの中に入って一緒に話ができるのは「オバチャン男子」
などなど、話しているだけの読書会です(笑)
8月は、8月27日 火曜日 19時。場所は大阪府大阪市内(本町)
参加費は、会議室を利用するので会場費(人数割、300円程度)をご負担ください
近隣の方で、関心のある方はどうぞ!
お申し込みは、「お問い合わせ」かメッセンジャーにてお願いします。
また、コーチングもやっています。
「夢を実現したい」もあれば、自分の生き方まさに「悪癖にはまっていないか?」
自分を認められなくて仕事で成果を出さないと!と頑張りすぎるアマゾネスになってしまっていたけど、
ちょっとずつ変えていきたい と思う方
私が、四半世紀「女性が活躍できる社会にする」と行政でその目的に向かって一心にやってきたからこそ、
夢を叶えることが社会貢献につながることを応援したいですし、
逆に、自分が頑張らないと自分を認められなくて仕事で成果や結果を出そうと頑張りすぎて、
時に体を壊すまで頑張ってきた過去があり、コーチングでそのことに気づいたからこそ、
アマゾネス経験者として、女性活躍に押しつぶされてしまわないよう女性(もちろん男性もですが)には、
自己犠牲ではなく「自分を大切にする」ところからの活躍を願っています。