「ヨガってなに?」の記事で、私は「ヨガはただのストレッチと考えて気軽にやってみて下さい」と書きました。
でも、まだもやもやしている人がいるんじゃないかと思います。
「ヨガって宗教みたいな、神秘主義みたいな、思想的ファッションみたいな・・・そんな印象。とにかく何だか怪しい・・・」正直言ってそんな印象を持っている方、いますよね?
「え~?ただのストレッチじゃないでしょう?
だって先生は「心を無にしていやなことは忘れましょう」みたいな事をいうし、「宇宙と人間は一つ」なんてわけの分からん事言ってた・・・」そんな経験がある人もいるかもしれません。
最初の記事で、ヨガの歴史に簡単に触れたのですが、ヨガには生き方、考え方を追求する部分と、身体の健康に関わる部分の2つの側面があります。
そして、その二つがはっきり分かれずリンクしあっている部分もあるのです。
心身一如(しんしんいちにょ)という言葉があります。
身体と心は表裏一体。
心が身体を作り、身体が心を作ります。
これは判りやすいかもしれません。
気持ちの面でストレスがあれば、身体にも影響が出てきます。身体は心を映す鏡です。
心が健やかでリラックスしていれば、身体ものびのびと健康でいられます。
ヨガが考えるのもそんな部分です。
だから、筋肉を伸ばしたり鍛えたりするのと同時に、心も意識してケアしましょうよ。というのがヨガの考え方です。
ハタヨガが、1960年代以降アメリカで盛んになって広まっていったという事を考えると、ヒッピー文化や自然回帰のブームの中で、宗教的、哲学的「雰囲気」を残しつつ、生き方の一つの「ファッション」として受け入れられて来た側面というのもあるかと思います。それが悪いという事ではなく、そういう部分からヨガに入っていく人がいてもいいのではないかと思います。
最初の記事に書いたように、ヨガの始まりが「人間が社会生活を営む上での知恵=人生哲学」だという事を考えれば、ヨガの中にそういう哲学的な要素が少しもなくなってしまったら、それは「ヨガじゃない」と言われてしまうのかもしれません。
それを何処まで自分に取り込むのか、生かすべき物をどの程度見つけられるのか、追求するのか、そこの部分は無視するのか、それを取捨選択するのは自分自身の自由だと私は思います。
また、宗教としてのヨガというものもあり、近年地下鉄に毒ガスをまいた悪名高い犯罪者を生んだ事で、ヨガ全体に悪いイメージがついてしまったという部分もあるかと思います。
ただ、日本の仏教はインドから中国を伝わって入って来たという事を皆さんは知っています。
インドの宗教はヨガから発展した物だという事は最初に書きました。
ですから、ヨガは決して新奇な宗教ではなく、古くから日本の社会に浸透したなじみの深い文化なのです。
ヨガで行う「瞑想」という物があります。インドの言葉で瞑想は「ディヤーナ」。それが中国に伝わって漢字表記すると「禅那」。遠く日本に渡ってきて「禅」と呼ばれるようになりました。端座して行う瞑想という意味で「坐禅」と呼ばれる物がヨガでいう「ディヤーナ」にあたります。
瞑想しても誰かみたいに宙には跳びません。当たり前です。
余談ですが、仏教で両手を合わせて「南無三宝」と唱えるのは、インドの「ナマステ」という挨拶から来ているそうです。これは自分を相手に捧げるという意味で、相手に対する敬意を表わす言葉だそうです。
とりとめなく色々な側面からヨガについて簡単に書いてみましたが、ヨガにはさまざまな表情と歴史があることが分かって頂けたでしょうか。
私がインストラクターを勤めるハタヨガ一つとっても、色々な流派があったり、インストラクターの個性もさまざまです。むしろインストラクターの数だけ、違ったヨガの形があると言ってもいいかもしれません。
ですから、一度体験して「何かしっくりこないなぁ」と思ったとしても、いくつか違った教室でレッスンを受けて、気の合う先生や好きなレッスンを探してみてくださいね。
心と身体がリラックスすることを覚えると、自然と普段の生活も穏やかなものになって行きます。
難しく考えず、どうぞ体験して、そしてじっくり続けてみてください。
まだまだ未熟者ですが、気づいた事、いいと思った事はこれからもブログに載せて行きますので、読んでみて下さいね。