CDショップで視聴した2枚はFlying RhythmsとPolarisの新譜。聞いた結果、これは迷うと思ったら、それ以前に手持ちがなかった。Flying Rhythmsの「N'danka N'danka」はより原始的になり、それでいて3人各々のグルーヴに一体感が表れた。これは確実に来る。武骨なスペースダブに磨きがかかる。没頭して危うくよだれが垂れそうになった。Polaris「Union」はドラムの坂田学脱退後が杞憂に終わった。これも間違いない。メロディアスなソフトダブは健在で、ストリングの美しさも顕著になる。

夜と昼で対を成す。Flying Rhythms内田直之は他でHakase-Sunとバンドを組み、Polarisには柏原譲がいる。帰宅後はフィッシュマンズを手に取った。

亡国のイージス 護衛艦いそかぜに乗り込んだ海上訓練指導隊はテロリスト集団だった。その工作員を指揮するヨンファは隊艦の副長・宮津と彼を慕う部下たちと組み、いそかぜを乗っ取る。宮津は、防衛大生の息子が書いた内部暴露の論文によって、彼が防衛庁情報局・ダイスにより死に追いやられたとして、ヨンファに加担した。彼らは日本に宣戦布告する。先任伍長の仙石と、海士として潜入したダイスの一員・如月の二人が暴挙を止めるべく、彼らに挑んだ。

ヨンファたちは某国工作員とされ、それが北朝鮮であることは明白ではあるが、どこの国かは劇中で明らかにされない。戦争や国に対する憂慮に各々が苦悩して、国と人の在り方を見つめる。ヨンファや如月は戦争に重きを置く。そういう環境の下で生きてきた。宮津や仙石は人間論を説く。一個人からの一国家、一国家からの一個人。海洋スペクタクルという大きな括りの中で、ミニマルなヒューマンドラマが点在した。

主要登場人物それぞれの回想シーンが割って入った。環境と経緯が示される。しかしそれは説明的でなく、あくまで匂わせる程度で全てを語ることはない。正義と主張は各々にあり、全否定され得る人間はいない。

「ローレライ」「戦国自衛隊1549」に本作と、今年に入って福井晴敏の小説が3本も劇場公開されている。そんな脂の乗りきった作家を昨年まで知らなかった。まして推理小説や冒険小説と無縁で、この3作の比較をしようとも思わなかったが、阪本順治が監督したこれだけは興味を持った。原作物、大作も監督するようになり、しかもコンスタントに作品を輩出して、最重要人物の一人と思われる。

JR線、荻窪の駅を下ると友人の家に通じ、上るとソウウツカズンの家に通じる。今日は上った改札で夫人の"義理カズン”と待ち合わせ、家に招待された。彼女にはゲイやレズビアンの知人が多く、先日はフランスに住むゲイのカップルと、一週間互いの家を交換してカズン夫婦はフランスの、ゲイカップルは日本の旅行を楽しんだらしい。明日は新宿二丁目でレインボー祭りに参加するそうである。ソウウツカズンのほうはゲイやレズビアンに偏見を持っていて、彼は行かないというか彼を誘っていないと言っていた。彼の見た目と喋り方はストレートとは思わせず、義理カズンは夫のことを「スーパー・ニューハーフ」と揶揄している。

ところで駅北口方面に住む友人はといえば彼もまた外見と口調がそれっぽく、義理カズンの話を聞いて、その友人がホモに間違えられると嘆いていたことを思い出した。

カズン夫婦の家に着いて料理と酒をもてなされ、自己肯定観について論じた。それに関しては自信があるようで、ない。幼かった頃の記憶を辿ったところで、泡盛が効いて頭が痛くなる。泊まった。

舞台はおそらくハンガリー、戦争下の特異な環境で育った双子の少年が「僕ら」という一人称複数で事象を捉えていく。二人は客観性を重んじ、実に淡々と生きるすべを身につけ、成長する。徹底して一貫した俯瞰の目。それが周囲の人間にとって脅威で、狂気に感じられ、嫌われていた。

彼らと彼らにかかわる人々との日常が、短い短編に切り取られた。著者の、名前をアガタ・クリフトフというパロディーのような本名を持つ女性は、これが処女作で出色といえる。異彩とは何てコケティッシュな輝きを放っているのだろう。それは自分には真似できないからこそ。

アゴタ・クリストフ
悪童日記

ビリケン 大阪の初代通天閣に祭られていたビリケンが現代に蘇った。2008年のオリンピック誘致として新世界が挙げられ、通天閣界隈は反対運動に奔走していた時、ビリケンが住民の願いを叶えていく。

木造の置物であるビリケンが飾られたことで、人間の姿をしたビリケンが蘇る。通天閣の先端に立ち大阪の町を見下ろすビリケンに焦点を絞り、空中から旋回しながら捉えた。それが初登場シーンで、ダイナミックな映像はラストとリンクする。賽銭を放り、木造のビリケンの足の裏をなでることが願掛けで、劇中で初めてなでたのが通天閣にしょっちゅう訪れる学童保育の先生・月乃だった。これにはこだわりを感じた。

通天閣から降りるとビリケンの姿は見えなくなるが、双眼鏡を逆から覗くと姿が映る。月乃の教え子である清太郎とビリケンが線路沿いを並んで歩く。それを前から撮る時はビリケンの姿があり、後ろから撮る時はその姿がない。会話の主導がどちらにあるのかを表現した。

ビリケンの評判が下がって、ビリケン像が骨董屋に売られると彼の能力は一時失われた。高架下で日立のダンボールを家にするビリケンが愛らしい。通天閣に像を戻し、双眼鏡を覗く月乃に「好きでした」と過去形で告げるビリケンがいじらしい。

阪本監督・豊田脚本作の2本目を選んだつもりがパッケージと中身が違い、クレームをつけにレンタルショップへ勢い込んで出向いた。今日から1週間の無料レンタルで本作を、加えてサービスチケットをくれたので許す。

残りのタバコが心もとなく、夜、それだけを買いに家を出た。玄関先で蝉がひっくり返って足をうごめかせている。腹を露にして死にゆくのも、もしかしたら本望でないかもと情けをかけて、せめてもの慈悲で体勢を戻すことにした。これなら生死が分かりにくい。

エレベーターを待つ間、その蝉を見ていた。明朝になれば、きっと管理人にほうきで掃かれてちりとりに入れられるだろう。ドアが開いて乗り込んでからきびすを返し、蝉を拾った。無機質なマンションではなく、土と木のある場所に置こうと。

植樹帯に移そうとしたが、蝉の足が僕の掌をしかと掴んでいる。そして、瀕死に見えたその蝉はギギギと鳴いた。感触を僕は、証として記憶に刻もうではないか。

今後 映画は基より映画館が好きだ。今年は9割5分以上、単身で劇場に出向いている。開演前にタバコをふかして、ロビーに貼られたタイトルの掲載雑誌の切り抜きに目を通し、本編に臨む。終わって劇場を出るとまた一服、余韻を楽しむには他人は必要としていない。しかしそれは強がりでないとも言い切れない。

人とドライブをするとして、その前日に僕は喜び勇んで、キャリーバッグに容れるCDを思案しているが、そのBGMがお気に召されることは少ない。共有は難しい。

ブンレツさんとブンレツグランマが生まれ育ったところは海に囲まれて、生活と海が直結している。そこには小学生の頃まで毎夏に訪れ、僕は波と戯れていた。気持ちが洗われるとか、自分がちっぽけな存在に思えるとか、母なる海だとか、そういった感傷には今も浸らない。

現在、6回を終わって1点勝ち越している。立浪の代打で出た井上か森野がタイムリーを放って、これが決勝点となるか。スコアは4-3か5-4。6連戦の頭にもかかわらず、川上とマルチネスを使ってしまった。岡本、高橋聡、岩瀬はまだ投入していない。

大阪・新世界で将棋の真剣師を生業とする飛田が、プロの棋士と勝ち抜き戦を行っている。飛田と幼馴染の香山は将棋連盟に席を置き、プロ棋士を目指している。手段を選ばず勝ちに行く飛田を香山は蔑むが、彼もまた往生際の悪さで勝ちに執着する。将棋の裏の世界で生きる飛田と表の将棋界で生きる香山、彼らと戦う打ち手たちも皆、将棋を甲斐として賭けてきた。


対局のシーンには多くのアングルを用いる。様々な視点で盤と棋士を捉え、一進一退勝負の波や心理描写を表した。博打将棋にこだわりを見せる飛田だが、金にならないプロとの対局で自らのアイデンティティーを形成する。


新作「亡国のイージス」が公開中の阪本監督と、監督作「空中庭園」の公開を控えた豊田利晃脚本の作品を2本借りてきたが、もう1本のほうは本編ではなくそのタイトルのPVのようなものを借りてきてきてしまった。単に僕が確認を怠ったのか、レンタルショップが入れ間違えたのか。後日、クレームをつける予定である。


阪本-豊田のホットラインが綴る大阪にはリアリティを感じる。ディープな新世界とその界隈の人間模様がおかしみと哀愁を漂わす。飛田の扇子に書かれた四字熟語、関西人の堂に入ったノリは天晴れだった。

6点差をひっくり返し、阪神との首位攻防3連戦は幸先良いスタートをきる。山本昌はここのところ不調が続き今日もノックアウトされ、継いだ鈴木も好投したが自身のエラーが絡んで追加点を許す。外野スタンドに写る「負ける気しねえ」のプラカードがむなしく思えた。しかし間違っていたのは僕のほう。どんな劣勢でもはね返し、負け方を忘れてしまっている。敵のエースやクローザーをことごとく潰す。こちらの大黒柱や守護神がどんなに打ち込まれても勝ち越す。

5回の9得点は奇跡に近い。阪神のミスにつけ込んだ。あのイニングだけで5アウトはとられている。流れを完全に掌握した。こういうゲームを見ていると目頭が熱くなるのはなぜだろう。

先週から日焼け の跡が凄まじい。痛い、痒い、掻きむしりたい。先週末に海へ行って、その代償が大きかった。家の中で歩くところに剥けた皮が落ち、自分がどう通ったのかが把握できる。粉ふく体はさしずめ花鰹。

その海へ一緒に行った女子と飲んだ。まだら模様の背中を見せてやりたいが、酒がまずくなるので止める。なぜ、二人で飲みに行くことになったかといえば、誘われたからである。なぜ、誘われたかといえば、僕が話を誘導したからである。やけに優しい人ぶったからである。その優しさ の裏にあるものを、果たして隠し通せたかどうかは甚だ疑問ではある。