・・・・・・・っということで、ウズベキスタンのタシケントにあるテーマパーク「マジックシティー」。
容赦無く太陽が照り付けます。
それもそのはず、タシケントはオアシス都市で、周囲は砂漠です。
40℃ですが日本と違って空気は乾燥しています。
以上、サマーフォトチャレンジ2025に応募します。(^^)/
・・・・・・・っということで、肩の凝らないアクションコメディ。
原題は【Heads of State】と複数形。
大統領が孤軍奮闘する映画は数多く作られてきましたが、この映画はそれらをかき集めて仕上げた感が強い。
ビーストでのアクションや、エアフォースワンが撃墜されるとか、大統領がやたらタフとか、既視感満載。
寄せ集めだけど、成功したのはもう一人英国首相を加えたこと。
このアイデアで一気に面白くなった。
アメリカ大統領はアクション俳優出身という荒唐無稽な設定なのに、現実は先を行っている。
イギリス首相が黒人というのもユニーク。
アメリカ大統領が主役かというと、イギリス首相の方が頭が良くタフで、こちらが主役でもいい。
いっぽうアメリカ大統領はノー天気なバカで、アクション俳優出身のくせにめっぽう実戦に弱い。
あまり見たことない俳優だと思ったら、何とジョン・シナといえばプロレス界の大スターだったそう。
イギリス首相役のイドリス・エルバの方は【ダーク・タワー】などで大活躍の名優。
女性諜報部員役のプリヤンカ・チョープラーは元ミスワールドで、【シタデル】に出演していましたね。
制作国はアメリカなのに、大統領を徹底的に無能に描いている点が面白い。
寄せ集めだけれど、上手くまとまっていて時間を割いて見ても損にはならないでしょう。
★★★★☆
・・・・・・・っということで、中央アジア旅行から帰国して1週間が過ぎました。
時差は4時間しかないので、ほとんど影響はありません。
問題なのは、よく眠れないことです。
寝つきはいいのですが、2時間もすれば目が覚め、そのまま何時間も寝返りを打ち、未明になってウトウトしたらもう朝です。
眠いはずなのに、昼寝ができません。
これは旅行の影響というより暑さの影響でしょうね。
エアコンを28℃にセットして点けっぱなしにしていたのですが、最近は25℃で一気に冷やしてから消すのです。
当然のことながらだんだん部屋の温度が上がって目が覚めますが、また強冷にして消すことを繰り返します。
「熱帯夜 数え羊も 有休中」
おそまつ。<(_ _)>
・・・・・・・っということで、「タラス河畔の戦い」って全く知りませんでした。
でも、何で中国がウィグル自治区で非人道的な弾圧を加えるのか?何で「一帯一路」なんて言葉を持ち出すのか?・・・それを解く鍵が「タラス河畔の戦い」なのです。
タラス河畔の戦いは751年、中央アジアの歴史における大きな転換点のひとつです。
唐軍(高仙芝率いる)とアッバース軍(ズィヤード・イブン・サーリフ率いる)が、キルギス〜カザフスタン国境付近で激突しました。
もちろんシルクロードの要衝であり、オアシス都市や遊牧民の通商ルートをめぐる支配権が戦いの原因です。
まさしくぼくが今回訪れたキルギスとカザフスタンの国境を流れる河です。(流れは途中で砂漠に消えてしまいます。)
この戦いは唐(中国)のボロ負け。
3〜10万といわれた唐軍は、多くが殺されまたは捕虜となり、残兵数は数千だったそうです。
この戦い以降、中央アジアはイスラム圏が支配することとなりました。
中国悔しかったでしょうね。
シルクロードなんて、まるで中国中心のネーミングまでされたのにね。
中国人は執念深い。
中国は1200年以上前のタラス河畔の敗戦の恨みを抱き続けているとぼくは睨んでいます。
だからこそ新疆ウイグル自治区で徹底的にウイグル人を弾圧しているのです。
「一帯一路」というキャンペーンは明らかにシルクロード、しかも中国主体をイメージさせる、を意識しています。
中国にとって西域である中央アジアを我が物にして、タラス河畔の敗戦の恨みを晴らそうとしているとぼくには見えるんですけど、どうでしょう?^m^
以上、「行ってから学ぶ」の典型でした。(^^)/
・・・・・・・っということで、オアシス都市は中継点ではなく、目的地でもあるハブの性格が強いというところまで来ました。
取引されるための市場、それも巨大な市場が生まれるのは当然のことでしょう。
以下はタシケントの市場。
たくさんの種類が出品されていますが、肉類の多さには圧倒されます。
ぼくらの感覚では、各家庭の主婦たちがここで夕食用に購入するものだとつい考えてしまいますが、肉のほとんどは加工されるそうです。
長時間保存できるよう乾燥させたり、ベーコン、ハム、ソーセージなどに加工されます。
これは、キャラバン隊がこの先に進むための補給物資となるのです。
当然この地域を支配することによって、たくさんの税収があり都市は栄えます。
同時に、支配権を持つための争いが起きます。
幾度も支配者が交代したのは当然のことですね。
すでに書いたように、雪解け水によって河川や湧き水が豊富ですので、農業に適しています。
とはいえ乾燥地帯ですので、絶え間ない「灌漑」が重要になってきます。
(ソ連時代に灌漑計画が失敗してアラル海が消失したのは有名ですね。)
オアシス都市は商隊の交差点であるだけでなく、農耕民と放牧民が共存する場でもあるのです。
ですのでこの地では経済交流と共に、民族の交流や、文化の交流、人種の交流、宗教の交流が活発に行われるのです。
面白いねぇ〜〜。(^^)/
・・・このシリーズ完。
↑ちなみに、ラクダに乗ったことがある人なら分かるでしょうが、乗る時も降りる時もものすごい傾斜になりますので、注意が必要です。^m^
・・・・・・・っということで、「アジア交易ネットワーク」の一つをシルクロードと呼んだに過ぎないところまで理解しました。
それにしてもシルクロードというネーミングは抜群のセンスですね。
話をシルクロードに戻して、敦煌から中央アジアまで灼熱の砂漠や険しい山道を通ってなぜ商隊を組んで踏破しようとしたのでしょう?
それは「儲かるから」です。
命懸けで運んで、たとえ商隊の半分が失われたとしても、儲けが莫大だったからなのです。
シルクロードですから、シルクは当然ですが他にどんな商品を運んだのでしょう?
1. 中国から西へ
一つの高級品(たとえば絹や香料)は、距離が伸びるごとに価格が 何十倍 に跳ね上がると言われていました。
シルクはローマで金と同じ重さで取引されました。
胡椒は中世ヨーロッパで「黒い金」と呼ばれ、貨幣代わりになるほどでした。
・・・・・・・
下の地図が今回ぼくが訪れた国々です。
砂漠や山岳地帯を苦労して通り抜けた商隊が辿り着くのがこれらのオアシス都市です。
タシケントからビシュケクへ東に向かう上空からの地形です。↓
タシケントを飛び立つと、だんだん緑と乾燥地帯の境目が見えてきます。
ご覧のようにオアシス(タシケント)は広い平坦な地形に存在します。
↓緑が切れる境界。
そこからは不毛な山岳地帯が続きます。↓
山岳地帯を抜けビシュケクに近づくにつれ、また緑が見えてきます。
ビシュケクも広大な平地の中に存在しています。
キャラバン隊はこういう街道を往来していったんですね。
シルクロードという概念からは、これらオアシス都市は「中継地点」と思われがちですが、そうではなく一大「ハブ」と考える方が正確でしょう。
中継地であり、目的地(≑消費地)でもあったからです。
各地から集まった商品はここで取引され、一部は加工され、さらに各地に再配達されていくのです。
・・・つづく。
・・・・・・・っということで、いわゆるシルクロードのルートを前回紹介しましたが、仮に中国の産品をヨーロッパに運ぶのが目的なら、もっと南にもルートがあるでしょう?
要するに東南アジア、インドを通って西に運ぶルートがあって然りでしょう。
はい、あるんです。
もっと南の海のルートもありますが、ここでは触れません。
「南方ルート」というのがあって、おおよそ次の2ルートです。
1)インド経由ルート
雲南 → ミャンマー → インド東部 → ガンジス平原
敦煌 → カシュガル → カラコルム山脈越え → インド北部(ガンダーラやカシミール)
三蔵法師が家来を引き連れて通ったのがこのルートですね。
2)東南アジアを経由する雲南ルート
雲南からメコン川流域へ → タイ北部 → ビルマ経由 → インド洋方面へ
なぜ南方ルートが軽視されがちなのか?
それはドイツの地理学者の名付けたシルクロードがあまりに巧妙でロマンがあるからなのです。
実質的にはヨーロッパにとって、北ルートより南方ルートの方がインパクトとがあったのです。
あまりにも中国とヨーロッパを直接結ぶ絹の道のイメージが強すぎるのですね。
何度も繰り返しますが、一本の道ではなくネットワークなのです。
「アジア交易ネットワーク」と呼ぶ方が実態に近いのですが、そこからロマンは感じませんよね。(;^_^A
次はシルクをわざわざ砂漠や険しい山岳を超えて運んだのでしょうか?を考えます。
それも命懸けで?
・・・・・・・っということで、今回旅行した中央アジアのウズベキスタン(タシケント/サマルカンド)、キルギス(ビシュケク)、カザフスタン(アルマトイ)はシルクロード上にあるオアシスです。
シルクロード全体を眺めてみましょう。
中央にある木の葉のような形をしたのがあのタクラマカン砂漠です。
(図1)
いわゆるシルクロードと言われるのは下図の通りです。
(図2)
縮尺は異なりますが、木の葉のようなタクラマカン砂漠の位置はわかりますよね。
長安を起点として西に進むと「敦煌」があります。
その敦煌から大きく3つのルートが分かれています。
どのルートも砂漠や山岳地帯が待ち構えていて困難なルートです。
以前書いたように、これらの障害物を避けてもっと北のルート「ステップ(平原)ルート(図1の緑色の帯)」を進めばいいじゃんと誰もが思いますよね。
ところがここはモンゴルなどの騎馬民族が支配する地域で、彼らがヨーロッパを侵略するときに使ったハイウェイとしてはいいのですが、商隊が通過するには危険すぎるのです。
敦煌を起点とする3つのルートは1)山岳地帯を通るルート2)タクラマカン砂漠の北側を通るルート3)タクラマカン砂漠の南を通るルートです。
図2の主なポイントを地図に落とし込むと以下のようになります。
(図3)
ウズベキスタンのサマルカンドで合流し、さらにヨーロッパに向かうことになります。
このルートを見ると、中国とヨーロッパを結ぶ大動脈のように見えます。
シルクロードとは19世紀にドイツの地理学者が名付けたもので、それを強く意識しています。
最近になって、中国が調子に乗って「一帯一路」など、中国中心のイメージをうまく利用していますね。
しかし、実際はリレー方式で商品が中国人の商隊によってヨーロッパまで運ばれることはありませんでした。
自然の障害物を超えてたどり着いたオアシスで、商品取引が行われていたのです。
ですから、シルクロードという一本の道を思い描きがちですが、通商のネットワークと考えるのが正しいのです。
もう少しシルクロードについて考えていきましょう。
つづく。
・・・・・・・っということで、今日はアパートにエアコンを付ける工事の日でした。
アパートは上下4部屋ありますが、リフォームしたのは1階の2室のみ。
1室はぼくの「別荘」、もう一つは賃貸用です。
もし、賃貸がうまくいくようなら、上の2室も賃貸に出すつもりです。
ぼくの部屋(別荘)は間取りを変更しています。
リビング用に広げた部屋は、エアコンを大きな容量にしています。
その分、寝室用の部屋はずいぶん幅が狭まってしまいました。
ぼくの希望としては、ベッドは短辺方向に置きたい。
寸法を測ってみると、2,100mmなんですね。
今ごろ測るかっ!?
ネットで調べると、ベッドのサイズは宮(?)なしで、2m。
10cmしか余裕がない。
宮付きだとギリギリ入るサイズ。
もちろん長辺向きに置くと余裕なのですが、向きにこだわりたい。
ベッドを跨いで移動するしかない。
バカだなぁ〜〜。(ーー゛)
・・・・・・・っということで、ロシア軍がオートバイに乗って突撃なんてニュースが聞こえてきました。
広大な戦場ですから徒歩で移動など考えられません。
装甲車両や乗用車まで駆り出して次々に破壊され、ついにはバイクですか?
ロシア軍がよほど困っている証拠でしょう。
その困り方が尋常ではない。
あのロシア軍がそれほど窮地に落ちっているなど、ぼくらは想像できない。
機動力を失った軍隊に残された戦法は、人間を投入してジリジリ戦線を押し上げていくしかないのです。
今のウクライナ戦争はそういう局面じゃないでしょうか。
そういう戦争は双方に無用な戦死者を積み上げていくだけです。
ニュースを見ている限り、そういう実態は伝わってこないし、伝えてくれない。
伝わってくるのは、見込みのない停戦交渉や、まるで理解していないトランプの奇妙な言動だけです。
ロシアは相当危機的状況に陥っているとすれば、安易な妥協はするべきではありません。
あと一押しすれば、ロシア軍が自滅する可能性があるかもしれない。
そういうことも十分考慮に入れて、西側はウクライナを支援すべきでしょう。
プーチンはそのへんの情報操作に長けています。
騙されてはいけません。
ゼレンスキーをはじめウクライナの国民は本当に頑張っています。
戦況を正確に分析してして、彼らに勝たせてあげる。
それが最短の和平への道筋だと思うんですが、どうでしょう?