「モームリ」の奇妙さ | so what(だから何なんだ)

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人生のバックパッカーのブログです。
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・・・・・・・っということで、会社を辞めようとする人が、「モームリ(=もう無理)」という会社に代行を依頼するという話。

 

このニュースを聞いて海外の人は理解できないでしょうね。

 

辞職することを自分で言い出さず、お金を払って他人にしてもらうんですよ。^m^

 

こんな商売が成り立つなんて、日本だけでしょう。

 

ぼくにはこの事件が、まさに現代日本の労働文化の縮図に見えます。

 

「退職の自由」は法律で保証されていますが、「退職を言い出す自由」がない社会なんですね。

 

日本の職場が「契約」よりも「人間関係」で動いているためなんですね。

 

「自分が抜けたら職場に迷惑をかける」という情緒で成り立っているからでしょう。

 

これは「和を持って貴しとする」という日本人らしい優しさを表していると解釈できるかもしれませんね。

 

でも、外国人はそうは見ないでしょう。

 

根底には「人を傷つけたくない」「波風を立てたくない」という優しさではなく、ぼくは日本人(個の)の弱さと見るんです。

 

こんなことを代行してもらうのは「逃げ」、もっと言えば「卑怯さ」を表していると分析したいのです。

 

「和を以て貴しとなす」の“和”はしばしば、個を殺すことでしか成り立たない和なんですよ。

 

その正体は、「対立から逃げる文化」じゃないでしょうか。

 

それって海外から見れば「卑怯」ってことになる。

 

日本人ほど卑怯と言われることを忌み嫌う民族はありません。

 

武士道を持ち出すまでもないでしょう。

 

ところがその誇り高い精神を持った日本人には、みずから「卑怯」と呼ばれないために卑怯になるという捩れた社会構造を内包しているのです。

 

「モームリ」という社名は実に皮肉です。

 

自分では言い出せずに、無理に無理を重ね、もう無理というまで自分を追い込んでしまっているのです。

 

これはとても重大な問題です。

 

最近は、「逃げてもいいんだよ」という選択を推奨しています。

 

確かにこの言葉によって救われる人は多いでしょう。

 

逃げを教える前に、「戦う」という選択肢をまず教えるべきじゃないですか?

 

戦うのは疲れますが、もう無理と追い込まれる前に、職場を「改善」する努力はすべきじゃないですか?

 

首尾よく転職できたとしても、戦うことを諦めてしまったら同じように追い込まれてしまう可能性が高いのです。

 

このモームリという企業が成り立つということ自体、日本社会の弱さを表しています。

 

これを放置すべきではない。

 

じゃあ、それを正すのは誰でしょう?

 

報道機関はそこまで踏み込めません。

 

社会学者、文化人類学者、哲学者、教育従事者、そして政治家の出番です。

 

高市新首相は、その辺の遠慮がある人物には見えません。

 

そういう意味で、彼女には期待するところが大きいのです。

 

とはいえ、いちばん変えるべきは、現場で働く人々自身なんじゃないですか。