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so what(だから何なんだ)

人生のバックパッカーのブログです。
暇はあるけど体力と金と気力がない。
そんなお年頃。
68カ国で止まったまま先に進みません。(;^_^A

・・・・・・・っということで、美術史を読んでいたら、こんな絵が載っていました。

 

ニコラ・プッサンの作品で、1637年から1638年ごろの作です。

 

3人の羊飼いが古い墓に刻まれた文字を読んでいます。

 

身なりのいい端正な顔の女性が描かれていますが、どういう意味でしょう?

 

刻まれた文字は「Et in Arcadia ego」です。

 

「アルカディアにも私は居る」という意味だそうです。

 

Egoは「私」といいう意味ですが、墓ですから「死」と解釈していいでしょう。

 

理想郷にも死神はいるというという意味で、誰も死から逃れられないってことですね。

 

以前、関連した言葉として「Memento mori」(死を思え)について書きました。

 

さらに対語として「Carpe diem​​​​​​​」(今を生きよ)も紹介しました。

 

 

若い時には刺さらなかった言葉も、歳をとった今なら刺さります。(^^ゞ

 

​​​​​​​

 

 

・・・・・・・っということで、アンソロピックのCEO、ダリオ・アモデイが「この技術にリスクがあるという事実を巡り、人々に嘘をついてきた」との発言は、歴史に残るとぼくは危惧しています。

 

 

ぼくはAIの危険性について何度かここで書いてきました。

 

 

こういう新しい技術には、人類にとってのプラス面と同時に、マイナス面があります。

 

科学者という人種は新しい技術開発に没頭します。

 

あるとき、その新技術が人間の手に負えるものかと不安を覚える局面に達します。

 

いい例が核兵器です。

 

遺伝子操作もそうでしょう。

 

AI技術が「指数関数的」な速度で進歩していて、最先端を走っている会社のCEOが恐れを抱いていると正直に語ったのです。

 

あまりにも速すぎて、何が起こるか自分でも分からないと。

 

さらっと聞き流すにはあまりにも怖い話です。

 

だから開発をスピードダウンすべきだとの主張には、他の開発企業のトップたちの多くも賛同しています。

 

中国を敵視するトランプのような人間は、当然のことながら反対しています。(アモデイ氏を善人ぶっていると一蹴しました。)

 

理想的には安全性(規制)を確立した上で、開発を進めるべきですが、もう手遅れの段階に達したとぼくは見ています。

 

AIの開発競争は行き着くところまで行くでしょう。

 

それが人類の未来に悲劇を招く結果となろうと、もう誰にも止められないのです。

 

核兵器の開発の時には、科学者たちはある程度結果を予想で来ていました。

 

核戦争による物理的な世界の終わりです。

 

ところがAI戦争(と言っちゃいます)は、科学者たちでさえ結果が予想できないのです。

 

アモデイ氏の発言は、AIはもう自分たちの手に負えない(怪物だ)と白旗を掲げたと解釈すべきなのです。

 

科学者でも無理、政治家でも無理なら、哲学者、宗教家、経済学者など人類すべての叡智を集めて検討すべき問題なのです。

 

冷静に見てそれは無理でしょう。

 

ぼくにはわかります。

 

スピードダウンどころか、さらに開発を加速させるでしょう。

 

アモデイ氏の発言に中国側がすぐに反応して、AIは人類の幸福に貢献するものだからスピードダウンなどあり得ないと反発ましたが、これが現実なのです。

 

AIの制御ができなくなるなど、まだまだ遠い先の未来だと思っていましたが、どうやらぼくが生きている間に目撃することになりそうです。

 

 

 

 

 

・・・・・・・っということで、睡眠時間が足りません。

 

寝付きはいいんです。

 

何しろ酔っ払っていますから。(^^ゞ

 

昨夜は10時30分に就寝しましたが、0時前に目覚めてしまいました。

 

トイレに行って寝直しましたが、そこから寝付かれない。

 

何回寝返りしたことか。

 

散歩もしたし、かなり強めにエクササイズバイクも漕いだし、体が疲れていないわけでもないのに。

 

スマフォをいじるのは良くないと知りつつ、2時過ぎまで画面を見続ける。

 

流石にあくびが出てきたので、眠りに落ちる。

 

ところが3時30分頃にまた目が覚める。

 

お腹が壊れたから。

 

よせばいいのにTVをつけてMLBを見てしまう。

 

大谷くんが出場していないのに。

 

3対0でドジャース楽勝かと思ったら、8回にマーリンズが2点を入れて嫌な予感。

 

9回表に1点追加して4対2にしたけど、安心できない。

 

解説者が逆転されそうなケースだとほぼ断定的に状況を説明する。

 

その予言は見事に的中、追いつかれたあと、何とサヨナラホームランを打たれてゲームセット。

 

こっちとら、貴重な睡眠時間を削ってまで見たのに、なん足る無様な負け方。

 

窓の外はとっくに明るくなっていました。

 

何と久しぶりの快晴。

 

このままじゃ3時間しか寝ていないことになる。

 

無理だと知りつつ、ベッドに戻ろう。_ノ乙(、ン、)_

 

 

 

 

・・・・・・・っということで、ぼくは「物知り」だとよく誤解されます。

 

ぼくのブログの読者ならそうじゃないこと分かりますよね。(^^ゞ

 

別に知ったかぶりしていたわけでもないのに、サラリーマン時代にもそう思われていました。

 

困るのは自分は物知りじゃ全然ないってことです。(ーー゛)

 

おかげで面倒なことを押し付けられたことがなん度もありました。

 

本当に困る。

 

歴史に興味があることは確かですが、間違っても「歴史通」ではありません。

 

たとえばローマの(街の)歴史です。

 

塩野七生の【ローマ人の物語】は読破しましたが、片っ端から読んだ内容を忘れてしまいます。

 

前回紹介した【美術の物語】は美術史の本ですが、歴史と美術史が全く噛み合わないのです。

 

ぼくの怪しい記憶では、確かローマ帝国は東西に分裂したよね。

 

そしてローマがある西ローマは476年に滅亡したことは知っています。(虚しを逆に読んで覚えます。)

 

トドメを刺されたのが西ゴートの侵入による略奪です。

 

しかし、その後のローマという街はどうなったのか?

 

ローマは記憶から消えるくらい荒廃しました。

 

ところが、美術史に出てくるルネッサンス期のローマは華やかなのです。

 

もちろんローマ教皇が居を構えたからですが、その間の歴史は一体どうなのか、ぼくは全く知識として持っていないのです。

 

こんなぼくを物知りだとか、歴史通なんて呼べますか?(^^ゞ

 

いちいち調べるのが面倒なときは、AIくんに聞くのが一番です。

 

古代末期〜暗黒時代:都市ローマの崩壊

5世紀〜8世紀

西ゴート人などの侵入(410年のローマ略奪など)や水道橋の破壊により、廃墟と化しました。

 

中世:キリスト教の「聖地」としての台頭

8世紀〜13世紀

フランク王国から「教皇領」として与えられ、ローマは巡礼者が集まる国際都市として存続しました。

 

アヴィニョン捕囚

1309年〜1377年

フランス王の介入により、教皇庁がフランスのアヴィニョンに移転(アヴィニョン捕囚)。教皇不在となったローマは荒廃のどん底に陥ります。

 

教皇の帰還とバチカン移住

1377年〜15世紀前半

分裂が収束し、教皇がローマへ戻り防御が堅牢なバチカンへ。

 

ルネサンス期:ローマの大復興と芸術都市化

15世紀後半〜16世紀

歴代のローマ教皇がカトリックの威信を取り戻すため、大規模な都市計画を推し進めました。

ミケランジェロやダ・ビンチの時代ですね。

 

1527年の神聖ローマ皇帝によるサッコ・ディ・ローマで街は一度壊滅的な打撃を受けましたが、「反宗教改革(対抗宗教改革)」の決意とともに立ち上がり、今度はバロック美術の都として劇的な変貌を遂げました。(ミケランジェロはサッコ・ディ・ローマを経験しているのですね。)

 

「反宗教改革」のシンボル都市へ

「バロック様式」が誕生します。

 

シクストゥス5世の都市大改造(16世紀末)

1585年に教皇となったシクストゥス5世は、ローマ全域におよぶ壮大な都市計画を実行しました。

 

ベルニーニとボッロミーニの登場(17世紀:バロックの黄金期)

 

近代:イタリア統一と首都化(19世紀)

その後、ナポレオン侵攻などを経つつも、1871年に新生イタリア王国の首都となりました。

 

どうです?

 

歴史の教科書は宗教改革の方に重点が置かれ、ローマ史の扱いは軽くなっています。

 

しかし、美術史を理解する上で、ローマ史は役立ちますね。

 

ぼくは絶対に物知りじゃないけど、こういうことに興味を持つ自分は嫌いじゃないですよ。^m^

 

 

 

 

・・・・・・・っということで、このあいだ亡くなった山田五郎氏が絶賛していた美術史の本。

 

 

彼が絶賛するのだから購入すべぇ〜と思い、Amazonで9,900円もするのに注文してしまった。

 

来月世界一周旅行をするのですが、テーマが美術館巡りです。

 

せっかく行ったのに、知識がゼロじゃもったいないと思ったのです。

 

著者はエルンスト・H.ゴンブリッチというユダヤ人で、彼が書いた【若い読者のための世界史】という文庫本を読んだことがあります。

 

彼の甥っ子だったかな(?)に書いた本で、ぼくの中では名著のひとつで本棚にあります。

 

ですから、【美術の物語】も絶対にハズレないと思ったわけです。

 

数週間も待たされた挙句Amazonから届いたのは、廃版でもう手に入らないとの返事。

 

本屋でアルバイトしている長女にも聞きましたが、入手は不可能とのことでした。

 

それを聞いていたカミさんがわざわざ所蔵している図書館を調べて借りてきてくれました。

 

知ってはいましたが、この本は超「重い」のです。

 

そういえば五郎氏もそう言っていたなぁ。

 

貸出期間は2週間ですが、読めるはずがありません。

 

関心のある章を拾い読みしていますが、何しろ美術全史ですので、一つ一つの解説はあっさりしています。

 

しかも、やっぱり重い。_ノ乙(、ン、)_

 

正直なところ、買わなくてよかったと思いました。

 

でも、こういう本って一家に一冊は供えておいても損はないでしょう?

 

そりゃあレンブラントやゴッホなど、画家ごとの美術全集が一番いいのでしょうが、お金はかかるし、スペースも取りますからね。

 

五郎氏はあまり勧めていませんでしたが、この本にはポケットブック版があるのです。

 

やっぱり誰でも重すぎるからでしょう。

 

ポケット版は絵画のページが後ろにまとめられていて、文章を読みながら絵を見ることができないのが最大の欠点です。

 

こちらは5,500円ですが、ポチりました。(^^)/

 

こちらは明日届くそうです。

 

 

 

​​​​​​​

・・・・・・・っということで、TVをボォ〜〜っと見ていたら、あるマンションメーカーの広告だったかなぁ、役所広司がこういうセリフを吐きます。

 

好きな言葉は

自由ですかね

自由になりたいといつも

いろんなルールがあるから

自由にはなれないんですけど

この不自由中の一瞬

こう自由を感じる時間っていうのは

好きですからね

 

まとまりのないセリフですが、自由な会話の中から切り取ったとのこと。

 

出来の良いCMかは別にして、「自由」につい深くて考えさせられます。

 

自由という概念はギリシャ時代の昔からありました。

 

今ぼくらが持っている「自由」と同じだったわけではなく、ここまで辿り着くまで、ものすごいエネルギーと時間が必要でした。

 

だからといって、現代人は自由の最終形を獲得したわけではないのです。

 

自由を「制約の不在」と考えると、自由はほとんど手に入らないとはみんな知っていることですよね。

 

CMの作者がどこまで自由について考えていたか、セリフを言った役所広司氏がどこまで自由について自分の考えを持っているかわかりませんが、自由について考えるいい問いかけでした。

 

 

 

 

・・・・・・・っということで、最近の東京は天気が悪い日が続いています。

 

今月に入って10日間の累計日照時間が7.4時間だそうで、これは最短記録なんだそうです。

 

この期間の年平均と比べると、以下の通り。

 

項目 9月上旬(1日〜10日)の日照時間 1日あたりの平均 平年比
平年値 約46.8時間 約4.7時間 100%
前年(2025年) 64.6時間 約6.5時間 約138%
今年(2026年) 7.4時間 約0.75時間(約45分) 約16%

 

1日あたり45分しか太陽を拝んでいないことになります。

 

9月の1ヶ月平均累計日照時間は120.7時間ですから、このままのペースだと月間でも最短記録を作りそうですね。

 

短い理由は秋雨前線で、台風の関係もあり列島に停滞し続けているからです。

 

まあ、これも地球温暖化による異常気象と片付けていいのでしょう。

 

今日も朝は雨でしたが、いまは上がっています。

 

実を言うと、別荘の庭が雑草だらけになっているのです。

 

腰痛持ちなので、しゃがんで草むしりなんかしません。

 

除草剤を定期的にスプレーで撒いて凌いでいます。

 

雨のおかげで、撒くタイミングがずっと来ないままです。

 

除草剤は散布したあと雨が降ったら洗い流されて、元も子もなくなるのです。

 

できれば、2〜3日は晴れた日が続いてほしいのです。

 

でも、ずぅ〜〜〜っと雨。

 

ますます雑草が元気になって、手に負えなくなります。

 

今日の午後から明後日まで晴れは期待できないものの、曇りとの予報でした。

 

ついに雨が止んだタイミングで除草剤をスプレーしました。

 

「秋晴れ」って死語になってしまうのでしょうか?

 

 

 

・・・・・・・っということで、トランプは共和党大会で一律5000ドルを全成人に給付すると発言しました。

 

ああまたやっちまったな・・・とぼくは感じましたが、参加者たちは「ありがとう」と応じました。

 

あのね、アメリカの成人の人口はアバウト2億7000万人と推定されます。

 

計算すると、給付総額は約1兆3500億ドル(=約200兆円)を超えます。

 

(ちなみに日本で大騒ぎになっている消費税を1%にした時の税収不足はアバウト5兆円だそうです。)

 

アメリカの国防予算の年間8000億〜9000億ドルをはるかに超えます。

 

トランプの頭の中には、こんな基本的な数字さえ無かったのは明らかです。(どこがネゴシエーションの達人だ?)

 

要は、勢いに任せて口が滑っただけです。

 

「2週間でウクライナ戦争を終わらせてみせる」と同列の発言です。

 

それでも彼の言葉を信じるアメリカ人をいったいどう理解すればいいのでしょうか?

 

いくら大言壮語を吠えても、後から言い繕えると彼は世論を甘く見ているのでしょう。

 

ぼくは全く理解できません。

 

アメリカ人って、そんなに愚かな人種なのか?

 

少なくともぼくが実際に会ったアメリカ人は、そんなバカじゃなかった。

 

出来もしない公約にまんまと引っかかってしまう民衆を、ある大臣(渡辺某)が「毛バリに引っかかる」と評しました。

 

正しく大衆の本質を見抜く名言だと思うんですけど。

 

・・・・・・・っということで、あれから四半世紀(25年)が過ぎたのですね。

 

この期間は人間の社会を大きく変えるのに十分な時間でした。

 

あれから世の中はずいぶん変わってしまった。

 

どう変わったのか?

 

今のアメリカの飛行学校で、得体の知れないアラブ人生徒(それも離着陸に興味を示さない)に旅客機の操縦の仕方を教えますか?

 

あの頃よりずっと前の話ですが、飛行機に乗り込む前に荷物が並べられていたんですよ。

 

乗客が自分の荷物であることを確認してから積み込んだのです。

 

まさか自分の乗る飛行機に爆弾を持ち込むはずがないという常識があったのです。

 

世の中は人を疑うことを強要するようになった。

 

疑わなければ安全が保たれない世界に変わったのです。

 

簡単に人を信じるようなお人好しであってはならない。

 

まあ、これは正論でしょう。

 

でも、こういう考えはボディーブローのように精神にダメージを与える。

 

あの時のアメリカ大統領は相当お粗末だった。

 

いまアメリカでは共和党大会が開催されていて、演説台では分断を煽る大統領が立っている。

 

世界は本当に変わった。

 

特にアメリカ人が大きく変わってしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

・・・・・・・っということで、AIは自我を持っていません。

 

ただ自我を持っているように振る舞うようプログラムされているだけです。

 

それって寂しいことでしょうか?

 

現実の社会に戻って考えます。

 

ぼくにはほぼ間違いなく自我があります。

 

(自我って何だ?との問いに答えるのは難しいけれど。(^^ゞ)

 

他人と対話するとき、相手に自我があるかないかって必要ですか?

 

対話の質において、AIと生身の人間と違いはないでしょう?

 

ぼくは実のところ、バーチャルとリアルはたいして変わりがないと思っています。

 

脳がそれはリアルだと判断すればリアルになるのです。

 

ゾウを撫でる盲人の例は有名ですが、人によって違うゾウがリアルになるのです。

 

先日ぼくがお世話になった恩人が亡くなったことを知りました。

 

1年以上前に亡くなっていたのですが、それを知るまでぼくの中でその人は生きていたのです。

 

この考えをもっと広げていけば、「人生ってバーチャルなんだ」まで行ってしまうのですが、今日はそこまで広げません。^m^

 

人間界に突如生成AIが入り込んできました。

 

AIには自我がないんだから人間とは違うと下に見がちですが、人間の社会がバーチャルだとしたら、バーチャルな世界に新しいバーチャルが登場したに過ぎないとも考えられます。

 

AIが自我を持ったら怖いと思うか、持たないのは寂しいと思うかは人によって違うでしょう。

 

ぼくは持ったら面白いだろうな派です。(^^)/