政治家の人格 | so what(だから何なんだ)

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・・・・・・・っということで、田久保真紀という前伊東市長が学歴詐称で不信任決議を受けた結果、再選挙となりましたね。

 

当選したのは13,500票を獲得した杉本という人物ですが、田久保に投票した人がまだ4131人(第3位=当選者の1/3)もいることに驚きました。

 

彼女の失職原因となった大学卒業という学歴詐称ですが、今の時代に学歴を理由に投票する人はいないでしょう。

 

しかも東大卒ならまだしも東◯大学ですからね。

 

彼女の政治家としての資質というより、「人格=信頼に値する人物か?」が問題になったからでしょう?

 

あの言い訳けはあまりにも酷いですからね。

 

さっさと記憶違いで卒業していませんでしたと言った方がまだ市長に残るチャンスがあったはず。

 

誰も彼女に投票しないのではないかと思ったのですが、まだ彼女に市長をして欲しいとする有権者が多数いるんですね。

 

どうやら太陽光発電反対派の票を獲得したらしいのです。

 

ぼくは政治家としての資質に「人間性=人格」を重視しすぎるのでしょうか?

 

選挙では人間性を投票前に見抜くのは至難の業です。

 

選挙の時は頭を下げていたのに、当選後は尊大な態度を取る人物が多すぎますからね。

 

またトランプを引き合いに出してしまいますが、彼を人格者だと思う人は誰もいないでしょう。

 

それでも多くの得票を獲得できるのは、

 

「あいつはクズかもしれないが、俺たちの敵を殴ってくれるクズだ」だからでしょう。

 

これは人格を捨てた政治であって、選挙に勝てればいいというのが今主流の考えなんでしょう。

 

これで良いのかなぁ?

 

政治家だろうが一般市民だろうが、ある決断を下すとき、「その決断が歴史という審判に耐えうるものであろうか?」と考えるのは普通だとの考えは甘いのでしょうか?