http://ameblo.jp/firewalking/entry-10557127123.html↑このコンビニ店員。
(この記事は2010年10月21日に書いたものの再アップです)
いつも僕の顔を見て挨拶もしてくれるようになっていたのだが、
最近みかけない。
やめたのか?
密かに気になっている。
で、思い出したのが、この店員の話を最初に書いた時、会員様から『あの店員の話ってスゴイと思うんでけど、それって内海さんが疲れませんか?』ということを聞かれたことだった。
接客マナーのなっていないムカつく店員にこっちから笑顔で言葉をかける。
まぁ、確かになんで僕がそんな気を遣わせなくてはいけないのか?
でも、そのコンビニを利用しないことは、どうしても自分に不都合だったのでこのストレスを自分が解決する方法をあれこれ考えていたわけです。
さて、冒頭の会員様からいただいた『それって、疲れませんか?』という質問の答えだが、それは人に気をつかうのだから、疲れることなのかも知れない。
でも、だからと言って、そのお店に行くのやめて、別なコンビニに敢えて行くようにしたり、毎回不機嫌な思いをしながら利用することの方がその店員に振り回されていると思うんです。
つまり僕は、そっちの方が疲れるんですね。
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人に振り回される生き方の『勘違い』
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フリードリッヒ・ニーチェによれば『愛せなくば、通り過ぎよ』とのことだが、確かに相容れない相手に対して、エネルギーや関心を奪われるのは、お互いが不幸になるのかも知れない。
だが、人間の感情はそう単純ではない。
嫌なことや、面白くないことがあると、それを態度に出し続けるような行動に出てしまう人は少なく無い。恥ずかしながら、20代半ばの僕は、そういう人間の典型だったのでよく分かる。
相手が、自分が期待したような言動をとらなかったことを根に持ちその相手に接する時だけ意識的に態度を変えて距離をおこうとする、なんとも自分勝手な人間でした。
相手は僕を不快にさせるつもりなどなかったので、態度の変化に気付き、こう尋ねてくる。
『どうかした?なんかあった?』
僕の答えは、沢尻エリカのように、とっつきにくい言葉を選ぶ。
『別に普通だけど』
敢えて語調は丁寧に、そして無表情に言うんですね。
今思うと、よくこんな無駄なことにエネルギーを費やしていられたなぁ、と、自分のアホさにがっかりしてしまう。
しかもそういう態度の変化というのは、もって数日間だ。自分の心が疲弊する。
一体なんのために、そんなことをしていたのだか。どれだけ、僕は周囲に気を使わせる人間だったことか・・・・
自分は、面白く無いことがあったという理由で、態度を変化させて距離をおいているつもりなのだが、結局それってその人に振り回されていることになっていると思うんです。
★感情的になり、小さな理由で自分自身を拘束していないか?
ということを考えられるようになっただけで、今の自分は昔に比べるとちょっとだけ自由な人間になれたかなぁ、という気はしているんです。
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本当にそれが自分の望んでいる行動なのか?
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感情的に、嫌な人を避ける、言うことを聞かない。それらをすることによって自分が望まない行動をとらされていないだろうか。
そんなことよりも、このストレスを少しでも和らげるには、どんなことをすれば良いのか?そう考えた方が、明らかに生き方の選択肢が増えますよね。
もし、あなたの周りに、こういう以前の僕のような人がいたらどうすれば良いか?態度がおかしい理由を本人に聞いたり、誰かに相談したり、態度を改めさせようとするよりも、
【自分が相手にとって欲しい行動や態度で相手に接し続ける】
ことの方が建設的な場合が多い気がする。
その結果、相手が態度を変えようが変えまいがは関係ない。相手に振り回されず、自分がどうあればいいのかだけに集中する。
気を遣うので、一時は疲れるかもしれないが、悪感情によって意に反した行動をとったり、他人の気に入らないところをグチグチと周囲に漏らしているよりは、よっぽど得な生き方なんではないだろうかと僕は思います。
自分の考え方を変えればそれで済む感情的な問題なら、
相手が悪い
あっちが間違っている
といったことをいつまでも考え、相手に対して態度を変えるなんて、そう長くは持たない。だったらそんなことに自分を支配させるのをやめて、もっと穏やかに生きるという選択肢もあるだろう。