Live with Max. -25ページ目

Live with Max.

世の中のあらゆることは、人間関係に行きつく。
そんな視点でいろんなことを考えながら書いています。

 数日前の仕事帰りに、スタッフとその日に施設見学にいらっしゃったお客様のことを話していた。見学後、一度帰ってしまったが、ふただびその日にご来館され入会して下さったとのこと。これは本当に嬉しいことだ。

 その話を聞きながら、僕も1週間ほど前に見学案内を担当した時に同じことがあったのを思い出した。日中に見学して一度お帰りなられたお客様が、20時頃、僕宛にお電話を下さった。『今日中に入会の手続きに行きたかったのですが、仕事の都合でどうしてもいけません。月曜日には確実にいけるんですが、内海さんはいますか?』とのこと。

 この時も、嬉しさと驚きでゾクッときた。なぜなら僕はこのお客様と通常の見学案内よりも、非常に短い時間しかお話できなかったから。
 

 このお客様が最初にご来館された時のこと。

 服装などから、あきらかに仕事中の合間に寄ってみたという雰囲気。もしかしたらあまり時間がないかな~と思ったが、初めてご来館されたお客様に『もし、お時間がございましたら~』などとは言ってはいけない。その一言でお客様との関係づくりが瞬時に崩壊することもある。

 お客様は僕の話をよく聞いて下さるが、僕の背後にあるフロントの掛け時計に一瞬視線が動いたのを感じた。それに気づいていながら無視するわけにはいかない。時間がないことを言い出したくても、そのタイミングがつかめない時もある。携帯や腕時計ではなく、壁掛け時計をチラ見した時などは、まさにそんな時かも知れない。

『いまお急ぎなんですね?』
『あ、まぁ、少し。』
『何分くらいまでにご案内が終われば間に合いますか?』
『30分くらいまでなら大丈夫です。』
『承知致しました。ではその時間内でお客様にあった内容を。』

 残された時間は12分。僕はその時間内で終わらせることを最優先にご案内を終わらせたので、十分なコミュニケーションはとれなかった。しかしお客様が指定した時間を守ることは、説明やコミュニケーション以上に、お客様にとっては大切な時もある。

 話は変わるが、僕がそれを実感したこんな出来事を思い出した。

 たしか2012年9月。iPhone5の予約受付開始日。アップル大好きの僕は、仕事の休憩時間中に、auショップへ向かった。受付開始時刻の30分前にショップには着いた。待ちの順番は5番目。
 時刻がきて、受付開始となるが、最初は1~4番目の人まで。『くそ~もう1つ順番が早ければ・・・』僕の焦りは具合は分刻みにアップしていく。なぜなら30分後には、職場で週次ミーティングの予定が入っているから。しかも、普段は出張が多く、ほとんど秋田にいない上司がよりによってその日はミーティングに参加することになっている。iPhoneの予約に行ってミーティングに遅刻など絶対に、絶対に、あってはならない!

 やばい!と思い、店員さんに手続き時間はどのくらいかかるのかを聞くと15~20分ほどだと言う。となると、ミーティングはギリギリ遅刻かも知れない。
 焦らずに考える。ここから職場までは信号に捕まったとしても5分。その逆算した時間までに終わらなければ、どうしても行かなくてはいけないことを相談してみよう。難しそうな顔をされたら、予約の手続きは諦めてすぐに帰る。これは僕のわがままだ。
 
 僕の予想に反し、店員さんの返事は『分かりました。何とか間に合うとは思いますので。』だった。ミーティング遅れたら、とんでもない事態だ。さすがにそこまで店員さんにプレッシャーをかけることはできないが、信じて待つことに。責任は全部自分にある。

 いよいよ僕の順番。席に案内してくれた店員さんが受付の店員さんに事情を説明してくれている。ありがとう!手続をしながら、あと何が残っているのかを説明したり、『もう3分あれば終わりますので』と言ってくれたりして、僕の気持ちに配慮して下さった。

 急ぎに急いで手続き完了!時間はショップを出るリミット1分前。あの時の『よっしゃーっ!』という気持ちは今でもはっきり覚えている(笑)

 猛ダッシュで職場へ戻り、着替えてミーティング場所へ着くと、開始時刻の1分前だった。思い切って店員さんに相談して良かったーーーー!自分の都合で急がせる嫌な客にはなりたくないので、諦める覚悟もしていたが、本当に感謝だった。

 その感謝の気持ちは、時間に間に合ったことよりも、手続き中の配慮に対して。手続きと同時進行で、僕みたいな客に、あとどんなことが必要なのかや、残り時間の目安などを伝えてくれる気遣いのおかげで全くストレスを感じることなく終えることができた。
 
 こういった対応は自分の仕事にも関係おおありだなぁと感じた。手続き1つでも、お客様のことを思って行動すれば、もっとお役に立つことがあったり、もっと気持ちよく感じていただけることがある。

 目の前のお客様には様々な背景がある。店側からすれば、毎日のように行っている『同じことの繰り返し』。でもお客様にとってはそうではないということ。それを忘れてはならない。忘れたら、自分がお客様の役に立てているという実感を得ることもできない。
 誰かから感謝の言葉をいただくことも嬉しいが、そういう言葉や良い評価を得られなくとも、自分自身が『あの人のお役に立つことができた』と思えるかどうかが大切だと僕は思う。自分ではなく、自分以外の人への関心が強くなるほど、自然とそうなってくるのではないでしょうか。




 僕が担当した見学のお客様からの電話で、そんなことを思い出した。そのお客様が実際はどんなところが決め手となり、ご連絡して下さったのかは分からない。でも僕の中では、『あぁ、あの時、ちゃんとお客様が指定した時間を守ってあげることができてよかったなぁ。』そんなふうに思えてくるのです。
 もう2年くらい前の出来事だったけど、いま改めてauショップの店員さんにも感謝の気持ちがわいてきたのでした。


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 『相手が変わるかどうかは関係ないといっても、ずっと変わらないでいてもらったらやっぱり困るんじゃないでしょうか?仕事上では。』

 前回のブログに再度Fさんからよせられたメッセージです。やっぱりこういうご意見をいただくだろうとは思っていましたが、「現実はそうはいかない」ということなんでしょうね。

 それ以外にも、「現実的には。。。」という言葉が入るメッセージを少しいただきました。これって多くの人が対人関係で何かしらの問題を抱えていて、その自分の体験からすると、僕が書いたようなことを受け入れることが難しいと感じてしまうってこなのかなぁと思いました。

 おそらくみなさん、リーダー的な立場の人達だと思います。でもですね、それでもなお、僕はそこに気をとられてはいけないと思うのです。



 こんな話をしていると、僕が20代の頃お世話になっていた会社のことを思い出す。仕事もそれなりに一生懸命しているつもりではあったが、態度がデカイというか、自分の考えや言っていることが正当なことだと思って上司や先輩に対しても、非常に失礼な態度をとってしまっていることがよくありました。
 さぞ扱いづらい社員だったことだろう。どれほど先輩や上司は僕に対して忍耐を使ったことだろうか。僕が自尊心の高い人間であったならば、上司も気をそれほど使わずズバッと指摘や注意をしたり、叱ったりしていたことだろう。今の僕にはそれがよく分かる。
 相手の話を聞き、それをしっかり受け止め、自分をより正そうとしていけるような人間ではなかった。確実に正反対だった。逆に相手の欠点やミスなどをあげつらって陰で責め立ててるような社員だったのです。

 でも、そんな僕が心を入れ替えるきっかけとなった大事件があった。僕が入社した時からずっと面倒をみてきて下さった上司が鬱病で退職するという出来事だ。
 原因は当時の社長が、あまりにもひどい言葉を容赦なく発するのに加えて、僕の上司はとても温厚な人柄だったこともあっただろう。長期間に渡って、そういう態度でかなり無茶苦茶な指示や要求をどんどんしてくる時期があった。人を人とも思わぬ言葉の連発。
 自宅療養が必要とのことで休養に入り、そのまま退職してしまった。僕は上司がどれほど辛い思いをしていたかを少しは側で感じ続けていたこともあり、それがショックでしょうがなかった。自分がいままでかけてきた迷惑、生意気な態度、言動を心の底から後悔した。
 僕がそんな社員じゃなかったら上司を救えたというわけではないが、決して『内海が部下で助かったよ』と思ってもらえるような部下ではなかったからだ。

 30歳を過ぎ、自分が周囲をまとめなくてはいけない立場を経験するようになってから、この出来事をなんども思い浮かべることもあった。『あ~自分がしてきたことが回り回ってやってきたんだなぁ。』
 当時は自分が変わろうなんて気持ち、これっぽちもなかった。自分を振り返ることはあっても、それでも変わろうなんて努力は考えたこともなかった。だから『相手を変えるな、自分が変われ。相手が変わるかどうかは関係ない、そこに気を取られてはいけない。』というような考え方が、ものの見事にストンと腹に落ちるんです。


 相手に向けた指先をグルリとまわして自分に向けてみるしかない。相手との信頼関係を築くことを決心するしかない。決心したからには、相手がその結果どうであろうとブレてはいけない。そういうことだと僕は思うのです。


そしてちょっと話はそれますが、いま、ふと思い出し、本を引っ張りだしてきました。
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社員はみな、自分は上司より頭がいいと思っている。
あなたの社員は、「過剰に働かせられ給料が少ない」と思っている。
あなたよりもはるかにあなたのビジネスに貢献していて、
あなたより頭がいいから、あなたの指示や基準や手順を
「無視したり避けたりしてもいい」とかんがえているのである。

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 ご存知の人も多いかもしれないが、マーケティング・コンサルタントとしても有名な、あのダン・ケネディ氏の著書『世界一シビアな社長力養成講座』からの引用です。

 もし、あなたが経営者であったり、リーダー的な立場であるなら、思わず笑ってしまった人もいるのではないでしょうか。僕は20代の頃、ピッタリとは言いませんが、まぁ結構当てはまるところがある社員でした。
 こんなことを思ったり考えている相手を変えようとしたら、どんなことが起こるだろうか。このような社員が問題なのではなくて、上司に対する不満というのは誰もが経験するものだということだ。

 もしかしたらそれは単なるジェラシーからくるものかも知れないし、もしかしたら倫理観の違いからくる不満かもしれない。上司に原因があるのではなく、上司を認めたくないという『目的がまずあって』、それに見合った理由を収集することに腐心しているだけなのかも知れない。人の短所を突くことなど、人間その気になれば実にたやすいことだ。

 『はぁ?冗談じゃないそんなの!』と思う人もいるだろうが、もしダン・ケネディの言葉に身に覚えがあるのならば、残念ながらそういうことも日常的に起こっている可能性もゼロとは言えない。

 だけど、もしその相手としっかりとした信頼関係を築くことができたならばどうだろうか。そうやって自分を正していけたならばどうだろうか。自分の欠点や間違い、至らない部分をサポートしてくれる『仲間』になってくれたらどうだろうか。

 そういう考え方があってもいいだろうと僕は思うのです。だから決心しなくてはいけないと。

『相手が変わるかどうかは関係ないといっても、ずっと変わらないでいてもらったらやっぱり困るんじゃないでしょうか?仕事上では。』

 冒頭でご紹介した、このメッセージ。本当に困るのは、自分と相手との人間関係が変わらないことなのかも知れない。いま改めてそんなことを深々と考えた。


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 先週のブログ【対人関係おける「信じる」の意味』に対して、Fさんよりこんなメッセージをいただきました。

『信じるという言葉の意味。確かにその通りかも知れないと思いました。「相手が変わるか、変わらないかは関係ない」というのも、そういう姿勢は必要かと思いますが、仕事上で全体が一丸となって何かをやり遂げなくてはいけないような時には強制的にでも変わってもらい、従ってもらわなければ困るという時もありますよね。でも、それはそれで弊害もでてくるのではないかと思ったりして、衝突を避けてしまう自分もいたり。こんなことで良いのかと、悶々として、結局いつも自分の気持ちがなぁなぁになっているような気がしています。内海さんはそういう時、ありますか?』

 Fさん、メッセージありがとうございました。

 僕も、以前はよくそんなことを考えたものでした。腹の中が煮えくり返っていても、グッとこらえてしまうような。それも必要ですが、仕事なんだからそんな遠慮みたいなことしているのもダメだろう、ズバッと言わなきゃ!というようなことですよね。

 人間関係が気まずくなる、強制的にやらせても成功しない、相手のモチベーションをさげてしまう、そんなことを考えてしまうのでしょう。でもですね、それって正直な気持ちで考えると、自分が嫌われたくないか、面倒なことを避けたいかのどっちかじゃないかなぁって気がするんですね。

 仕事においては、それではダメなんじゃないかとFさんも思っているからこそ悩むということですね。仕事というのは、共通の目標や課せられた課題・方針などがあるわけだから、それに対して無関心であったり、ふてくされたり、非協力的な態度・言動をすること自体が根本的に自尊心が足りないともいえる気がしますが、それで一蹴できる問題でないことも間違いない。

 どんなスタンスをとるにしろ、1つ気をつけなくてはいけないのは、どんなに自分が正しいと思っていても、それをもって相手を「非難」することは避けるべきだということです。

 最近ちょくちょくご紹介するアドラー心理学では、それこそが

★多くの人が陥る対人関係の罠

 だと考える。

 わたしは正しい、相手が間違っていると思った時点で議論の焦点は「主張の正しさ」から「対人関係のあり方」に移ってしまう。正しさを理由にそれを認めない相手を非難したり、屈服させようとしてしまう。
 相手がどんな意見や考えであれ、自分が正しいと思うなら、そこで完結すればいい、やればいい。やっぱり自分は間違っていたと思うなら素直に誤りを認めて謝罪すればいい。「対人関係のあり方の問題」への突入から降りる選択をする。
 これは衝突を避けるためではないことに注意したい。それは見当違いだ。自分を正し、自分を変えていくためにする選択だからです。

 だから、僕の考えとしてはFさんの言うように「強制的にでも従ってもらわなくてはいけない」というのはあまり考えない。「仕事なんだから」というのもそれほど強くは思わない。
 そういう相手に気をとられてはいけないけないと思うんですね。どうにかしようなんてことは。前回紹介した穂積さんの言葉を借りれば、「自分の成長が足りない」ということだから。相手との信頼関係が築けていない自分に指を向けることが先。
 
 反対の意見や考え、もしくは他の理由で行動してくれない相手に気をとられていはいけないといっても、それは相手を気にかけない、放っておくという意味ではありません。相手が変わろうとしてたり、手助けを必要としている時には、いつでも手を差し伸べる。
 相手が何をしてくれるかではなく、自分は相手のために何ができるか?という気持ちだけが必要。だけど相手を敵だとか、心のどこかで自分とは合わないとみなしてしまえば、できるはずのこともできなくなってしまうのではないでしょうか。それがさらに自分を苦しめ、対人関係の問題を大きくしてしまう。

 ちょっとキレイごとのように聞こえるかも知れませんね。でもですね、相手が変わるか変わらないかは関係ないというのは、「正しい選択」をするために必要なことだと僕は信じます。「対人関係のあり方」への問題へと突入するかしかないかが決定されるのは、決して相手の問題ではない、自分で決めることができる、極めてシンプルなこと。そう思うことができるならば、全てがガラッと変わる。それも驚くほど簡単に。誰にでもそれができると僕は思うのです。



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 先週、各所のニュースを斜め読みしてるときに、日本生産性本部などが実施したアンケートで、『人並みに働けば十分』と答えた今春新入社員は半数を超え、バブル崩壊後最高値というのが、目に止まった。

それをネタにした『ほどほど志向』というワードがかなり飛びかって、議論めいたことになっていたけど。別にそれで何かを判断しなくてもいいんじゃないかな。

そんな新入社員だってこれから変わっていく人もいるだろうし。 問題なのは新入社員がどうかじゃなくて、企業が、上司が、ビジョンを作る力があるかどうかだろう。

 あえて社員に目を向けるならば、『もっと、一生懸命、向上心をもって頑張りたい』と言いながら、仕事中に仕事に関係のないことに気をとられてる口だけの人間の方がよっぽど危ないんじゃやいだろうか(20代の頃の僕がまさにそれでした)。


 前回のブログでご紹介した本『最優へのあくなき挑戦』にでてきていた、北都銀行のお話。『ほけんの窓口グループ』は提携銀行へ、同社でも極めて秀でた人財を派遣して力を入れているという。

 そして北都銀行は提携銀行の中でも最も大きな成果をあげ、地域の人々から保険を通し支持をされる銀行となり、年間収益は3億円になったという話。その原動力となった人物が、同書に登場している穂積英昌さん。

 実は、僕のパーソナルトレーニングのお客様なんですね。まずは穂積さんの努力の結果からさっそくご紹介したい。




 実は穂積さんから『僕のカラダの変化をぜひ広告に使って下さい。』と、以前から何度もそんな話をされていたのですが、『僕のパーソナルトレーニングを広告にしてしまうことはできませんので、ブログでしたら。』ということで、掲載しました。

 それにしても、なぜ自分を広告にという話をしていたのか。自分が目立ちたいとか、そんなことは全く考えるような人ではない。肉体改造もまだまだ途中の段階だ。ただホントに純粋にマーケティングについて考えることが好きで、そうおっしゃっていたのだろう。

『ビフォーアフターの写真を載せて、こういう広告にして、内海さんがやるんだから料金は最低でも◯◯万円くらい。』とか、そんな話を真剣にされたこともあったくらいです。

 とても謙虚で、表情・口調も朗らか、いつもニコニコしてらっしゃるが、脳内はバリバリの『マーケーター』、目の付け所が明らかに普通の人とは違うところがトレーニング中にも随所にあらわれているのを僕は感じていた。


 さて、肉体改造に取り組んでからの穂積さんの悩ませたのは、仕事に関係した付合いでの飲み食いが多いこと。成果がでてきたと思へばもと通りを何度繰り返しただろうか。それでも諦めずに続けた結果、そういった付合いの頻度やお酒を飲む量、食べる内容などを自らの意思でコントロールするように変化していった。

 付合いでの飲み食いも仕事のような立場の人はたくさんいるだろう。それは分かる。だから僕も『飲む量や、一緒に食べるモノは気をつけて。』としか言わない。本気でカラダを変えたいと思うならば、その場をどのように過ごすかは、僕ではなく自分が選ぶしかないから。

 だから僕はどうすればいいかではなく『穂積さんが選べるんですよ』と、ただそれだけを繰り返し伝え続けた。

 同じ後悔を繰り返しながら、穂積さんは『自分が選ぶ』ことを徐々に意識しはじめる。今まではしょうがないと思っていたことを変えることに挑戦し続ける。そして見事に変わった。

 以前は『先週飲み会が3回あったんですよ~すみません』と言いながら申し訳なさそうに体組織計にのっていたが、ある時から『また飲み会がけっこうあったんですけど、おさえました。大丈夫だと思います。』と言うようになった。この変化、その言葉を聞いた時は僕も鳥肌が立ったものだ。

 穂積さんは禁煙にも完璧に成功した。たばこを吸わない人には分からないだろうが、ダイエットと禁煙を同時進行なんて、なかなかできることではない。僕は禁煙することはいっさい勧めていない、自分が禁煙できずに苦しかった時の経験を話しただけ。『そりゃ、禁煙できるにこしたことはないですよね』ぐらいは言ったが。

 でも内心は期待していた。そしてある日、ついにそれがきた。『禁煙はじめたんですよ』と穂積さんがいう。待ってましたとばかりに僕は、どうすればそれが継続できるかを伝えた。『吸うか吸わないかは自分が選べる。特別な1本なんて存在しない。』という意味の話を。

 トレーニングも最初は20kgのバーだけで行っていたベンチプレスやスクワットをはじめ、めきめきと力を伸ばしてきた。

 穂積さんの仕事は超多忙。運動の時間がまったくとれずにいた。その「忙しいからしょうがないと思っていた」ことも変わる。『どんなに忙しくても、トレーニングは続けないとダメですね。これがないと鬱になってしまうと思います。』とまで言う。

 トレーニングを通し、カラダだけではなく、自分が何を大切にすのかというライフスタイルまでも劇的に変化し、本人が一番驚いている。『今、自分がこんなふうになっているのが何だか信じられれないです。』そんな言葉を口にするようになった。
 
 毎回全力のトレーニングを続け、時には死に物狂いで頑張り、『こんな世界があるなんて思いませんでした』という穂積さん。『内海さんのおかげです。』とおっしゃってくれるのは嬉しいし、その気持ちもよく分かる。でも、僕はこう返した。『これは全部、穂積さんが選んだことです。穂積さんが変わる決断をしたからですよ。』

 僕とのトレーニングは1つのきっかけだったが、全ては穂積さんが決断したこと。ここまで色んなことが変わるなんて、僕は想像もつかなかったのだから。


 穂積さんは仕事でも大変身している。ほけんの窓口グループへ入社する前は、本当に売れない営業マンだったという。実はそういう営業マンをわざわざスカウトしてスタートしたのが、ほけんの窓口グループだった。
 お客様から『ありがとう』の言葉をいただくことによって自分が成長し、変わっていったという話が、本の中でも語られている。

 人は常に変われるのだ。今、これを書きながら改めてそう感じる。自分を変えることが難しいと思うならば、それは変わらないという決断を自分がしているだけのこと。
 
 自己啓発の源流とされるアドラー心理学の考え方を拝借すればこういうことだろう。

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単純に、一歩踏み出すことが怖い。また、現実的な努力をしたくない。いま享受している楽しみ(遊びや趣味の時間など)を犠牲にしてまで変わりたくない。変わる「勇気」を持ちあわせていない。多少の不満や不自由があったとしてもいまのままでいた方が楽。

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 では最後に、”「最優」へのあくなき挑戦” で紹介されている穂積さんの言葉をご紹介したい。これが穂積さんの言葉だと知らなかったとしても、間違いなく僕がもっとも心を揺さぶられた部分です。

北都銀行で大きな成果をだし、チームを牽引できた要因について語っている場面。


~以下引用
『勉強するのもトレーニングするのも、何をするのもお客様によろこんでもらうためです。仮に、やる気のなさがもろに出ているスタッフがいたとしますよね。それは私の成長の「伸び代」でもあります。真剣に向かって私が成長し、推進することでどんなスタッフも変われるのです。』
引用終わり~


『どんなスタッフでも変われる』

 これを言い切ることができるだろうか?例外なく変われると言い切れるのか・・・・?


 そう感じている限り、自分の周りの誰かが変わることはないだろう。


 その後に穂積さんは、こう続けている。

『スタッフが変わらなかったら、自分の成長や進化が足りていないということです。』

 この言葉は胸に刻んでおきたい。


『人は変われる』ということを信じるには、さきに自分が変わることを選ぶ勇気を持つこと。それが前提だという意味だろう。
 僭越ながら付け加えるならば、その結果、相手が変わろうが変わるまいかは関係ない。信じるとはそういうことだと僕は思う。変わるか変わらないかは、相手の課題だ。

 人は誰でも人を信じたいはず。だけど、相手が自分の都合のいいように考え行動してくれているから『信じている』と思っていないだろうか。それはただの交換条件だ。

 相手が変わることや、状況が変わることを期待したり待つのではなく、自らが最初の一歩を踏み出す。それが対人関係における『信じる』ということだと僕は思う。

 残念ながら穂積さんとはお仕事の都合で距離が離れることになったため、今回のブログに至りました。しかし今後もトレーニングを通して肉体と精神の教養を磨き続けていかれることを、僕は信じている。本に書かれていた穂積さんの言葉を読み返しながら、そんなことを考えていた。


 穂積さん、どうせならと思い、詳しく書かせていただくことをご承諾下さり、ありがとうございました。

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『ほけんの窓口グループ』という来店型保険ショップを展開する企業をご存知でしょうか。

 来店型保険ショップは、消費者が自ら足を運び、複数の保険商品の中から自分や家族にあったものをオーダーメードで選ぶことができる。
 保険って色んな商品があるから、どれが本当に自分に必要かを判断するのってとてつもなく難しいと思うんですね。それを僕らと一緒になって真剣に考えて、様々な保険会社の商品の中から一番適したものを提案してくれるのが、『ほけんの窓口』なんです。

 僕の周りでも、自分でネットで調べて申し込んだり、保険会社の外交員さんに相談して決めた保険内容を『ほけんの窓口』で見直してもらったら、保障内容や支払金額が驚くほどお得になったという人も少なくない。

 『ほけんの窓口グループ』は、保険流通の多角化のために地方銀行とのアライアンス事業を展開していることでも注目を浴びるなど、独自の戦略と理念により来店型保険ショップの圧倒的最大手の企業となっている。
 ググってみると、バンカシュアランスは2001年に日本では解禁されたらしいが、欧米では大きく認知されており、フランス、スペイン、イタリアなどでは生命保険の6~7割は銀行窓口販売によるものだという。

 秋田では北都銀行との提携により銀行窓口での保険契約を、地域の人々に普及させることで大きな貢献をしている。保険契約による年間収益は3億円で、銀行アライアンスパートーナーのなかでは最も大きな成果をあげているという。つまりそれだけ、多くの地域住民から支持されており、大きな安心と価値を提供し続けている証拠だといえよう。


 いったい何の話かと思われるかもしれませんが、実はこういう本を先日いただいて読んでみたので、思わずご紹介したくなりました。

「最優」へのあくなき挑戦(IN通信社)
著者:鶴蒔靖夫
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 さて、僕は別に保険に興味があってこの本を読み始めたわけではないのだが(その理由については、別の機会に)、読み進めていくうちに、保険よりも ほけんの窓口グループ株式会社会長兼社長の窪田泰彦氏の事業に対する哲学におおいに刺激を受けた。

 『人が人に対して100%生産活動を行う「人的装置産業」』
 『人を鍛える以外にない』

 という言葉。つまり顧客はどんな商品かよりも、自分が誰(どんな人物)から買っているのかが重要であるという視点。商品と消費者を結ぶ人間が、どれほど大きな影響を及ぼすのかということ。

 教育事業のために会社資源の多くを社員研修に投入し、新入社員は専用の研修施設でユニークで非常に厳しい研修を2ヶ月間受け、保険の知識と『最優』の精神を学ぶことに費やすという。最優とは自分や会社ではなく、お客様の物差しで全てを判断することを基軸とした窪田氏の経営哲学。

 こんあ言葉が紹介されている。

『人はあらゆる施策にかかわってきます。経営者は人にどれだけ予算と時間を使えるか。資本をどれだけ投下できるか。そこが問われているのです。』

 『私は、経営資源を最大限、人に注いでいくつもりです。この先も長く生き残っていこうと思ったら、人を鍛える以外にない。すべての企業は、①自分の強みをどう確立するか、②競争優位をなにでつくりあげるか、③他社との差別化を何で図るか、の三点をテーマにしています。
 われわれはそれを”人”で追求していきます。具体的にいうと、優秀な人財の確保と、教育・研修の充実の二点です。これができたら、競争の中でまけることはありません。そこが私のいちばんこだわるところです。』


 このような同社の教育について著者の鶴蒔靖夫氏はこう述べている。
 『社員一人ひとりを、しっかり魂のこもった人財に育てあげるために、現役のトップクラスの社員を研修所へ送り込み、目先の店舗の売上を度外視しても指導にあたらせる。常に一年後、二年後に照準をあわせた高度な教育戦略といえよう。』

 たしかに。さらにFCの新入社員や、銀行の保険担当者も、専用施設にて2ヶ月間の研修を受けることを義務化しているという。

 『FCのオーナーからすれば、1日も早く窓口に座って募集をはじめてほしいというのが本音ですが、私たちは研修期間と内容に関して一歩も譲りません。』窪田氏はそう断言している。

 経済性優先の考え方では、常にいっぱいいっぱいになってしまうことだってあるから、人財を育てるのことがどれほど重要であるかは、どんな経営者でも分かっていることだと思う。しかしそこに時間とお金を妥協なく費やすことは、そう簡単にできることではない。相当な覚悟がなければできないことだと思う。

 さて、同社の教育・研修体勢について本の内容を要約しながら書き上げたが、僕がこのことに刺激を受けた理由はその体勢の根底となっている考え方。『最優』というお客様の物差しで全てを判断するという精神にはじまる、社員のマインド設定を重視しているように感じる部分。

 『人間力』という言葉に置き換えることができるのではないだろうか。

 それはフィットネスクラブ業界にとっても大事なこと。そう共感した。充実した設備の施設、優れた知識と指導力をもつトレーナーが揃っていること、つまり良い商品とサービスがあるということは必要なこと。

 でもそこには、いつも礼が整っていて、公平な優しさを持ち、目の前のお客様と良い人間関係を築こうとするマインドを持ち、それを行動に表せる「人」が介在すること。それを通してこそ、お客様から真の評価をいただけるのではないだろうか。僕はそう思う。色々な視点があるとことは承知しているが、そう信じなくては、さみしいじゃないか。そんなことを考えながら読み返していた。

 ところで、僕がこの本を読んだきっかけは、北都銀行が紹介されているからというわけではない。保険業界や『ほけんの窓口グループ』について興味があったからでもない。別な理由があり読んでみたら、たまたまこんな刺激をいただける内容があったということです。

 また改めて、『別な理由』についても書いてみたいと思います(たぶん...)。
 

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 本当に望んでいること。たとえそれが実現しないと分かっていていも、手に入らないと分かっていても、頭から離れないこと。いつもどこかで感じつづけていることがあるとすれば。欲してなどいない。それでもなお、考え、願い続けていることがあるとすれば。それは本物だろう。

 だけど、人間どうしても楽な方へ流れたくなる。本物は手に入らないから、実現しないから、安易に選択できる偽物で満足しようとする。そして、こう自分に言い聞かせる。

『そりゃできることなら本物がいい。でもそれは絶対に手が届かないことだからしょうがない。』

 そうやって本物を見て見ぬふりをする。だが、実際はこうだ。都合よく自分を満足させられる偽物にすがり、その時々の欲と感情に流され、本物から目を背けている自分を賢明だと思わせたいだけだ。空虚だ。
 いったいいつまでその空虚の住人と化した自分を甘やかし続けるのか。ごまかしている間に、本物はいつのまにか遠く離れて見えなくなる。


 どんなに本物が自分の中に存在しようと、そこから目を背けた行動をしたら、それはただの建前に変わっていくような気がする。だとしたら僕は苦しい。本物は離れていく。

 欲してなどいない、求めてもいない。実現せずとも、それでもなお考え、願い続けていることが尊いのだと信じて貫き生きるのか。その時々の感情や欲のまま、より安易に手に入る満足を選択し生きるのか。
 価値観はひとそれぞれだし、素直に今の自分を受け入れるかどうかも自由だけど、僕は前者でありたい。そこに聞こえの良い理由やきれいごとはなく、たとえ満足や楽しみはなくとも、僕はただ自分が納得できる人生を送りたいだけだ。

 だからこそ本物から目をそらさない。大切なことを考え続ける人生を送りたいと思うのです。本物は離れていくよ。

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 先週、期限ギリギリで免許の更新をしてきた。講習会場に入り、開始まで時間があったのでiPhoneを取り出し電子書籍を読みはじめた。そして時間が近づいてきたので、何となく後ろを振り返り(前から3列目だったので)周囲の様子をみると、ほとんどの人が事前に配布されている講習の資料に目を通している。

 僕は悪いことをしていたわけではないが、実はけっこう気が小さいので、とっさにiPhoneをポケットにしまい、同じように資料を読み始めた。やべーみんな真面目だぁ、ケータイ見ているのなんて、若~い人たち数人だけだよ。

 そして時間がきて、講習スタート。その数分後に僕は、免許更新の講習ではじめてあることを感じた。

 講師の話は聞こえているものの、何となく耳に入っている程度で、別に『聴いている』というほどではなく、どっちかというと、ただその場にいるだけ、という状態。30分の講習だし、あっというまだなぁと思う程度。

 しかし、それにしても講師の参加者に向かって語る姿勢は素晴らしい。口調、言葉遣い、トーン、全体的な雰囲気、聴く気はなくても、真剣に聴いているような気持ちにさせられる。やっぱりさすが毎日やっているだけあるなぁ。。。そんなことを思いながら、ふと気づいた。

 ここに参加しているのは、決して話を聴きたいと思って集まっている人達ではなくて、聞かなきゃいけないからいる人達だ。そんな人達の前で、毎日、毎日、これだけ丁寧に話し続けるのって、なんかスゴイなぁ。

 聴く側の様子や雰囲気が、話し手に与える影響って決して小さくはないと思うから。そんなことを考えながら話しを聴いていた。

 そして講習が終わり、退室する受講者全員に挨拶を終えた講師のもとへ質問をしにいった。こうれは聞かずに帰れない、そんな思いで声をかけた。

 『今日はどうもありがとうございました。』
 『はい、どうもお疲れ様でした。』
 『年に何回くらい、こういう話をしてらっしゃるんですか?』
 『毎日ですよ、休み以外は。』
 『やっぱりそうなんですね~、1時間とか2時間の講習もありますよね?』
 『そうです、それらを3週間交代でやっているんですよ。』

 『でも毎日はスゴイですね。だって受講している人の雰囲気というか、講習を受けたい!って思って来ている人達ではないから、やりづらい時もありませんか?』

 『いやぁ、もうずっと私は長いことやっているんで。』

 そんなお話を少しだけさせてもらった。僕の最後の質問、否定はしなかったかなぁ。それが本音なんだろう。あいうふうに、いつもと同じように一生懸命話していても、やっぱり受講者の様子というのは気になるんだなぁ。きっと。でも、そんな雰囲気は一瞬も感じなかった。

 それでも、ああやって毎日、毎日、同じことを丁寧に伝え続けることを普通にできるんだぁ。スゴイなぁ、そう考えただけでなんだか勇気がもらえたような気がした。

 最近実は、『僕はどんなに嫌なことでも、いったんはじめたら続けることよりも、やめることのほうが苦手な人間だ』と、自分のことをそんな性格だと思っていたけど、いや、そうでもないかぁと感じる出来事があった。。。

 自分の在り方を、その範囲にとらわれず主体性を保ちたい。講師の堂々とした振る舞いと、お話を思い出しながら、いまあらためてそんなことを考えてみた。続けることも、やめることも、自主性ではなく、主体性をもって。



 5月はほとんどまともにブログもメルマガも書くことができなかった。理由はあるが、自分が書きたくないことを正当化するためにこしらえてたものじゃないのか。それを受け入れてみよう。いつでもやり直し、続けていこう。今は確実にそう思っている。



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明日で7周年を迎えます。1年が1年が、本当に長く感じるけど、7年間も経つんですねぇ。これからも1つ1つ積み重ねていきたい。

ということで、スタジオイベント。

久しぶりに西根コーチとのタッグのコンバット!
いつぶりかな?4年ぶりくらいかも。

レッスン前の会話

西『ムエタイで、最後の膝って左からでしたっけ?』

内『いや、右からじゃないですか?』

西『あれ、そうでしたっけ?最初は右の膝からではじまるじゃないですか…そして…』

内『えっ、イントラ側の左ってことですよね?』

西『そうそう、お客様の右から』

内『え、ちょっと待ってください、左のダウンワードやってからのだから…』

西『それはイントラの左?』

内『そうです、お客様は右で...』

朝一に事務所で、こんな感じのやりとりが少々あったような・・・やはりブランクか(笑)

そしてやってみたらめちゃくちゃ脚を使うキツ~い選曲だということに気づき、レッグコンディショニングではマジで床に座り込んでしまいました。


コンドーさんも、全コンドーを出しきりました。
『座ったまま寝ちゃうかも・・・』といって、しばし硬直状態(^_^;)

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明日は、夜にコンバット、日曜はパンプ。
少しイベントっぽく。の予定です(^―^)

皆様のご来館、お待ちしてます!










『他人と過去は変えられない、自分と未来は変えられる。』

 特に哲学や自己啓発の分野なんかではよく聞く言葉であり、真理でもある。しかし人間には感情ってものがあるのに、他人や過去を変えられれないものだと、本当に心の底からそう思うことはできるのだろうか。そんなことを思いながら考えた話。

 今日は「こんなわたし」の勇気と幸せについて。

 他人と過去は変えられない。これをその通りだと思うことはできても、それでいったいどうしろというのか?「こんなわたし」の人生に、なんの役に立つのだろう。

 人は過去の出来事や他人の影響を多大に受けて生きている。そう感じるのが普通じゃないだろうか。でも、人生が過去の出来事や他者によって影響を受けてしまうというのならば、「いまのわたし」は人生に対して何の手立ても打てないことになってしまう。変えられないのだから。
 でも自分を変えることはできる、それによって過去や他者の影響を排除し、未来を変えることもできる。そういう意味の言葉。

 たしかに、「いまのわたし」が過去や他者の影響によるものだと考えてしまっては、ずっと「いまのわたし」のままだ。変えることができないものが原因だというならば、前に進めない。自分が変わることによってのみ「いまのわたし」は前進することができる。

 そう頭では理解できても、現実には「いまのわたし」をそんなふうにコントロールすることとは簡単ではない。過去の出来事や原因、他者の存在、それらの影響を脱ぎ捨て、自分を変えれば未来も変わるなど、それは事実であっても現実的に思えないのではないだろうか。
 こんなことを書いている僕でさえ、「自分が変わる」ことを何度も掲げながら、結局は「変えられないもの」に気を取られ、悩み、不安になり、悲観し、未来に対し主体性を持って進むことなどできていなかったことは何度もある。
 過去の出来事や原因・他者の存在が「いまのわたし」に影響を与えているなど当たり前のことではないか?いったいどうやってこの矛盾を解けばよいのか。そんなことも考えたことがある。

 それらの影響がゼロだとは決して思わない。おそらく僕はこれからもそう思い続けるだろう。でも、影響はあるかもしれないが、それでも「いまのわたし」がそれによって決定されることはない。今では、少しですがそう思える機会はふえた。

 過去の出来事、他人の言動、それらは全てもうすでに起きたことであり、「客観的な事実」だ。それに対し、「いまのわたし」がそれらをどう受け止めるかは「主観」だ。その主観によって感情や自分の在り方といったものが決められてくる。主観であるから、過去によって決定されることなどない、変えることのできるものだ。

 たとえば、ある出来事によってとても辛い思いをしたとする。その時は、本当に酷い想いをして傷ついたとしよう。だが、後になってその出来事が、何か別なことへと繋がったりすることで、その出来事に対する意味付けが自分の中で変化する。これも主観の変化。よくあることではないだろうか。
 過去という客観的事実が、主観によってその意味が変化する。「いまのわたし」は、過去ではなくその「主観の中」に生きているという証拠だ。もし、過去が「いまのわたし」を決定してしまうのだというならば、こんなことも起こりえないということになってしまう。

 なるほど。たしかに主観は変化させることができるものであり、過去によって「いまのわたし」が決まるとは言い切れない。だが、問題は、どうやってその「主観」をそのようにコントロールするかというところ。

 理屈では納得できても、簡単にできることだとは思えない。だからこそ、「いまのわたし」を変えるためには、そう考え、行動する「勇気」が必要なんだ。

 「他人を変えることはできない」を例にあげて考えるならば、他人への期待は捨てること。自分の中で「望む」ことならばいいだろう。しかしそれを他人に対し「求める」、そうなることを「欲する」となると、これは「他人を変えようとする」ことになる。だが変えることはできないのだから苦しむ。

 わたしを認めてほしい。
 わたしを安心させてほしい。
 わたしを心配してほしい。
 わたしを大切にしてほしい。
 わたしを悪く思わないでほしい。

 それらを望んだとしても、他者に求める必要などない。他者が「こんなわたし」をどう思うかは、その人の主観。そう、主観は変化するものであると認めたならば、「こんなわたし」の事実がどうであれ、相手がどう感じるかも変えることはできないと認めよう。それは相手の「課題」だ。「わたし」のものではない。
 にも関わらずそれを背負うから、苦しくなる、他人が変わることを期待するがために、苦しくなる。そしてそこで立ち止まり他者や過去に対して卑屈な気持ちを抱けば、本当の優しさから差しのべられた手さえも払いのけてしまうかもしれない。
 そんな卑屈な状態で立ち止まっていいはずがない。誰かの手につかまってでもいい、前に進まなくてはいけない。さもなくば「こんなわたし」を利用する別な手を苦し紛れにつかみ、また同じ苦しみをあじわうことになるかも知れない。

 そこから抜け出すことは必ず、そして今すぐできる。変えることのできない過去や他人に対する唯一の手立ては、『いまをどう生きるか』、それしかないのだから。いくら過去や他者について悩もうが、もう答えはでている。

 だけど、そうと分かっていても、傷ついたり、悩んだりしたときに、頭の中でそう考えても気持ちがついていかない。感情や気持ちをそんなふうにコントロールするなんて、そんな機械みたいなことできるのだろうか。
 
 「変えられるもの」と「変えられない」ものにわけて考え、「変えられるもの」にエネルギーを使うことが大切だなんて、よくそんなことを見聞きするが、僕の考えはそれとは少し違う。

 「いまのわたし」が他者に期待したり、過去の出来事に苦しもうと、それでもいい。だけど、ずっとそのままではいていいはずはないのだから、そんな自分を認めつつも、『勇気』を持ってほしい。

 『他人や過去を変えることはできない、わたしが変わるしかないんだ。』と思う自分がいる一方で、『過去の出来事や他者』のことで悩む自分、両方がいてもいいから。。両方にエネルギーを使っていいから。
 そのかわり、たとえ弱々しくても『前に進まなくてはいけないと思うわたし』を忘れないでほしい。思った通りに自分を変えよう、前に進もうとすることは、気がひけたり、恥ずかしく思ったり、周囲の視線が気になったり、簡単ではないかもしれない、それは分かる。十分わかる。過去を振り返るな、などと言うつもりはない。

 しかし過去や他者がどうであれ、「いまのわたし」が幸せに生きようとするならば、やり直そうとするならば、過去や他人は何の影響も持たない。変わるのは『いまのわたし』でしかないのだから。ただそれだけを信じてほしい。

 それでもなお、そんなふうに考え行動したいと思いつつも、なかなかできない気持ちもわかる。ありのままの自分を回避したい気持ちもわかる。ただし『幸せになりたいと思うわたし』『そのためにやり直そうとするわたし』の存在がわかるのなら、頑張って勇気をだしてほしい。
 誰の協力も理解も期待しなくていい。前に進むというのは、今はこうだけど本当の自分はこうだとか言い聞かせたりして、自分を肯定することではなく、『自分を受け入れること』、ありのままを。そのうえで何ができるかを考えればいい。

 「こんなわたし」は、人間として何かが劣っているわけでも、意思や行動力が弱いわけでもないのです。どんなに恥ずかしくてもありのままの自分を受け入れ、過去や他人がどうであろうと自分が変わるしかないと認める勇気が足りていないだけ。相手が、自分が望んだように変わるのではなくて、「わたしがどうするか」ただそこだけにスポットライトをあてて。

 悲しいことや、傷つくことを避けようとするから、あるいは他者の視線を自分が思うよう変えたいと思うから、それが身動きできなくなる理由じゃないのか。
 
 辛いなら思い切り悲しめばいいし、感情を置き去りする必要はない。ありのままの「こんなわたし」を素直に受け入れ、過去の出来事にも、他人がどう感じるかにも踏み込まず、「わたしがどうするか」だけを考える勇気を。小さくてもいいから。

 その結果、どうなるかではなくて。「いまをどう生きるか」に光をあてよう。過去も未来も関係ない。

さぁ、「いま」の話をしようじゃないか。
その苦しみを手放し、穏やかな心で幸せに生きるために。
勇気をだそう。