2019年4月1日11時40分頃、新しい元号が【令和】に決定したと発表した。
新元号【令和】は、2019年5月1日0時から始まり、『平成』は2019年4月30日終了とともに幕を閉じる。
ところで、『平成』と言えば、小渕恵三氏を思い浮かべる人は多いと思う。
1989年(昭和64年)1月7日6時33分、昭和天皇が崩御。
同日14時36分頃、当時、官房長官だった小渕氏が記者会見で、
「新しい元号は『平成』であります。」
と発表した。
・Youtube
昭和64年1月7日・新元号平成
この時のイメージが強く、小渕氏は『平成おじさん』として広く知られる事に。
そんな小渕氏は、後に内閣総理大臣(第84代)となる。
ここでは、平成おじさんこと小渕恵三氏の総理大臣時代を称える。
●小渕総裁
1998年7月12日。「第18回参議院議員通常選挙」で、橋本龍太郎総裁(内閣総理大臣)率いる自民党は議席を大幅に減らしてしまった。敗因は、消費税5%、緊縮財政、デフレ、不景気、失業率の悪化。
この選挙結果を受け、橋本総理は、総裁と総理の辞任と、内閣総辞職を決めた。
1998年7月24日。自民党の総裁選挙が行われ、小渕氏(当時・外務大臣)が当選した。
(小渕恵三225、梶山静六102、小泉純一郎84)
但し、総裁任期は、橋本氏の本来の任期終了(1999年9月21日)まで。任期終了後、小渕総裁は再選している。
●小渕内閣が発足
1998年7月30日。内閣総理大臣指名選挙。
衆議院では小渕氏だったが、参議院では決選投票の末にカンチョクト(民主党代表)であった。
日本国憲法第67条「衆議院の優越」により、小渕氏が総理大臣に就任する事となり、小渕内閣が発足した。(橋本氏は、外交最高顧問に就任)
●小渕内閣当初の内閣支持率
小渕内閣は、発足当初、支持25%・不支持50%と、あまりにも酷かった。
そのため、政権基盤は安定せず、小沢一郎率いる自由党(当時)と連立を模索しなければならないほどであった。
●小渕総理大臣の在任期間
・第1次内閣…自民党の単独与党
1998年(平成10年)7月30日~1999年(平成11年)1月14日 (169日間)
・第1次改造内閣…自民党・自由党(当時)の連立政権
1999年(平成11年)1月14日~1999年(平成11年)10月5日 (265日間)
・第2次改造内閣…自民党・自由党(当時)・公明党の連立政権
1999年(平成11年)10月5日~2000年(平成12年)4月5日 (184日間)
計616日間。
●小渕内閣時の国会
・衆議院
143回国会(臨時会) 議案の一覧 ※1998年07月30日~1998年10月16日(79日)/金融国会
144回国会(臨時会) 議案の一覧 ※1998年11月27日~1998年12月14日(18日)
145回国会(常会) 議案の一覧 ※1999年01月19日~1999年08月13日(207日)
146回国会(臨時会) 議案の一覧 ※1999年10月29日~1999年12月15日(48日)
147回国会(常会) 議案の一覧 ※2000年01月20日~06月02日解散(135日)
※但し、147回国会の2000年4月5日以降は森喜朗内閣。
参考にしたサイト。起きた事柄を時系列順に淡々と挙げているだけだが、だからこそわかる事がある。
・笹山ゼミ経済年表
笹山ゼミ経済年表
●成立した主な法律案
ほんの一部をザックリ挙げていく。
(143-01)債権管理回収業に関する特別措置法(サービサー法)
1998年(平成10年)10月12日成立。1998年(平成10年)10月16日公布。
不良債権処理の促進等を目的としている。従来は、債権回収業務は弁護士にだけしか許されていなかったが、民間企業が債権回収サービスを提供することができるようになった。
・一般社団法人 全国サービサー協会
債権回収会社(サービサー)とは
(143-05)金融機能の再生のための緊急措置に関する法律(金融再生法)
1998年(平成10年)10月12日成立。1998年(平成10年)10月16日公布。
ペイオフ1000万円までの預金補償機構ができた。
<目的>
・金融機関の相次ぐ倒産から預貯金を守る
・金融倒産を防ぐ
・金融の機能の安定及びその再生を図る
・信用秩序の維持と預金者等の保護を確保する
但し、これは民主党案をほぼ丸のみしたものだった。その代わり、公的資金枠を関連法案に盛り込んだ。
(143-15)金融機能の早期健全化のための緊急措置に関する法律(金融早期健全化法)
1998年(平成10年)10月16日成立。1998年(平成10年)10月22日公布。
<目的>
・金融機関等の不良債権の処理を速やかに進める
・金融機能の早期健全化を図る
・金融システムの再構築
・経済の活性化に資することを目的とする
(143-11)国民の祝日に関する法律の改正
1998年(平成10年)10月14日成立。1998年(平成10年)10月21日公布。
2000年(平成12年)1月1日より「ハッピーマンデー制度」を施行・適用された。
・成人の日…01月15日→01月の第2月曜日へ
・体育の日…10月10日→10月の第2月曜日へ
(142-52)男女共同参画社会基本法
1999年(平成11年)5月21日成立。1999年(平成11年)6月23日公布。
男女が互いに人権を尊重しつつ、能力を十分に発揮できる男女共同参画社会の実現のために作られた。「ポジティブ・アクション」(女性の活躍や男女格差解消)を推進した。
(142-109)周辺事態に際して我が国の平和及び安全を確保するための措置に関する法律(周辺事態法)
1999年(平成11年)5月24日成立。1999年(平成11年)5月28日公布。
自衛隊が軍事行動を起こすのは、「自国の領域において脅威が発生した場合のみ」であったが、この法律により、「そのまま放置すれば我が国に対する直接の武力攻撃に至るおそれのある事態等我が国の平和及び安全に重要な影響を与える事態」(重要影響事態)となった時でも軍事行動をとる事が可能となった。
つまり、日本の領土外で活動する事が可能となり、日米安保条約が効果的に運用され、平和及び安全の確保に資する事となり、日本の安全保障が大きく前進した。
2016年の平和安全法制施行に伴う改正により「重要影響事態に際して我が国の平和及び安全を確保するための措置に関する法律」と改称した。
(143-10)労働者派遣事業の適正な運営の確保及び派遣労働者の保護等に関する法律
1999年(平成11年)6月30日成立。1999年(平成11年)7月7日公布。
1999年(平成11年)12月1日施行。
派遣業における適用対象業務が、一部の業種を除き、原則自由化された。
この業種には人材を派遣してもよい
(ポジティブリスト)
↓
この業種には人材を派遣してはいけない
(ネガティブリスト)
(145-27)国会法の一部改正
1999年(平成11年)7月26日成立。1999年(平成11年)8月4日公布。
2000年(平成12年)1月20日。
「衆議院憲法調査会」「参議院憲法調査会」がそれぞれ設置された。
2007年(平成19年)8月7日。
両議院に後継組織として「憲法審査会」が設置されたことに伴い廃止された。
(第1次安倍内閣)
(145-115)国旗及び国歌に関する法律(国旗国歌法)
1999年(平成11年)8月9日成立。1999年(平成11年)8月13日公布。
・第1条…国旗は、日章旗とする。
・第2条…国歌は、君が代とする。
・附則…
・施行期日の指定
・商船規則(明治3年太政官布告第57号)の廃止
・商船規則による旧形式の日章旗の経過措置
・別記…日章旗の具体的な形状、君が代の歌詞・楽曲。
(142-79)住民基本台帳法の一部改正(住基法)
1999年(平成11年)8月12日成立。1999年(平成11年)8月18日公布。
住民基本台帳ネットワークシステムに住民票コードが割り当てられた。国民総背番号制とも呼ばれた。
これが現在のマイナンバー制度に繋がってくる。マイナンバーカードは、有効活用すれば最強のカードになれる!
(142-93)犯罪捜査のための通信傍受に関する法律(通信傍受法)
1999年(平成11年)8月12日成立。1999年(平成11年)8月18日公布。
指定暴力団の凶悪犯罪の盗聴を可能にした。
以降は、出来る限り、時系列で小渕内閣を振り返る。
●冷めたピザ (Cold Pizza)
総理に就任して早々、『New York Times』で、「冷めたピザのように生気に欠ける」などと紹介されてしまう。
金融街の手先であるマスコミによる諜報が早速行われた形となった。
しかし、小渕総理本人は、外で待っている記者団に「温かいピザ」を配るなどしてネタを利用した事があった。
小渕総理もまた、トラブルをチャンスに変える人だった。
●日米GPS全体会合(全世界的衛星測位システムの利用に関する日米協議)
1998年9月22日、アメリカにて、日米首脳(小渕総理・クリントン大統領)により、GPS の利用における日米協力に関する共同声明「全世界的衛星測位システムの利用における日本国政府とアメリカ合衆国政府との間の協力に関する共同声明」が発表された。
これは実は、小渕総理が主導となるものであった。決してクリントンなどではない。
・外務省(2012.08.xx)
日米GPS全体会合(全世界的衛星測位システムの利用に関する日米協議)
しかし、世界の地理情報をアメリカ版GPSシステムで支配したい米国民主党・クリントン政権によって潰された。
時は経ち、2018年11月1日、日本版GPS体制の本格運用が始まった。但し、全世界対象ではない。アベがよくここまでやってくれた!小渕氏も大変喜んでおられるだろう。
・SciencePortal(2018.11.02)
日本版GPS体制の本格運用始まる 高精度位置情報の活用に期待
2018年12月27日には、中国版GPS「北斗」の運用が開始された。
・Bloomberg(2018.12.28)
中国版GPS「北斗」、全世界対象の運用開始-誤差約10メートル
●日中共同宣言
1998年11月25日~30日に、中国の江沢民国家主席が来日し、日中共同宣言を発表した。
江沢民の日本に対しての謝罪要求は跳ね除けた。相手は金融マフィアや、クリントン大統領率いる米国民主党と蜜月の江沢民。
小渕総理もまた、江沢民と戦った総理大臣だ。
・外務省
平和と発展のための友好協力パートナーシップの構築に関する日中共同宣言

●地域振興券
1999年4月1日から1999年9月30日まで日本国内で流通した商品券の一種。
1998年11月に公明党が強く主張していて、最終的に導入を受け入れた。
財源は全額を日本政府が補助(総額6194億円となった)。これも一種の財政出動と言えるだろう。
・日本全国の市区町村が発行
・一定の条件を満たした国民に贈与という形で公布
・1人当たり、額面1000円分×20枚(合計2万円分)
・交付開始日から6か月間有効
・発行元の市区町村内のみで使用可能
・釣り銭は無し
有効期限を設ける事で、個人消費の喚起を煽り、地域経済の活性化を促した。これは、貯蓄に回す事を防ぐためであった。最終的には全国平均で99.6%の使用率となった。
間接的に貯蓄される事にもなった(使用されずに済んだ現金が貯蓄に回された)が、それでも6194億円が実体経済に回った事になり、必ずしも失敗したとは言えないと思っている。
また、案の定「バラ撒き政策」と言われた。どんだけ経済無知が多いんだwww
●積極的な財政出動
日本がデフレに突入した事を受け、小渕政権は積極的な財政出動をしていく。
発行を決めた国債は1998年だけでも40兆円弱。そのうちの約4割が「公共事業」で占めた。
また、減税や金融対策などにも使われた。
ムダな公共事業を推進した総理と批判されたが、デフレによって冷え込んでいた景気を回復させていった。日経平均株価は2万円台にまで回復。
それに連動したかのように、支持率も回復し、ついには不支持を上回った。
デフレになって以降の政権で、経済政策において積極的な財政出動をメインにして行ったのは小渕内閣と麻生太郎内閣のみ。
●行政改革
中央省庁再編を積極的に推進し、1府12省庁に再編された。
それに伴い新設あるいは名称変更されたのは、
総務省、財務省、文部科学省、厚生労働省、経済産業省、国土交通省、環境省(建制順)
これらの名称の考案者は後藤田正晴氏であり、最終決定をしたのは小渕総理である。
・首相官邸(1999.04.15)
中央省庁等改革推進本部・顧問会議(第13回)議事録
2001年(平成13年)1月6日に施行。(森内閣になってから)
●ブッチホン
小渕総理自身が、一般人に直接電話をかける事をそう表現したようだ。
●真空総理
小渕総理のような政治手腕に対して、中曽根康弘元総理が文藝春秋誌にて「真空総理」と評したようだ。
●メジャーリーグで始球式
1999年5月1日、米大リーグ、カブス対パドレス戦(シカゴ・リグリー球場)で始球式をする。
捕手を務めたのは、カブスのサミー・ソーサ選手だった。
・外務省(1999.04.30)
小渕総理大臣演説 シカゴ日米協会連合20周年記念夕食会における小渕総理大臣スピーチ
●普天間基地移設問題
1999年12月28日。沖縄県名護市の辺野古沖移設(キャンプ・シュワブ)を閣議決定した。
1999.12.28(内閣府)
「普天間飛行場の移設に係る政府方針」について
2006年5月30日に廃止された。(第3次小泉改造内閣)
2006.05.30防衛省・(自衛隊)
在日米軍の兵力構成見直し等に関する政府の取組について
●二千円紙幣の発行
二千円紙幣は、1999年に小渕総理によって発案された……と、時の大蔵大臣・宮沢喜一氏が、1999年(平成11年)12月7日衆議院予算委員会で答弁した。
「西暦2000年」と、「第26回主要国首脳会議(沖縄サミット)」がキッカケであった。
表面の絵柄は、沖縄の守礼門。
裏面の絵柄は、「源氏物語絵巻」第38帖「鈴虫」の絵図と詞書、及び作者の紫式部の図柄、光源氏、冷泉院。
2000年7月19日に発行。現在、製造は中止されているものの、有効な日本銀行券であり、記念紙幣ではない。
テーマは沖縄。そこに、小渕総理の沖縄に対する想いが垣間見える。
●沖縄サミットの音楽
小渕総理はブッチホンで小室哲哉さんに直接電話をし、総合音楽プロデューサーとして沖縄サミットのイメージソングを作ってほしいと頼んだ。
その時に、小室プロデュースのアーティストで沖縄出身の安室奈美恵さんに歌ってほしいという要望もあった。
この経緯で「NEVER END」が制作され、完成した。
※しかし、小渕総理の死去を受けて曲調が変更された。
2000年7月12日にリリース。
●脳梗塞、そして死去
2000年4月1日19時53分、党首会談終了後に記者団の前に姿を現した小渕総理が、自由党との連立解消を表明したが、その際の記者の質問に10秒ほど無言状態だった後、ようやく言葉を発した場面があった。これは一過性脳虚血発作の症状と考えられた。
同日22時過ぎに小渕総理は体調不良を訴えて病院へ運ばれ、4月2日未明に緊急入院。
その後、昏睡状態となる。
4月5日、青木幹雄総理臨時代理が小渕内閣の総辞職を決定し、森喜朗内閣が発足した。
小渕氏は、2000年5月14日16時7分に脳梗塞のため死去。
結局、二千円紙幣を見ることもなく…沖縄サミットにも出ることもなく…。
2000年5月15日付で、「大勲位菊花大綬章」が与えられた。
●暗殺説が濃厚か
積極的な財政出動をした政権は、マスコミの扇動によって引き摺り下ろされるか、暗殺されるかのどちらかの運命を辿っている事が多い。
詳細は、以下のブログにて。
【敵は銀行】世の中はカネで動いている!
https://ameblo.jp/firebird-1090/entry-12473688317.html
●平成の終わり、そして令和へ
小渕官房長官のあの記者会見の翌日から始まった『平成』という時代。
後に総理大臣となった小渕恵三氏もまた、歴史に名を残す総理大臣だった。
小渕総理に沖縄サミットの音楽プロデュースを依頼された小室哲哉さん、そのイメージソングを歌い上げた安室奈美恵さんは、共に2018年(平成30年)に音楽業界から引退した。
2019年4月30日の終了をもって、『平成』が終わる。
そして、2019年5月1日0時より、新元号【令和】を迎える。
※おまけ※
「安倍」(あべ)じゃなかったwww