長元八年(1035年)九月ながつき二十一日,わたしが二十八の時。
なんとなく頼りないわたしの気持ちであっても,
いつも「天照大御神あまてるおんかみをお祈り申し上げなさい。」というお方がいらして,
わたしが「それはどこにいらっしゃいます神様ですか,仏様ですか。」などと,そのようには申したのですけれど,だんだんと分別がつくようになり,
また人にお伺いしますと,「それは神様でいらっしゃいますよ。伊勢国にいらっしゃいます。紀伊国の,紀の国造とおっしゃるお方がお祭りになっているのがこの御神様です。そしてまた,内裏の内侍所ないしどころの御神様として奉られていらっしゃるのですよ。」と言うのです。
わたしは,「伊勢国まで,この京都からそのような遠いところへのお参りは考えられないような所です。内侍所などとても身分違いでどうして参上して拝み奉ることができましょうか。御空に現れるお日様のお光りに向かい念じ申し上げるばかりですね。」
などと心許なく落ち着かなく思われるのです。
(「天照大御神念じ申すは」 口語要約文と段付け,「」タイトルはfiorimvsicali。)
「物はかなき心にも,
常に「天照御神を念じ申せ。」といふ人あり,
「いづこにおはします,神仏にかは。」など,さはいへどやうやう思ひわかれて,
人に問へば,「神におはします。伊勢におはします。紀伊の国に紀の国造と申すはこの御神なり。さては内侍所にすべら神となむおはします。」と言ふ。
「伊勢の国までは思ひかくべきにもあらざなり。内侍所にも,いかでかは参り拝み奉らむ。空の光を念じ申すべきにこそは。」
など浮きておぼゆ。」
更級日記,菅原孝標女すがわらのたかすえのむすめ 原作】