長久三年(1042年)五月さつき十三日とおかあまりみっか,わたしは三十四になっていました。


このようにして宮仕えを立ち始めてしまったので,そうして,宮仕えの生活にも慣れて,世間や家のことに気を奪われても,心がねじ曲がっているという評判が無い限りは,もしも続けていたら,ひょっとしたらわたしを一人前のようにお思いなさって,取り立てて下さったのでしょうね。

 

両親はわたしのことを全く理解しないで,やがてまもなくわたしを結婚させて家に閉じ込めてしまいました。

 

でも,そうかと言って宮仕えを続けていても,わたしの様子は急に光り輝くような勢いが付くなどあるようなはずも無くって,宮仕え憧れはとてもつまらなかったなと言う,そわそわとした落ち着かない心でいても,それでも続けていれば良いこともあったかも知れないなどと逆に後悔もして,いずれにしても思ってもみず予想外だった様子なのです。。

 

「一体何千回と田んぼの芹せりを摘むことを繰り返すと言う諺のように,甲斐の無いことをしたのでしょう,思っていたことの少しも叶わなかったことですね。」とだけ独り言をついてそれきりになってしまいました。。
 

(「田に芹摘みし心」 口語要約文と段付け,「」タイトルはfiorimvsicali。)

 

 

 



かう立ちいでぬとならば,さても,宮づかへのかたにも立ち慣れ,世に紛れたるも,ねぢけがましき覚えもなきほどは,おのづから人のやうにもおぼしもてなさせたまふやうもあらまし。

 

親たちもいと心得ず,ほどもなく籠(こ)めすゑつ。さりとてそのありさまの,たちまちにきらきらしき勢ひなどあんべいやうもなく,いと由なかりけるすずろ心にても,ことのほかにたがひぬるありさまなりかし。 


「いく千ちたび 水の田芹を 摘みしかば 思ひしことの つゆもかなはぬ」, 

とばかりひとりごたれてやみぬ。 

 

 

 


【更級日記,菅原孝標女すがわらのたかすえのむすめ 原作】

 

2021年02月01日(月)