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アツキココロ

広島県在住の経営コンサルタント・児玉学の熱血ブログ。

うだつのあがらぬ新・支社長のO。


拠点トップを兼務していた専務取締役がいるときには、仕事が出来ないから朝から当人が「けなされまくる」訳です。どうして彼のような人間が新潟で支社長まで昇進したのか分かりません。噂では「優秀な人間が皆退職し、どこにも行けない無能なヒトだったから残っていてお鉢が回ってきただけ」ということです。

(経営コンサルタント会社では、良くあることです。サラリーマンコンサルタントでいつまでもいる人間に、本当に優秀な人材はまず居ません。よほどオーナーが人徳者であるか、優秀なコンサルも活躍できる仕組みが出来た組織でない限り、いつまでも宮仕えする職種じゃないですから。独立もできない半端モンが残ってしまうわけです。)


まあ、その専務が全ての「けなしの社風」づくりの元凶だと言えますが、この専務はそれでも自己の業務遂行能力はずば抜けていましたから、まだ秩序は保たれていました。

しかし能力の無い人間が立場だけ与えられ、その立場を守ろうとすると秩序は一気に崩れ去ります。Oが一応立場上一番になる、その専務が居ないときや所内会議時には、奇妙なことが起こり始めました。「自己弁護」と「他者へ責任転嫁」の応酬です。


まずこのOが、専務に少しでもけなされないために「アリバイづくり」をします。

「私が専務に怒られたのは○○がこうしてくれなかったからじゃないか。」

すると責任転化された○○さんが反論します。

「いや、私ではなく(その更に後輩の)△△君が悪いんです。」

・・・不条理な責任転嫁を飽くことなく続ける会議。けなし合い。言い訳三昧。最後はいつも、人をけなすのが苦手でその不毛な論議に嫌気がさし「じゃあ私の責任ということで良いですよ」と言う愛すべきベテランのコンサルや、欠席している多忙コンサルのせいにして終了。


私は「いずれ真実は分かるだろう」と、責任を押し付けられた方々の弁護に回ることも無く常時冷めた立場に終始していましたが、けなしの風土は想像以上のパワーを生み出し、いつの間にか責任を押し付けられた方々の降格という人事になって表出してきました。そしてそこで頭角を現してきたのが「出来ない理由作り」の名人であるAという課長代理。これまたミニチュアのOみたいな存在でしたが、自分の出世のためにことごとく自分より上に居る人間への責任転嫁策をOに吹聴し、その策に乗ってOがけなし続けて人の良いベテランを追い込む。

Aより下の立場だった私らは直接実害をうけはしませんでしたが、そりゃ見ていて悲しいものでした。

更にそこに輪をかける事務職のお局連中。人の悪口が三度の飯より好きなのか、はたまた真実の露呈は自らの立場を弱めるからけなしの風潮に乗っておけば良いと考えたのか、とにかく「溺れた犬を叩く」が如くの告げ口オンパレード。


言い訳しない人のいい方たちが追い込まれ、責任転化や言い訳作りの能力の高い者がのさばる。そうなると、もう誰も組織のために頑張りません。頑張ったら誰だってやはり正当に評価されたい。誉められたい。人間のモチベーションと言うのはそういうものです。頑張ると失敗だってでてきます。でも失敗以上に頑張りを評価してもらえれば、やがて失敗も少なくなり成功の確率は高まります。

逆に少しの失敗をとことん追求されたら、もう怖くって失敗できないことになる。リスクはとれない。本来リターンを得るためにはリスクをとります。リターンの無いリスクは誰もとらない。


末期の社会主義国で同様の風土が蔓延しましたね。一部の特権階層が、自らの出世争のためにお互いの足の引っ張り合いをする。その他の一般市民は、頑張っても頑張らなくても評価が変わらないから何のリスクをとらない。ただ毎日を無為に過ごす。自らの夢を実現したい少数派は、国を捨て亡命する。

・・・私は亡命派でしたが、亡命の寸前までその衰退を目の当たりにしました。

Oは何らの功績を上げることも無く、ただ組織の風土を貶めて新潟に帰っていきました。そのあとは並み居る先輩連中をけなしと責任転嫁で落とし込んだ結果、消去法的にAが支社長の座に。

業績は正に急降下。組織はこうも堕落するのか?

「けなし」パワーのすごさを初めて勉強させていただきました。


自らのためだけに仕事を遂行し続けた私は、幸いにもベテランのカリスマコンサルのノウハウも伝授され、Aの支社長昇格とほぼときを同じにして無事亡命して行ったのでした。偉そうなことを言い始めたAに向かって突然辞表を叩きつけたときの、あのAの呆けた顔は、ちょっとだけ見ものでした(笑)。


(つづく)


新たに移った会社では、入社した正にその日の朝から早くも大いなる違和感に包まれました。


朝礼で、私が配属された支社のトップを勤める専務取締役とやらが延々としゃべり、その中で何やら失敗した社員の名前を挙げてけなし始めたんです。

「何なんだ?これは・・・?」

衆人環視の中で実名をあげてけなす。こういう光景に慣れていなかった私は戸惑いながらも、「人にも色々なタイプがいるから、このような形が叱咤激励になって良くなる、という人が対象の特別なパターンなのかな~」と何とか好意的にとらえようと考えました。


しかしそれは全くの幻想で、この会社ではこれは特別なことでも何でもなく「社風」だったんですね。人を「けなす」社風。現場のトップたる専務がそういう人だったもので、それが見事に事務所全体に根付いている。もちろん皆が皆そうではなかったんですが、どちらかというと「けなす」タイプの人たちが主流派を占めていて、上から下まで「人のあら探し」が横行していました。


当時支社長代理を務めていた有能な先輩が居ました。この方はなかなかの人物で、人前で誰かをけなしたりはしない。しかし、急速に出世したらしく周囲のベテランからねたまれていました。が、それを押しのけるだけの実績を挙げ続けることでワンマンなトップの信頼を得、私の入社当時はまだ社内に表立った批判は生じていませんでした。


ところが、とある人間関係上の公私混同疑惑がこの支社長代理に降りかかりました。真実は今でも分かりませんが、まあ「火のない所に煙は立たない」と言いますから、多少何かはあったんでしょう。でもはっきり言って「業務」に支障があるほどのことではない。私にはそう見えましたが、どっこいねたみのパワーが蓄積されていたベテラン連中は「ここぞ」とばかりにその支社長代理をけなし始めました。悪口の連鎖反応。あっという間に、真実とは別の「排除の空気」が事務所内に満ち溢れました。そしていきなり北海道への「異動」の辞令発令。

その支社長代理は、この「けなし」の社風に嫌気がさし、あっさり会社を辞めていきました。


聞けば、その前に支社長代理だったカリスマ的ベテラン社員も、何かの小さな失敗を理由に3段階降格の憂き目にあっていたそうです。

両者とも、失脚のきかっけ女子事務員の「告げ口」。噂に基づく「けなしの告げ口」。・・・何と悲しい社風でしょう?

事務所内でのさばるのは「何もチャレンジしようとしない保身派」。何か新たなことをすれば、当然失敗の確率も増します。でも小さな失敗でも起こせばけなされますから、できるだけ何も新たなことをしない。前例踏襲が第一。新たなチャレンジをする有能な方は、一時もてはやされますが一度の失敗で手のひらを返したように責め立てられる。


実はこの支社、それまで10年連続全社ナンバーワン業績を上げている優良拠点でした。これも後で聞いたのですが、かつては決して「けなし」の文化ではなかったそうです。でも全社ナンバーワンを維持するために、段々と手段が目的化してきた。そんなことだったようです。組織は風土から崩壊する。そう思った私は、自分自身の目的の達成までしばらく我慢してその崩壊過程をウォッチングすることにしました。

この後新たに着任してきたのは新潟の方でうだつが上がらなかった支社長。この男こそ正に「けなす」社風が生み出した鬼っこ。後にこの男の後を継ぐことになるもう一人の狸と共に、見事なまでの「駄目っぷり」を私に見せ付けてくれ、文字通りの「組織の凋落」を実現してくれました。


(つづく)

それまでの学生気分抜け切らない服を颯爽としたスーツに着替えた彼女は、嬉々として営業にまい進し始めました。


担当が、当時新たに発刊したアルバイト向け求人誌、というのも良かったんでしょう。自分と同年代のアルバイト志向者がどんなことを考えながら求人誌を読むのか?クライアントに的確なアドバイスをし、熱意とパワーで実績を上げ始めました。


この会社は、とにかく出来る人間を「誉める」。年齢、性差、勤務年数、一切関係ない。確かにまだまだ言葉遣いや提案の仕方に甘いところはありましたが、「好き」な仕事を「一生懸命」やってれば、それは間違いなく花開く。そしてそれに対する社内の賞賛。最初は小さな実績でも、会社はことさら誉める。彼女は見る見るうちにいっぱしの「売れる」営業ウーマンになっていきました。


あるとき彼女に話しを聞きました。「営業やり始めたとき、実は『思ったよりやはりきつい。自分にはやっぱり出来ないかもしれない。』と思ったときもありました。でもささいな、本当にささいな実績でも挙げればそれを評価してくれる。決して駄目なほうに焦点を当てず、良いほうに焦点を合わせてくれた。だからくじけずに乗っていけたんです。」


この会社の「出来る人間には多大なる賞賛の嵐を」という社風は、このような思いもかけない(スマン)スターを生み出すパワーの源泉でした。

実績を上げたら、昨日までコギャルだった娘でもヒロインになれる。たとえ東大卒の、弁の立つ人でもこの会社に評論家の居る余地は無い。実績の伴わない人はやがて誰も相手にしなくなる。


決して実績の上がらない人をけなしはしません。ただ存在感がなくなるんです。脚光を浴びた人は、益々その脚光を糧に更なる高みを目指す。それを全社挙げてバックアップする。そうすると、それについて来られない人たちに構っている暇がなくなるんですね。


「踊る阿呆に見る阿呆」という歌がありますが、まさしくそれ。「同じ阿呆なら踊らにゃ損損」って感じです。踊れない人にはどこまで行っても合わない社風だったんじゃないでしょうか?でも一度踊ってみれば、周囲からパワーをもらえる会社でした。何人も彼女のようなスター誕生を目の当たりしました。「え、まさかこんな人が」と思える入社者も、賞賛を受けて変わる。さなぎが蝶になるように変わる。


誉めるって、本当にすごいパワーを持っているんだな~と信念を新たにした頃、私は自分の夢を実現すべくこの会社を去り、新たな会社に移りました。


と、そこで私が見たまるで正反対の世界とは・・・。


(つづく)



懐かしい後輩から、メールをもらいました。

営業会社時代の7つ下の女性。


高校出たてで入社してきた彼女は当時まだ18歳。まだ学生気分が抜けきらぬ、言葉使いさえままならない「コギャル」。(当時そんな表現なかったですが、間違いなくそんな感じ。)

確かにノリの良い営業会社で、様々なバックボーンを持った人たちであふれかえる職場でしたが、それでもかなり異質な存在。「あたしな~」で始まる女子高生言葉連発で闊歩し、配属された総務部の上長はいつも苦虫をつぶしたような顔をしてました。


でも我々若手社員は、そんな無作法ながら天真爛漫な彼女を妹のように可愛がっていました。そんな彼女から意外な言葉を聞いたのは、確か入社後半年を迎えようとした頃。

「正直仕事に悩んでいます・・・。」

いつも元気な彼女が妙にしんみりと言います。

「総務部のお仕事は細かく、同じことの繰り返し作業。まじめにコツコツというタイプの人には向いてると思うけど、私には向いてない。先輩たちがやってる営業がうらやましい。でも営業職は高校出たての私にはさせてくれない・・・。このままだったら辞めることになるかも・・・。」


確かに彼女の性格と総務部の仕事は合わない。でも会社の顔として営業に出すのもまだまだ怖い。(だってまだ何しでかすか分からない存在で、内部のある程度理解ある人たちですら時々驚かされてましたから。)私は上長の意見も良く分かりました。でも、営業をやりたい、という気持ちは大事にして欲しい。合う・合わないってありますが、営業はやはりきつい。そのきつい営業を自ら「やりたい」と思う、その気持ちは大事にしてやりたい。そう思った私は、当時まだいちリーダー職でしたが彼女の直属上長や営業マネージャーに交渉し始めました。


紆余曲折ありましたが、最終的に出た結論は「最低限のマナーを身につけることができたら、試しに営業をやらせてみよう」でした。

そしてマナーに気を配り(ちょっとだけ)成長した彼女は晴れて営業部署に異動。あのときの彼女の嬉しそうな表情は今でも忘れません。「ああ、ひょっとしたら彼女は営業ウーマンとして成功するかも」。そのとき私は初めてそう思いました。正直「気持ち」は大事にしてあげたい、とは願っていましたが、「成功する」とはそのときまで思ってもいませんでした。(ゴメン。)でも、これだけ仕事に対して素直に喜べるなら、多少の辛さは乗り越えられるんじゃないか。苦難を乗り越えられるタフさを持ったら、結構「営業の神様」は救いの手を差し伸べてくれる。(我々営業マンは全てこの「営業の神様」の存在を信じていました。ちなみに今も。)そんな予感がしていました。


そして・・・。


(つづく)

カープの株式公開には、ふたつの意味があります。


本文で何度か触れましたが、カープの人気は今までもこれからも「強ければ人気が出る」という図式です。阪神のように「弱くても応援する」という奇特なファン(いや~今の常勝阪神を見てると、そんな時代があったことすら信じられませんが)も居るにはいますが、要するに阪神と比べてその絶対数がものすごく小さいわけです。これを勘違いしてはいけません。


カープの場合、「弱いけど応援する」というコアなファンだけを見ていては経営は成り立ちません。

「地方」「貧乏」「無名選手の集まり」ですから・・・。でも、これらの与条件は決してマイナスばかりじゃありません。「・・・なのに勝つ!」という最後の一言が加わりさえすれば、むしろプラスに影響します。日本人の心の琴線に触れる「判官びいき」や「浪花節」的なストーリーが描ける訳です。いやいや、この図式は日本人だけのものではないでしょう。小良く大を制す、という絵はダビデがゴリアテを倒す旧約聖書にもあるとおりです。

株主となったファンや投資家は、自らの利益向上のため「勝つチームづくり」を後押しすることになります。勝っても負けても「俺らがカープ」などといったマイノリティファンではなく、「負け続けたら見放す」というマジョリティファンを対象に、フロントは甘さを払拭せざるを得ません。今が甘いかどうかは賛否分かれますが、私からすれば「オークランドアスレチックスに出来ていることが出来ないカープフロントは、甘い」と断言できます。


株式公開もうひとつの意味は、「お金集め」です。そのためにも本文で少し触れた「チームの世界ブランド化」が重要です。

偏狭な地域ナショナリズムに乗っかったスポーツビジネスは、すぐにマーケットの壁にぶつかります。だってその地域の人口以上には発展しないのは明白ですから。

多くの成功しているスポーツビジネスは、皆「地域偏狭」の壁を乗り越えています。


巨人がなぜ全国ナンバーワンの人気を持っているか?日本一歴史のある球団だから?最もたくさん優勝しているから?スターがたくさん居たから?・・・もちろんそれもあるでしょう。でも一番大きいのは「全国に新聞・TVというメディアを通じて試合を発信し続けたから」。これはマーケティングの勝利なんですね。読売グループの日本プロ野球界に対する横槍にはうんざりしますが、では巨人以上に今までプロ野球全国に広めた組織があるか?と問われればいなかったんですね。だから発言権も強い。


資金面だけならば、過去も現在も読売グループ以上の力を持った企業がちゃんとプロ野球には参画しています。メディアだって、読売グループ以外にもいくつかありますよね?でも本気で新聞・TVの力を使い、全国津々浦々までその浸透を図らなかった。巨人は「巨人の星」なんていう人気アニメまで作り、一気に全国区のファンを作った。これは、巨人嫌いの私も認めざるを得ない「スポーツマーケティングのお手本」です。


でも時代は変わりました。TVチャンネルは田舎でもNHKや日本放送その他少数の東京キー局の数だけではない時代です。衛星放送・通信放送・地上波デジタル時代には今の百倍以上の放送が可能となります。当然コンテンツに関する考え方に激変が起きます。野球は巨人戦しか見られない、ではなくなるのです。巨人?セ・リーグ?日本プロ野球?違う違う。全く観点が違う。自分の子供が参加する草野球の試合から、メジャーリーグまでありとあらゆる試合を見ることが出来る時代なんです。

世界中の様々なスポーツがマーケティングの対象になります。野球のライバルはサッカーだけではありません。セパタクローだってテコンドーだってサポエラだって・・・アフリカの槍投げだって北極のアザラシ採りだって、マーケットが存在すればメディアに流される時代です。


これはチャンスです。日本という市場は残念ながら巨人に押さえられた。でも世界を対象にすれば、今からが本番です。このとき「ヒロシマ」ブランドがものを言う。世界中における日本の都市名の認知度を探ると、恐らく「ヒロシマ」は「トキオ(東京)」や「キョート」と並ぶ知名度でしょう。悪いけど「オーサカ」「ニャゴヤ」より高い。


で、株式公開です。日本の証券取引所だけではない。世界を相手に欧米でも上場です。野球を知らない国の人たちも巻き込みましょう。あの原爆でやられたヒロシマが、その復興の礎にした「ヤキュウチーム・ヒロシマカープ」。平和のシンボル「ヒロシマ・カープ」。収益が上がれば、その一部を世界平和に資するファンドにします。世界中で平和のために「野球」を活用しよう。その足がかりになるならば、カープは喜んで遠征に行きます。世界中の平和とスポーツを愛する人たちのシンボルチーム「ヒロシマ・カープ」。さあ皆で株主になって世界平和に貢献しましょう。


ちょっと話し飛びすぎましたが。まあそんなコンサプトを持ったヤキュウチームなんて、メジャーリーグにもいませんね。だからこそ、今からそこに向けて再生を行うべきなんです。小さいから、地方だから、今からだから・・・。だから出来る可能性もあるんです。

楽天やライブドアの球界参入問題や、村上ファンドによる阪神電鉄の株買占め問題等でクローズアップされた「プロ野球球団の株式公開」。私は全ての球団がそうすべきとは思いませんが、少なくとも広島カープは株式公開すべきだと考えます。どこかがやってからでは遅い。インディビジュアリティ(個性的)であることが重要な「地方」「中小・零細」企業が、オンリーワンになるためには、球団経営の枠組み自体を変える必要があります。


広島カープは親会社を持たないことから「市民球団」として認知されていますが、実際には広島の自動車メーカー・マツダ(旧東洋工業)の創業一族である松田家が株の過半数を握る一私企業に過ぎません。もともと市民球団として発足しましたが、経営難に陥ったときにマツダが資本参加し、以後今度はマツダ自体が経営難になってオーナー一族である松田家がマツダの経営から離れることになったあとも、引き続き松田家が株を持ち続ける「エセ」市民球団です。マツダも現在カープ球団の株式の一部を保有していますが、噂ではマツダから松田家が離れるときの条件に「カープ球団の経営には一切口出ししない」との密約があったとかなかったとか・・・。


以後それでもカープ全盛期を創ったのは、まぎれもないこの松田家主導の球団です。それは前オーナーの松田耕平氏の時代です。エセ市民球団ではありましたが、多くの市民を力づけ、全国にその名を知らしめた功績から、私はあえてそれも「間接的な市民球団」と肯定的に位置づけています。


私企業ですから、当然に利益を上げていかねばならない訳で、その意味でも「無名選手を集めて勝利する」→「ファンが増えていく」→「やがて無名選手が有名選手になる」→「陽の当たらない選手たちを緻密な軍団に育ててスターが誕生していく様子を眺めることができたファンは単に勝利する以上の満足感を持つ」→「貧しい球団を経営する者にとっても至福の喜びとなる」→「更なる独自性に磨きをかける」という正にオークランドアスレチックス同様の好循環が成り立ち、→「そして儲かる」という図式が成り立ったのです。


ちなみに、2006年3月に読売新聞が行った全国世論調査で今の日本プロ野球の好きなチームを聞いたアンケートでカープは、巨人・阪神・中日・ソフトバンクに次ぐ第5位にランクされたそうです。上位4チームが本拠地とする都市圏と広島都市圏との差や親会社の企業力を加味すると、カープはなんだかんだ言いながら全国的にも有数の人気度を持っているといっていいでしょう。知名度の高いキャスターの久米宏氏や筑紫哲也氏が揃ってカープファンだということから見ても、その片鱗は見えます。

さて、ではどうして一地方貧乏球団にこのような全国的なファンが広がったのでしょうか?


ずばり、それは「勝っていた」からです。強かったからです。勝てば勝つほど強くなればなるほど、「地方球団なのに」「貧乏なのに」「アマの有力な選手も入っていないのに」がプラスに働くわけです。

お金と知名度にモノを言わせて有力選手を根こそぎ獲得して強くなっても、必ずしもファンは喜びません。ましてやそれで負けた日にゃ、かえって失望する訳です。ファンの心理は微妙です。表に見える結果だけで判断しません。心の琴線に響くストーリーを求めているのです。その琴線に触れたのが70年代~80年代のカープなんです。


原爆の焼け野原から再生のシンボルとして市民が立ち上げた球団。その後も度重なる球団存亡の危機。万年最下位ながら、あきらめず応援を続ける熱いファンの存在。・・・そして苦節25年を経て遂に初優勝!!・・・・これが著名キャスターらリベラリストの胸を打ったのは間違いありません。(ですから私はことさらさように、「広島」「広島」という必要も無いと思ってます。むしろ、全国にファンを広げていくためには偏狭な地域ナショナリズムは邪魔だとする考えです。もちろん、本拠地やその生い立ちといった「アイデンティティ」は絶対に必要ですが。)


さて、少し前置きが長くなりましたが、今のカープ。弱い。弱すぎる。松田耕平オーナー亡き後を次いだ松田元オーナーを始めとする現フロントは、地方貧乏球団には厳しい与条件の中それなりに良くやっているとも言えます。でも企業経営は結果が全て。昨季の決算は黒字?いやいや、経費削減の中でやっと生み出した黒字で、今後の展望は決して明るくない。話しがややこしくなるので、日本プロ野球界全体の課題は置いておきますが、それでも日本球界の中での存在感を発揮し続けられないならば、地盤沈下は避けられないでしょう。昔のように、娯楽としてのスポーツは「野球」一辺倒ではない。カープ球団の経営上のライバルは、阪神でもなければ楽天でもない。サンフレッチェ(広島のJリーグチーム)だけでもない。端的言えば「海外旅行」や「携帯電話」「TVゲーム」がライバルなんですね。人が何にカネを遣うか?この選択肢の一つになっているわけです。


だから勝たねばならない。勝つことによって、その全てのバックボーンが生きてくるのです。しかし、今の経営陣を見ていると「ドラフト制度」「FA制度」の逆風の中、ただ生き残ることに焦点を変え、優勝は半分あきらめたかのような施策が目に付きます。もちろん、それなりに努力はしているでしょう。よくやっているほうかもしれません。それでも私は言いたい。


「カープ球団を全国、いや全世界に稀有な存在として認知させるためにも、真の市民球団化させるべく株式の公開に踏み切るべきだ」と。


その上で、ずっと記してきたような数字に基づくインディビジュアルな採用・育成を行って独自のチーム作りをすべきです。


ITコーディネータ仲間で、データマイニングのプロである大学教授がいます。

彼にお願いして

①過去の打者の「選球眼の良さ・足の速さ」と勝利との相関関係

②過去の投手の「コントロールの良さ」と勝利との相関関係

③捕手と抑え投手の成績と勝利との相関関係

などを調べてもらう話しをしています。

更にその結果を持って、

④過去の全データ(1球・1球まで)に基づく、試合への対処法

を構築し、カープ球団にプレゼンテーションをしたい。そう思っています。


そこを突破口に「データ重視」→「GM導入」に結びつけ、近い将来の「株式公開」→「球団の世界ブランド化」につなげていく。これが私のカープ再生論です。

決して夢物語ではありません。中小企業の再生術をカープに当てはめて考えたら、ごく当たり前のストーリーなんです。

カープ再生の総まとめです。


(1)逆指名の無い高校生中心のスカウト手法は継続。(逆指名制度は現在の日本プロ野球界全体の課題であり、少なくともその枠組みの中で一地方球団として出来る最大の施策はこれでしょう。今の優れた仕組みは残すべき。)


(2)その中で、注視すべき能力は打者では「足の速さ」と「選球眼」。もちろん、中軸を打つ打者の獲得も同時に必要ですが、これはあくまでその延長線上に置くべきです。すなわち「足も速い中・長距離打者」とか「選球眼の優れた長距離砲候補」など、です。


(3)守備力には目を瞑る。守備は打撃で凌駕できる、と割り切ることが大切です。又野球の技術の中で、唯一後天的な練習で飛躍できるものが「守備」だとも言われています。(かのミスター長島も、打撃の非凡さとは裏腹に下手くそだった守備について、大学時代の恩師から徹底的に鍛えられて上手くなったそうです。あ、長島じゃ何の参考にもならないか?)


(4)投手で注視すべき能力は「コントロールの良さ」。高校生クラスでこれが見極められるか、と言われそうですが、そのセンスを持った選手なら見極め可能でしょう。やはり「球の速さが大事」だとか、「少々の荒れ球気味のほうが打者の的が絞りにくくて良い」とか、そんな考えを持った人は駄目です。あえて言うなら「頭の良い(勉学が出来る、と言う意味ではない)」投手、でしょうか?打者との駆け引きを楽しむタイプです。


(5)外国人もその基準に合わせる。これも現状悪くないと思います。特に打者は選球眼の良い外国人を上手く採っています。今は他球団で活躍するシーツ(阪神)やラロッカ(ヤクルト)を見て、「カープが手放した助っ人が意地を見せて活躍」などと言われますが、いいじゃないですか。スカウトの正しさが証明されただけです。又別のより良い助っ人を探し出せば良いのです。


(6)そして、最も重要なことが、オークランドアスレチックスのビリービーンのような「数字が読めて信念を貫くGM」の採用。これがポイントです。




投手力の強化は、マネーボールには書かれていません。

オークランドアスレチックスでは、あくまで攻撃中心主義が貫かれているようです。


私もほぼ同意見なんですが、それでも投手力がまったく無くて近代野球が勝てるとは思えませんから、少しでも策を講じなければなりません。


黒田投手のような、剛速球が投げられるのは限られた天才だけ。かつて投手王国だったこともあるカープはなぜかそのときの夢を追いかける傾向がありますが、あれは本当に稀な例。北別府・大野・川口なんていう天才級が同時期に3人も揃ったのは単なる奇跡です。通常は一人、良い球団でもせいぜい二人の軸投手がいて、後は中量級の投手陣が固める。これが普通だと考えるべきです。


ではチームを強くする法則は?

中量級投手に如何に勝たせるか、です。

そのヒントは今期の佐々岡投手のピッチングにあります。


打撃陣に「選球眼」の重要性を強調した裏返しで、投手陣では「コントロール」が最も大事な要素なんです。コントロールさえ良ければ、球の遅さはカバーできる。もうひとつは「駆け引き」。これは捕手の力が8~9割です。捕手は一人の天才で全ての投手の面倒が見れますから、こちらのほうが早い。

従って、まずは「天才捕手」1名の獲得に全力を挙げるのが第一です。佐々岡は自分で駆け引きも出来、今期はコントロールも良いからきっちり結果を出しています。でも一人で駆け引きにまで気を入れすぎてると、どうしてもコントロールが甘くなる。だから早く天才捕手を作り出さねばなりません。


天才捕手、というのは要するに「ずる賢い奴」です。人の裏をかくのが大好きな奴。まじめなタイプは駄目。打者の心理を読みきり、駆け引きに勝つことに最大の喜びが感じられるタイプ。肩もそんなに強く無くていい。とにかくここは「才能」重視です。それしかコントロールの良い中級以下の投手で勝つ術はありません。


あとは球の遅さはには目をつぶり、コントロールの良い若手をスカウトしてくれば、中量級投手もそこそこ勝ちます。下手に球の速い投手に「ピッチングは才能だ」などと高い評価を与えると、ろくなことになりません。


そして極めつけ。

抑えの切り札。

初優勝時の金城。全盛期の江夏。そして津田。大野。ここはやはり天才に頼るしかありません。


例えていうなら、古田を入れて黒田を抑えに回せば、今のカープでもそこそこ何とかなるんじゃないかと思ってますけど。私は。


投手力の話しに移る前に、何人かの方から「どうすれば選球眼が良い選手を獲得できるのか」「選球眼というのは練習で上達するものなのか」というご質問をいただいたので、私なりの考えを一言。


「マネー・ボール」によれば、「大学時代に選球眼がいい選手は、たいていプロに入っても選球眼がいい。ボール球に手を出す選手をプロ入り後に矯正できるかというと、どうも、選球眼は生まれつきの問題なのかも知れない。」。として選球眼のよさは先天的な才としているくだりがあります。

従って、まずはその先天的な才を見出すスカウティング能力が求められます。その分かりやすい指標が「四球の数」や「一打席あたりの投球数」です。しかし、先天性だけではやはり同じような見方をするライバルに遅れをとる可能性は否定できません。


そこで、後天的に鍛える方法も考えないといけません。

私的に突っ込んだ分析をすれば、球の見極め力は大きく「視力」と「反応力」に分類されると思います。

眼の良さは単純な「遠くのものが良く見える視力の良さ」ではなく、動くものをすばやく見極める「動体視力の良さ」です。

「視力の良し悪し」は天賦の才が100%ですが、「動体視力の良し悪し」は、多少なりとも後天的に鍛えられると聴いたことがあります。人間の対応力は素晴らしいもので、動きの早いものを見極める仕事についた人は先天性に関係なく動体視力が向上するそうです。

更にその視力に応じた反応力が重要です。いくら眼では分かっても、それに体がうまく反応できなければスポーツ選手としては意味を成しません。その鍵を握るのは「瞬間的な動きを司る筋肉をいかに鍛えるか」です。筋肉は総合的に体を動かす働きをすると言う点ではまったく同じですが、「瞬発力」に対応する筋肉と「持久力」に対応する筋肉とではまったく性質が違うそうです。瞬間的に対応する筋肉は「柔らかさ」が重要だそうで、柔らかな筋肉を造ることは後天的にも可能です。

この動体視力と柔らかな筋力の向上を取り入れたトレーニングの強化で、後天的に球の見極め力をアップさせることは十分可能と考えています。


更に言えば、選球眼の良さは「性格」にも拠ります。四球を嫌がる、何が何でも打ちたい、という性格の打者も多いことでしょう。そういった人たちは、例え動体視力がよく瞬間対応筋力が優れていても早打ちに走る。四球で出塁するよりたとえ凡打になっても「打って終わるのが打者の役目」という考えです。その考えは良く分かります。私も野球小僧だった頃、8人待ってやっと回ってきた打ち気満々の打席が「フォアボールで終わる」なんてとにかく嫌で、スリーボールになったら悪球でも何でも振り回したもんです。

しかし、プロがそんな「自己満足」や「好き嫌い」で動いたのではいけません。ここは「マネジメント」の力で選球眼の良さ、四球で出塁することの良さを評価して、組織力にまで高めないといけません。

オークランドアスレチックスでは同じ打率なら「早打ち」する打者は評価が低く、「相手投手に投げさせた球数の多寡」も重視して、最終的には「四球を含めた出塁率」が最大の評価指標になっています。せっかちな性格の打者も打ちたい盛りの打者も、チームの勝利を優先させています。


中小企業を強化するイロハ。

「埋もれた才能を見極め採用・抜擢する」

「明確な方針を打ち出す」

「その目標に合致した才能を身につけさせる独自の教育を行う」

「マネジメントを軸とした組織運営を行う」

・・・やはり同じですね。


昨日の広島対横浜の試合をちらっと見ましたら、9回裏にちょうど梵が代打で出てきて、地面に叩きつけるバッティングで内野安打を放ちました。あれですよ、あれ。結果できた1死満塁のチャンスを、後続の凡退でモノにできず結局セオリーどおりその次の延長10回で逆に点を取られ負けましたが。(チャンスが潰えた時点でほぼ予測できた。)


昨日代打で出てきた時点の梵は、打率1割を切ってました。でもあのバッティングに徹するなら、そしてスイッチへの挑戦をするなら・・・私は彼を使い続けるべきだと思います。


サッカーのワールドカップ代表なら「今最も調子の良い選手を使う」というのが正解ですが、それはトップ中のトップチームのこと。地方・零細企業のカープは、「少ない経営資源をいかに生かすか」を考えながら、他とは違う形を創り出さねばなりません。

かつてカープの黄金期を作った古葉監督も、高橋慶彦を見出し「お前が一人前になるのが先か、俺が首になるのが先か」という覚悟で彼をスイッチヒッターに仕立て上げ辛抱強く使い続けました。戦略に基づいて「育てながら」戦うのは必要不可欠なんです。


ほかには怪我で戦列を離れている尾形佳紀。彼の復帰で理想の1,2番が組めるんですが。ちなみに記録を見ていてびっくりしたんですが、昨年のカープの個人盗塁数は5月末に戦線離脱した尾形の9個が最高だそうで・・・。1年間フルに稼動した選手が如何に走っていないか、よく分かります。


足が速く選球眼のいい粘っこい選手の1,2番(できればスイッチヒッター)。

クリーンアップは嶋・新井・栗原と当面心配しなくても良い選手が育って、今から4~5年はピークを迎えそうです。但し、あくまで選球眼重視。四球も評価すべきで、振り回すだけのバッティングはご法度です。

6~7番にベテラン組。このあたりに置くと脅威になります。ただ、緒方あたりにはもう少し走って欲しい。走らなければ若手と併用で。若手は技術でかなわないところを、「スピード」と「粘っこい出塁率」で勝負しなければいけません。ベテランの活用はやはり経営資源に乏しい弱小球団では大事なことです。ただ「プライド」だけ突出することの無いようバランスをとりながら。


守備には目を瞑りましょう。これもデータ分析してみないと確たることは言えませんが、「守備力で勝った」といえる試合がいったいどれくらいあるんでしょう?オークランド・アスレチックスのデータ分析では「ひとつの出塁で複数のエラーをカバーできる」としています。


そうすると、東出あたりも俄然使えますね。いいじゃないですか。1個エラーしたら2回出塁すれば。

何もかも得ようとすれば、何も得られないのが常ですから。

強みをより強化する。そういう意味では東出はもっとのびのびとエラーしないといけません。今までの東出はベンチやファンの目を気にしすぎ。はたまたベテラン投手に気を使いすぎのか?。守備の萎縮がそのままバッティングに影響して、昨年まではひどかったですね。今年は今のところ守備もいいようですが。「出塁率にすべて神経を集中」させれば、彼はやはりカープ野球の体現者になれます。そう言えば一時スイッチヒッターにも挑戦していたはずですが・・・。あきらめちゃったんですかね?惜しいな~。高橋慶彦、山崎隆造、正田耕三、皆ものすごい練習量でモノにしたんですがね。地方貧乏球団でも、練習量に制約はないはずで。最近「練習のし過ぎは良くない」とか「考えたトレーニングで」とが盛んで、ともすれば「量」の軽視が見られますが、本当のトップ選手は量を確実にこなしています。


ところでオークランド・アスレチックスでは「盗塁」の価値を認めていません。出塁率にはとことんこだわりますが、盗塁はリスクが3割もあって勝利に対する貢献度は低いのだとか。だから盗塁は原則サインを出さない。単独のスチールは認めているそうですが、失敗したときにはこっぴどい罰が待ってるとか。


でもカープは、初優勝したときの最初のルーツ監督が「失敗しても構わないから常に次の塁を狙え」と鼓舞して以来の「走る野球」が身上です。特徴(インディビジュアリティ)が無ければ、零細企業は生き残れません。「投手力のカープ」と言われた時期もありますが、あれはやはり「素養を持った天才投手」がたまたま同時期にピークを迎えた結果であって、本来は「戦略」と「戦術」でかなえられるチームカラーが大事です。投手力で勝つ、というのは戦略でどうこうできる野球ではないのだと覚悟する必要があります。


と言いながら、では次はその投手陣について再生論を。


(つづく)