アツキココロ -6ページ目

アツキココロ

広島県在住の経営コンサルタント・児玉学の熱血ブログ。

打撃陣で最も重視すべきデータは「出塁率」。


貧乏球団が、イチローや松井稼頭央のようなスターを獲得できるわけがないですから、自前で育てるしかありません。

ポイントは「足の速さ」と「選球眼」。

そして「ゴロの多い打者」。フライを打ち上げてばかりでは、足の速さが生かせません。ゴロなら何かが起こる可能性があります。

今のカープはゴロを打って内野安打を、という泥臭いバッティングをする選手が少ないですね。皆がみな、クリーンアップのつもりでしょうか?大振りが目立ちます。しかも選球眼があまり良くない。四球が少ないですね。四球の数とチーム成績の連動を見る必要があります。四球の数と足の速さに特徴があり、ゴロを打つのが得意な選手が居たら、たとえ打率があまり良くなくとも辛抱強く使ってみるべきです。今のカープで言うなら、梵ですね。彼がスイッチヒッターに挑戦したら更に面白い存在になるんですが・・・。


オークランドアスレチックスの打撃の鉄則は「打者はすべて、1番バッターの気構えで打席に入り、出塁を最大の目標とせよ」です。これはそのままカープに当てはめて良いのではないでしょうか?

今のカープは緒方が1番。前田が2番。どちらもクリーンアップを打つタイプの打者です。あきらかに間違っています。

緒方も前田も昔は足が速く、カープ選手の特徴を体現していましたが、今は怪我の影響でかつてのスピードが無い。私も個人的には彼らが好きですが、カープの野球には向かない。少なくとも1、2番を任せるのは間違っています。

先頭打者ホームランより、粘っこく塁に出てかき回すタイプの方が、本当は投手は嫌なもんです。


(つづく)

さて、そこでカープです。


アスレチックスと同じである必要はありませんが、データを上手く活用していく、というのは地方貧乏球団では大事なことです。今から申し上げることはあくまで私個人の「仮説」です。データの分析は、後にITC仲間のデータマイニングのプロにお任せするつもりです。データ分析の結果によっては、戦略の修正は必要です。


打撃陣では「出塁率」。かつて、カープの黄金期には高橋慶彦・山崎隆造といったダブル・スイッチヒッターがいました。彼らの出塁率と勝率は恐らく密接な結びつきがあると思います。

高橋義彦はショートを守っていました。決して守備は上手ではなかったと記憶していますが、そんな守備力に目を瞑っても余りある存在感でチームを牽引していましたね。彼はもともと右打者。それをプロに入ってから俊足を生かすために左打席も猛特訓。今記録を見ると、レギュラーに定着した1978年から3年連続3割。83年84年にも3割を打っています。その間、カープの戦績は1979年~1980年に2年連続日本一、1984年も日本一。86年、91年もリーグ優勝。

山崎隆造も同じくプロ入りしてからスイッチヒッターに転向してます。1979年にレギュラー定着。1983年から3年連続3割。91年にも復活の3割。

驚くほど彼らの成績とチームの戦績が一致しています。

彼らは2人とも足が速く、内野安打も多かった。この二人の出塁率と戦績は連動しているでしょう。


高橋慶彦はドラフト3位。投手として甲子園出場もしてますが、他チームからはあまり注目されていませんでした。しかし、カープは独自の視点で最初から「野手」としてその俊足を生かした育成を考え獲得。山崎隆造も、甲子園の優勝チームの主将ながら、他チームから「あれがドラフト1位か」と陰口を叩かれるような気の弱いプロ向きでないタイプ。しかし、入団早々から高橋とのダブルスイッチヒッター構想に応じ、見事に開花しています。


俊足巧打の代名詞だった高橋慶彦が、やがてそのプレースタイルを大物打ちに変えた頃からやがて台頭してきたのが正田耕三。彼も又、プロ入りしてからスイッチヒッターになった一人。1987年88年と2年連続首位打者。89年、90年も3割。91年には3割を切ったものの2番打者としてつなぎに徹し2割9分。チームの優勝に貢献しています。


山本浩二や衣笠、水谷、外国人などの大砲に目が向き、ともすれば「豪打」で勝っていたかのごとく見られがちなカープですが、実はその前を打っていた1、2番の出塁率の高さが勝利に貢献していたと私は考えています。


彼ら3人に共通するのは、スイッチヒッターとして右投手でも左投手でも喰らいついていく粘っこいバッティング。足の速さを生かすため、泥臭く地面に「叩きつける」。とにかく塁に出ることを優先してました。今の1、2番にその姿勢があるのか?

新井、嶋、栗原といった大砲が揃いながら、なぜかくも弱いのか?

高橋慶彦、山崎隆造、正田耕三の3人の打率だけではなく「出塁率」や「得点」をデータ分析して見る必要があります。特に「内野安打」の数と勝利との連動が見てみたいですね。

かつて天才と言われた前田智徳が、イチローのバッティングを見て「あんな内野安打狙いのバッティングのどこがいい」と嘯いたそうですが、そんな頃からカープは低迷し始めたんじゃないでしょうか?

クリーンヒットも泥臭い内野安打も同じ出塁。もっと言えば、粘って粘って得る四球も同じ「出塁」なんですね。内野安打や四球の大切さを考えない野球は、たとえ大砲がいくら居ても勝利には結びつきにくいのではないでしょうか?



(つづく)

もうしばらく「マネー・ボール」の話。


オークランド・アスレチックスGMのビリー・ビーンは、独自の理論に基づいて未来のメジャーリーガーを探します。その鍵は、パソコンの中にあります。打撃陣では「出塁率」と「1打席あたりの投球数」を最も重視。過去のあらゆるデータを分析した結果、この指標が最も勝利に貢献すると判断されたからです。「体格」「外見」で他のチームから「使い物にならない」という烙印を押された選手達を、まんまと獲得していきます。

自チームの有力選手がFAで引き抜かれ場合、メジャーではルールに則ってドラフトで優遇されます。その権利もうまく行使するのですが、それでもあまり他のチームが注目しない無名選手にこだわっていきます。まともな選手を雇う資金が無いからだと、よその球団は思い込んでいます。しかし、実態は独自の選択基準で独自の指名を行った結果です。本人がせいぜい15位指名と思っていたような選手を、1位指名する。指名されるはずが無いとあきらめていた選手を、2位以降で指名する。だから、本人達は喜んで入団してきます。


ビリー・ビーンは言います。

「どう考えても、ヤンキースの真似はできない。もしヤンキースと同じやり方をしたら、必ず負けてしまう。向こうには3倍の資金があるんだから。」


資金力の乏しいチームは、絶好調の人気メジャーリーガーをよその球団からトレードで買い取ることもできません。元手が無いからには、「お買い得の選手」を探す以外にありません。2001年、プレーオフで最後の最後までアスレチックスに苦しめられたヤンキースは、当時のアスレチックスの主砲ジオンビーを1億2000万ドルで引き抜きます。それでもアスレチックスはくじけません。冷静にデータを分析し、「ジオンビーの穴をどうやって埋めるか」考えます。ヤンキースで現在も主軸を担う、ジオンビーそっくりの一塁手をどこかから探してくるのは不可能です。仮にいたとしてもアスレチックスでは雇えるだけの資金がありません。

ビリー・ビーンは「大事なのは個人を復旧することではない。集団全体を復旧することだ。」と明言し、ジオンビーを細かく分解して、そのひとつひとつの代替品を探し集めます。


検討の結果、ジオンビーの最大の長所である「出塁率の高さ」をカバーする、という結論に達します。これをジオンビーより安く買うには、出塁率以外の長所はあきらめなければなりません。完全な選手は獲れません。どこかしら弱点があるから、アスレチックスが獲得できるのです。そうして集めた選手は「パワーの衰えたベテラン」「肩の弱ったキャッチャー」「守備のへたくそな若手」の3人。この3人でジオンビーの穴を埋めようとします。


結果はどうなったか?

パワーの衰えたベテランは、ホームランにこだわらず泥臭く出塁します。肩の弱ったキャッチャーは指名打者となって効率よく得点機会を作り出します。守備のへたくそな若手は、得意の打撃センスを生かしつつ、やがて一塁手としても誉め上手なコーチに乗せられていつの間にか平均以上の守備力を身につけます。いずれも「弱点」をとがめるつもりのないフロントのなせる業です。要は「強み」である「出塁率」さえよければ評価する。そこに、偽り無く首尾一貫してこだわった結果、成果は上がったのです。


実際に出塁率が勝利に貢献するのは、間違いないでしょう。

しかし、守備力や長打力を犠牲にしてでも、と言い切れるかどうかはGMの信念にかかっています。あれもこれも、というのは金持ち球団がとるべき手法。貧乏球団は「何か」にこだわって、徹底するべきなのです。


(つづく)







「マネー・ボール」の主役は、オークランド・アスレチックスのGMビリー・ビーンと言う人。

元メジャーリーガーですが選手としては大成せず、27歳にして華やかな競技人人生に幕を引き、最後に所属していたアスレチックスで事務職に転向。当時、チーム5人目の外野手という位置づけであったため、フロントはその「常識では考えがたい申し出」に対し理解に苦しみながらも採用しました。


最初の役割はアドバンススカウトでしたが、熱心な仕事ぶりが注目を浴びやがてフロント入り。このときのGMは、ハーバード出身の弁護士で野球のことなどこれっぽっちも知らないサンディ・アンダーソン。しかし知識欲が旺盛で、野球の仕組みを理解しようと独自の努力を続けていました。このアンダーソンの下、ビリーはデータに基づく新しい価値観を吸収していきます。その理論の中心は、野球に客観的な視点を持ち込むべきだ、ということ。選手時代に教え込まれた既成概念をひとつづつ捨て対応していった彼は、1997年アンダーソンに代わってアスレチックスのGMに就任。


そこから彼の独自性は見事なまでに花を咲かせます。


細かな内容は省きますが、その最も重要なポイントは「資金力=戦力」という図式を覆したこと。資金力に劣るアスレチックス(年俸総額は全メジャーチーム中下から2番目)が、なぜか年々金銭面では分が悪くなっていくのに、勝ち星は逆に増えていく。アスレチックスの様々なマーケティング調査によれば、ファンが一番重視するのはやはり勝ち星。これが「無名選手を集めて勝利する」→「ファンが増えていく」→「やがて無名選手が有名選手になる」→「陽の当たらない選手たちを緻密な軍団に育ててスターが誕生していく様子を眺めることができたファンは単に勝利する以上の満足感を持つ」→「貧しい球団を経営する者にとっても至福の喜びとなる」→「更なる独自性に磨きをかける」という好循環を生み出したのです。


・・・。まさにかつての広島カープじゃありませんか?

オークランドアスレチックスに出来て、広島カープに出来ないわけは無い。


1975年に初優勝してから最後に優勝した1991年までの赤ヘル黄金期。そして15年も優勝から遠のき、下位を定位置にする元の弱小球団に戻った現在。この差を生んだ原因は多くの人から「ドラフトの形骸化とFA制度」だと思われていますが、はたしてそうでしょうか?メジャーリーグにも金満球団に有利なFA制度はあります。ドラフト制度は日本と違い、貧しい球団や弱小球団に有利な制度になっている違いはありますが。


このドラフト制度の改革は、日本プロ野球の生死に影響を与えることだと考えますが、まずはそれは置いておきましょう。

その前に、自らが出来ることを考える。これが経営の基本です。環境が悪い、制度が悪い、と嘆いていても仕方が無い。弱小ながら出来ることを考える。大手やカネを持つライバル相手に、いかに差別化を図るか?まさに広島カープ再生論は、中小企業再生論と同じなんです。


(つづく)


地域限定且つ個人的趣味のお話になりますが。


広島は、やっぱりカープが元気にならないといけません。

しかし、今年は(いや今年も)早々に定位置(下位)に落ち着きそうな雰囲気。

ここ2試合ほど勝っていますが、監督が代わった割には今のところ「目新しさ」は感じられません。


私は昨年、某大手Sierさんの販促フェアで「広島カープ再生論」という講演をしました。

そのときは「ITCプロセス」の活用と言う少しITにこじつけた内容だったんですが、一部のマニアには受けました。

今回はITにこだわらず、本音で再生論をぶち上げたいと思います。


つい先日、「マネーボール」 という本を読みました。

米大リーグの「オークランド・アスレチックス」という球団のノンフィクションストーリー。

メジャー球団の中でもきわめて資金力の乏しいこの球団が、なぜか3倍もの年俸トータルのヤンキースに負けない戦跡を残しています。

その答えは?

優秀なマネジメント。これに尽きる。そんな話です。


資金力の乏しい地方球団が、知恵と戦略で金持ち球団に負けない戦いをする。

これはまさに、かつての広島カープです。

なぜ、かつて広島でそんな日本人の琴線に触れるようなチームが作れたのか?

そしてなぜ今低迷を続けるのか?

これからカープが行うべきこととは?


しばらくこの話題を続けたいと思います。

(つづく)


最近の文科省の政策は、一時の「(悪)平等主義」からは脱却したものの、相変わらずのスプロール飛行です。特に「知力の国際比較」で日本の順位が落ち、「ゆとり教育は間違いだった」とのマスコミの論調におろおろうろたえているように見えます。そこで、「総合的な学習」の縮小と言う訳です。


でも、何度も言いますが、教育は要するに教える側の「能力」の問題と、教わる側の「興味の持ち方」の問題なんです。


さわやか福祉財団の理事長で弁護士の堀田力さんは、こう言ってます。

「総合的学習について教師の評判が一部芳しくない、と言う理由は、知識詰め込み型の方が教えるのが簡単で、総合的学習の方はセンスが必要だから教える能力の無い教師には難しい、ということでしょう。でも、やる気のある教師は総合的学習で素晴らしい成果を上げています。子供達は面白がり、父母や教師は子供の成長する力に感服している。まだごく少数ですが、学習指導要領で教師を縛り、教育の中身を考えさせてこなかったのだから仕方ない。多くの教師に力を付けさせるのは、まだまだ時間がかかるんです。そんな、これからという時期に又縮小とは・・・。」


教える側の教師にも、文科省の縛りが影響していたようです。画一的な「学習指導要領」。ここからはみ出したら「×」。教わる生徒の方も、基準からはみ出したら「×」。皆~んな文科省の偏差値エリートが作った小さな小さな枠の中で、はみ出さないようにはみ出さないように・・・・。

そりゃ、真の「個性」が育つわけがない。


ところで私は学習塾に行った経験が一度も無く、その存在自体に意義を感じていなかったんですが、結局市場のニーズがあったというのは今の塾産業の隆盛を見れば明白です。変な話ですが、これだけ文科省が個性の伸長を犠牲にして追求してきた「偏差値追求型教育」も、これまた塾にはかなわなかった。・・・ということは、いったい文科省は何の存在意義があるんでしょうか?


私は文科省の解体的再生こそが、日本の教育改革の第一歩だと思います。

現場にいちいち口出さずに、市場ニーズに任せる。市場は、アツキココロの教師達に最大限の評価を与える。そして、教わる側は個性の伸長でそれに応える。そのためには、市場を形作るわれわれ自身が考え方を180度変えていく必要がある。そう思います。

東大に何人合格させただとか、医学部に何人行っただとか。そんな価値観だけで見るのは、もうそろそろ止めにしませんか?

そんなことよりも「○○(趣味でもゲテモノでもなんでもいい)の事なら、△△さんに聞けばすぐ分かる」だとか「○○の細工は誰にも真似できない」なんていう才能を評価する。もちろん、従来型の知識追求の勉学が「好き」な子はそのままその道を進ませる。でも、評価は同じ。「好きなことを追求する姿勢」とその「成果」は分野が違っても同等に扱う。これなら、「悪」平等ではなく「善」平等になる。

教える側も、人にものを教えるのが「好き」なことが大前提。教えるのが下手なら、上手になるまで訓練する。好きなら苦にならないはずです。そして、教わる側の「好き」探しのお手伝いをする。見つけたら、それを最大限バックアップする。好きなことを見つけ、その能力の伸長を手伝うんだから、教師のやりがいも又飛躍的に伸びる。


かつて吉田松陰は、アメリカに密航しようとして捕まった牢獄の中で、他の罪人や牢役人と共に学び合い、こう言ったそうです。「真の教育とは、自らの知識欲さえあれば誰とでもどこででもできる」と。そして「私はここで、身分や立場に関係のない仲間から得がたい知識を得させてもらった」と。その延長線が松下村塾だったそうです。自らそれを望むなら、会う人みな師、という訳ですね。


大人はこれでいきましょう。でもまだ物事の分別がつかない子供達には、そうは言っても「自ら何を望んでいいのか」が分からない。だから、優れた教育体制が必要なんです。


前述の堀田さんはこう言ってます。

「教科学習の成績が優れた人が上だという間違った前提は否定しなくてはならない。中卒で好きな道に進み活躍する人は、勉強が好きでもないのに形だけ大学に行った人よりずっと偉い。自分に一番合ったことをして幸せに生き、社会に役立てたら最高。学歴は関係ない。社会の価値観を変えないと教育は変わりません。」


私は昔から学歴より、「何をしたいか」という人生目標を明確に持って行動している人をリスペクトします。学歴より「好きなこと」を持ち、それにまい進している人をリスペクトしています。

私の子供にもそうなって欲しい。いつもそう願っています。

でも、なぜかその考えが教育現場と合わないことが多いんですよね~。

文部科学省が、「総合的な学習」の時間縮小を検討しているそうです。


「総合的な学習」とは、これまでとかく画一的といわれていた学校の授業を変えて、地域や学校、子供達の実態に応じ、学校が創意工夫を生かして特色ある教育活動が行える時間 のことです。

内容は「国際理解、情報、環境、福祉・健康などの従来の教科をまたがるような課題に関する学習を行える時間」とするよう定められていて、小中学校では平成14年度から、高校では平成15年度から実施されていました。

まだ始まったばかり。でももう見直し・・・。理由は「現場の混乱」だそうで、目的に合致しない例が多く出て教える教師も教えられる学生も「何のためにやるのか」分からなくなってしまっているそうです。

思えば、高校受験の「総合選抜」制度。大学受験の「共通一次」制度。皆、我々は経てきましたが、今はもう無くなりました。「ゆとり教育」。これは我々のあと世代ですが、もう見直しの論議が盛んです。

全部「目的」に合致しないから、が理由です。


私は、現在は制度疲労を起こし手段が目的化した官僚主導社会を否定する立場ですが、戦後の高度成長期におけるその貢献意義は大いに認めています。時代に応じて必要である、という典型例でしょう。しかし、その官僚組織の中で、戦後一回としていいところ無くほぼ一貫して失政を繰り返しているのが旧・文部省。この役所の立ち回りだけはどうにも頂けません。


日本のように天然資源も無く国土も狭い島国が、なぜ明治期にも第二次大戦後にも急成長を遂げられたのか?それは間違いなく「人材」のなせる業です。いわば日本は「教育」体制が素晴らしかったから、世界に伍していけるだけの経済力を持つことが出来たんです。だから、教育を司る「文部省」は、国の基本を担う大事な大事なセクションなんです。でも話を聞くと、国家公務員上級試験合格者の人気度はビリから数えたほうが良いくらいの不人気。他の役所への影響度も低い。地味に見えるんですね。利得もあまりなさそうだし(皮肉です)。「人づくり」はなが~い目で見ないと成果も分かりませんし。


でも教育の基本は、実に単純だと思うんですけどね~。ひとりひとりの個性が最も発揮できる環境を整えること。これだけだと思います。


しかし戦後の教育界は、日教組の悪しき「平等主義」が跋扈した。結果「個性の発揮」より「いかにオチコボレを無くすか」「いかに中くらいのレベルに合わせるか」「いかに組織に合う従順な人間を創り出すか」に焦点を合わせたんです。そうするとどういうことが起きたか?個性の埋没、です。個性的な何かとは、文部省の「学習要綱」からははみ出ますから、これは「悪」になってしまうんですね。画一の良さも、戦後官僚主導同様適切な場面では認めますが、はみ出したら「×」という人づくりは、結果的に多くの個性を否定してきてしまいました。


(つづく)

その後中学、高校ではあまりいい先生に巡り合いませんでしたね~。

特に高校1年のときの担任は、例の「囚人のジレンマ」事件で私を執拗に取り調べた生徒指導で、この人が数学担当だったから以後私は大の数学嫌いになりました。


担任以外では数名「この先生なら」という人にも巡り合えましたが、やはり「いい先生」の原点は「教え上手」ですね。

大学で「教え上手」という先生は、ほぼ「皆無」でした。そのときは「ああ大学ってのはこういうものなんだ」と勝手にあきらめていましたが、首都大学東京(元・東京都立大学)の理事長になった高橋宏氏がこんなことを言ってます。「アメリカのカーネギー振興財団が世界の大学教員に対して行ったアンケートで『あなたのメインタスクは何でしょう』という質問に対して、米国では6割が”教育”と答えたのに対し、日本では7割が”研究”と答えています。米国では教育熱心でない教員は追放されます。」


そうですよね。大学は高い授業料を払って「教育」というサービスを受けに来た学生が主役で、そこに助成金や税金が投じられていようとも、教員が勘違いしてはいけません。研究をやってるから教えるのは下手、というのは本末転倒です。

やはり教育の善循環の始まりは「上手な教え手」からでしょう。教え上手→勉強好き→質問上手→更なる教え上手→更なる勉強好き・・・って感じですか?まず「勉強好き」な子ありき、じゃあない。


そう言えばスポーツだって仕事だって皆そうですね。教え上手がいれば人は育つんです。日本はもう少し「教え上手」を優遇しないといけません。いい指導者=いい教育者です。


尊敬する前田先生は、生徒の個性を伸ばす天才でもありました。


運動好きには運動を。勉強好きには勉強を。音楽好きには音楽を。お絵かき好きにはお絵かきを。何もない子には好きなもの探しを。「得意」探しではありません。「好き」探しです。好きなことを見つけ出すこと。これが大事だと。好きなことを中心に、その子の個性を伸ばしていかれた。好きなら、うまくなくてもいい。好きになって、一生懸命それによって前に進む、その姿勢が大事だと言っておられました。


今も手元に残る卒業文集に、クラス全員の「私はこれでナンバーワン」が書かれています。勉強もトータルで見たら「成績ナンバーワン」は一人だけですが、科目別や分野別に見るとたくさんのナンバーワンがいる。「理科の実験はナンバーワン」とか「家庭科の手芸の○○編みナンバーワン」とか。「やさしさナンバーワン」もいる。「気配りナンバーワン」もいる。全員何かでナンバーワン。ちなみに私は「水泳ナンバーワン」。そういや~あの頃、学校代表くらいにはなってたけど、決して才があったわけじゃなかった水泳に、なぜか私はのめり込んでいましたね。「得意」というより「好き」が当てはまっています。


なんで水泳が好きになったか?それもある先生との出会いからでした。体育専門の怖~い男先生。一見極道のようなタイプ。でもこの先生がなぜか私は好きでした。一本筋が通ってる。

1年生時にツベルクリン陽性反応(今はこんなの無いのかな?)で泳げず出遅れた私は、2年になって何とか泳げるようにはなりましたが、スポーツの中で水泳は唯一苦手な領域に入っていました。そんなある夏休み、遊んでいた学校のプールで私はこの鬼先生の目に留まり一言言われました。「そのフォームはこう直せ」。その通りにしたところ、なぜか驚異的に記録が伸びました。おそらくそれまでのフォームがむちゃくちゃだったんでしょう。でも「たった一言」でそれを打破してしまうチカラ。その瞬間一人の水泳好きが生まれました。いや水泳好きと言うより、その鬼先生ファン。以降、クラブもその先生が受け持つ「陸上・水泳クラブ」入りし、もともとボール競技の得意だった私がなぜか「水泳ナンバーワン」になっていったのでした。


好きにさせるチカラ。その好きを中心に個性を伸ばすチカラ。これが教育の原点ではないでしょうか?


ではだめな教師とは?


前述の小学校3年のときの担任。理論好きで声大きく、押しも強い。いかにも教育委員会(教育現場を知らない大人の集団)が好みそうな男性教師。

この教師が我々生徒に対して行ったことは、「課外研究の強要」でした。何が何だかまだ良く分かっていない小学校3年生を使ってほぼ1年間、ず~っと放課後課題研究をさせられました。まちの人口推移がどうだとか、車の通行量がどうだとか・・・。遊びたい盛りです。でも毎日この課外研究に取り組まないといけない。宿題も多い。重苦しい毎日。月日を経るごとにクラスの皆の顔から生気が失われていきました。そして1年間たってできた研究の成果は?・・・この男性教師がすべて自分の手柄にしていきました。自分の出世の道具にして。遊びたい盛りに苦労して時間とってやったのは我々がきんちょです。でも彼は「ご苦労さん」の一言で済ませました。

小学校3年生、なめちゃいけません。最初は良くわかっていなかったけど、やがて気づく。「何のためにこんなことしなくちゃならないんだ?」途中で出始めた不満に対し、この男性教師脅したりなだめすかしたり。特に脅しがきつかったな~。声でかいですし、あの頃はまだ大人に体力で到底かなわない。

でも、根本的に解決にならない。不満のマグマはどんどん子供たちの胸の中に溜まってきました。


やがて4年生に進級。この学校では3~4年時にクラス替えなく全員そのまま持ち上がり。担任の男性教師だけ我々の犠牲を元に手にした手柄を抱えて転勤していきました。新しい担任は頼りなげなおばあさん教師。・・・そしてマグマは爆発しました。


最初のきっかけはある転校生。親の離婚か何かで祖母の下に預けられたため我々の学校に来たその転校生は、友達を作るために「カネ」を遣い始めたのです。孫を不憫に思った祖母が必要以上にお小遣いを与えていたようで、その財力を元に何を勘違いしたかその転校生、「俺の仲間になったらカネをやる。カネをやるから俺の言うことを聞け。」とやり出したのです。正義感の強い我々やんちゃ連中はその態度にかちんときた。そしてある日事件は起こりました。集団暴行。・・・。そしてその転校生はすぐ又逃げるように転校していきました。


このおばあさん教師は残った我々に対し、一方的に「ワル」のレッテルを貼りました。確かに集団暴行は誉められたことではありませんが、我々にも言い分がある。でも一切聞き入れない。我々には1年間押さえつけられてきた鬱憤もあった。そして男子生徒全員とこのおばあさん教師とは心が離れていきました。。特に体の大きくなり始めたガキ大将(ちなみに私じゃありません。私の仲間。)を、このおばあさん教師は体力的に抑えることができない。それを見た体の小さな生徒もこの教師を馬鹿にし始める。やがて男子生徒を制御できないと悟ったこの教師は、何をしたか?教室を半分に分けて女子のみ対象の授業を始めたんですね。男子を完全無視。もうこうなったら授業が授業じゃなくなります。一日中遊べると喜んだ男子(私もその一人)でしたが、やがてその異常性に親が気づくときがきました。もちろん即学校に抗議。校長やPTA巻き込んで、この教師と生徒との話し合いの場が持たれました。しかし、その公開論議の場でも、私を始めとした数人の生徒がおばあさん教師のだめなところを論理立てて説明し、その反論ができないおばあさん教師はついに休職するはめに。それからは、代わりの教師がとっかえひっかえという有様で・・・。


今思えば、このおばあさん教師も3年時の男性教師の隠れた被害者だったのかも知れません。でもとにかくあの頃は「くさいものに蓋」的態度をとったおばあさん教師そのものが許せなかったですね。とにかく教育は逃げたらだめです。あの時、同学年の他の教師も皆逃げ腰でした。でも当事者のひとりだった私は今でもよく覚えています。学級崩壊の中心人物が皆決して性根まで腐ってはいなかったことを。純粋なココロの持ち主であったことを。皆何か真に正しいものにすがりたかったことを。


それを誰も教えてくれなかった。いやいや親は教えてくれてましたね。私のところなどは。かのガキ大将もタクシー運転手の親父にぶん殴られたそうで。決して不良じゃなかった。でも教師で真正面から教え導いてくれる人がいなかった。親御さんの中には忙しくてあまり子供に構えない人も多かったですから、あのカリスマ的な肝っ玉母さん先生の登場がなければ、皆どうなっていたんでしょうね~?いやいや、本当に教育というのは一人の教師の良し悪しで人生まで変える力を持ってますから恐ろしい。


3年時の教師も4年時の教師も、タイプはまったく違いますが「子供達を教え導く」という基本から逃げてましたね。これがだめな教師の典型例です。