ノーベル文学賞受賞時のヘッセ、1946年(69歳)
ヘッセは多くの詩集もありますが、詩集、散文集、長篇小説と短篇集を年代順に上げると以下のようになります。今日では絶版作品も多いですが、1970年代には以下のほぼ全作品が大手文芸各社の文庫本で手軽に翻訳で読めました。あまり使いたくない言葉ですが、日本のいわゆる「団塊の世代」の青春時にもっとも読まれた海外作家がヘッセだったと言って良いでしょう。
◎第1詩集『ロマン的な歌』(1898年、21歳)
◎習作散文集『真夜中すぎの一時間』(1899年、22歳)
◎習作作品集『ヘルマン・ラウシャーの遺稿と詩(青春彷徨)』(1901年、24歳)
◎第2詩集『詩集』(1902年、25歳)
●第1長篇『ペーター・カーメンツィント(郷愁)』(1904年、27歳)
●第2長篇『車輪の下』(1905年、28歳)
◎短篇集『此の岸』(1907年、30歳)
◎短篇集『隣人』(1908年、31歳)
●第3長篇『ゲルトルート(春の嵐)』(1910年、33歳)
◎第3詩集『途上』(1911年、34歳)
◎短篇集『まわり道』(1912年、35歳)
◎紀行文『インドから』(1913年、36歳)
●第4長篇『ロスハルデ(湖畔のアトリエ)』(1914年、37歳)
●第5長篇『クヌルプ』(1915年、38歳)
◎第4詩集『孤独者の音楽』(同上)
◎短篇集『青春は美わし』(同上)
●第6長篇『デーミアン』(1919年、42歳)
◎創作童話集『メールヒェン』(同上)
◎短篇集『クリングゾルの最後の夏』(1920年、43歳)
◎文明批評集『混沌を見る』(同上)
◎短篇集『放浪』(同上)
●第7長篇『シッダールタ』(1922年、45歳)
◎書き下ろし短篇『湯治客』(1925年、48歳)
◎書き下ろし短篇『ピクトルの変身』(同上)
◎スケッチ集『絵本』(1926年、49歳)
◎紀行文『ニュルンベルクの旅』(1927年、50歳)
●第8長篇『荒野のおおかみ』(同上)
◎エッセイ集『観察』(1928年、51歳)
◎第5詩集『危機』(1928年、51歳)
◎読書案内『世界文学をどう読むか』(同上)
●第9長篇『ナルツィスとゴルトムント(知と愛)』(1930年、53歳)
◎作品集『内面への道(『クリングゾルの最後の夏』と『シッダールタ』の合本)』(1931年、54歳)
◎紀行文『東方への旅』(1932年、55歳)
◎エッセイ集『庭のひととき』(1936年、59歳)
◎エッセイ集『思い出草紙』(1937年、60歳)
●第10長篇『ガラス玉遊戯』(1943年、66歳)
○ノーベル文学賞受賞(1946年、69歳)
◎評論集『戦争と平和』(同上)
以上のうち、ヘッセの作品は●で示した長篇小説10作がもっとも広く読まれています。ノーベル文学賞受賞以降のヘッセは創作から退き、74歳の1951年にエッセイ集『晩年の散文』程度で、書簡集や著作選集、未発表日記を含む全集をまとめ、1962年8月9日にモンタニョーラで逝去します。享年85歳でした。国際的な名声においては、ヘッセはもっとも恵まれた作家的生涯を送った文学者だったと言えます。晩年20年間を引退状態で送っても、ドイツ語圏文学の長老作家としてヘッセの受けた尊敬は最晩年まで続きました。しかし上記にまとめた作品年表から見ても、ヘッセの小説家としての力量は尾崎紅葉や泉鏡花、森鷗外や夏目漱石はもちろん、日本の自然主義小説五大家・島崎藤村、徳田秋声、田山花袋、岩野泡鳴、正宗白鳥はおろか、永井荷風や谷崎潤一郎、佐藤春夫、芥川龍之介どころか横光利一、川端康成、さらに葛西善蔵や嘉村磯多、太宰治、坂口安吾にも及ばない、本質的な鋭さを欠いた微温的な創作力の産物としか思えません。ヘッセと同時代、または前後する時代の日本の作家は19世紀ロシア文学、フランス文学、ドイツ文学、イギリス文学からの感化と当時の日本文化の現状に引き裂かれながら、独自の方法を模索するしかありませんでした。日本人作家に限らず、先に上げたヘッセと生年の近いヨーロッパ作家、ロマン・ロラン、アンドレ・ジッド、トーマス・マン、ライナー・マリア・リルケ、ロジェ・マルタン=デュ=ガール、フランツ・カフカらに多かれ少なかれ見られるヨーロッパ文化の危機的状況の反映もヘッセには稀薄で、ようやく第6長篇『デーミアン』の頃に自己解体の兆しが現れますが、第7長篇『シッダールタ』と第8長篇『荒野のおおかみ』では説得力に欠けるか支離滅裂な失敗作になり、第9長篇『ナルツィスとゴルトムント(知と愛)』で二人の主人公の対比という形で完成度の高い作品に成功するも、執筆に10年をかけた第10長篇『ガラス玉遊戯』はヘッセ作品の集大成を意図しながらも小説というより、ヘッセの提唱する芸術至上主義の実現した「22世紀の架空のユートピア国家」を描いただけの作品になっています。同じ頃、ナチス政権を逃れてアメリカに亡命しながら70歳を迎えて文明崩壊の危機を悪魔に憑かれた作曲家の伝記の形で描き、25歳の大作『ブッデンブローク家の人々』、50歳の大作『魔の山』に匹敵する大作『ファウストス博士』を戦時下に書き進めていたトーマス・マンとは、小説家としての業や覚悟が違うとしか思えません。
一般的に、小説や叙事詩、戯曲を始めとする物語体の作品は、横軸を時間の推移とすれば、価値の推移を縦軸おして追ったものです。未熟な主人公が体験と年齢を重ねるごとに成長する(または成長に失敗する)という基本的な型のみならず、崩れた秩序が回復する(またその逆)、主人公と主人公を取り巻く人々の価値観が変化していく様を行動を通して描くのが古代から中世、近~現代でも変わらず物語体作品の主流をなしています。単純な勧善懲悪物語でもそれは変わらず、弱者である善が強者である悪をいかにして倒すか、力を得ていく善、追い詰められていく悪という具合に「力」の移動がそのまま物語の興味になります。近代小説がセルヴァンテスの『ドン=キホーテ』(正篇1605年、続篇1615年)から始まると言われるのも通俗小説において無自覚に行われている物語の常套手段を初めて批評的に逆転させたからで、通俗騎士物語に熱中するあまり自分を騎士道小説の騎士と思いこんだ初老の田舎紳士の奇行がやがて周囲の人々に紳士の無垢な情熱に感動し、主人公の望む騎士道物語の役割に協力することになる、というのが正篇です。作者はこれを当時のスペイン王政で大衆に絶大な人気を博していた現実逃避的な通俗騎士道物語の批判として執筆し、発表したのですが、『ドン=キホーテ』正篇は江湖に熱狂的に迎えられ模倣作が続出する事態となりました。そこでセルヴァンテスは『ドン=キホーテ』正篇すら取り込んでしまう読者の騎士道物語幻想を徹底的に批判するために続篇を執筆・刊行します。続篇は正篇の結末の通り主人公が騎士道物語に惑溺し、周囲の人々がそれに感銘を受けて協力するという地点から始まり、周囲の人々は正篇よりさらに積極的に主人公の田舎紳士の夢物語の登場人物の役割を果たすようになりますが、徐々に主人公は周囲の人々が同調する騎士道物語的出来事の欺瞞に気づくようになり、自分が面白がられるために御輿をかつがれている存在と知り、落胆から病気になり自分が一介の田舎の老人紳士であることに気づきます。従者サンチョ・パンサを演じていた小作人を始め周囲の人々はあなたこそわれわれの英雄なのだと力づけますが、正気に返った主人公はドン=キホーテであることを辞め自分を惑わしてきた騎士道物語をすべて焼き捨てるように命じ、貴族や村人たちに哀悼されながら死んでいきます。リアリズムで描かれる主人公の行動と主人公による反リアリズム視点の平行進行によって作者は主人公が「ドン=キホーテ」になり、「ドン=キホーテ」の半生を生き、「ドン=キホーテ」から目覚める過程を描いており、そのように合せ鏡のような複雑な構成を導入することで『ドン=キホーテ』正・続篇は文学史上初めての自覚的なメタフィクション構造を持つ小説となりました。セルヴァンテスは政治的腐敗が横行し社会的秩序が混乱した当時の王政スペインの現状と、現実逃避的な騎士道物語の大流行をひとつながりの現象と見て反小説『ドン=キホーテ』を創作したのです。セルヴァンテス以降、西洋文学はフィクションの次元において単一構造であることを許されなくなります。物語の表側で起こっていることの裏には幾重にも重なった刺繍の裏面のように、多重構造の現実があるのです。
そうしてヘッセの小説を読むと、ヘッセの小説においては冒頭で設定された主人公、また主人公をめぐる周辺人物の人物像と人間関係が、変化しないまま結末まで挿話的に描かれているのに否応なしに気づかされます。そうしたヘッセの作風にやや変化が訪れたのが自己解体的な第6長篇『デーミアン』ですが白を黒へと裏返す程度の発想でしかなく、第7長篇『シッダールタ』では元に戻ってしまい、自己破壊的な反動が現れた第8長篇『荒野のおおかみ』は支離滅裂です。第9長篇『ナルツィスとゴルトムント(知と愛)』では主人公を対照的な二人の人物に分けて図式的ながら素朴な感動を呼ぶ作品に成功するも、執筆に10年をかけた第10長篇『ガラス玉遊戯』は長篇小説2冊分に渡る演説です。演説とは一方的に自分の都合と考えを語ることで、アマチュア詩人の幼稚な詩のほとんどがそうであり、文学の言語でなく広告の言語です。先に『ドン=キホーテ』というあまりに偉大な例を上げてしまったため誘導的な批判になってしまうのは避けられませんが、ヘッセの作品は(感動的な『ナルツィスとゴルトムント(知と愛)』ですら)最初から詰んでいるのです。ヘッセより2歳年長のリルケ唯一の長篇小説『マルテの手記』(1909年)は自己解体、現実解体をテーマとして、ヘッセの全長篇小説をもってしても届かない現実認識の変革をなしとげた作品でした。しかしヘッセ作品を読む意味は、今日ではセルヴァンテスが騎士道物語の転覆の意図をもって読んだように、文学に偽装した「現実逃避物語」の典型としてたどることができます。かつてヒッピーに絶大な支持を受けた作家、カート・ヴォネガットはやはりヒッピーに大人気だったヘッセ作品と自作を比較されて、激昂してヘッセ批判の講演論文を発表しました。ヴォネガットが見抜いていたヘッセ作品の限界は、おおむね筆者がここで披露した感想と同じです。しかしそれも、実物のヘッセ作品を読んでこそ考えていただきたいところです。