裸のラリーズ - ディザスター・ソーセズVol.1 (Ignuitas, 2007) | 人生は野菜スープ~アエリエルのブログ、または午前0時&午後3時毎日更新の男

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元職・雑誌フリーライター。バツイチ独身。午前0時か午後3時に定期更新。主な内容は軽音楽(ジャズ、ロック)、文学(現代詩)の紹介・感想文です。ブロガーならぬ一介の閑人にて無内容・無知ご容赦ください。

裸のラリーズ - ディザスター・ソーセズVol.1 / 1969-1975 (Ignatius, 2007)
裸のラリーズ - ディザスター・ソーセズVol. 1/1969-1975 (Ignuitas, 2007)

全作詞作曲・水谷孝
(Tracklist)
1. 夜より深く~黒い悲しみのロマンセ (November 1975 Soundboard) - 7:13
2. 夜、暗殺者の夜 (May 1975 Studio) - 9:43
3. お前を知った (The Last One 70) (June 1974 Soundboard) - 6:49
4. 造花の原野 (July 1974 Studio) - 2:33
5. Improvisation (December 1969 Studio) - 1:05
6. 断章 (Winter 1970 Studio) - 2:28
7. 黒い悲しみのロマンセ (September 1975 Soundboard) - 8:40
Total Time: 38:21 

[ 裸のラリーズ Les Rallizes Dénudés ]
水谷孝 - vocals, lead guitar
中村武志 - rhythm guitar (expect 6)
多田孝司 - bass (5)
長田幹生 - bass guitar (2, 3, 4)
楢崎裕史 - bass guitar (1, 7)
松本務 - drums (5)
正田俊一郎 - drums (2, 3, 4)
高橋シメ - drums (7)
三巻俊郎 - drums (1) 

 本作は2002年からオークション・サイトでCD-R盤で出回っていた、通称「Disaster」音源からの市販プレスCD化で、裸のラリーズの関係者を自称する匿名出品者(アカウント名「Disaster002」)が10枚セット単位、総計約70枚に渡ってCD-R出品していた未発表テープからのベスト・セレクションとしてインディーのIgnuitasレーベルから2007年にCD2枚組・10セットに再編集してリリースし、昨年の水谷孝(1948-2019)の訃報と公式サイト設立までは正規リリース作品としてタワーレコード、HMVなどの流通ルートに乗っていた(現在は海賊盤として流通差し止めになった)シリーズ『The Archives Of Dizastar Sources』の、「Vol. 1」のディスク1としてまとめられていたものです。楽曲記載の通りなら1969年~1975年の未発表スタジオ・テイク、サウンドボード(ライヴからのミキサー卓録音)音源のコンピレーションということになり、音源リンクは引けませんでしたが2枚組のVol. 2では「1973-1977」として5曲が収められていることから、ディザスター音源からのベスト盤の1枚目として選曲・録音時期ともに工夫を凝らしたコンピレーション・アルバムなのがうかがえます。「Disastar」(またはDizastar)とは裸のラリーズが1970年代に私設していたプロダクション名で、クラウトロックでも際だって即興演奏色とアシッド・ロック色が強いノン・ミュージシャンのヒッピー集団、アモン・デュール解散後の未発表コンピレーション・アルバム『Disaster』(BASF, 1972)から採られたネーミングですが、ラリーズの関係者を自称してリリースされたディザスター音源はおそらくカセットテープ音源をマスターにしており1枚40分前後の収録時間しかなく、音質にもムラがあればデータも信憑性が怪しいことで問題になりました。2004年にやはりラリーズ専門レーベルのUniviveが別の運営者によって発足されると、後発のUnivive盤はDizaster盤と重なる音源はより良好な音質とデータ精査のリリースによってDizaster盤の価値を下落させることになりました。そのためUniviveからのリリースは水谷孝の半公認レーベルではないかと噂されましたが、水谷孝の訃報とともに発足したラリーズの公式サイトではDizaster盤、Univive盤ともに非公認レーベルであることがアナウンスされています。ともあれ公式アルバムは3作、公式なインディーからのオムニバス・アルバム参加が1作、美術雑誌の付録シングル1枚しかない裸のラリーズの海賊盤が200枚あまり出まわっているのは大半はDizaster盤(24セット、CD約70枚)とUnivive盤(26セット、CD約70枚)からの再編集盤であり、水谷孝(1948-2019)がすでに故人であり、またあまりに海賊盤が膨大な分量に上るので、今後も正式に既発売の海賊盤を重複のない年代順に整理した公式再編集リリースは望めないでしょう。それにしてもラリーズのリーダー、水谷孝生前にこうした非公式リリースが行われていたということ自体が、裸のラリーズという幻の伝説的アンダーグラウンド・バンドの唯一無二の特異性を物語っているようです。

 本作は38分20秒で7テイクと、1曲の演奏時間が10分~40分にもおよぶことの少なくないラリーズとしては短めの演奏(またはフェイド・イン~フェイド・アウトなどの短縮編集)テイクが集められています。録音年代順に並べ直せば、
5. Improvisation (December 1969 Studio) - 1:05
6. 断章 (Winter 1970 Studio) - 2:28
3. お前を知った (The Last One 70) (June 1974 Soundboard) - 6:49
4. 造花の原野 (July 1974 Studio) - 2:33
2. 夜、暗殺者の夜 (May 1975 Studio) - 9:43
7. 黒い悲しみのロマンセ (September 1975 Soundboard) - 8:40
1. 夜より深く~黒い悲しみのロマンセ (November 1975 Soundboard) - 7:13

 --となり、ごく短いギター・インプロヴィゼーションの5が1969年12月とまだ水谷孝が京都在住時の初期ラリーズで、6は1970年冬に水谷孝一人で録音したデモ・テープですが、水谷の上京は1970年夏ですので年始の冬なら京都在住時、年末の冬なら上京後になります。3、4では上京後に加入した長田幹生(ベース)、正田俊一郎(ドラムス)に、ラリーズ結成時からのセカンド・ギタリストの中村武志が上京して再加入した四人編成のテイクで、ともに水谷孝の轟音ギターが確立しつつあった頃の演奏です。3「お前を知った」は1970年以来「The Last One 70」として演奏されてきた曲の改題改作で、「お前を知った」の成立とともに「The Last One」は 旧「The Last One 70」の歌詞を流用して新たな楽曲に改作されます。ホークウィンド1971年のヘヴィー・スペース・ロックの名盤『宇宙の探求 (In Search of Space)』収録の名曲「Masters of Universe」を下敷きにした楽曲、4「造花の原野」は1973年以降ラリーズの代表曲となり、1996年のラスト・ライヴまで演奏され続ける曲で、同一の歌詞に別の曲を乗せる、大きくアレンジを変えることの多いラリーズのレパートリーでも大胆かつ頻繁にアレンジの変更がある曲のひとつで、ここでの初期テイクはこの曲のさまざまなアレンジでも(短縮編集が惜しまれますが)もっともヘヴィーな演奏の名演です。1と7はともに「黒い悲しみのロマンセ」ですが、この曲は新曲「夜より深く」に派生していく楽曲で、7では「黒い悲しみのロマンセ」の歌詞のまま新曲「夜より深く」のアレンジで歌われています。デモ・テイクの6「断章」を除くと、京都時代の5「Improvisation」を先駆に、いずれもスタイル確立後の水谷孝の轟音ギターをフィーチャーしたテイクが選ばれているのがわかります。

 問題は本作の録音時期のクレジットがあまり当てにならないことで、7「黒い悲しみのロマンセ (September 1975 Soundboard)」の時期はクレジットが正しければドラマーは高橋シメ、1「夜より深く~黒い悲しみのロマンセ (November 1975 Soundboard)」は高橋の後任ドラマーの三巻俊郎加入以降のテイクになりますが、1972年~1975年前半時の水谷、中村、長田、正田の四人編成からベーシストとドラマーが楢崎裕史(元だててんりゅう、頭脳警察)、高橋シメに替わったのが1975年8月、高橋シメは1975年10月~11月には脱退、同時に三巻敏郎が後任ドラマーになりますから1は三巻加入後のテイクになるはずですが、この時期のラリーズのメンバー・チェンジ上のキーパーソンは悲露詩(HIROSHI)こと楢崎裕史であり、1の時点でも高橋シメがドラマーを勤めた末期の可能性があります。この「黒い悲しみのロマンセ」が1975年9月の7では「黒い悲しみのロマンセ」、11月には「夜より深く~黒い悲しみのロマンセ」となっているのは、この時期から「黒い悲しみのロマンセ」の派生曲「夜より深く」が演奏されているため二重の曲名がつけられているわけですが、「夜より深く」はまったく異なる歌詞やアレンジで歌われることになるので「黒い悲しみのロマンセ」と同歌詞の1に「夜より深く~黒い悲しみのロマンセ」とタイトルされているのはまぎらわしいだけです。また、もっともクレジットが疑わしいのは2「夜、暗殺者の夜 (May 1975 Studio)」で、ラリーズの代表曲となるこの曲は通常の演奏に較べると特徴的なほど速いbpmで演奏されていますが、1975年5月ならまだメンバーは水谷、中村、長田、正田の時期で、ノイジーなギター・スタイルはすでに確立されていますが、各種のライヴ音源では、この曲がライヴで定番化されるのはベースに楢崎、ドラムスに三巻が揃った1976年以降と確認できます。本作の速いbpmのテイクも名演で、ラリーズにあってはテンポ以外あまりアレンジに変更のない例外的な楽曲としてすでに完成型に近づいていますが、楢崎裕史加入後のベースあってこそのこの楽曲がまだベースに長田、ドラムスに正田が在籍時の1975年5月に成立していたとは思えません。この2「夜、暗殺者の夜 (May 1975 Studio)」について言えば、早くても楢崎加入の1975年8月以後、おそらくドラムスに三巻が参加した1976年のテイクではないか、作曲時期も早く見積もって1975年後半~1976年なのではないかと思われます。

 そのように収録曲各曲に録音時期のクレジットが信憑性に欠けるコンピレーション・アルバムが本作ですが、アクセントに1969年の「Improvisation」、1970年のデモ・テイク「断章」を加えた以外はラリーズのスタイル確立直後のみずみずしいスタジオ&ライヴ・テイク、うち公式アルバム『'67-'69 STUDIO et LIVE』『MIZUTANI -Les Rallizes Denudes-』『'77 LIVE』にも未収録の「お前を知った」「造花の原野」「黒い悲しみのロマンセ」を収録した本作はラリーズの裏ベスト盤的な楽しみ方ができる内容で、全7曲とは言っても実質的に「お前を知った」「造花の原野」「夜、暗殺者の夜」に「黒い悲しみのロマンセ」か2テイクの4曲5テイクで、「Improvisation」は1分5秒とごく短い断片ですし、ギターのアルペジオのみをバックに歌われるデモ・テイク「断章」は短調のアシッド・フォーク的楽曲のアレンジにとどまるものながら、録音時期が正確でないにしても初期~スタイル確立期までの初期ラリーズのサウンド変遷を、深いテープ・エコーをかけた水谷孝のヴォーカルと極端なフィードバック・ギターが前面にフィーチャーされたテイクで楽しめます。初めて聴く裸のラリーズのアルバムとしては向かない寄せ集め編集ですし、公式盤『'77 Live』や『明治大学ヘボン館地下1974年』『渋谷アダン・ミュージックスタジオ1975年』『金城学院大学ロック・コンサート1976年』『第四回夕焼け祭り1977年』など1コンサートから収録された音質良好な発掘ライヴ音源の方が音像の統一、選曲と曲順の流れの良さでお薦めできますが、本作収録の「お前を知った」「造花の原野」「夜、暗殺者の夜」の各テイクは楽曲単位では他のロケーションでの収録テイクとはがらりと違う壮絶な演奏で、ラリーズ史上でも名演と言える、聴き逃せない逸品です。Ignatiusからの2枚組CD10セット(全20枚)の『The Archives Of Dizastar Sources』は全体的には非常にムラのある選曲・編集・内容で、信憑性に欠けるデータやまちまちな音質が輪をかけて商品のレベルに達しないシリーズでもありますが、このシリーズのセットでしか聴けないレア音源も多く含んでいるので、やはりラリーズ公式サイトの設立とともに正規流通に乗らなくなった高音質・データ精査のUnivive盤とともに見逃せません。ラリーズ公式サイトはラリーズ参加のオムニバス・アルバム『OZ DAYS』の増補版公式初CD化とともに、1991年の発売以来廃盤になっていた公式アルバム『'67-'69 STUDIO et LIVE』『MIZUTANI -Les Rallizes Denudes-』『'77 LIVE』の3作を2022年10月に公式再発売しましたが、生前の水谷孝の意向でリリースされたアルバムは上記がすべてになり、今後未発表スタジオ・テイク、発掘ライヴ音源の公式リリースが行われる予定は立っていないようです。Ignatius、Univiveを始めとして200枚あまりの海賊盤アルバムが今後公式アルバム化されていく可能性があるかは未知数だけに、本作のような寄せ集め編集アルバムもまだ価値を失っていないのは困りものでもあれば、いかにもアンダーグラウンド・シーンでの活動に徹したラリーズらしいとも言えます。

 なお裸のラリーズは1967年末の結成から1996年の最終ライヴまで30年間に40人あまりのメンバーが去来した、リーダーの水谷孝を唯一のオリジナル・メンバーとしたバンドでしたが、ステージ・ネームはサミー(Sir Me)と名乗っていた、ラリーズ1975年末~1980年初頭まで在籍し1975年末~1977年末まではドラムス、1978年からはベーシストまたはセカンド・ギタリストになり1980年初頭に脱退と、ラリーズ史上ギター、ベース、ドラムスの全パートを歴任した、三巻俊郎はラリーズ史上でも重鎮だった存在です。元吉祥寺のライヴ・スポット「OZ」(1973年閉店)のスタッフ出身の三巻氏は2013年に逝去していますが、各種データ・サイトでは「俊郎」「敏郎」と本名の名義がまちまちです。2006年刊の「ロック画報25・特集 裸のラリーズ」でも各項目(ディスク・ガイド、活動解説、ライヴ年表)の執筆者によって異なり、総合音楽サイトdiscogs.comでは「三巻敏郎」、現ラリーズ公式サイト運営者による研究サイトて「ロック画報」特集号の原本になった「The Last One」では「三巻俊郎」名義を採っています。アルバムのクレジットによっては「三巻敏郎」となっている場合がありますが、これまでラリーズをご紹介した記事では「The Last One」に従って「三巻俊郎」名義で統一してきたのをご了承ください。