遠い夏に想いを -76ページ目

遠い夏に想いを

アメリカ留学、直後の72年の夏に3ヶ月間親子でパリに滞在。その後、思い出を求めて度々訪欧。

 義理の姉は音楽大学の出で、今は幾つかの地域アマチュア合唱団を指導しながらピアノの伴奏もしている。その姉の住むマンションに若いピアニストが住んでいて、最近何かと顔を合わせる機会があるらしい。

「ピアノの音が聞こえるのですが、今までお目にもかかりませんで・・・・」

彼女は姉に声をかけたらしい。そして、時々自室で開くお茶会に姉は誘われるようになったとか。


 そんなある日、この若い女性と彼女の友人達が集まってお茶会を開いた時に、楽譜の話題になったそうだ。
「昔は器楽や合唱などでは手書きの譜面を使ってたのよ」
って姉が言ったそうな。
「えっ、まさか、手書きで写譜したんですか?」
「そうよ、コビーもパソコンもなかったんだから」
みんな、ただ驚くばかりだったという。


 最初のコピーは昔の製図みたいな青いジアゾ式の複写だけで、その後やっと70年代の初めに白黒のゼロックス(静電式)のコピーが現れた。


 それまでは手書きで黙々と写譜をした。辛い作業だ。大学時代のオーケストラでは各パート譜を作るのにスコアを買ってきて、五線紙に手書きで写譜をするのである。写譜係が二・三名いて、当時の妻のノッコも写譜係をしたそうだ。


 まるでバッハやモーツアルトの時代と変わらない。バッハの無伴奏チェロソナタは二人目の妻のアンナ・マグダレーナの手書き写譜しか残っていない。だから、今でもどこかに写譜の際の間違いがないかと調べる研究者がいるらしい。


 バッハの無伴奏チェロソナタ
チェロ譜01
チェロ譜03
 バッハの無伴奏ヴァイオリンソナタ(こちらはバッハ自身が書いた楽譜のコピー)
ヴァイオリン譜

 モーツアルトは写譜屋ウェーバーの娘のアロイージアにふられて、妹のコンスタンツェと結婚する。歌劇「魔弾の射手」を書いたウェーバーとは親戚関係。当時は全て写譜だから、大学時代の我々も同じであった。

   左はコンスタンツェ、右はアロイージア(マンハイムからミュンヘンに移ったオペラ歌手)

姉妹


 今ではコピーだけでなく、パソコンやスキャナー、楽譜制作ソフトなどがあり、便利になった。それが当り前の生活になってしまった。だから、ついこの前までは写譜してたって言うと若い人達は驚くのだ。交通手段、電化製品など、あらゆる物が加速度的に変化して行く、その速さは脅威としか言いようがない。



 Viosan の「ミネソタの遠い日々」
1970年に私たち夫婦・子供連れでミネソタ大学(University of Minnesota)へ留学した記録のホームページにもどうぞ

 昨夜の食中に、ドーン、ドーン、パチパチという花火の音。狛江市の花火大会は今月の5日に終わったし、何処だろうかと思った。


 急いで食事を終えて、外に飛び出した。西の隣町、調布市の方から音がする。近くの畑に出ると西側の民家の空の向こうで奇麗な花火が開いている。

調布01
調布02


 東の方の空を見ると、遠くの民家の上空に沢山の煙が漂っている。二子玉川も花火大会なのかなって思っていたら、やがて、花火の打ち上げが再開された。こちらの花火も奇麗だ。


二子玉川


 今年は調布市と二子玉川の両方の街で花火大会が偶然同時に開催されたらしい。多摩川まで行けば両方の花火大会が遠くに完璧に見られるのだが、余り突然だったために、近くの畑からしか見ることしか出来なかった。


 昨日も34度近くになり暑さがぶり返したが、この花火大会で今年の夏は終わりました。


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 クラシック音楽の器楽曲で「夏」の題名が付くものと言えば、ヴィヴァルディの「四季」ですね。標題音楽はイタリアが圧倒的に多いです。1950年代にイ・ムジーチがイタリア・バロックを持って来日し、ドイツバロックしか知らない日本にイタリアバロックのブームを沸き起こしました。

 イタリアのリコルディ社版の「夏」の楽譜
楽譜2

 ヴィヴァルディはヴェネツィアの生まれです。その昔、北イタリアを旅した時にヴェネツィアに寄り、サン・ジョヴァンニ・イン・ブラーゴラ教会の壁に下のような標板を発見しました。また別の旅でウィーンに寄った時に「ヴィヴァルディ、ここに死す」って標板を見つけました。オペラの上演でヨーロッパ中を回っていたらしい。

教会

標板
表記は次の通り。「赤毛の司祭」はこの教区内で1678年3月に生まれ、この教会で洗礼を受けた

 ヴィヴァルディについてはあれこれ酷評する内外の評論家もいますが、500曲以上、オペラも書いていますから膨大な曲数になります。みな親しみ易くて、美しい曲です。

 春夏秋冬の曲で、作品8の12曲のコンチェルト(和声と創意への試み)の中の4曲です。ですからヴィヴァルディが「四季」と名付けたものではありません。

 「夏」は気だるい調子で始まり、夏のさんさんと輝く太陽の光が降り注ぎ、曲が盛り上がっていき、また昼寝の時間(シエスタ)になったように静かにと、面白い曲の流れです。


Vivaldi Four Seasons Summer/ I Musici(イ・ムジーチによる演奏)



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 5日ほどまえから、地上波のテレビが映らなくなった。四六時中映らないのではなく、昼間の太陽がギンギラ銀に輝いていて、気温が30度以上だと映らない。大たい11時くらいから3時くらいまでの間だ。朝と夕方・夜は映る。


 夕方には映っているTV(2チャンネルの番組)
TV画面01

 地上波に切り替える時に、テレビとアンテナの工事を頼んだ近くの電器屋に電話したら、「今は猛暑でエアコンの据え付けと修理で目が回りそう、それどころじゃないんだ」という。そりゃ熱中症など命に係る事だから、後まわしにするしかしょうがないだろう。嵐の日などは一時的に映らないこともあるが、天気の日に映らないのは、テレビも熱中症にかかったのか、困ったものだ。


TV画面02


 消えている画面には「アンテナを調べて下さい」って表示されるから、映っていない時間帯に来て調べてもらうしかない。BSは映るが、昼間は通販とか碌な番組がない。当分我慢するしか方法がないみたいだ。


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 暑いですね。東京では酷暑が一週間振りに収まり、今日は雨ですが、まだ30度以上です。

 夏の暑い午後に窓から入り込むそよ風に涼んでいる、スリップ姿(今はロングキャミソールと呼ぶ?)のご婦人を以前に空想で色鉛筆でさっと描いたものです。別にモデルはいません。何かショパンのノクターンが聞こえてくるような一瞬です。ノクターンって夜想曲ですが、午後でもいいですよね。

午後の婦人

 そいえば、このショパンンのノクターンで思い出すのが、ある映画の主題曲にこの曲が使われていたことです。遥か昔(1956年作)の話で申し訳ありませんが、映画はエディ・デューチン物語(愛情物語)です。タイロン・パワーとキム・ノヴァク(二人とも懐かしい名優ですね)が主演で東京の東銀座にあった松竹東劇で上演されました。写真はNet「Yahoo映画」より借用。

映画

 エディ・デューチンは戦前にアメリカで活躍した実在のポピュラー音楽のピアニストです。資産家の令嬢のお陰で楽壇にデビューでき、彼女と結婚しますが、子供を授かって彼女は重い病で亡くなります。そして彼は兵役につき、戦後離れ離れになっていた息子と再会、そこの孤児院の女性と再婚しますが、自らも白血病になり、苦しみの末自殺してしまいます。優しさと愛情に満ちた感動の映画で、まさに愛情物語です。

Chopin - Nocturne op.9 No.2 /M・Polliniの演奏



 「エディー・デューチン・ストーリー」という伝記ものですが、日本語で「愛情物語」とは、まさに脱帽ですね。なお映画の中のでのピアノ演奏の音はレオン・キャヴァレロによるそうです。



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