義理の姉は音楽大学の出で、今は幾つかの地域アマチュア合唱団を指導しながらピアノの伴奏もしている。その姉の住むマンションに若いピアニストが住んでいて、最近何かと顔を合わせる機会があるらしい。
「ピアノの音が聞こえるのですが、今までお目にもかかりませんで・・・・」
彼女は姉に声をかけたらしい。そして、時々自室で開くお茶会に姉は誘われるようになったとか。
そんなある日、この若い女性と彼女の友人達が集まってお茶会を開いた時に、楽譜の話題になったそうだ。
「昔は器楽や合唱などでは手書きの譜面を使ってたのよ」
って姉が言ったそうな。
「えっ、まさか、手書きで写譜したんですか?」
「そうよ、コビーもパソコンもなかったんだから」
みんな、ただ驚くばかりだったという。
最初のコピーは昔の製図みたいな青いジアゾ式の複写だけで、その後やっと70年代の初めに白黒のゼロックス(静電式)のコピーが現れた。
それまでは手書きで黙々と写譜をした。辛い作業だ。大学時代のオーケストラでは各パート譜を作るのにスコアを買ってきて、五線紙に手書きで写譜をするのである。写譜係が二・三名いて、当時の妻のノッコも写譜係をしたそうだ。
まるでバッハやモーツアルトの時代と変わらない。バッハの無伴奏チェロソナタは二人目の妻のアンナ・マグダレーナの手書き写譜しか残っていない。だから、今でもどこかに写譜の際の間違いがないかと調べる研究者がいるらしい。
バッハの無伴奏チェロソナタ
バッハの無伴奏ヴァイオリンソナタ(こちらはバッハ自身が書いた楽譜のコピー)
モーツアルトは写譜屋ウェーバーの娘のアロイージアにふられて、妹のコンスタンツェと結婚する。歌劇「魔弾の射手」を書いたウェーバーとは親戚関係。当時は全て写譜だから、大学時代の我々も同じであった。
左はコンスタンツェ、右はアロイージア(マンハイムからミュンヘンに移ったオペラ歌手)
今ではコピーだけでなく、パソコンやスキャナー、楽譜制作ソフトなどがあり、便利になった。それが当り前の生活になってしまった。だから、ついこの前までは写譜してたって言うと若い人達は驚くのだ。交通手段、電化製品など、あらゆる物が加速度的に変化して行く、その速さは脅威としか言いようがない。
Viosan の「ミネソタの遠い日々」
1970年に私たち夫婦・子供連れでミネソタ大学(University of Minnesota)へ留学した記録のホームページにもどうぞ
