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遠い夏に想いを

アメリカ留学、直後の72年の夏に3ヶ月間親子でパリに滞在。その後、思い出を求めて度々訪欧。

  思い出のスケッチ画だが、余り上手に描けているとは思えない。
      ヴェネツィアは夕景が最も美しいと思う。
  この水彩画にその詩情あふれる情景がでていればと思うのだが。


遠い夏に想いを-ヴェネツィアの夕景

 我々日本人が間違えやすいのが、ヴェネツィアの街と海を見ていて、

     つい口ずさんでしまう「サンタ・ルチア」の歌だ。


       Sul mare luccica l’astro d’argento.♪♪♪
    で始まる、誰でも知っている美しいカンツオーネ・・・・。
   イタリアの名テノール歌手がみな歌っているカンツオーネ。


なにせ、ヴェネツィアの鉄道の終着駅名がサンタ・ルチアなのだから、

         間違えるのも無理はない。


    聖ルチアがナポリの守護聖人なんて思いもよらないし。
     ナポリの歌なのだが、ヴェネツィアの歌と思っている

         日本人が多いのではなかろうか。
           それとも私だけだろうか。


 Viosan の「ミネソタの遠い日々」
1970年に私たち夫婦・子供連れでミネソタ大学(University of Minnesota)へ留学した記録のホームページにもどうぞ

 約束の11時になった。ホテルに戻ると、マリーが待っていた。


「最初に何処へ行こうか」
「モントリオール・オリンピックの会場を見に行きましょうよ」
「余り関心はないけどもね」
「でも、展望台に登れば街を一望できるのよ」


遠い夏に想いを-スタジアム

 地下鉄に乗って行くことにした。オリンピックパークは街の北側にありすぐ着いた。植物園やゴルフ場もある広い公園だ。


 マリーはフランス系カナダ人で、以前は日本企業のモントリオール支社に勤めていたという。そこの日本人の上司に大変世話になったらしい。いまは色々事情があって辞めたが、職を探すなら日本企業がいいという。


 我々に声を掛けたのも、そんな日本人とみてのことだったらしい。
「私はアメリカ企業の日本支社で働いているし、その会社のカナダ支社は遠く離れたロンドン市(イギリスのロンドンとは違うカナダの町)にあるしね」


遠い夏に想いを-球場内部  1976年におこなわれた夏のオリンピック。大変な赤字のオリンピックだったらしいが、メイン・スタジアムはなかなか立派である。観光客が団体で来ている。カナダ唯一のメージャー・リーグのエクスポがここを本拠地にしていたが、いまはワシントンに売却されてしまった。


 モントリオール五輪と云えば、コマネチが史上初の10点満点を連発した大会として記憶に残る。尚、この大会で日本の女子バレーボールチームが金メダルを取っている。



遠い夏に想いを-展望台  塔に登ってみた。展望台がある。高所恐怖症なので、高いところは苦手である。















遠い夏に想いを-市街地
遠い夏に想いを-セント・ローレンス
 遠くにモントリオールの市街地が望める。そばを流れるセント・ローレンス川が白く輝いている。オンタリオ湖から流れ出たこの川の下流にケベック・シティがあり、更に北上して大河となり、大西洋に注ぎ込む。


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 ある日のポンヌフをパステルで描いたものが出てきました。懐かしいので載せてみました。

遠い夏に想いを-ポン
 セーヌと云えば多くの歌や詩にうたわれています。
H.ジローの「パリの空の下」という古いシャンソンにもセーヌとベルシー橋などが出てきます。定番のシャンソンですから皆さんも覚えていると思います。

 有名な詩と云えばアポリネールの「ミラボー橋」がありますね。ミラボー橋もセーヌにかかる橋で、これは画家のローランサンとの恋の終焉を綴ったのもといわれてます。


ミラボー橋の下をセーヌ河が流れ
われらの恋が流れる
わたしは思い出す
悩みのあとには楽しみが来ると


日も暮れよ、鐘も鳴れ
月日は流れ、わたしは残る


手に手をつなぎ顔と顔を向け合はう
かうしていると 
われ等の腕の橋の下を
疲れたまなざしの無窮の時が流れる


日も暮れよ、鐘も鳴れ
月日は流れ、わたしは残る


流れる水のように恋もまた死んでいく
恋もまた死んでゆく
生命ばかりが長く
希望ばかりが大きい


日も暮れよ、鐘も鳴れ
月日は流れ、わたしは残る


日が去り、月がゆき
過ぎた時も
昔の恋も 二度とまた帰って来ない
ミラボーー橋の下をセーヌ河が流れる


日も暮れよ、鐘も鳴れ
月日は流れ、わたしは残る

                (堀口大学の訳)


恋の終わりはいつも苦しいものですね。


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遠い夏に想いを-美術館  翌朝マリーとの約束の時間まで、2時間ほどあったので、ノッコと二人で市内を散歩した。ホテルの直ぐ傍にあるモントリオール美術館へ行ってみた。残念ながら月曜日で美術館は閉まっている。旅行していると美術館などは休館日に当たることが多い。イタリアなどは開いている日でも、昼間の時間帯は閉まっている場合がある。「昼寝の時間」と勝手に決めて諦める。


遠い夏に想いを-クレセント通り  そのまま大聖堂に向かってクレセント通りを散歩する。この通りは歩くだけで楽しい。家々は半地下の古い二階家が建ち並び、みなブティックなどの店に改装されている。何かロンドンの街並みに迷い込んだ雰囲気だ。他にも、シェルブルック通りといった似たような洒落た通りがあるそうだ。


遠い夏に想いを-スクエア  大聖堂の周りは緑地帯になっており、素敵なスクエアーだ。ドーチェスター・スクエアと云うらしい。





遠い夏に想いを-聖堂
遠い夏に想いを-聖堂内部  その一角にモントリオールの大聖堂、「世界のマリア女王の大聖堂」が建っている。まあ、ノートル・ダム聖堂と同じだと思うが、ちっと大袈裟な名前だ。カナダはプロテスタントの国だがケベック州はフランス系カトリックだから、この聖堂もネオゴシック式で立派である。1829に完成したらしいから、それほど古いものではないが、堂内は広くて明るく豪華絢爛たる眺めだ。


 そもそもカナダでもケベック州を訪れたのは、ケベック州がフランス語圏だからである。カナダでもフランス語だけが公用語なのはここだけだそうだ


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 その昔、ミネソタからカナダのモントリオールへ行った。もう10年以上も前だ。昔の留学の時にもカナダに行ってなかった。


遠い夏に想いを-ホテル  この時泊ったホテルはリッツ・カールトン。我々がいつも泊るホテルとしては高級過ぎる。おまけに珍しくスイートルーム。



遠い夏に想いを-ノッコ  着いてすぐホテルの裏通りで街の案内板を見ていた。そこへ一人の女性が通りかかった。27~8歳くらいの女性だ。



遠い夏に想いを-マリーとノッコ 「どこか場所をお探しですか」

声をかけてきた。
「この公園には何があるのですか?」
モン・ロワイヤル公園が近くにあった。
「特にないですが、高台になっているので眺めがいいですよ。モントリオールは初めてですか?」
「この街は初めてす。これからケベック・シティに行く予定です」
「私はマリーと言います。そしたら、よかったら明日一日モントリオールを案内してあげましょうか」
「マリーさんはプロのガイドですか?」
「いいえ、違います。いまは時間がありますから」


 こうゆう見知らぬ人、例え女性であっても、外国では用心しなければならない。色々と質問したり、話をしたりして、翌日街を案内してもらうことになった。


 とりあえず、公園を登ってみた。もう夕暮れで公園のシャレー(小屋)まで行かなかったが市街の展望は素晴らしかった。


遠い夏に想いを-公園


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