遠い夏に想いを -119ページ目

遠い夏に想いを

アメリカ留学、直後の72年の夏に3ヶ月間親子でパリに滞在。その後、思い出を求めて度々訪欧。

 8月に入り、猫の額みたいに小さな花壇にランタナが咲き乱れています。
 時折、蝶々(アゲハ、その他)が小さな花に舞い降ります。二度ばかり黒い蝶(クロアゲハ)が飛来しました。毎年現れるのに今年はまだ姿を現しません。今度黒いのが来たら、また載せますね。蝶々は種類が違うと花に同時に来ません。
この種類は午前中に、あの種類は午後にというような具合です。


遠い夏に想いを-蝶々02
遠い夏に想いを-蝶々04

遠い夏に想いを-蝶々01
遠い夏に想いを-蝶々03


 Viosan の「ミネソタの遠い日々」
1970年に私たち夫婦・子供連れでミネソタ大学(University of Minnesota)へ留学した記録のホームページにもどうぞ

 映画を見るのも面倒な時代になった。
「25年目の弦楽四重奏」というアメリカ映画。国内では上映されない種類の映画だと思うのだが、角川シネマで見られる。新宿の角川シネマに行ったら最終日で50席しかないホールが満員。その日は諦めて帰宅。

$遠い夏に想いを-映画ポスター

 その数日後に今度は有楽町の角川シネマに行きやっと入れた。入場者も疎らで、「こんな映画見に来る人いないよね」と後ろの観客が冗談を言う。

 弦楽器の奏者を弦楽器素人の俳優がやるのは土台無理がある。ピアノとか管なら上手く撮れるだろうが。彼らの右手も左手もガッチガッチで、サウンドトラックに流れる素晴らしい演奏とは余りにもかけ離れている。




 中心はベートーベンの弦楽四重奏曲作品131、14番の曲。フーガ四重奏団というグループ(勿論、実在しない映画上の楽団名だが)で、結成25年になる。チェロを弾く男が一番高齢でパーキンソン氏病に冒され始め、手の震えで楽器が弾けない。

 ここから団員の人間関係が乱れ始める。チェリストが退団して、新しい団員が加わると、四重奏団の音が変わってしまから、セカンド・ヴァイオリンの男が交互でフアースト・ヴァイオリンを弾きたいと言いだす。セカンドの悲哀や苦しみがよく出でいる。セカンドとヴィオラは中間部を支え、ファーストとチェロの旋律部を繋ぎ、曲の土台を構築してゆく重要な役割を担うのだが、目立たないという欠点がある。そんなことをする四重奏団はありえないと皆が反対対する。現実にはエマーソンカルテットの例があり、曲で交互にファーストとセカンドが入れ替わって素晴らしい演奏をする。映画ではここから更に仲間同士のいがみあいが始まり、崩壊の危機へと進むのであ



作品131の動画(アメリカ弦楽四重奏団)、長いけど参考に載せました。


 ベートーベンの後期の6曲の四重奏曲は時代を先取りし、当時の聴衆は置き去りにされるほど凄い曲ばかりで、作品133の「大フーガ」などはいい例である。この作品131も後期の作品で7楽章からなり、スコアを見ると途切れなく演奏しなければならない。フーガ形式で静かに厳かに始まり、最終楽章に向かって激しく展開して行く。まさに「こんな映画見に来る人いないよね」だ。

 最後の演奏会は途中でチェリストが演奏をやめ中断してしまう。新しい女性のチェリスト(本物の演奏家?)が代わりに加わり終楽章を終える。

 演奏のぎこちなさも目立つ事だし、せめて、もっと練習時の曲の解釈などの議論があってもと思うが、商業映画としの限界だろう。数年前に上映された「ナンネルの練習蝶」の弟役のモーツアルト少年に扮した子役が軽々とヴァイオリンを弾く姿と比べるとそのぎこちなさが目立った映画となった。まあ演奏会じゃなくて、映画だからからね。


 Viosan の「ミネソタの遠い日々」
1970年に私たち夫婦・子供連れでミネソタ大学(University of Minnesota)へ留学した記録のホームページ
にもどうぞ


 クライスラーのこれらの小品はクラシックに馴染みのない人達でも一度は聞いたことのあるヴァイオリンの名曲です。下の絵は昔描いた鉛筆画で、これ等の曲とは関係ありません。

$遠い夏に想いを-演奏家

 1930年代にロシア、ドイツ、オーストリア、東欧などで活躍した名ヴァイオリニストの90%近くがユダヤ系で、クライスラーも例外ではありませんでした。ロシヤ革命や、ナチスの排斥で、色々な国を経て、アメリカに亡命した人達が多いのです。

 昔、クライスラーの伝記を読みましたが、彼も波瀾万丈の人生を送った人です。天才少年でヴァイオリンを3歳で始め、コンセルヴァトワール(パリ高等音楽院)を12歳で首席で卒業してしまう。その後医者になりたくて普通の高校へ進学し勉強するが失敗し、オーストリア陸軍に入り、軍人を目指します。

 練習嫌いで有名でした。ウイーンフィルに入団を断られたって面白いですね。またアメリカに亡命した後も、ユーモアに溢れた人だったと昔読んだ「リーダーズ・ダイジェスト」誌の記事が伝えています。

 「ある時、彼はレストランで食事をしていました。ご婦人がウェイタ-に『あの紳士はどなたですか』との問いに、ウェイタ-は『クライスラーさんですよ』と答えたので、このご婦人が彼のところへ進み出て、『クライスラーさん、お宅の車を大変愛用しております。ここにサインを頂けたら』 クライスラーはニッコリ微笑んで『ウォルター・クライスラー』とクライスラ-自動車の社長の名前を書いた」そうです。

 今は往年の名盤の復刻版がCDで買えるようになりましたし、YouTubeなどでも見られます。この動画の演奏は現代の演奏のとはかなり違いますが、古いウィーンの香りが漂ってくるようです。

美しきロスマリン/クライスラー自身による演奏

$遠い夏に想いを-楽譜01

Kreisler plays Kreisler - Schon Rosmarin


愛の喜び クライスラーによる演奏

$遠い夏に想いを-楽譜02



愛の悲しみ/クライスラー自身による演奏

$遠い夏に想いを-楽譜03




 Viosan の「ミネソタの遠い日々」
1970年に私たち夫婦・子供連れでミネソタ大学(University of Minnesota)へ留学した記録のホームページ
にもどうぞ



 かなり昔のことです。毎朝、通勤のために駅まで歩いていると、駅の方からやってくる女性がいます。彼女は近くの銀行に務めるOLでした。そこで働いている彼女の姿を見かけたことがあります。


 綺麗な人で、お淑やかで、物静かな感じで、ゆっくり通り過ぎて行きました。言葉は交わしませんでしたが、毎朝見かけるので軽く会釈して通り過ぎました。


 1年ほど過ぎた冬の寒い朝でした、彼女の姿がありません、次の朝も、その次の朝も見かけなくなりました。転勤したのでしょうか、辞めたのかも知れません。 まるで夢を見ているようなお話です。


 最近は記憶が徐々に衰えてくるようです。どうしてこのことを思い出したのでしょうか、全く記憶の奥底にあった事柄なのに。どうして記憶の表に出てきたのでしょうか、不思議です。皆さんも全く記憶から消えていた事柄を突然思い出すことってありますか?


 記憶を頼りに彼女の姿を鉛筆画で描いていたのを思い出しました。。



遠い夏に想いを-女性

 Viosan の「ミネソタの遠い日々」
1970年に私たち夫婦・子供連れでミネソタ大学(University of Minnesota)へ留学した記録のホームページにもどうぞ

E.エルガーのヴァイオリンの小品3部作をお贈りします。


最初、イギリス人のエルガーが「愛の挨拶」をドイツ語で「Liebesgrus」としたのですが、それはドイツ語が解る婚約者のキャロラインに贈ったからで、出版社が当時流行のサロン風にあやかってフランス語の「Salut d`amour」と題名を変えてしまったのです。この曲が大変にもてはやされたために、朝の歌と夜の歌が作られました。ヴァイオリニストでもあったエルガーの想いが込められたこれらの小品を美しく奏でられたらいいですね。この愛の挨拶の動画の絵はかなり刺激的ですが、演奏とは何の関係もありません。

Salut d`amour 愛の挨拶 (A.ラズモフスカヤ演奏)
$遠い夏に想いを-楽譜




Chanson de matin 朝の歌 (加藤知子演奏)
$遠い夏に想いを-朝



Chanson de nuit 夜の歌 (J.パロマレス演奏)
$遠い夏に想いを-夜





 Viosan の「ミネソタの遠い日々」
1970年に私たち夫婦・子供連れでミネソタ大学(University of Minnesota)へ留学した記録のホームページ
にもどうぞ