久し振りの映画 | 遠い夏に想いを

遠い夏に想いを

アメリカ留学、直後の72年の夏に3ヶ月間親子でパリに滞在。その後、思い出を求めて度々訪欧。

 映画を見るのも面倒な時代になった。
「25年目の弦楽四重奏」というアメリカ映画。国内では上映されない種類の映画だと思うのだが、角川シネマで見られる。新宿の角川シネマに行ったら最終日で50席しかないホールが満員。その日は諦めて帰宅。

$遠い夏に想いを-映画ポスター

 その数日後に今度は有楽町の角川シネマに行きやっと入れた。入場者も疎らで、「こんな映画見に来る人いないよね」と後ろの観客が冗談を言う。

 弦楽器の奏者を弦楽器素人の俳優がやるのは土台無理がある。ピアノとか管なら上手く撮れるだろうが。彼らの右手も左手もガッチガッチで、サウンドトラックに流れる素晴らしい演奏とは余りにもかけ離れている。




 中心はベートーベンの弦楽四重奏曲作品131、14番の曲。フーガ四重奏団というグループ(勿論、実在しない映画上の楽団名だが)で、結成25年になる。チェロを弾く男が一番高齢でパーキンソン氏病に冒され始め、手の震えで楽器が弾けない。

 ここから団員の人間関係が乱れ始める。チェリストが退団して、新しい団員が加わると、四重奏団の音が変わってしまから、セカンド・ヴァイオリンの男が交互でフアースト・ヴァイオリンを弾きたいと言いだす。セカンドの悲哀や苦しみがよく出でいる。セカンドとヴィオラは中間部を支え、ファーストとチェロの旋律部を繋ぎ、曲の土台を構築してゆく重要な役割を担うのだが、目立たないという欠点がある。そんなことをする四重奏団はありえないと皆が反対対する。現実にはエマーソンカルテットの例があり、曲で交互にファーストとセカンドが入れ替わって素晴らしい演奏をする。映画ではここから更に仲間同士のいがみあいが始まり、崩壊の危機へと進むのであ



作品131の動画(アメリカ弦楽四重奏団)、長いけど参考に載せました。


 ベートーベンの後期の6曲の四重奏曲は時代を先取りし、当時の聴衆は置き去りにされるほど凄い曲ばかりで、作品133の「大フーガ」などはいい例である。この作品131も後期の作品で7楽章からなり、スコアを見ると途切れなく演奏しなければならない。フーガ形式で静かに厳かに始まり、最終楽章に向かって激しく展開して行く。まさに「こんな映画見に来る人いないよね」だ。

 最後の演奏会は途中でチェリストが演奏をやめ中断してしまう。新しい女性のチェリスト(本物の演奏家?)が代わりに加わり終楽章を終える。

 演奏のぎこちなさも目立つ事だし、せめて、もっと練習時の曲の解釈などの議論があってもと思うが、商業映画としの限界だろう。数年前に上映された「ナンネルの練習蝶」の弟役のモーツアルト少年に扮した子役が軽々とヴァイオリンを弾く姿と比べるとそのぎこちなさが目立った映画となった。まあ演奏会じゃなくて、映画だからからね。


 Viosan の「ミネソタの遠い日々」
1970年に私たち夫婦・子供連れでミネソタ大学(University of Minnesota)へ留学した記録のホームページ
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