【出雲 紀行】その3 はじめに。奈良から出雲へ、神話を辿る旅
「【出雲紀行】その2 」からのつづきです。
野見宿禰
奈良で、その象徴的なお話があります。
奈良の神話で、英雄ともてはやされた出雲系民族の野見宿禰(のみのすくね)。
天穂日命の子孫。
太宰府天満宮、学問の神様で有名な菅原道真の先祖です。
出雲の参道を散策していたら、このような像に出会いました。
野見宿禰です。
野見宿禰は、垂仁天皇の命により、同じ出雲民族の当麻(奈良県葛城市當麻)の当麻蹴速(たぎまのけはや)と、角力(相撲の原点)で、生死をかけた戦いをおこないます。
伝説では、暴れん坊で、天下無双と増長する蹴速をいさめるための力比べであるとされていました。
事実、肥沃な当麻の地を大和朝廷が手に入れるための策でした。
結果、蹴速は、野見宿禰に腰の骨を砕かれ敗れます。
これにより野見宿禰は、当麻の地を与えられ、土師臣の姓を与えられます。
死と、出雲系民族の受難
出雲系民族は、立場的には第二位でしたが、天照大神の一族に虐げられていたきらいがあります。
出雲系民族の一部には”死”にまつわる催事、葬儀の役割を任されます。
出雲自体、神の国であると同時に、根の国、つまり死の国につながるという伝承もあります。
また出雲系民族は、殉死の役割も担っていました。
大和の王が崩御すると、出雲の一族が殉死の役割を担っていました。
そこで野見宿禰は、殉死者のかわりに、土でこねあげた埴輪を使用することを天皇に認めさせたのですね。
伝説の出雲大社
話を出雲大社に戻しましょう。
こちら野見宿禰の像がおかれた同じ場所で、松江工業高校の学生さんの制作です。
神話にでてくる出雲大社の原形、杵築大社(きづきのおおやしろ)です。
諸説あり、大国主命は、タケミカヅチに国を譲る代わりに、自らを大きな宮殿を要求したとあります。
高さ48メートルもある大神殿です。
現在の高層ビルに等しく、まさに天付く神殿ですね。
そして、こちら現在の姿には、延享元年(1744)に御遷宮御造営されました。
それでも高さ24メートル。
我が国の神社建築の中で、最大を誇ります。
出雲大社遺跡のパネル写真です。
調査により、4世紀代に祭祀に用いられた勾玉や、古えの建物跡が検出されたとあります。
3本の杉の巨木を束ねて1本の柱としていました。
柱には赤色の顔料が附着した痕跡があり、社は赤く塗られていたことが判明しました。
出雲大社の大鳥居から、登りの調子に参道がつづき、出雲大社にあたります。
町を見下ろすところに出雲大社はあります。
あおげば、神がおわす神殿がある風景に、ここの人々は、どのように感じ、日々、生活をおくっているのでしょうね。
奈良と出雲
偶然ですが、(知らなかったです)
出雲大社から少しいったところ、「島根県立古代出雲歴史博物館」では、このような展示がされていました。
「平城遷都1300年 出雲国誕生と奈良の都」
前置きが長々となりました。
次回「その4 スサノオ伝。日御碕神社 ~奈良から出雲へ、神話を辿る旅 」では、神の国、出雲での旅先のことをご紹介します。
【出雲紀行】
その1 はじめに。奈良から出雲へ、神話を辿る旅
その2 はじめに。奈良から出雲へ、神話を辿る旅
その3 はじめに。奈良から出雲へ、神話を辿る旅
その4 スサノオ伝。日御碕神社 ~奈良から出雲へ、神話を辿る旅
その5 スサノオ伝。八重垣神社 ~奈良から出雲へ、神話を辿る旅
(終)大国主・出雲国造り物語 出雲から、奈良へ
君が代がうたえなくて。 君が代 さざれ石の秘密。 ~ 出雲紀行で発見
学問の神様・菅原道真のルーツをたどる
【出雲名店街】島根名物 たまゆら パワーストーン屋さん
【出雲名店街】ぜんざい発祥の地は、出雲
【三輪山、大神神社紀行】
「大神神社 古事記の山「 三輪山 」【総集編】 」
☆参考;
- 蚤の王―野見宿禰 (中公文庫―コミック版)/安彦 良和
- 大和朝廷から、蚤の一族とさげすまれていた野見宿禰の伝説をコミック化したお話です。
- ¥620
- Amazon.co.jp
出雲大社ホームページ
http://www.izumooyashiro.or.jp/index.html
大いなる社 出雲大社
http://www.highlight.jp/izumooyashiro/index.html
島根県立古代出雲歴史博物館
【出雲 紀行】その2 はじめに。奈良から出雲へ、神話を辿る旅
「【出雲紀行】その1 」からのつづきです。
(出雲大社本殿。「出雲大社平成の大遷宮」のため、
平成25年5月まで御修造となります。)
大国主命をはじめとする国津神の信仰は、弥生時代からつくられたと見られます。
その証拠が、島根県斐川町の荒神谷遺跡が示します。
弥生時代には北九州と大和が先進国であったという古代史の定説を覆す発見がされました。
昭和59年(1984)、銅剣358本出土したのです。
時代から推測すると、荒神谷遺跡後に、北九州に(邪馬台国?)王国が栄え、さらにその後に大和朝廷が誕生したと考えられています。
このことから、荒神谷遺跡は、古代の信仰や文化が出雲から広がったことを示すのでした。
荒神谷では出雲各地の村落の首長が各自いっぽんずつ銅剣を持ち寄り、年に一度の特別な祭りを開いていました。
この銅剣こそ、各地村落の守りの神の御神体でした。
縄文人は、あらゆる自然物を神として祀っていました。
弥生時代、農耕が盛んとなり村落が生まれると、村落を構成する血縁集団を守る一柱の強い神を祀るようになりました。
そして、自然と、村落をまとめる国として、大国主が生まれたということは、自明であったことでしょう。
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(以下、告知記事「神在月をおいかけて~出雲紀行 」より抜粋。再編成をしています。)
天照大神一族、天の神々の子孫である神武天皇が東征をする以前より、この地の国を治めていたのがスサノオウノミコト。
ヤマタノオロチ退治をはじめとする神話にもでてきます。
このスサノオウノミコトを開祖とする出雲系民族。
この奈良では強大な力をもった豪族のひとつ物部氏の祖ニギハヤヒ。
出雲系民族の一族であるとも言われています。
出雲系民族から天の神一族にとって代わる、ターニングポイントとなる神話があります。
それが、古事記の中の国譲りの神話ですね。
天照大神の命を受け、地上に降りたタケミカヅチという神様が登場します。
(タケミカヅチ、鹿島神宮、春日大社 で祀られています。)
海岸に剣を突き立て、その上に胡坐をかいた姿で、大国主命と対峙します。
そこでタケミカヅチは、オオクニヌシに国を譲るようにと迫ります。
更にオオクニヌシの子であり宗教(内政)を司るコトシロヌシより権限の移譲を認めさせます。
最後まで抵抗したのは、同じく息子のタケミナカタ。
出雲の軍事を司る神様です。
これを徹底的に打ち負かし諏訪(長野県信州)まで追いやり、国譲りを成し遂げます。
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豪族達が各地を支配していた時代。
タケミカヅチは、国土を統一すべく天より降臨する神の先兵として現れたのです。
タケミカヅチの国譲り後、神武天皇の九州日向を起点に東征が始ります。
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神武東征については、以下を参照ください。
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栄華を誇った大国主命の出雲王朝は、これより衰退し、
出雲民族は、日本で第二位の地位にあまんじることとなります。
次回「【出雲 紀行】その3 はじめに。奈良から出雲へ、神話を辿る旅 」へつづきます。
【出雲紀行】
その1 はじめに。奈良から出雲へ、神話を辿る旅
その2 はじめに。奈良から出雲へ、神話を辿る旅
その3 はじめに。奈良から出雲へ、神話を辿る旅
その4 スサノオ伝。日御碕神社 ~奈良から出雲へ、神話を辿る旅
その5 スサノオ伝。八重垣神社 ~奈良から出雲へ、神話を辿る旅
(終)大国主・出雲国造り物語 出雲から、奈良へ
君が代がうたえなくて。 君が代 さざれ石の秘密。 ~ 出雲紀行で発見
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【三輪山、大神神社紀行】
「大神神社 古事記の山「 三輪山 」【総集編】
」
【出雲 紀行】その1 はじめに。奈良から出雲へ、神話を辿る旅
2009年11月(旧暦の10月)の神在月に出雲に訪れた時のお話です。
神無月は、厳密な暦をあらわしているのではなく、あて字であるという説がありますね。
神無月は、年に一度に全国の神様が出雲大社(島根県)に集まっている日と伝えられています。
このため、全国的に神様がいない月、神無月と呼ばれるようになったとか。
これに対して、出雲の地では、逆に神在月(かみありつき)と呼んでいますね。
古事記、日本書紀においては天照大神をはじめとする天の神々は、最初、九州は高千穂に降臨した(天孫降臨)と言われています。
それであれば、神在月に、なぜ九州ではなく、島根・出雲となるのでしょうね。
九州から奈良・大和へ遷都したことを考えれば、奈良、もしくは天照大神を祀る伊勢の方が正当ではないでしょうか?
そこで出てくるのが出雲系民族です。
天の神々の子孫である神武天皇が東征をする以前より、この地の国を治めていたのがスサノオウノミコト。
ヤマタノオロチ退治をはじめとする神話にもでてきますね。
このスサノオウノミコトを開祖とする出雲系民族。
この奈良で日本最古の都・大和朝廷が起こる以前に、日本を治めていたのが出雲王国ではないかという説があります。
この奈良では強大な力をもった豪族のひとつ物部氏の祖ニギハヤヒは、出雲系民族の一族であるとも言われています。
出雲系民族から天の神一族にとって代わる、ターニングポイントとなる神話があります。
それが、古事記の中の国譲りの神話ですね。
天照大神の命を受け、地上に降りたタケミカヅチという神様が登場します。
海岸に剣を突き立て、その上に胡坐をかいた姿で、出雲の国主たるオオクニヌシ(オオナムジ)と対峙します。
そこでオオクニヌシに国を譲るようにと迫るのです。
タケミカヅチは、君主であるオオクニヌシに国を譲るようにと説き伏せます。
更にオオクニヌシの息子であり宗教(内政)を司るコトシロヌシより権限の移譲を認めさせます。
最後まで抵抗したのは、同じく息子のタケミナカタ。
出雲の軍事を司る神様です。
これを徹底的に打ち負かし諏訪(長野県信州)まで追いやり、国譲りを成し遂げます。
豪族達が各地を支配していた時代。
タケミカヅチは、国土を統一すべく天より降臨する神の先兵として現れたのです。
そんなこんなで、旧暦の10月にあたる11月28日・・・
島根県東部は、出雲。
そこに住む人々は、この土地を「神の国」と呼んでいます。
その理由が、出雲大社。
出雲大社に祀られている大国主命(おおくにぬしのみこと)。
(出雲大社参道にある大国主命と、因幡の素ウサギの像。)
現在、日本で最高神、そして皇族の祖先、天照大神(あまてらすおおみかみ)より古い由来の神と考えられております。
大国主命は天から降臨した天照大神の一族に対し、
古くから日本を支配していた国津神(くにつかみ)の総元締めとよばれています。
この大国主命を祀る神社は、全国に存在しており、遠くは、北海道にも及びます。
北海道神宮、上川神社、三吉神社など。
奈良では、三輪の大神神社 、大和神社 、そして都祁水分神社 などがあります。
日本で最初の首都ができた奈良、そしてそれ以前にこの国を支配していた一族、出雲の神々。
毎年10月は、全国で「神無月」と指し、この出雲においては「神在月」と呼ぶ。
これは日本中の神様が出雲に集まって縁結びの話し合いをする信仰にもとずいた呼び方です。
出雲を神々のふるさとする発想は、奈良・大和朝廷にもうけつがれていました。
次回「【出雲 紀行】その2 はじめに。奈良から出雲へ、神話を辿る旅 」へつづきます。
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その1 はじめに。奈良から出雲へ、神話を辿る旅
その2 はじめに。奈良から出雲へ、神話を辿る旅
その3 はじめに。奈良から出雲へ、神話を辿る旅
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その5 スサノオ伝。八重垣神社 ~奈良から出雲へ、神話を辿る旅
(終)大国主・出雲国造り物語 出雲から、奈良へ
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【出雲名店街】ぜんざい発祥の地は、出雲
【三輪山、大神神社紀行】
「大神神社 古事記の山「 三輪山 」【総集編】 」













