禁足地!? 石上神宮と石上神宮国宝「七支刀」 【パワースポット 奈良】 奈良 天理市
奈良天理市 石上神宮(いそがみじんぐう)。
大和朝廷発祥以来の古社です。
かつて大豪族・物部氏が祀っており、大和朝廷の武器庫とされておりました。
桜井市三輪の大神神社と同様に本殿のない社でした。
かつては拝殿からその背後の禁足地を遥拝していたとされています。
そこに霊剣「布都御霊」が安置されているといいつたえられています。
(石上神宮の見取り図。黄色いところが、禁足地です。)
明治に大宮司・菅政友が官許を得て発掘したところ、御神体をはじめ多数の宝物が出土しました。
伝説の霊剣「布都御霊」は見つかってはいないそうです。
大正時代には、禁足地に本殿が造営され、そこに御神体が安置されました。
同じく神倉に出土した宝物をはじめ、国宝「七支刀」が収められました。
「七支刀」は、石上神宮に六叉の鉾(ろくさのほこ)として伝えられてきた全長約75センチの鉄剣です。
武器というよりも祭祀に使用されたと考えられています。
境内では、この七支刀を模ったネクタイピンが販売されています。
男子は(女子もですが・・・)外にでれば7人の敵ありといいますね
ばっさっばさと敵を倒していくには効果ありそうです。
かつて天理市杣之内町に存在した寺院内山永久寺は、壮大な伽藍であったと伝えられており、東大寺、興福寺、法隆寺に次ぐ寺格を誇っていたそうです。
明治の廃仏毀釈で廃寺となり、今はその姿を留めていません。
こちらは、出雲建雄神社(いずもたけお)の拝殿です。
石上神宮境内にある出雲建雄神社の拝殿は永久寺から移築されたものです。
石上神宮の摂社「出雲建雄神社」。
出雲武雄とはスサノオウノミコトのことです。
天武天皇の時代(686)、一振りの剣が布留川を流れて布に留まった。
この剣を草薙剣の荒魂と仰ぎ奉斎したのがここ出雲武雄神社です。
この伝説から、この地を布留と呼ぶようになったそうです。
石上神宮の関連記事
【奈良妖怪大戦争より抜粋】
蘇我・物部の抗争(3)~石上神宮と物部氏―1―
蘇我・物部の抗争(3)~石上神宮と物部氏―2―
石上神宮・関連記事
石上神宮に秘められた謎。 死者蘇生の呪文
なんだぁこりゃあ!・・・石上神宮に秘められた謎
スピリチュアルなものにあこがれている?ゼロ・イチのラプソディ。
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石上神宮の正月
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かつて大豪族・物部氏が祀っており、大和朝廷の武器庫とされておりました。
桜井市三輪の大神神社と同様に本殿のない社でした。
かつては拝殿からその背後の禁足地を遥拝していたとされています。
そこに霊剣「布都御霊」が安置されているといいつたえられています。
(石上神宮の見取り図。黄色いところが、禁足地です。)
明治に大宮司・菅政友が官許を得て発掘したところ、御神体をはじめ多数の宝物が出土しました。
伝説の霊剣「布都御霊」は見つかってはいないそうです。
大正時代には、禁足地に本殿が造営され、そこに御神体が安置されました。
同じく神倉に出土した宝物をはじめ、国宝「七支刀」が収められました。
「七支刀」は、石上神宮に六叉の鉾(ろくさのほこ)として伝えられてきた全長約75センチの鉄剣です。
武器というよりも祭祀に使用されたと考えられています。
境内では、この七支刀を模ったネクタイピンが販売されています。
男子は(女子もですが・・・)外にでれば7人の敵ありといいますね

ばっさっばさと敵を倒していくには効果ありそうです。
かつて天理市杣之内町に存在した寺院内山永久寺は、壮大な伽藍であったと伝えられており、東大寺、興福寺、法隆寺に次ぐ寺格を誇っていたそうです。
明治の廃仏毀釈で廃寺となり、今はその姿を留めていません。
こちらは、出雲建雄神社(いずもたけお)の拝殿です。
石上神宮境内にある出雲建雄神社の拝殿は永久寺から移築されたものです。
石上神宮の摂社「出雲建雄神社」。
出雲武雄とはスサノオウノミコトのことです。
天武天皇の時代(686)、一振りの剣が布留川を流れて布に留まった。
この剣を草薙剣の荒魂と仰ぎ奉斎したのがここ出雲武雄神社です。
この伝説から、この地を布留と呼ぶようになったそうです。
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奈良パワースポット巡り~石上神宮編~
その1.作法をしりましょう。
その2.石上神宮を参拝。そして石上神宮の歴史
その3.光とあそぶ。出雲武雄神社を参拝と歴史
その4.イケメン?大物主・三輪山伝説
その5.日本最古で最大の宗教戦争
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- 大神(おおみわ)と石上(いそのかみ)―神体山と禁足地/著者不明
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時代かご「やじきた屋」 奈良公園 観光
こんにちは。
以前にも掲載した時代かご「やじきた屋」 さん。
久々に、遭遇しました。
観光地では人力車はもう珍しくはないですね。
駕籠屋さん。
なかなかありませんヨ。
ふたりの屈強なオジサンが、
エッホッ
エッホッ
エッホッ・・・と
旅のひとときの思い出を演出してくれます。
座り心地はいいのかな?
サイズは、ワタシのような大きいカラダの人には不向きかもしれませんね。
(聞いておくんでしたネ・・・ (^_^;) )
時代かご「やじきた屋」の情報はこちら。
http://www.nara-kago.jp/img/price.html
時代かご「やじきた屋」のブログはこちら。
http://www.nara-kago.jp/index.cgi
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嗚呼、栄枯盛衰 足利義昭 と 興福寺 ~ 算命学 と 奈良歴史 (再掲載)
連動企画【算命学で見た、奈良・歴史上の人物とミステリー】
第十一弾、 足利義昭
゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚ ゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚
(興福寺 五重塔 )
室町幕府の第15代将軍。
室町幕府最後の将軍です。
兄の義輝がいたため、家督相続から外れ幼くして仏門に入ります。
興福寺の一乗院門跡で、現在の奈良地方裁判所の敷地にあたります。
このとき覚慶と名乗ります。
このまま覚慶は高僧として生涯を終えるはずでした。
しかし、戦国の世。
永禄8年(1565)5月。
永禄の変が起こります。
第13代将軍であった兄・義輝は、三好三人衆、松永久秀の手によって殺害。
覚慶も松永久秀の手によって捕縛されます。
(松永久秀と大和の武士・筒井順慶との宿命の対決は・・・こちら !)
興福寺の反感をうけるのを恐れて、殺されずに幽閉されます。
細川藤孝らの働きで命辛々、奈良から木津川をさかのぼり伊賀へ脱出します。
(京都府 木津川)
還俗し若狭・越前と転々としながら、室町幕府再興を心に誓うのでした。
永禄11年(1568)。
織田信長と手を組み上洛を開始。
仇敵、三好三人衆を退け、室町幕府の再興を果たすのでした。
しかしその後、織田信長と対立。
多くの武将を操り織田信長を追い詰めようとしますが、失敗。京都追放されます。
室町幕府は完全に滅亡。豊臣秀吉の時代には、将軍職を辞すこととなります。
もしも三好の暴挙がなければ、覚慶は、高僧として生涯を終えるはずでした。
戦国時代に翻弄され抗った一人だったのでしょう。
今でこそ、奈良観光の目玉「興福寺」です。
近鉄奈良駅から山側へと歩いていると、ドーンと五重塔が見えます。
昨年の阿修羅像帰山の折には、大勢の参拝者が長蛇の列をなしていました。
足利義昭のお話は興福寺悠久の時代の流れの一片でしかありません。
奈良時代には、春日大社の神威を「神仏習合」により配下に入れ、
藤原摂関家と結び強力な政治力、そして巨大な経済力を併せ持ち、絶大な権力の存在となります。
それは法隆寺、薬師寺、西大寺、京都の清水寺を支配下に置くほどのものでした。
一乗院と大乗院の両門跡が、それぞれ交代で別当を出すようになります。
鎌倉時代には幕府から、一乗院と大乗院は大和国守護職を任されます。
後に一乗院と大乗院は対立します。
南北朝時代には、南朝北朝と分裂します。
一乗院は後醍醐天皇の南朝を、大乗院は足利尊氏を支持します。
戦国時代には武士によって荒らされ混沌とし寺勢はますます衰えるていきます。
明治維新後「神仏分離令」により、興福寺の門跡・僧官たち去り、興福寺は荒廃します。
広大な境内は奈良公園となったのでした。
明治14年(1881)に現在ある形への再興が認められたのでした。
さて・・・
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連動企画【算命学で見た、奈良・歴史上の人物とミステリー】
第11弾 「足利義昭 」
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紅星先生との連動企画で紹介した歴史上の人物はこちら。
第十一弾、 足利義昭
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(興福寺 五重塔 )
室町幕府の第15代将軍。
室町幕府最後の将軍です。
兄の義輝がいたため、家督相続から外れ幼くして仏門に入ります。
興福寺の一乗院門跡で、現在の奈良地方裁判所の敷地にあたります。
このとき覚慶と名乗ります。
このまま覚慶は高僧として生涯を終えるはずでした。
しかし、戦国の世。
永禄8年(1565)5月。
永禄の変が起こります。
第13代将軍であった兄・義輝は、三好三人衆、松永久秀の手によって殺害。
覚慶も松永久秀の手によって捕縛されます。
(松永久秀と大和の武士・筒井順慶との宿命の対決は・・・こちら !)
興福寺の反感をうけるのを恐れて、殺されずに幽閉されます。
細川藤孝らの働きで命辛々、奈良から木津川をさかのぼり伊賀へ脱出します。
(京都府 木津川)
還俗し若狭・越前と転々としながら、室町幕府再興を心に誓うのでした。
永禄11年(1568)。
織田信長と手を組み上洛を開始。
仇敵、三好三人衆を退け、室町幕府の再興を果たすのでした。
しかしその後、織田信長と対立。
多くの武将を操り織田信長を追い詰めようとしますが、失敗。京都追放されます。
室町幕府は完全に滅亡。豊臣秀吉の時代には、将軍職を辞すこととなります。
もしも三好の暴挙がなければ、覚慶は、高僧として生涯を終えるはずでした。
戦国時代に翻弄され抗った一人だったのでしょう。
今でこそ、奈良観光の目玉「興福寺」です。
近鉄奈良駅から山側へと歩いていると、ドーンと五重塔が見えます。
昨年の阿修羅像帰山の折には、大勢の参拝者が長蛇の列をなしていました。
足利義昭のお話は興福寺悠久の時代の流れの一片でしかありません。
奈良時代には、春日大社の神威を「神仏習合」により配下に入れ、
藤原摂関家と結び強力な政治力、そして巨大な経済力を併せ持ち、絶大な権力の存在となります。
それは法隆寺、薬師寺、西大寺、京都の清水寺を支配下に置くほどのものでした。
一乗院と大乗院の両門跡が、それぞれ交代で別当を出すようになります。
鎌倉時代には幕府から、一乗院と大乗院は大和国守護職を任されます。
後に一乗院と大乗院は対立します。
南北朝時代には、南朝北朝と分裂します。
一乗院は後醍醐天皇の南朝を、大乗院は足利尊氏を支持します。
戦国時代には武士によって荒らされ混沌とし寺勢はますます衰えるていきます。
明治維新後「神仏分離令」により、興福寺の門跡・僧官たち去り、興福寺は荒廃します。
広大な境内は奈良公園となったのでした。
明治14年(1881)に現在ある形への再興が認められたのでした。
さて・・・
算命学カウンセラー紅星くれないぼし先生の鑑定結果は如何でしょうか。
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連動企画【算命学で見た、奈良・歴史上の人物とミステリー】
第11弾 「足利義昭 」
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関連情報:
第一弾、豊臣秀長 。
第二弾、筒井順慶 。
第四弾、菅原道真 。
第五弾、中将姫 。
第七弾、志賀直哉。
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