嗚呼、栄枯盛衰 足利義昭 と 興福寺 ~ 算命学 と 奈良歴史 (再掲載)
連動企画【算命学で見た、奈良・歴史上の人物とミステリー】
第十一弾、 足利義昭
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(興福寺 五重塔 )
室町幕府の第15代将軍。
室町幕府最後の将軍です。
兄の義輝がいたため、家督相続から外れ幼くして仏門に入ります。
興福寺の一乗院門跡で、現在の奈良地方裁判所の敷地にあたります。
このとき覚慶と名乗ります。
このまま覚慶は高僧として生涯を終えるはずでした。
しかし、戦国の世。
永禄8年(1565)5月。
永禄の変が起こります。
第13代将軍であった兄・義輝は、三好三人衆、松永久秀の手によって殺害。
覚慶も松永久秀の手によって捕縛されます。
(松永久秀と大和の武士・筒井順慶との宿命の対決は・・・こちら !)
興福寺の反感をうけるのを恐れて、殺されずに幽閉されます。
細川藤孝らの働きで命辛々、奈良から木津川をさかのぼり伊賀へ脱出します。
(京都府 木津川)
還俗し若狭・越前と転々としながら、室町幕府再興を心に誓うのでした。
永禄11年(1568)。
織田信長と手を組み上洛を開始。
仇敵、三好三人衆を退け、室町幕府の再興を果たすのでした。
しかしその後、織田信長と対立。
多くの武将を操り織田信長を追い詰めようとしますが、失敗。京都追放されます。
室町幕府は完全に滅亡。豊臣秀吉の時代には、将軍職を辞すこととなります。
もしも三好の暴挙がなければ、覚慶は、高僧として生涯を終えるはずでした。
戦国時代に翻弄され抗った一人だったのでしょう。
今でこそ、奈良観光の目玉「興福寺」です。
近鉄奈良駅から山側へと歩いていると、ドーンと五重塔が見えます。
昨年の阿修羅像帰山の折には、大勢の参拝者が長蛇の列をなしていました。
足利義昭のお話は興福寺悠久の時代の流れの一片でしかありません。
奈良時代には、春日大社の神威を「神仏習合」により配下に入れ、
藤原摂関家と結び強力な政治力、そして巨大な経済力を併せ持ち、絶大な権力の存在となります。
それは法隆寺、薬師寺、西大寺、京都の清水寺を支配下に置くほどのものでした。
一乗院と大乗院の両門跡が、それぞれ交代で別当を出すようになります。
鎌倉時代には幕府から、一乗院と大乗院は大和国守護職を任されます。
後に一乗院と大乗院は対立します。
南北朝時代には、南朝北朝と分裂します。
一乗院は後醍醐天皇の南朝を、大乗院は足利尊氏を支持します。
戦国時代には武士によって荒らされ混沌とし寺勢はますます衰えるていきます。
明治維新後「神仏分離令」により、興福寺の門跡・僧官たち去り、興福寺は荒廃します。
広大な境内は奈良公園となったのでした。
明治14年(1881)に現在ある形への再興が認められたのでした。
さて・・・
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連動企画【算命学で見た、奈良・歴史上の人物とミステリー】
第11弾 「足利義昭 」
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紅星先生との連動企画で紹介した歴史上の人物はこちら。
第十一弾、 足利義昭
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(興福寺 五重塔 )
室町幕府の第15代将軍。
室町幕府最後の将軍です。
兄の義輝がいたため、家督相続から外れ幼くして仏門に入ります。
興福寺の一乗院門跡で、現在の奈良地方裁判所の敷地にあたります。
このとき覚慶と名乗ります。
このまま覚慶は高僧として生涯を終えるはずでした。
しかし、戦国の世。
永禄8年(1565)5月。
永禄の変が起こります。
第13代将軍であった兄・義輝は、三好三人衆、松永久秀の手によって殺害。
覚慶も松永久秀の手によって捕縛されます。
(松永久秀と大和の武士・筒井順慶との宿命の対決は・・・こちら !)
興福寺の反感をうけるのを恐れて、殺されずに幽閉されます。
細川藤孝らの働きで命辛々、奈良から木津川をさかのぼり伊賀へ脱出します。
(京都府 木津川)
還俗し若狭・越前と転々としながら、室町幕府再興を心に誓うのでした。
永禄11年(1568)。
織田信長と手を組み上洛を開始。
仇敵、三好三人衆を退け、室町幕府の再興を果たすのでした。
しかしその後、織田信長と対立。
多くの武将を操り織田信長を追い詰めようとしますが、失敗。京都追放されます。
室町幕府は完全に滅亡。豊臣秀吉の時代には、将軍職を辞すこととなります。
もしも三好の暴挙がなければ、覚慶は、高僧として生涯を終えるはずでした。
戦国時代に翻弄され抗った一人だったのでしょう。
今でこそ、奈良観光の目玉「興福寺」です。
近鉄奈良駅から山側へと歩いていると、ドーンと五重塔が見えます。
昨年の阿修羅像帰山の折には、大勢の参拝者が長蛇の列をなしていました。
足利義昭のお話は興福寺悠久の時代の流れの一片でしかありません。
奈良時代には、春日大社の神威を「神仏習合」により配下に入れ、
藤原摂関家と結び強力な政治力、そして巨大な経済力を併せ持ち、絶大な権力の存在となります。
それは法隆寺、薬師寺、西大寺、京都の清水寺を支配下に置くほどのものでした。
一乗院と大乗院の両門跡が、それぞれ交代で別当を出すようになります。
鎌倉時代には幕府から、一乗院と大乗院は大和国守護職を任されます。
後に一乗院と大乗院は対立します。
南北朝時代には、南朝北朝と分裂します。
一乗院は後醍醐天皇の南朝を、大乗院は足利尊氏を支持します。
戦国時代には武士によって荒らされ混沌とし寺勢はますます衰えるていきます。
明治維新後「神仏分離令」により、興福寺の門跡・僧官たち去り、興福寺は荒廃します。
広大な境内は奈良公園となったのでした。
明治14年(1881)に現在ある形への再興が認められたのでした。
さて・・・
算命学カウンセラー紅星くれないぼし先生の鑑定結果は如何でしょうか。
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連動企画【算命学で見た、奈良・歴史上の人物とミステリー】
第11弾 「足利義昭 」
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関連情報:
第一弾、豊臣秀長 。
第二弾、筒井順慶 。
第四弾、菅原道真 。
第五弾、中将姫 。
第七弾、志賀直哉。
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