熊野本宮大社旧社地 大斎原 (史跡) ― 熊野紀行(略)2010 その3 ~和歌山県 熊野
~ 熊野紀行(略)2010 その2 ~のつづきです。山に囲まれた土地。
田畑の真ん中に、突如現れた巨大な鳥居。
まっすぐに続く参道をすすみます。
ここは熊野川と音無川の中州。
熊野本宮大社から、わずかばかりのところにある「熊野本宮大社 旧社地 大斎原(おおゆのはら)(史跡)」
崇神天皇65年に熊野権現が、「大湯原」の3本のイチイの梢に3枚の月形となって降臨したと伝えられた地です。
平安末期以降、熊野本宮は阿弥陀如来の西方浄土と見なされていました。
生きながら、阿弥陀の浄土に生まれ変わることを目指して、上皇、貴族、武士、庶民、さまざまな階級の人々が、はるばると、この大斎原まで旅してきたのでした。
江戸時代まで音無川には橋が架けられていませんでした。
参詣者は、作法として音無川の流れに足を踏み入れ、冷たい水に身と心を清めてから本宮の神域に入っていました。
明治22年の水害により、社殿を、現在の熊野本宮大社へ移したそうです。
鳥居をくぐるまえから、ここちよい感じがしましたね。
まわりより温度が低く感じられます。
シンと身が引き締まるような、しかし穏やかな空気がただよいます。
いっけん、ただただ、木々が立ち並ぶ公園のようです。

現在は2基の石祠が祀られているのみです。
かつては、熊野本宮大社として、十二所権現を祀る社殿が立ち並び、全国からおびただしい数の参内者が訪れた聖地でした。
今でも、ひきよせられ訪れるひとも多いところです。
一般的な熊野詣の順路は、熊野本宮大社、新宮・熊野速玉大社、熊野那智大社の熊野三山を巡拝し、再び本宮に戻り、帰路につくというのがでした。
最後に本宮で、熊野の御神符「熊野午王宝印」と道中安全の護符である「梛(なぎ)の葉」を頂き、それらを手土産にしていました。
「その4」につづきます。
熊野本宮大社! ― 熊野紀行(略)2010 その2 ~和歌山県 熊野
~ 熊野紀行(略) 2010 その1
~のつづきです。玉置神社 をあとにして、玉置山をおりる・・・
「3つの聞き方だけで仕事は9割うまくいく
」の久保
さんと、
eビズ・ステップアップ塾講師である瀧本ヒロシ
さんご夫妻。
経営コンサルタント 高越宏和
さん。
個人ビジュアルアップコーディネートの英マリエ
さん。
美人で青いジャケットのNさん。
くろにんじん
さん。・・・の、ゆかいな仲間たち。
こーんな道をすすんでいます。
山は、切り立ち連なります。
深い谷間には、清流がながれています。
その山の端に、足場よろしくかけられた道は、山の稜線にあわせて、はげしく蛇行します。
(十津川村のゆるキャラ。名産品一家ですな。)
うつくしい紅葉の中を進み、一路、和歌山は、熊野へと向かいます。
そして、
熊野本宮大社ひとの行き来が、多いです。
有名な寺社仏閣は、例外なく、老若男女、わけへだてなく訪れていますね。
みなさん、お元気な様子でワイワイとされていました。
観光地といってしまえば、それでしまいなんでしょうが、
このにぎやかしさは、この地の活気づいている様がうかがえます。
スピリチュアルな言い方をすれば・・・
境内は、清浄な空気と、陽の気で、満ちています
。
参道を進むと、御門へとつづきます。
菊の御紋に、ヤタガラス ののぼり。
「蘇る日本の心!」
や、とても力強い、そして深い安心感をいただけるところですね。
御社殿は、平成二十四年9月まで、檜皮葺屋根の修復中をおこなっています。
日本神話では、スサノオの子供である五十猛神(いそたけるのかみ)が、熊野の森をつくったという伝説があります。
また、熊野は、黄泉の国、根の国(死者の国)という言い伝えがあります。
神々の系譜 とは、少し異質なニオイがします。
それもそのはず。
天照大神の系譜、大和朝廷とは異なり、
紀伊半島南部の山深いところに住む人々が、山の巨木を神様と祀ったのが熊野信仰のはじまりといわれています。
熊野本宮大社に祀られている「家都御子神(けつみこのかみ)」は、「木の御子の神」という意味です。
五十猛神(いそたけるのかみ)と同一とされたのは、後のことでした。
神話の神武東征で、熊野の神が登場します。
神武天皇(イワレビコ)の軍の侵攻を妨げ、神剣フツノミタマで成敗されたと伝えられています。
平安時代になると、熊野信仰は、山岳仏教と融合しました。
熊野の厳しい山々で、修行する修験者は、那智大社のすぐとなりに青岸渡寺を本拠地としました。
彼らは強い呪力をもっており、国内に争乱が起こったときに、その力をもって活躍しました。
平安末期、白河法皇、鳥羽法皇も、彼らの協力を求め、幾度も熊野詣でを行っていました。
さて・・・
一行は、お参りを済ませると、次の目的地へと向かいます。
ふと、わたしがひいたヤタガラス おみくじ。
ここに「大斎原」にまつわることが記されていました。
それをみた久保さんが、「大斎原」にいきましうかと、スタスタと先に歩まれていきます。
奈良歴史ミステリーハンターの私、熊野はまったくの不案内です。
マークでついていきます。そして、一行は、徒歩で「大斎原」へと向かいます。
おお

田畑のどまんなかに、
こつぜんと現れた巨大な鳥居。
(※手前、久保さん)
・・・
「
月と、
山と、
海と。
食べて、
呑んで、
祈ってパワースポット・熊野紀行。
」略して、
「熊野紀行」。・・・長くなったので、「その3」へ、つづきます!
前の記事>「熊野紀行(略) 2010 その1 」
>>「神々の道すじ。玉置神社の秋 」
(2010.11.13)
神々の道すじ。玉置神社の秋 玉置山 雲海 ~ 熊野紀行より
「死と再生。月と山と海と。食べて呑んで祈って、パワースポット 熊野三山 熊野紀行 2010 その1」より。
玉置神社。
吉野郡十津川村玉置川。
日本で最大の面積を誇る十津川村。
大峰山系の南端に位置する標高1076メートルの玉置山に鎮座する旧郷社。
訪れる人を選び、拒絶されたその人に訪れることができないような運気にさらされると伝えられています。
一行は、山間の、片や切り立った山側を、片や切り落とされた深い谷となる道をすすみます。
視界は悪く、行く手は霧で乳白色にそまります。
なんとか玉置山の道へとたどりつきます。
そして、日がのぼるにつれ、山肌に色が蘇り、紅葉する木々に嘆息するのでした。
やがて・・・
雲海です。
神話の時代。
天照大神の命を受けて、葦原中国(地上)を平定するため遣わされた神倭伊波礼琵古命(かんやまといわれひこのみこと 以下:イワレビコ)。
後の名を神武天皇。
都に適した土地を求め、日向国の高千穂(九州は宮崎県日向市美々津)から船で東へと出兵しました。
いわゆる、神武東征です。
一行は、熊野に上陸しヤタガラスの導きにより、大和へと向かいます。
途中、兵を休め「十種神宝(とくさのかんだから)」を置いて、武運を祈願されたのが、この玉置神社でした。
この雲海ひろがる山々を、徒歩で行軍した神武天皇。

(クリックすると拡大します。)
想像するだけで、途方もありませんね。

(クリックすると拡大します。)
紅葉ひろがる大峰山系を眺望する瀧本さんです。

選ばれた一行は鳥居をくぐり、あたかも遠足気分で進みます。
樹齢3,000年と伝えられる神代杉を前に、一行は声を失います。

神代杉のそばの木々もりっぱなものが多いです。
鳥居からこちら、シンと清浄な空気がみちみちていました。
鳥居を前にしたとき、なにやら、遠くで甲高い声が聞こえました。
なんだろう・・・?
はじめておとずれたマリエさん、もっと激しい感じの神社と想像していましたが、
なかなかどうして、いつまでも居たいくらいに落ち着くとおっしゃっていました。
高越さんと私、急こう配の坂をあがり、玉石社をおとずれます。

木々の根にうもれるように鎮座する・・・

玉石です。
玉置神社の奥宮。
社殿がなく、この玉石がご神体とされています。
古代の信仰様式を残しており、玉置神社の基となったと伝えられています。
さて高越さん、おかげで膝を痛めてしまいました。
まことに、スミマセン
一行にとりのこされ、急ぎ駐車場へもどる途中、キジを見かけました。
道端をノッソノッソあるき、私たちの気配を感じ取ると、さっと、森の中へ駆け下りていきました。
鳥居の前で聞こえたのは、このキジの声だったのでしょうね。
さて、このキジ、ちょっとした縁がありました。
この方のブログで、ちょうど、われわれ一行が立ち去った後に、訪れ、そして、このキジとであっていたそうです。
奇妙なニアミスがあったものですね。
そういえば、今回、同行したマリエさん。
昨年、出雲を訪れていたとか。
話を聞いていると、日や場所など・・・どうやら、私(神在月を追いかけて~出雲紀行)とニアミスをしていました。
不思議な縁の連続の熊野紀行でしたね。
(2010.11.13)
玉置神社。
吉野郡十津川村玉置川。
日本で最大の面積を誇る十津川村。
大峰山系の南端に位置する標高1076メートルの玉置山に鎮座する旧郷社。
訪れる人を選び、拒絶されたその人に訪れることができないような運気にさらされると伝えられています。
一行は、山間の、片や切り立った山側を、片や切り落とされた深い谷となる道をすすみます。
視界は悪く、行く手は霧で乳白色にそまります。
なんとか玉置山の道へとたどりつきます。
そして、日がのぼるにつれ、山肌に色が蘇り、紅葉する木々に嘆息するのでした。
やがて・・・
雲海です。
神話の時代。
天照大神の命を受けて、葦原中国(地上)を平定するため遣わされた神倭伊波礼琵古命(かんやまといわれひこのみこと 以下:イワレビコ)。
後の名を神武天皇。
都に適した土地を求め、日向国の高千穂(九州は宮崎県日向市美々津)から船で東へと出兵しました。
いわゆる、神武東征です。
一行は、熊野に上陸しヤタガラスの導きにより、大和へと向かいます。
途中、兵を休め「十種神宝(とくさのかんだから)」を置いて、武運を祈願されたのが、この玉置神社でした。
この雲海ひろがる山々を、徒歩で行軍した神武天皇。

(クリックすると拡大します。)
想像するだけで、途方もありませんね。

(クリックすると拡大します。)
紅葉ひろがる大峰山系を眺望する瀧本さんです。

選ばれた一行は鳥居をくぐり、あたかも遠足気分で進みます。
樹齢3,000年と伝えられる神代杉を前に、一行は声を失います。

神代杉のそばの木々もりっぱなものが多いです。
鳥居からこちら、シンと清浄な空気がみちみちていました。
鳥居を前にしたとき、なにやら、遠くで甲高い声が聞こえました。
なんだろう・・・?
はじめておとずれたマリエさん、もっと激しい感じの神社と想像していましたが、
なかなかどうして、いつまでも居たいくらいに落ち着くとおっしゃっていました。
高越さんと私、急こう配の坂をあがり、玉石社をおとずれます。

木々の根にうもれるように鎮座する・・・

玉石です。
玉置神社の奥宮。
社殿がなく、この玉石がご神体とされています。
古代の信仰様式を残しており、玉置神社の基となったと伝えられています。
さて高越さん、おかげで膝を痛めてしまいました。
まことに、スミマセン

一行にとりのこされ、急ぎ駐車場へもどる途中、キジを見かけました。
道端をノッソノッソあるき、私たちの気配を感じ取ると、さっと、森の中へ駆け下りていきました。
鳥居の前で聞こえたのは、このキジの声だったのでしょうね。
さて、このキジ、ちょっとした縁がありました。
この方のブログで、ちょうど、われわれ一行が立ち去った後に、訪れ、そして、このキジとであっていたそうです。
奇妙なニアミスがあったものですね。
そういえば、今回、同行したマリエさん。
昨年、出雲を訪れていたとか。
話を聞いていると、日や場所など・・・どうやら、私(神在月を追いかけて~出雲紀行)とニアミスをしていました。
不思議な縁の連続の熊野紀行でしたね。
(2010.11.13)









