熊野本宮大社! ― 熊野紀行(略)2010 その2 ~和歌山県 熊野
~ 熊野紀行(略) 2010 その1
~のつづきです。玉置神社 をあとにして、玉置山をおりる・・・
「3つの聞き方だけで仕事は9割うまくいく
」の久保
さんと、
eビズ・ステップアップ塾講師である瀧本ヒロシ
さんご夫妻。
経営コンサルタント 高越宏和
さん。
個人ビジュアルアップコーディネートの英マリエ
さん。
美人で青いジャケットのNさん。
くろにんじん
さん。・・・の、ゆかいな仲間たち。
こーんな道をすすんでいます。
山は、切り立ち連なります。
深い谷間には、清流がながれています。
その山の端に、足場よろしくかけられた道は、山の稜線にあわせて、はげしく蛇行します。
(十津川村のゆるキャラ。名産品一家ですな。)
うつくしい紅葉の中を進み、一路、和歌山は、熊野へと向かいます。
そして、
熊野本宮大社ひとの行き来が、多いです。
有名な寺社仏閣は、例外なく、老若男女、わけへだてなく訪れていますね。
みなさん、お元気な様子でワイワイとされていました。
観光地といってしまえば、それでしまいなんでしょうが、
このにぎやかしさは、この地の活気づいている様がうかがえます。
スピリチュアルな言い方をすれば・・・
境内は、清浄な空気と、陽の気で、満ちています
。
参道を進むと、御門へとつづきます。
菊の御紋に、ヤタガラス ののぼり。
「蘇る日本の心!」
や、とても力強い、そして深い安心感をいただけるところですね。
御社殿は、平成二十四年9月まで、檜皮葺屋根の修復中をおこなっています。
日本神話では、スサノオの子供である五十猛神(いそたけるのかみ)が、熊野の森をつくったという伝説があります。
また、熊野は、黄泉の国、根の国(死者の国)という言い伝えがあります。
神々の系譜 とは、少し異質なニオイがします。
それもそのはず。
天照大神の系譜、大和朝廷とは異なり、
紀伊半島南部の山深いところに住む人々が、山の巨木を神様と祀ったのが熊野信仰のはじまりといわれています。
熊野本宮大社に祀られている「家都御子神(けつみこのかみ)」は、「木の御子の神」という意味です。
五十猛神(いそたけるのかみ)と同一とされたのは、後のことでした。
神話の神武東征で、熊野の神が登場します。
神武天皇(イワレビコ)の軍の侵攻を妨げ、神剣フツノミタマで成敗されたと伝えられています。
平安時代になると、熊野信仰は、山岳仏教と融合しました。
熊野の厳しい山々で、修行する修験者は、那智大社のすぐとなりに青岸渡寺を本拠地としました。
彼らは強い呪力をもっており、国内に争乱が起こったときに、その力をもって活躍しました。
平安末期、白河法皇、鳥羽法皇も、彼らの協力を求め、幾度も熊野詣でを行っていました。
さて・・・
一行は、お参りを済ませると、次の目的地へと向かいます。
ふと、わたしがひいたヤタガラス おみくじ。
ここに「大斎原」にまつわることが記されていました。
それをみた久保さんが、「大斎原」にいきましうかと、スタスタと先に歩まれていきます。
奈良歴史ミステリーハンターの私、熊野はまったくの不案内です。
マークでついていきます。そして、一行は、徒歩で「大斎原」へと向かいます。
おお

田畑のどまんなかに、
こつぜんと現れた巨大な鳥居。
(※手前、久保さん)
・・・
「
月と、
山と、
海と。
食べて、
呑んで、
祈ってパワースポット・熊野紀行。
」略して、
「熊野紀行」。・・・長くなったので、「その3」へ、つづきます!
前の記事>「熊野紀行(略) 2010 その1 」
>>「神々の道すじ。玉置神社の秋 」
(2010.11.13)



