まぼろしの鉄道「五新鉄道」 ― 五新線プロジェクト~奈良県五條から和歌山県新宮市をむすぶ
「賀名生 皇居
」のそばに流れる川にかかる橋があります。
橋は、山の中のトンネルへとつづいています。
奈良県五条市と、和歌山県新宮市をむすぶ鉄道路線「五新線」の跡です。
1939年。
吉野杉の木材を鉄道で輸送する構想で着工されました。
しかし、太平洋戦争勃発したため、工事が中断されます。
1957年に工事を再開。
五条駅から西吉野城戸までの路盤を完成させたところで、プロジェクトが頓挫します。
結果、バスの路線としての開業が実施されました。
一時期まで西日本JRバスが運行されていましたが、
現在では奈良交通のバスが走っています。
バス専用路となっており、他の車の利用がありません。
祝日となるとバスは、午前中に一本だけなので、近隣の人は、ハイキングコースに利用しているそうです。
「賀名生の里祭ウォーキングイベント
」
山間の緑深く自然の多い賀名生の里。
せっかくなので、この方と、
「賀名生の里・ハイキングツアー」なぞ企んでいます。
メガダイエッターの竪田 さん。
昨年の「宮本武蔵の如く 柳生街道をゆくハイキングツアー 」で御一緒いただきました。
そうですね・・・
ちょうど「北畠親房公墓 」の上を、今は新緑のモミジが覆っています。
秋になると、みごとに紅葉することでしょう。
楽しみです。
(≡^∇^≡)
>「天誅組史跡巡り 吉野郡五條市 2011.05.04 」より
橋は、山の中のトンネルへとつづいています。
奈良県五条市と、和歌山県新宮市をむすぶ鉄道路線「五新線」の跡です。
1939年。
吉野杉の木材を鉄道で輸送する構想で着工されました。
しかし、太平洋戦争勃発したため、工事が中断されます。
1957年に工事を再開。
五条駅から西吉野城戸までの路盤を完成させたところで、プロジェクトが頓挫します。
結果、バスの路線としての開業が実施されました。
一時期まで西日本JRバスが運行されていましたが、
現在では奈良交通のバスが走っています。
バス専用路となっており、他の車の利用がありません。
祝日となるとバスは、午前中に一本だけなので、近隣の人は、ハイキングコースに利用しているそうです。
「賀名生の里祭ウォーキングイベント
」山間の緑深く自然の多い賀名生の里。
せっかくなので、この方と、
「賀名生の里・ハイキングツアー」なぞ企んでいます。
メガダイエッターの竪田 さん。
昨年の「宮本武蔵の如く 柳生街道をゆくハイキングツアー 」で御一緒いただきました。
そうですね・・・
ちょうど「北畠親房公墓 」の上を、今は新緑のモミジが覆っています。
秋になると、みごとに紅葉することでしょう。
楽しみです。
(≡^∇^≡)
>「天誅組史跡巡り 吉野郡五條市 2011.05.04 」より
西吉野の山奥の皇居 ― 賀名生皇居 ~ 動乱の南北朝 南朝三帝ゆかりの地 五條市西吉野賀名生
「賀名生の里 歴史民俗資料館」の奥、小川のほとり。
5月、すでに桜を散らした、しだれ桜の下・・・
堅牢でさえ感じる重厚な門があります。
門の上には「賀名生 皇居」と記されています。
そうです。
延元元年(1336)12月。
足利尊氏の軍勢によって京都を追われた後醍醐天皇は、吉野への途中に、こちらの堀孫太郎信増の邸宅に迎えられました。
正平3年(1348)。
後村上天皇が入邸し、以後、長慶、後亀山天皇の三帝の皇居となりました。
かやぶき屋根の質朴な邸です。
門の扁額は、現在は複製です。
もともとは、天誅組の吉村寅太郎 の筆のものと伝えられています。
オリジナルは、「賀名生の里 歴史民俗資料館」に展示しています。
梅林を背にした川のほとり。
遠く離れた都を思う帝の哀史を、現在に伝えるかのように、賀名生皇居がたたずんでいます。
北朝方に追われた後醍醐天皇と、南朝三帝。
敗残の帝を救った吉野の民たちの思いはなんだったのでしょうか。
義理ですか
打算ですか
時の趨勢に逆らってでも南朝方に儀があったからでしょうか。
古代にまでさかのぼる帝と、民衆の関係。
ただただ支配・被支配ではわりきれないものがありますね。
さて、川にかかっている橋は「まぼろしの五新鉄道跡 」です。
御報せ:「賀名生皇居」
「賀名生皇居」は、見学可能です。
開館日:2月~3月上旬、11月1日~8日の期間となります。
見学料:300円。
交通:JR五条駅より 十津川方面行きバス。
「賀名生和田北口」下車。
見学には、事前の問い合わせが必要です。
詳しくは「賀名生の里 歴史民俗資料館 」までお問い合わせください。
>「天誅組史跡巡り 吉野郡五條市 2011.05.04 」より
5月、すでに桜を散らした、しだれ桜の下・・・
堅牢でさえ感じる重厚な門があります。
門の上には「賀名生 皇居」と記されています。
そうです。
延元元年(1336)12月。
足利尊氏の軍勢によって京都を追われた後醍醐天皇は、吉野への途中に、こちらの堀孫太郎信増の邸宅に迎えられました。
正平3年(1348)。
後村上天皇が入邸し、以後、長慶、後亀山天皇の三帝の皇居となりました。
かやぶき屋根の質朴な邸です。
門の扁額は、現在は複製です。
もともとは、天誅組の吉村寅太郎 の筆のものと伝えられています。
オリジナルは、「賀名生の里 歴史民俗資料館」に展示しています。
梅林を背にした川のほとり。
遠く離れた都を思う帝の哀史を、現在に伝えるかのように、賀名生皇居がたたずんでいます。
北朝方に追われた後醍醐天皇と、南朝三帝。
敗残の帝を救った吉野の民たちの思いはなんだったのでしょうか。
義理ですか

打算ですか

時の趨勢に逆らってでも南朝方に儀があったからでしょうか。
古代にまでさかのぼる帝と、民衆の関係。
ただただ支配・被支配ではわりきれないものがありますね。
さて、川にかかっている橋は「まぼろしの五新鉄道跡 」です。
御報せ:「賀名生皇居」「賀名生皇居」は、見学可能です。
開館日:2月~3月上旬、11月1日~8日の期間となります。
見学料:300円。
交通:JR五条駅より 十津川方面行きバス。
「賀名生和田北口」下車。
見学には、事前の問い合わせが必要です。詳しくは「賀名生の里 歴史民俗資料館 」までお問い合わせください。
>「天誅組史跡巡り 吉野郡五條市 2011.05.04 」より
- 南北朝の動乱 (戦争の日本史8)/森 茂暁
- ¥2,625
- Amazon.co.jp
- 太平記〈上〉―マンガ日本の古典〈18〉 (中公文庫)/さいとう たかを
- ¥620
- Amazon.co.jp
- 太平記 (日本の古典をよむ)/著者不明
- ¥1,890
- Amazon.co.jp
教えて!賀名生の里の不思議??~ 【賀名生の里 質問コーナー】
由緒ある地名を失うということは、
そこに根付いてきた文化や、
伝統・歴史をも抹殺してしまうことだと思っています。
「賀名生の里 歴史民俗資料館 コゲ館長さん」
・・・・

こんにちは。奈良歴史ミステリーハンター☆鈴木です。
前回の「Calling!!!この声がきこえるか!? その名前は賀名生。」で、
沢山の質問(コメント)をいただきました。
しかし・・・
すみません、ワタシの方で返答でききれず、
A=´、`=)ゞ
「賀名生の里 歴史民俗資料館」のコゲ館長さんにお答えいただいていました。

いやー、
確かに、教えていただいていた内容でしたね・・・
頭におさまりきれていませんね。
すみません館長さん
(。-人-。)
すばらしい質問と回答(コメント)なので、
せっかくなので、掲載させていただきました。
(°∀°)b
☆*゚ ゜゚*☆*゚ ゜゚*☆*゚ ゜゚*☆*゚ ゜゚*☆*゚ ゜゚*☆*゚ ゜゚*
「さん」
丹生川には、もしかして水銀なんかが取れた土地でもあるのでしょうか?
「コゲ館長さん」の回答
賀名生周辺には、鉱山の跡がたくさんあります。
丹生と地名はもちろん水銀と関係しています。
その昔、弘法大師が水銀を求めて各地を巡り歩いた。
そのために高野山を中心円にして、丹生と地名が散在しているとも言われています。
☆*゚ ゜゚*☆*゚ ゜゚*☆*゚ ゜゚*☆*゚ ゜゚*☆*゚ ゜゚*☆*゚ ゜゚*
「さん」
この近辺に「波宝神社」という神社があります。
こんな山の中に、なぜ「波」なんでしょうね?
ちなみにご祭神も、住吉四神です。
不思議だ。
「コゲ館長さん」の回答
「波宝神社」は『『延喜式神名帳』に載っている「式内社」です。
言われる通り海の神様である「ワタツミノカミ」がご祭神です。
その昔、紀氏は古代豪族として朝鮮半島への外征への主導的役割を担っていました。
内陸部では海部郡の海部直は水軍として活躍していました。
海部は紀ノ川・吉野川を通ってここ波宝神社にも来られたものと思われます。
だから海の神様を祀っておられるのです。
なお、新羅から伝来した「金銅仏」が最近重要文化財に指定されました。
☆*゚ ゜゚*☆*゚ ゜゚*☆*゚ ゜゚*☆*゚ ゜゚*☆*゚ ゜゚*☆*゚ ゜゚*
「さん」
合併などにより地名が失われるのはとても惜しいことですね。
地名が生きていれば、歴史を生き生きと感じることができますから。
「コゲ館長さん」の回答
由緒ある地名を失うということは、そこに根付いてきた文化や伝統・歴史をも抹殺してしまうことだと思っています。
今回日本で一番小さいであろうという「賀名生」という地名を復活することができなした。
これを機会に、「賀名生」を更に研究し、みなさんに知って頂きたいと思っています。
ありがとうございました。
>「天誅組史跡巡り 吉野郡五條市 2011.05.04」より
そこに根付いてきた文化や、
伝統・歴史をも抹殺してしまうことだと思っています。
「賀名生の里 歴史民俗資料館 コゲ館長さん」
・・・・

こんにちは。奈良歴史ミステリーハンター☆鈴木です。
前回の「Calling!!!この声がきこえるか!? その名前は賀名生。」で、
沢山の質問(コメント)をいただきました。
しかし・・・
すみません、ワタシの方で返答でききれず、
A=´、`=)ゞ
「賀名生の里 歴史民俗資料館」のコゲ館長さんにお答えいただいていました。

いやー、
確かに、教えていただいていた内容でしたね・・・
頭におさまりきれていませんね。
すみません館長さん

(。-人-。)
すばらしい質問と回答(コメント)なので、
せっかくなので、掲載させていただきました。
(°∀°)b
☆*゚ ゜゚*☆*゚ ゜゚*☆*゚ ゜゚*☆*゚ ゜゚*☆*゚ ゜゚*☆*゚ ゜゚*
「さん」
丹生川には、もしかして水銀なんかが取れた土地でもあるのでしょうか?
「コゲ館長さん」の回答
賀名生周辺には、鉱山の跡がたくさんあります。
丹生と地名はもちろん水銀と関係しています。
その昔、弘法大師が水銀を求めて各地を巡り歩いた。
そのために高野山を中心円にして、丹生と地名が散在しているとも言われています。
☆*゚ ゜゚*☆*゚ ゜゚*☆*゚ ゜゚*☆*゚ ゜゚*☆*゚ ゜゚*☆*゚ ゜゚*
「さん」
この近辺に「波宝神社」という神社があります。
こんな山の中に、なぜ「波」なんでしょうね?
ちなみにご祭神も、住吉四神です。
不思議だ。
「コゲ館長さん」の回答
「波宝神社」は『『延喜式神名帳』に載っている「式内社」です。
言われる通り海の神様である「ワタツミノカミ」がご祭神です。
その昔、紀氏は古代豪族として朝鮮半島への外征への主導的役割を担っていました。
内陸部では海部郡の海部直は水軍として活躍していました。
海部は紀ノ川・吉野川を通ってここ波宝神社にも来られたものと思われます。
だから海の神様を祀っておられるのです。
なお、新羅から伝来した「金銅仏」が最近重要文化財に指定されました。
☆*゚ ゜゚*☆*゚ ゜゚*☆*゚ ゜゚*☆*゚ ゜゚*☆*゚ ゜゚*☆*゚ ゜゚*
「さん」
合併などにより地名が失われるのはとても惜しいことですね。
地名が生きていれば、歴史を生き生きと感じることができますから。
「コゲ館長さん」の回答
由緒ある地名を失うということは、そこに根付いてきた文化や伝統・歴史をも抹殺してしまうことだと思っています。
今回日本で一番小さいであろうという「賀名生」という地名を復活することができなした。
これを機会に、「賀名生」を更に研究し、みなさんに知って頂きたいと思っています。
ありがとうございました。
>「天誅組史跡巡り 吉野郡五條市 2011.05.04」より


