第47回『続々々々大阪の事』
故郷を出てから、
衣服も買わず、
辛抱しておったが、
詰襟の服とオーバーを買い込み、
どうにか世間並みの服装が整う。
自分の生活費と送金に追われて、
自分を構ってはいられなかった。
勤め先探しに懸命な折り、
西宮の洗濯屋で働く次兄を、
阪神電車の本線で、
二十銭支払い訪ねる。
アイロン台で働く次兄を見て、
久しぶりと店に入り訪れると、
次兄の友人が、
「竹ヤン留守だっせ。」
今、
其処でアイロンを掛けておったと言えど、
留守と頑張る。
仕方なく帰路に着くが、
懐には小銭が僅か。
国道を馬の飲み場の水を飲みつつ、
(当時は牛馬の水飲み場が多数あった)
徒歩で大阪に帰る。
財布には十円札が一枚、
寂しく入っている。
しかし、
これは故郷を離れている身、
何時故郷より、
異変の知らせがあるか分からぬので、
何時も持ち歩く。
我々、
兄弟の詳細は後に詳しく話します。
家よりの来信に、
「次兄からの便りが無い。
一度様子を知らせて欲しい。」
と、
便りがあった。
母の病気にも帰らずであった。
昭和十年(一九三五年)頃は、
満州事変も拡大の一路を邁進する思い。
満州で重要拠点を占拠すると、
国内では提灯行列で祝う。
当時は、
ラジオも末端迄、
まだ普及されておらず。
ニュースは夕景近くより、
各新聞社が、
集合場所の良い所で、
三、四メートル程の白布を立てて、
映写機でニュースを放映する。
群集は乗馬凛々しく着剣して、
部下を従え、
堂々と入城式を決行する。
行進を我々は拍手で迎えて、
ニュースに見入る。
連戦連勝で全く憂いなく、
戦争景気に酔いしれる。
私の勤める会社にも、
工員が歯の抜けた様に、
応召で姿を消すが、
不思議と真面目で働き者が多い。
見送りも盛大の一路を辿る。
会社も多忙を極めて、
連日の様に残業残業と、
強制的に残業を強要される。
徹夜残業をすると二日の割り増しが着く。
私は稼ぎ時とばかりに残業と、
徹夜残業を買って出る。
月の手取りも増えて百円余を手にする。
休日は返上で、
只食って寝るだけの味気のない日の連続だが、
苦しかった過去、
私が職工を選んだ頃は不景気の最中。
一人前の腕にはなったが、
働き口が無く、
人の捨てた煙草を拾って吸う有り様だった。
だが、
私は手に職を着けて、
世界一週無銭旅行が夢だった。
苦しみつつ、
自動車の修理、
ミシンの修理と習い覚えた。
欧米を回る時の、
食い外しの無い様に。
だが諺に、
『先出たチンパに追い越されぬ』
とある。
それは実感として骨身に感じた。
寝食を忘れる思いで頑張るが、
五年立てば相手は十年を過ぎる。
技術はとてもとても。
追い越せれるものでは無いものと、
悟る。
そんなある日、
友達が久しぶりに来る。
大阪へ出張とか。
お互い元気な顔をして、
繁華街に出て語り合う。
「事務所は、
世間の景気が良くなっても、
給料は据え置きで上がらず、
つまらん。
職人はいいな。」
と羨んでくる。
「俺は五十円前後だが、
お前は、
体を張って残業をすると、
手取りは百円近くなる。
いいな。」
と羨んでくる。
私は、
「馬鹿言え
命を縮めての代価だ。」
すると友達は、
「だが、
お前が月給取りを嫌い、
職人になると言った頃は、
心配したが良かったな。」
と共に遠慮の無い話しで、
時を忘れる。
衣服も買わず、
辛抱しておったが、
詰襟の服とオーバーを買い込み、
どうにか世間並みの服装が整う。
自分の生活費と送金に追われて、
自分を構ってはいられなかった。
勤め先探しに懸命な折り、
西宮の洗濯屋で働く次兄を、
阪神電車の本線で、
二十銭支払い訪ねる。
アイロン台で働く次兄を見て、
久しぶりと店に入り訪れると、
次兄の友人が、
「竹ヤン留守だっせ。」
今、
其処でアイロンを掛けておったと言えど、
留守と頑張る。
仕方なく帰路に着くが、
懐には小銭が僅か。
国道を馬の飲み場の水を飲みつつ、
(当時は牛馬の水飲み場が多数あった)
徒歩で大阪に帰る。
財布には十円札が一枚、
寂しく入っている。
しかし、
これは故郷を離れている身、
何時故郷より、
異変の知らせがあるか分からぬので、
何時も持ち歩く。
我々、
兄弟の詳細は後に詳しく話します。
家よりの来信に、
「次兄からの便りが無い。
一度様子を知らせて欲しい。」
と、
便りがあった。
母の病気にも帰らずであった。
昭和十年(一九三五年)頃は、
満州事変も拡大の一路を邁進する思い。
満州で重要拠点を占拠すると、
国内では提灯行列で祝う。
当時は、
ラジオも末端迄、
まだ普及されておらず。
ニュースは夕景近くより、
各新聞社が、
集合場所の良い所で、
三、四メートル程の白布を立てて、
映写機でニュースを放映する。
群集は乗馬凛々しく着剣して、
部下を従え、
堂々と入城式を決行する。
行進を我々は拍手で迎えて、
ニュースに見入る。
連戦連勝で全く憂いなく、
戦争景気に酔いしれる。
私の勤める会社にも、
工員が歯の抜けた様に、
応召で姿を消すが、
不思議と真面目で働き者が多い。
見送りも盛大の一路を辿る。
会社も多忙を極めて、
連日の様に残業残業と、
強制的に残業を強要される。
徹夜残業をすると二日の割り増しが着く。
私は稼ぎ時とばかりに残業と、
徹夜残業を買って出る。
月の手取りも増えて百円余を手にする。
休日は返上で、
只食って寝るだけの味気のない日の連続だが、
苦しかった過去、
私が職工を選んだ頃は不景気の最中。
一人前の腕にはなったが、
働き口が無く、
人の捨てた煙草を拾って吸う有り様だった。
だが、
私は手に職を着けて、
世界一週無銭旅行が夢だった。
苦しみつつ、
自動車の修理、
ミシンの修理と習い覚えた。
欧米を回る時の、
食い外しの無い様に。
だが諺に、
『先出たチンパに追い越されぬ』
とある。
それは実感として骨身に感じた。
寝食を忘れる思いで頑張るが、
五年立てば相手は十年を過ぎる。
技術はとてもとても。
追い越せれるものでは無いものと、
悟る。
そんなある日、
友達が久しぶりに来る。
大阪へ出張とか。
お互い元気な顔をして、
繁華街に出て語り合う。
「事務所は、
世間の景気が良くなっても、
給料は据え置きで上がらず、
つまらん。
職人はいいな。」
と羨んでくる。
「俺は五十円前後だが、
お前は、
体を張って残業をすると、
手取りは百円近くなる。
いいな。」
と羨んでくる。
私は、
「馬鹿言え
命を縮めての代価だ。」
すると友達は、
「だが、
お前が月給取りを嫌い、
職人になると言った頃は、
心配したが良かったな。」
と共に遠慮の無い話しで、
時を忘れる。
第46回『続々々・いろいろと当時の大阪の事』
最近、
国会で盛んに論議されている議題に、
企業整備なる言葉を聞く。
底辺で生活している我々には、
心得の行かない言葉。
何でも物資を末端の方には回さぬらしい。
取り敢えず入用な物資を買い込み、
仕事を続ける。
企業整備なる法律が、
国会を通過する。
戦争に直接入用な物資以外、
平和産業には物資を回さず。
その法律を我々が得心せぬ内に、
材料の買付けが不可能になってくる。
私の働くガソリン計量器は、
平和産業の部類に入るらしい。
大阪周辺の中小企業は、
材料購入出来ずに、
朝に夕に倒産の会社多発する。
遂に私の会社も門を閉じる。
失業者となる。
元の炭屋で下宿を頼み、
翌日より勤め先捜しに街を彷徨うが、
何処も失業者で目の色変えて訪問するが、
行く先々は固く門扉を閉ざす。
私は家に送金した直後で、
手元は不如意。
1日も早い勤め口をと、
朝、
新聞を見て訪問するが、
何処も求職者門に溢れる。
下宿代も三ヶ月も溜まる。
小母さんは気長に探せと、
弁当を持たせてくれるが、
遂には断り、
空腹を抱えて探せど職は無し。
国鉄の神崎駅(尼崎駅)の近くの、
久保田鉄工所に、
数名募集と新聞を見て、
電車で行く。
早くも門前多数参集していて、
押すな押すなの群集。
門扉を開き、
「順序良く進んでください。
職員が指差す人は残ってください。」
腹立たしい思いにて帰る。
その夜、
下宿屋の二階で、
当時、
甲子園の鳴尾にある、
水上飛行機製作所、
川西航空の社長宛に、
私の経歴とこれからの航空業の様々を、
私なりに詳細に書いて、
「私を採用してください。
採用しないと御社の損です。」
と、
長い長い手紙に写真を入れて出す。
数日して返信があり、
会社に行く。
人事課長、
「貴方は社長の知合いですか?
ここは縁者関係だけを採用します。」
とのこと。
「尼崎の中馬医院で体格検査をして下さい。」
書類を持って再び会社へ。
なんと採用されて、
「月曜日より来て下さい。」
喜び勇んで小母さんに報告する。
小母さんの手に私に電報が…。
『母悪い帰れたら帰れ待つ』
電報を手に思案をする。
今夜帰り、
月曜日の早朝帰れば、
会社出勤に間に合う。
帰り、
母を見舞う。
お互いに安心をして船に乗る。
夜半に風強まり、
船は天保山に延着する。
どう急いでも遅刻だ。
人事課長に採用取り消しを宣告される。
母見舞い船の延着を説明すると、
「そうか社長に話してやるから待て。」
私は、
「最初の印象が悪すぎます。」
と断り会社を出て、
トボトボと川の堤防を歩く。
その帰り、
阪神電車の国道線に乗ろうと思うが、
気が変わり国電迄歩く。
途中で女事務員が工場の堀に、
張紙をしている。
見ると工員募集の張紙。
それを剥がして会社に入る。
「何と早い。」
と、
面接をしてくれて直ちに採用される。
表に出て看板を見ると計器製作所。
やっと念願の就職で、
翌日より出勤するが、
野田阪神前より、
尼崎行きの国道電車は、
一名職工電車の呼び名がある。
出勤時間は、
押し込み押し込まれて、
殺人的車内。
毎日辛抱して通勤するが、
会社に入ると、
もうヘトヘト。
三ヶ月も滞納した下宿代を支払い、
小母さんと相談して、
国電の塚本駅近くで、
二階を借り移転をする。
二畳と六畳の二間で、
部屋代は五円。
ここからなら、
一駅で神崎駅(現在の尼崎駅)である。
通勤も楽になり、
食事は庶民向けのメシ屋で三度を済ますが、
節約の為に、
火鉢と飯ごうを買い、
練炭で自炊に踏み切り、
弁当持参で会社に行く。
景気も上向き、
残業増える。
日給と残業代を受け取ると、
月五百六十円になる。
当時、
官庁は三百五十円程度の月給だった。
私にも遅い春が来た様だ。
国会で盛んに論議されている議題に、
企業整備なる言葉を聞く。
底辺で生活している我々には、
心得の行かない言葉。
何でも物資を末端の方には回さぬらしい。
取り敢えず入用な物資を買い込み、
仕事を続ける。
企業整備なる法律が、
国会を通過する。
戦争に直接入用な物資以外、
平和産業には物資を回さず。
その法律を我々が得心せぬ内に、
材料の買付けが不可能になってくる。
私の働くガソリン計量器は、
平和産業の部類に入るらしい。
大阪周辺の中小企業は、
材料購入出来ずに、
朝に夕に倒産の会社多発する。
遂に私の会社も門を閉じる。
失業者となる。
元の炭屋で下宿を頼み、
翌日より勤め先捜しに街を彷徨うが、
何処も失業者で目の色変えて訪問するが、
行く先々は固く門扉を閉ざす。
私は家に送金した直後で、
手元は不如意。
1日も早い勤め口をと、
朝、
新聞を見て訪問するが、
何処も求職者門に溢れる。
下宿代も三ヶ月も溜まる。
小母さんは気長に探せと、
弁当を持たせてくれるが、
遂には断り、
空腹を抱えて探せど職は無し。
国鉄の神崎駅(尼崎駅)の近くの、
久保田鉄工所に、
数名募集と新聞を見て、
電車で行く。
早くも門前多数参集していて、
押すな押すなの群集。
門扉を開き、
「順序良く進んでください。
職員が指差す人は残ってください。」
腹立たしい思いにて帰る。
その夜、
下宿屋の二階で、
当時、
甲子園の鳴尾にある、
水上飛行機製作所、
川西航空の社長宛に、
私の経歴とこれからの航空業の様々を、
私なりに詳細に書いて、
「私を採用してください。
採用しないと御社の損です。」
と、
長い長い手紙に写真を入れて出す。
数日して返信があり、
会社に行く。
人事課長、
「貴方は社長の知合いですか?
ここは縁者関係だけを採用します。」
とのこと。
「尼崎の中馬医院で体格検査をして下さい。」
書類を持って再び会社へ。
なんと採用されて、
「月曜日より来て下さい。」
喜び勇んで小母さんに報告する。
小母さんの手に私に電報が…。
『母悪い帰れたら帰れ待つ』
電報を手に思案をする。
今夜帰り、
月曜日の早朝帰れば、
会社出勤に間に合う。
帰り、
母を見舞う。
お互いに安心をして船に乗る。
夜半に風強まり、
船は天保山に延着する。
どう急いでも遅刻だ。
人事課長に採用取り消しを宣告される。
母見舞い船の延着を説明すると、
「そうか社長に話してやるから待て。」
私は、
「最初の印象が悪すぎます。」
と断り会社を出て、
トボトボと川の堤防を歩く。
その帰り、
阪神電車の国道線に乗ろうと思うが、
気が変わり国電迄歩く。
途中で女事務員が工場の堀に、
張紙をしている。
見ると工員募集の張紙。
それを剥がして会社に入る。
「何と早い。」
と、
面接をしてくれて直ちに採用される。
表に出て看板を見ると計器製作所。
やっと念願の就職で、
翌日より出勤するが、
野田阪神前より、
尼崎行きの国道電車は、
一名職工電車の呼び名がある。
出勤時間は、
押し込み押し込まれて、
殺人的車内。
毎日辛抱して通勤するが、
会社に入ると、
もうヘトヘト。
三ヶ月も滞納した下宿代を支払い、
小母さんと相談して、
国電の塚本駅近くで、
二階を借り移転をする。
二畳と六畳の二間で、
部屋代は五円。
ここからなら、
一駅で神崎駅(現在の尼崎駅)である。
通勤も楽になり、
食事は庶民向けのメシ屋で三度を済ますが、
節約の為に、
火鉢と飯ごうを買い、
練炭で自炊に踏み切り、
弁当持参で会社に行く。
景気も上向き、
残業増える。
日給と残業代を受け取ると、
月五百六十円になる。
当時、
官庁は三百五十円程度の月給だった。
私にも遅い春が来た様だ。
第45回『続々・いろいろと当時の大阪の事』
満州事変も拡大の一路を辿る。
昼夜を分かたず、
出征軍人の家族達が、
腹巻きに出来る長さの布を片手に、
遠慮なく差し出し、
男性には『力』の一字を、
女性には縫い針で縫い止めを要求する。
民衆は武運長久を願い、
心を込めて頼みにおおじる。
特に喜ばれたのが寅年生まれで、
虎は千里を行き千里を帰るとの古事記に倣い、
自分の年齢の数だけ力を書き針を運ぶ。
他は1つだけ。
戦地の兵隊さん、
女性の千人針は有難いが、
縫い目が風の巣となり、
困ったと。
男性の力の一字は汗で墨が流れて、
真っ黒と。
話しに聞く。
毎日の様に駅頭の桟橋で、
出征軍人を見送る風景を、
日増しに多くを見る。
私の勤めるガソリン計量器の会社も、
母を見送り懸命に働く。
電話も増やして注文も多数で、
忙しく希望を持った日々を送る。
すぐに電話が注文で殺到するので増設する。
増設した電話ベルが鳴ると、
うどんの注文しきりで、
初めは間違いと言って断るが、
その内冗談で、
毎度有難うと注文を受ける事にする。
再度催促の電話があると、
ああ今出たと電話を切る。
一度、
再々度の催促の折り、
間違いと言えば、
あんた遊びに来ないかと、
誘う女の声。
話しを聞くと、
松島の遊廓の女で、
横で遊ぶ友達に話すと、
その友達、
早速遊びに出かけるが、
間もなく帰り、
声が違うと断られたと、
ションボリ。
こんな電話、
暇な夜分に楽しむ。
日増しの忙しさに従業員も増える。
ある日、
豪雨が続く街に号外が走る。
神戸の六甲山の一画が大崩壊して、
土砂と共に三ノ宮の繁華街を襲い、
濁流街を洗うと報じる。
我が工場、
この豪雨で地下室が浸水して使用不能。
臨時休みとする。
せっかく弁当はあるし、
神戸に行こうと話しが決まり、
電車は不通だが西ノ宮迄電車行ける。
下車して歩く。
国道は土砂で埋まり、
二階の窓から出入りをする。
三ノ宮の繁華街は大小の岩石と土砂で埋まり、
激流が岩を噛み流れる。
対岸?に行くのに太いロープを張り、
それを頼りに渡る。
足首までの激流に踏み入れると、
水は上半身迄這い上がる激流で、
前を行く人、
手を離してしまい激流に流され、
下流の人に助け上げられる。
散々な苦労を味わう。
六甲山の錨山の崩壊とか、
散々な苦労をして弁当を食べて、
気分は暗くなる。
国道を歩いて帰る足元で、
異常を感じると言う。
力強く践むとボコボコ音がする。
皆と協力して適当な物で掘り下げると、
自動車の屋根、
中に人がいるかも?
懸命に掘り下げるが空車だった。
草臥れ儲けと、
皆と、
ぼやきつつ帰る。
道路の真ん中に背丈程の岩石が居座る。
流れて来たのであろうか、
電車に乗り込み夜半に帰る。
人の災害を、
冷やかし半分で見に行くものでは無いと、
論された。
昼夜を分かたず、
出征軍人の家族達が、
腹巻きに出来る長さの布を片手に、
遠慮なく差し出し、
男性には『力』の一字を、
女性には縫い針で縫い止めを要求する。
民衆は武運長久を願い、
心を込めて頼みにおおじる。
特に喜ばれたのが寅年生まれで、
虎は千里を行き千里を帰るとの古事記に倣い、
自分の年齢の数だけ力を書き針を運ぶ。
他は1つだけ。
戦地の兵隊さん、
女性の千人針は有難いが、
縫い目が風の巣となり、
困ったと。
男性の力の一字は汗で墨が流れて、
真っ黒と。
話しに聞く。
毎日の様に駅頭の桟橋で、
出征軍人を見送る風景を、
日増しに多くを見る。
私の勤めるガソリン計量器の会社も、
母を見送り懸命に働く。
電話も増やして注文も多数で、
忙しく希望を持った日々を送る。
すぐに電話が注文で殺到するので増設する。
増設した電話ベルが鳴ると、
うどんの注文しきりで、
初めは間違いと言って断るが、
その内冗談で、
毎度有難うと注文を受ける事にする。
再度催促の電話があると、
ああ今出たと電話を切る。
一度、
再々度の催促の折り、
間違いと言えば、
あんた遊びに来ないかと、
誘う女の声。
話しを聞くと、
松島の遊廓の女で、
横で遊ぶ友達に話すと、
その友達、
早速遊びに出かけるが、
間もなく帰り、
声が違うと断られたと、
ションボリ。
こんな電話、
暇な夜分に楽しむ。
日増しの忙しさに従業員も増える。
ある日、
豪雨が続く街に号外が走る。
神戸の六甲山の一画が大崩壊して、
土砂と共に三ノ宮の繁華街を襲い、
濁流街を洗うと報じる。
我が工場、
この豪雨で地下室が浸水して使用不能。
臨時休みとする。
せっかく弁当はあるし、
神戸に行こうと話しが決まり、
電車は不通だが西ノ宮迄電車行ける。
下車して歩く。
国道は土砂で埋まり、
二階の窓から出入りをする。
三ノ宮の繁華街は大小の岩石と土砂で埋まり、
激流が岩を噛み流れる。
対岸?に行くのに太いロープを張り、
それを頼りに渡る。
足首までの激流に踏み入れると、
水は上半身迄這い上がる激流で、
前を行く人、
手を離してしまい激流に流され、
下流の人に助け上げられる。
散々な苦労を味わう。
六甲山の錨山の崩壊とか、
散々な苦労をして弁当を食べて、
気分は暗くなる。
国道を歩いて帰る足元で、
異常を感じると言う。
力強く践むとボコボコ音がする。
皆と協力して適当な物で掘り下げると、
自動車の屋根、
中に人がいるかも?
懸命に掘り下げるが空車だった。
草臥れ儲けと、
皆と、
ぼやきつつ帰る。
道路の真ん中に背丈程の岩石が居座る。
流れて来たのであろうか、
電車に乗り込み夜半に帰る。
人の災害を、
冷やかし半分で見に行くものでは無いと、
論された。
第44回『続・いろいろと当時の大阪の事』
市中を走る車で自家用車は、
まだ普及しておらず。
大八車に変わり、
自動三輪車が幅を聞かして、
バタバタと音高く走る。
交差点で、
信号待ちの車が七、八台も止まっていると、
混んでいると迂濶した。
自転車はまだ普及しておらず、
小さな荷物は大八車か、
背負って運ぶ人には親切で、
実に住み良い世相だった。
知能犯は殆ど話題にも登らず、
タクシーの殆どはシボレーかフォードが街を走る。
良く見かけるのが街角の一角で、
ボンネットを開けて運ちゃんの思案顔、
故障の多いのを見かける。
当時の日産やトヨタは、
新車が車庫を出ると、
すぐに故障するのも珍しくは無かった。
当時はトラック生産が主力で、
私が会社で奉公している時分。
休日の日、
見習い工達誘い併せて、
修理完了のテストと偽り、
修理中の車の荷台に数名が乗り込む。
シートで荷物運搬と偽装して、
京阪国道を走り須磨海水浴場に行く。
途中で警察の検問に出会うと、
人が乗ることを禁止されている荷台は、
早速違反で捕まる。
須磨の海水浴場は、
泳ぎ少し沖に出ると早い海流に流されて、
岸に泳ぎ着くのは困難におちいる。
なので流れに逆らわず岸に泳ぎ着くが、
今度は須磨の海水浴場迄、
帰り着くのが一苦労。
こんな調子で、
エンジン組み立てや修理を収得する。
その頃、
御堂筋に大阪駅と難波間の地下鉄建設で、
囲いを巡らし土砂を掘り下げる。
多数の労働者、
掘り出した土砂をモッコに入れて担ぎ、
細い板を登り下りする。
ほとんどが、
機械化されておらぬ時代で、
何事も人力に頼る。
街を歩く姿は、
夏にはカンカン帽子とバナナ帽子が主流だった。
また、
こんな経験もする。
新聞を見て勤め先捜しをしている頃、
梅田界隈を歩く後ろより、
「職探しか、
良い所を紹介してやろう。」
と、
ハッピ姿のおッサンが呼び止める。
周辺は狭い間口で、
軒並み口入れ屋が立ち並ぶ。
その時の私の姿は、
折り目の消えた着物を着て
職捜しの田舎者丸出しであった。
当時、
こうして誘い込み、
北海道のタコ部屋(狩り集めた労働者)に送り込み、
終生無賃で働かす噂が高い時代。
世相は不景気のドン底で、
巷では何処かで派手に、
ドカーンと戦争があれば良いと、
噂が出る程。
青雲の希望を胸に都会に出るが、
食うに職無く職捜しに空虚な日々で、
空腹抱えて街をウロウロする姿多数見かける。
まだ普及しておらず。
大八車に変わり、
自動三輪車が幅を聞かして、
バタバタと音高く走る。
交差点で、
信号待ちの車が七、八台も止まっていると、
混んでいると迂濶した。
自転車はまだ普及しておらず、
小さな荷物は大八車か、
背負って運ぶ人には親切で、
実に住み良い世相だった。
知能犯は殆ど話題にも登らず、
タクシーの殆どはシボレーかフォードが街を走る。
良く見かけるのが街角の一角で、
ボンネットを開けて運ちゃんの思案顔、
故障の多いのを見かける。
当時の日産やトヨタは、
新車が車庫を出ると、
すぐに故障するのも珍しくは無かった。
当時はトラック生産が主力で、
私が会社で奉公している時分。
休日の日、
見習い工達誘い併せて、
修理完了のテストと偽り、
修理中の車の荷台に数名が乗り込む。
シートで荷物運搬と偽装して、
京阪国道を走り須磨海水浴場に行く。
途中で警察の検問に出会うと、
人が乗ることを禁止されている荷台は、
早速違反で捕まる。
須磨の海水浴場は、
泳ぎ少し沖に出ると早い海流に流されて、
岸に泳ぎ着くのは困難におちいる。
なので流れに逆らわず岸に泳ぎ着くが、
今度は須磨の海水浴場迄、
帰り着くのが一苦労。
こんな調子で、
エンジン組み立てや修理を収得する。
その頃、
御堂筋に大阪駅と難波間の地下鉄建設で、
囲いを巡らし土砂を掘り下げる。
多数の労働者、
掘り出した土砂をモッコに入れて担ぎ、
細い板を登り下りする。
ほとんどが、
機械化されておらぬ時代で、
何事も人力に頼る。
街を歩く姿は、
夏にはカンカン帽子とバナナ帽子が主流だった。
また、
こんな経験もする。
新聞を見て勤め先捜しをしている頃、
梅田界隈を歩く後ろより、
「職探しか、
良い所を紹介してやろう。」
と、
ハッピ姿のおッサンが呼び止める。
周辺は狭い間口で、
軒並み口入れ屋が立ち並ぶ。
その時の私の姿は、
折り目の消えた着物を着て
職捜しの田舎者丸出しであった。
当時、
こうして誘い込み、
北海道のタコ部屋(狩り集めた労働者)に送り込み、
終生無賃で働かす噂が高い時代。
世相は不景気のドン底で、
巷では何処かで派手に、
ドカーンと戦争があれば良いと、
噂が出る程。
青雲の希望を胸に都会に出るが、
食うに職無く職捜しに空虚な日々で、
空腹抱えて街をウロウロする姿多数見かける。
第43回『いろいろと当時の大阪の事』
当時の市電は、
全市を蜘蛛の糸の様に、
四通八通で通っていた。
全線六銭で乗り換え切符を切手貰うと、
乗り換えられた。
また早朝乗り込む職工達に、
往復十銭の切符を売る。
一度友達と乗り込んだ超満員の市電の、
女車掌の余りの美声で聞き惚れて、
降りるのを忘れる。
奉祝の時は、
電車の外側を模造の花で飾り、
花電車を走らす。
市民の多くは通過する沿線で、
花電車の来るのを待ち、
子供にせがまれて乗るが、
中は平常の如く変わりはなし。
また、
タクシーは大阪市内何処迄乗っても一円。
別名エンタクと呼ばれる。
道路も幹線であれば舗装しているが、
他は凸凹で雨が降ると水溜まりが出来る。
なので泥避けを着けて走る。
着けないと違反で、
違反者は反則切符を切られる。
泥避けは車輪の大きさに併せて、
長さ一メートル程の鉄製に、
暖簾の様な物を下げて取付け、
水溜まりの水が跳ね飛ばされ無い様にする。
当時(一九三一年頃)は大阪では、
蝿も少なく、
蚊も蚊帳を吊らなくてもよい場所であったが、
それに変わり悩みは南京虫。
大きさは西瓜の種に手足?を付けた様な虫で、
貿易が盛んで国外より輸入した?虫。
吸血虫で深夜に熟睡の我々を襲い血を吸う。
吸われると痒く、
血を吸った後が点々を残る。
昼間は柱の割れ目や狭い隙間等に生息をする。
これには随分と悩まされた。
子供達が道路で、
ままごと遊びをしていて、
映画を見に行こうと言えば、
大人達は、
「まぁ、この子生意気に映画?」
と言う。
当時は映画を活動写真と言った。
映画を見るのも、
未成年者は成人同伴で無ければ、
入場は断られる。
通行人を見れば、
服装でその職業が殆ど識別出来た。
労働者は労働者らしく、
丁稚は丁稚らしく(奉行人)。
全市を蜘蛛の糸の様に、
四通八通で通っていた。
全線六銭で乗り換え切符を切手貰うと、
乗り換えられた。
また早朝乗り込む職工達に、
往復十銭の切符を売る。
一度友達と乗り込んだ超満員の市電の、
女車掌の余りの美声で聞き惚れて、
降りるのを忘れる。
奉祝の時は、
電車の外側を模造の花で飾り、
花電車を走らす。
市民の多くは通過する沿線で、
花電車の来るのを待ち、
子供にせがまれて乗るが、
中は平常の如く変わりはなし。
また、
タクシーは大阪市内何処迄乗っても一円。
別名エンタクと呼ばれる。
道路も幹線であれば舗装しているが、
他は凸凹で雨が降ると水溜まりが出来る。
なので泥避けを着けて走る。
着けないと違反で、
違反者は反則切符を切られる。
泥避けは車輪の大きさに併せて、
長さ一メートル程の鉄製に、
暖簾の様な物を下げて取付け、
水溜まりの水が跳ね飛ばされ無い様にする。
当時(一九三一年頃)は大阪では、
蝿も少なく、
蚊も蚊帳を吊らなくてもよい場所であったが、
それに変わり悩みは南京虫。
大きさは西瓜の種に手足?を付けた様な虫で、
貿易が盛んで国外より輸入した?虫。
吸血虫で深夜に熟睡の我々を襲い血を吸う。
吸われると痒く、
血を吸った後が点々を残る。
昼間は柱の割れ目や狭い隙間等に生息をする。
これには随分と悩まされた。
子供達が道路で、
ままごと遊びをしていて、
映画を見に行こうと言えば、
大人達は、
「まぁ、この子生意気に映画?」
と言う。
当時は映画を活動写真と言った。
映画を見るのも、
未成年者は成人同伴で無ければ、
入場は断られる。
通行人を見れば、
服装でその職業が殆ど識別出来た。
労働者は労働者らしく、
丁稚は丁稚らしく(奉行人)。
第42回『親孝行の日々の続き』
翌日は休養の意味で、
大坂城を見物する。
天守閣に登り、
市内を一望に時を忘れる。
その帰路、
心斎橋を散策して、
食事を済ませて帰宅する。
翌日、
疲れも厭(いと)わず宝塚に行き、
少女歌劇を見物する。
これは妹へのサービス。
母は何処へ行っても見ても、
驚きの連続だったらしい。
早くも一週間を送る。
「見物先は多いが、
お前の仕事に差し支える。」と、
経営者に深く深く最敬礼をして、
私に見送られて船に乗る。
親娘は船内にも入らず、
何時迄も何時迄も手を振り頭を下げる。
私の財布の中は小銭のみが残る。
二百円は母の喜びに消えるが、
母の満足と笑顔をみると、
金銭には替えられぬ。
後日、
オール読み物の雑誌を購入して読むと、
ある箇所で目が止まる。
ある作家が京都で遊ぶと題して、
親子であろう二人を拝観に。
その息子だろう、
寺内の鳩に見入る。
後ろ姿、
ズボンの尻の所に、
大きな継ぎ布を当てている。
何かは知らぬが、
その背に満足感を漂わせて…云々。
全く自分が書かれている様に感じた。
母を呼ぶ為に節約に徹して、
継ぎのズボンで一週間を過ごす。
さあ働いて節約をしよう。
主人にお礼を言って、
心で恩返しを誓う。
大坂城を見物する。
天守閣に登り、
市内を一望に時を忘れる。
その帰路、
心斎橋を散策して、
食事を済ませて帰宅する。
翌日、
疲れも厭(いと)わず宝塚に行き、
少女歌劇を見物する。
これは妹へのサービス。
母は何処へ行っても見ても、
驚きの連続だったらしい。
早くも一週間を送る。
「見物先は多いが、
お前の仕事に差し支える。」と、
経営者に深く深く最敬礼をして、
私に見送られて船に乗る。
親娘は船内にも入らず、
何時迄も何時迄も手を振り頭を下げる。
私の財布の中は小銭のみが残る。
二百円は母の喜びに消えるが、
母の満足と笑顔をみると、
金銭には替えられぬ。
後日、
オール読み物の雑誌を購入して読むと、
ある箇所で目が止まる。
ある作家が京都で遊ぶと題して、
親子であろう二人を拝観に。
その息子だろう、
寺内の鳩に見入る。
後ろ姿、
ズボンの尻の所に、
大きな継ぎ布を当てている。
何かは知らぬが、
その背に満足感を漂わせて…云々。
全く自分が書かれている様に感じた。
母を呼ぶ為に節約に徹して、
継ぎのズボンで一週間を過ごす。
さあ働いて節約をしよう。
主人にお礼を言って、
心で恩返しを誓う。
第41回『親孝行の日々』
今までの経験が買われて、
重宝がられた私は、
その発明品に惚れ込み、
寝食を忘れて改良に取り組む。
経営者に認められて、
仕事場の二階で寝泊まりして、
食事付きで月給四十五円。
改良に改良を加えて、
市バスにも取り付ける。
経営者自家用で、
オープンカーを持つ。
自家の計量器を取り付けて、
毎日、
雇いの運ちゃんに、
夕刻、
消費のガソリンと計器を見比べさせて、
製品の向上を図る。
工場休日の日は朝より、
計量器を取り付けたオープンカーを、
遊びで走らす。
送金しながら貯蓄も出来たので、
只働くのみで、
高松より出た事の無い母に、
京阪神で遊んでいただこうと手紙を出す。
聞き合わすと、
生涯に一度、
東本願寺にお参りしたいとの返信がある。
長女も修学旅行には行って無い。
まず着物代として五十円を送る。
秋の好日、
二人が天保山に着く頃を見計らい、
迎えに行く。
笑顔の二人。
経営者の主人に紹介をする。
「ゆっくりと遊んで帰りなさい。」
と主人。
「二階で寝泊まりして食事もしなさい。」
とも言ってくれる。
そして自家用車も、
運転手で貸してくれるのであった。
電車で先ず、
中ノ島に行き御堂筋を渡る。
母は、
「なんでこんな広い道があるの?」
と走り渡る。
心斎橋の賑わいを歩き、
住吉神社に参拝をする。
太鼓橋の穴に下駄の先を、
引っ掛け引っ掛け登る母の足元に、
先を行く人が落とした財布があり、
見つけて喜ばれる。
その夜、
歌舞伎座の評判の五郎劇を、
一等で案内する。
「お前は?」
と母。
とにかく入場してもらい、
劇のハネル頃出迎えに行く。
実に面白かったと目に涙。
翌日、
電車で奈良に行く。
大仏殿に驚き、
大仏さんの大きい事に目を見張る。
集まる鹿に煎餅をやったりする。
妹は猿沢の池を見て、
「なーんだ、
これが猿沢の池…か。」
小学生の読本で習った挿絵に、
池に写る五重塔の風景画は見事であった。
現物は濁った水に、
鯉や金魚が泳ぐ。
私も見て落胆する。
楽しく昼食を済まして、
若草山に登るが母は下で待つ。
妹と競争で登る楽しさ。
そこで妹が十銭を拾う。
下山して、
その十銭でアイスクリームを買い、
二人で分け合い喉を潤す。
母の疲れも気付かず、
妹と休みもなく話して、
楽しさも倍加される。
翌日、
借りた英国製のオープンカーで、
運転手に運転をして貰い京都に行く。
この車で経営者と、
長谷寺へ牡丹を見に行った折り、
格好良く田舎道を走るが、
前に車が割り込んで走る。
当時の道路には舗装は無いので、
その砂塵を真面に受けて、
幌を上げた苦い経験がある。
先ず銀閣寺を拝観して、
金閣寺に行く。
母と妹、
陽光に輝きを増す金閣寺を見て、
うっとり言葉も無し。
閣内に入り、
狭い階段を登り庭内の静寂に、
暫く我を忘れる。
そして、
母の待望の東本願寺を行く。
拝観料三十銭を支払い、
二人は寺内に入る。
私は寺内の庭で遊ぶ鳩と過ごす。
母は満足の微笑みで渡り廊下に立つ。
思いを達した母の笑顔は美しい。
帰宅して、
二階で様々な今日の思い出を話す母に、
私は満足感に浸る。
重宝がられた私は、
その発明品に惚れ込み、
寝食を忘れて改良に取り組む。
経営者に認められて、
仕事場の二階で寝泊まりして、
食事付きで月給四十五円。
改良に改良を加えて、
市バスにも取り付ける。
経営者自家用で、
オープンカーを持つ。
自家の計量器を取り付けて、
毎日、
雇いの運ちゃんに、
夕刻、
消費のガソリンと計器を見比べさせて、
製品の向上を図る。
工場休日の日は朝より、
計量器を取り付けたオープンカーを、
遊びで走らす。
送金しながら貯蓄も出来たので、
只働くのみで、
高松より出た事の無い母に、
京阪神で遊んでいただこうと手紙を出す。
聞き合わすと、
生涯に一度、
東本願寺にお参りしたいとの返信がある。
長女も修学旅行には行って無い。
まず着物代として五十円を送る。
秋の好日、
二人が天保山に着く頃を見計らい、
迎えに行く。
笑顔の二人。
経営者の主人に紹介をする。
「ゆっくりと遊んで帰りなさい。」
と主人。
「二階で寝泊まりして食事もしなさい。」
とも言ってくれる。
そして自家用車も、
運転手で貸してくれるのであった。
電車で先ず、
中ノ島に行き御堂筋を渡る。
母は、
「なんでこんな広い道があるの?」
と走り渡る。
心斎橋の賑わいを歩き、
住吉神社に参拝をする。
太鼓橋の穴に下駄の先を、
引っ掛け引っ掛け登る母の足元に、
先を行く人が落とした財布があり、
見つけて喜ばれる。
その夜、
歌舞伎座の評判の五郎劇を、
一等で案内する。
「お前は?」
と母。
とにかく入場してもらい、
劇のハネル頃出迎えに行く。
実に面白かったと目に涙。
翌日、
電車で奈良に行く。
大仏殿に驚き、
大仏さんの大きい事に目を見張る。
集まる鹿に煎餅をやったりする。
妹は猿沢の池を見て、
「なーんだ、
これが猿沢の池…か。」
小学生の読本で習った挿絵に、
池に写る五重塔の風景画は見事であった。
現物は濁った水に、
鯉や金魚が泳ぐ。
私も見て落胆する。
楽しく昼食を済まして、
若草山に登るが母は下で待つ。
妹と競争で登る楽しさ。
そこで妹が十銭を拾う。
下山して、
その十銭でアイスクリームを買い、
二人で分け合い喉を潤す。
母の疲れも気付かず、
妹と休みもなく話して、
楽しさも倍加される。
翌日、
借りた英国製のオープンカーで、
運転手に運転をして貰い京都に行く。
この車で経営者と、
長谷寺へ牡丹を見に行った折り、
格好良く田舎道を走るが、
前に車が割り込んで走る。
当時の道路には舗装は無いので、
その砂塵を真面に受けて、
幌を上げた苦い経験がある。
先ず銀閣寺を拝観して、
金閣寺に行く。
母と妹、
陽光に輝きを増す金閣寺を見て、
うっとり言葉も無し。
閣内に入り、
狭い階段を登り庭内の静寂に、
暫く我を忘れる。
そして、
母の待望の東本願寺を行く。
拝観料三十銭を支払い、
二人は寺内に入る。
私は寺内の庭で遊ぶ鳩と過ごす。
母は満足の微笑みで渡り廊下に立つ。
思いを達した母の笑顔は美しい。
帰宅して、
二階で様々な今日の思い出を話す母に、
私は満足感に浸る。
第40回『奉行人からの出世』
私が入った個人経営の家で、
初めて奉行人の辛さを経験する。
前任者がいるので、
私の名前は寅吉ドン。
主人や家族は寅吉と呼び捨て。
同僚やお客さんは寅吉ドンと呼ぶ。
店の部屋の掃除をすると、
思わぬ一隅に一銭を見かけるが、
これは奉行人が盗癖が、
あるか無いか調べる為に主人が置く。
あれば、
元に戻して知らぬ顔。
日が過ぎると何時とは無く、
置銭も無し。
朝は朝食前に店と部屋の掃除を済ます。
食事は主人の家族と共にするが、
主人の家族は畳の部屋で、
我々は廊下で座布団も敷かず箱膳を出す。
この箱膳は四角で縦横三十センチ程、
高さも三十センチ程で、
蓋を返して茶碗と小皿箸が一組、
汁椀が一つであった。
朝食の時、
主人達は時には冷や飯の時もあるが、
温かい味噌汁におかず。
我々は昨晩の冷や飯に冷めた味噌汁。
昼も同じ状態。
夕食は主人達のおかずの残り。
空腹の折り、
に三杯目を出すと、
奥さんに、
「まだ食べるの?」
と不機嫌顔。
食事が済むと綺麗に洗い、
片隅に積み上げる。
夕方には、
たまに豆腐を買いに行くが歩いて行く。
又、
雨が降ると、
学校へ坊ちゃんに傘を持って行く。
自転車は得意回りの時のみ使用する。
私が得意回りをしている留守に、
奥さん、
私の日記を無断で読んだらしい。
内容の所々に、
奥さんを批判する箇所がある。
随分をやられ年齢もばれたが、
追い出しもされずに過ごす。
食事が偏ったのか、
半年もすると脚気に侵される。
会社の時は一メートル程の長い食卓で、
椅子に腰掛けて食事をするので、
奉行人の辛さは無かった。
心臓脚気も重症になり、
家を出てより三年ぶりに病気で帰る。
貧乏暮らしは相変わらずで、
私が無断で大阪で行き、
月小遣い五円貰いを倹約に倹約をして、
盆と暮れに僅かではあるが、
送金をする。
しかし留守中、
人出不足で苦労の連続だと、
妹達はぼやく。
風呂に入ると熱さ判らず、
湯がヘソに来ると、
あついぬるいが、
やっと判る心臓脚気。
養生も間々成らず、
大阪に帰り、
ミシン屋には国に帰り養生しますと言い、
最初お世話になった炭屋で、
月十五円で下宿をして、
新聞を見て就職先を探す。
折よく港区で、
自動車ガソリン消費計量器の、
特許申請中の従業員十余名の、
個人経営の会社に入る事が出来る。
月給四十五円。
初めて奉行人の辛さを経験する。
前任者がいるので、
私の名前は寅吉ドン。
主人や家族は寅吉と呼び捨て。
同僚やお客さんは寅吉ドンと呼ぶ。
店の部屋の掃除をすると、
思わぬ一隅に一銭を見かけるが、
これは奉行人が盗癖が、
あるか無いか調べる為に主人が置く。
あれば、
元に戻して知らぬ顔。
日が過ぎると何時とは無く、
置銭も無し。
朝は朝食前に店と部屋の掃除を済ます。
食事は主人の家族と共にするが、
主人の家族は畳の部屋で、
我々は廊下で座布団も敷かず箱膳を出す。
この箱膳は四角で縦横三十センチ程、
高さも三十センチ程で、
蓋を返して茶碗と小皿箸が一組、
汁椀が一つであった。
朝食の時、
主人達は時には冷や飯の時もあるが、
温かい味噌汁におかず。
我々は昨晩の冷や飯に冷めた味噌汁。
昼も同じ状態。
夕食は主人達のおかずの残り。
空腹の折り、
に三杯目を出すと、
奥さんに、
「まだ食べるの?」
と不機嫌顔。
食事が済むと綺麗に洗い、
片隅に積み上げる。
夕方には、
たまに豆腐を買いに行くが歩いて行く。
又、
雨が降ると、
学校へ坊ちゃんに傘を持って行く。
自転車は得意回りの時のみ使用する。
私が得意回りをしている留守に、
奥さん、
私の日記を無断で読んだらしい。
内容の所々に、
奥さんを批判する箇所がある。
随分をやられ年齢もばれたが、
追い出しもされずに過ごす。
食事が偏ったのか、
半年もすると脚気に侵される。
会社の時は一メートル程の長い食卓で、
椅子に腰掛けて食事をするので、
奉行人の辛さは無かった。
心臓脚気も重症になり、
家を出てより三年ぶりに病気で帰る。
貧乏暮らしは相変わらずで、
私が無断で大阪で行き、
月小遣い五円貰いを倹約に倹約をして、
盆と暮れに僅かではあるが、
送金をする。
しかし留守中、
人出不足で苦労の連続だと、
妹達はぼやく。
風呂に入ると熱さ判らず、
湯がヘソに来ると、
あついぬるいが、
やっと判る心臓脚気。
養生も間々成らず、
大阪に帰り、
ミシン屋には国に帰り養生しますと言い、
最初お世話になった炭屋で、
月十五円で下宿をして、
新聞を見て就職先を探す。
折よく港区で、
自動車ガソリン消費計量器の、
特許申請中の従業員十余名の、
個人経営の会社に入る事が出来る。
月給四十五円。
第39回『祭りだワッショイ!』
当時の奉行人は、
大阪の天神祭りには全員小遣い貰って、
臨時に休養する。
楽しみのひとつ。
全市を挙げてのお祭りで、
天神様の境内は飾りものが多く、
各種の山車もので笛や太鼓と人の渦で、
祭り気分を最高に守り立て、
その流れは商店街へと繰り出しす。
各種の山車も競り合いで、
山車と人の渦に巻き込まれ、
嬉しい悲鳴を上げながら行ったり来たり。
山車の共演の時は楽しく過ぎる。
その渦も流れ流れて大川へと流れ込む。
川の両側は立錐の余地も無く、
人が林立する。
夕景と共に、
打ち上げ花火が景気良く夜空を染める。
川面には大小の船が競り合う。
何十艘の船を電燈で飾り立て、
揃いのハッピを着込み、
狭い船内で手振り腰振り。
踊り狂う舷側を、
小型のモーターボートが危険を侵して、
水スマシの様に疾走する。
互いは互いを牽制しつつ、
祭り気分盛り上げる。
船内は飲めや囃せと感極まり、
人が川に飛び込みを見る。
川岸も人の渦で川面が見えぬ。
押し合い押し合い背伸びをして、
共に船内の囃に釣られて体は動く。
それぞれの大橋も人の渦で、
浴衣姿の男女の外人達が、
下駄を履き草履を履き、
サービスで貰った団扇片手に、
笑顔も最高に共に祭り気分を盛り上がる。
時間は過ぎ行く。
疲れ切った、
又、
祭りを堪能した民衆が、
帰りの地下鉄に殺到する。
只、
人に押されて押されて歩む姿は、
髪も衣服も乱れに乱れて、
顔は汗と埃で疲れを現わし、
何時の間にか改札口は何処かへ消えた…。
天神橋六丁目。
俗に天六と人は言う。
夕景ともなれば、
顔に薄化粧をして女性らしく着物を着て、
小脇に三味線を抱えてシャナリシャナリと歩き、
男とすれ違えば、
「チョイとお兄さん遊びましょう。」
と誘うオカマが行き通う。
当時の風物詩。
交通の信号はお巡りさんが中央で、
止まれ進めと信号を表示する。
漫画で、
『都会の人達は心優しい。
雀に泊まれ休めと表示する。』
この天六の交差点で、
当時日本国中を沸かせた、
ゴーストップ事件というのがあった。
赤信号を無視して八連隊の新兵サンが、
警察に連行されたのが切っ掛けで、
連隊と警察が真っ向から噛み合う。
片や帝国軍人を何と心得ると、
片や違反者は違反者と、
お互いに一歩も譲らず長期に渡る。
新聞は両方の言い分を書き立てる。
喧嘩は大きいほど面白い。
当時の国内の陰の声で、
八連隊も強くなったものだ。
戦場であれだけ強ければ良いが…。
と日本国中戦場に行けば負ける八連隊を、
また負けたかという八連隊の陰の声があった。
仲裁があり、
仲直りをしたが以後、
八連隊の兵隊達は、
信号を無視して日を送る。
大阪の天神祭りには全員小遣い貰って、
臨時に休養する。
楽しみのひとつ。
全市を挙げてのお祭りで、
天神様の境内は飾りものが多く、
各種の山車もので笛や太鼓と人の渦で、
祭り気分を最高に守り立て、
その流れは商店街へと繰り出しす。
各種の山車も競り合いで、
山車と人の渦に巻き込まれ、
嬉しい悲鳴を上げながら行ったり来たり。
山車の共演の時は楽しく過ぎる。
その渦も流れ流れて大川へと流れ込む。
川の両側は立錐の余地も無く、
人が林立する。
夕景と共に、
打ち上げ花火が景気良く夜空を染める。
川面には大小の船が競り合う。
何十艘の船を電燈で飾り立て、
揃いのハッピを着込み、
狭い船内で手振り腰振り。
踊り狂う舷側を、
小型のモーターボートが危険を侵して、
水スマシの様に疾走する。
互いは互いを牽制しつつ、
祭り気分盛り上げる。
船内は飲めや囃せと感極まり、
人が川に飛び込みを見る。
川岸も人の渦で川面が見えぬ。
押し合い押し合い背伸びをして、
共に船内の囃に釣られて体は動く。
それぞれの大橋も人の渦で、
浴衣姿の男女の外人達が、
下駄を履き草履を履き、
サービスで貰った団扇片手に、
笑顔も最高に共に祭り気分を盛り上がる。
時間は過ぎ行く。
疲れ切った、
又、
祭りを堪能した民衆が、
帰りの地下鉄に殺到する。
只、
人に押されて押されて歩む姿は、
髪も衣服も乱れに乱れて、
顔は汗と埃で疲れを現わし、
何時の間にか改札口は何処かへ消えた…。
天神橋六丁目。
俗に天六と人は言う。
夕景ともなれば、
顔に薄化粧をして女性らしく着物を着て、
小脇に三味線を抱えてシャナリシャナリと歩き、
男とすれ違えば、
「チョイとお兄さん遊びましょう。」
と誘うオカマが行き通う。
当時の風物詩。
交通の信号はお巡りさんが中央で、
止まれ進めと信号を表示する。
漫画で、
『都会の人達は心優しい。
雀に泊まれ休めと表示する。』
この天六の交差点で、
当時日本国中を沸かせた、
ゴーストップ事件というのがあった。
赤信号を無視して八連隊の新兵サンが、
警察に連行されたのが切っ掛けで、
連隊と警察が真っ向から噛み合う。
片や帝国軍人を何と心得ると、
片や違反者は違反者と、
お互いに一歩も譲らず長期に渡る。
新聞は両方の言い分を書き立てる。
喧嘩は大きいほど面白い。
当時の国内の陰の声で、
八連隊も強くなったものだ。
戦場であれだけ強ければ良いが…。
と日本国中戦場に行けば負ける八連隊を、
また負けたかという八連隊の陰の声があった。
仲裁があり、
仲直りをしたが以後、
八連隊の兵隊達は、
信号を無視して日を送る。
第38回『ストライクじゃなくてストライキ』
工場長突然に辞める。
社長が、
「臨時にお前やれ。」
私は、
「まだ見習工です。」
と再三に渡り断るが、
遂に押し付けられた。
職工の出勤時間に門に立ち、
皆に挨拶を繰り返す。
作業の段取りを話して仕事に掛かり、
その後は仕事を教えて貰った。
変則な見習工。
一度京阪神に豪雨があり、
淀川の堤防が危険に陥る。
本社に荷を運び、
帰りは通行止め。
堤防すれすれに激流が流れる。
上流より二階建ての家が流れて来て、
阪急電鉄の鉄橋に引っ掛かる。
鉄橋は大きく揺れて危険に陥る。
その頃は十三大橋より上流には、
橋は無かった。
途中、
所々に川を渡る渡船が往復する。
鉄橋に引っ掛かる家にロープを結び、
群集の助力を応援に、
そのロープを引く。
その傍らでハンマーで、
家を叩き崩す。
十三大橋も大きく揺れるが、
遂に成功。
引っ掛かる家を下流に流すが、
今度は十三大橋に引っ掛かる。
これは難無く引き離す。
得難い経験をする。
当時の会社の職工の勤務時間は、
午前七時より、
昼の休憩四十五分を挟んで、
午後五時が終了。
それを官庁並みに、
午前八時就業、
昼は一時間の休憩で、
午後四時終了にせよと、
各地でストライキが蔓延する。
連日のごとく、
新聞に報道される。
要求貫徹迄は絶食する。
煙り吐く煙突に登り、
真っ黒になり要求貫徹を叫ぶ。
大小の会社、
連日のごとくストライキが蔓延して、
遂に大混乱に陥る。
我が工場もストライキ決行する。
臨時の工場長の私は、
社長と工員の中で苦慮する。
工員の要求を社長に取次げば、
「お前がしっかり工員を取り締まれ。」
と一喝される。
工員からは次々と要求が出されるが、
遂に時代の流れに勝てず、
全国一斉に午前八時就業。
昼の休憩は一時間、
午後四時終了となり、
工員側が勝ち取る。
社長、
「ストライキの指導的工員を辞めさす。」
と言い出すが、
工員側は承知をしない。
もめに揉める。
この工員、
家は貧しく病人を抱える身。
私は独身。
遂に意を決して、
臨時ではあるが、
責任上、
私が辞めると言い出す。
両方から説得されたが、
惜しい思いで会社を辞める。
知人を頼りに、
またまた歳を偽り、
市内のミシン店に住み込みで入る。
社長が、
「臨時にお前やれ。」
私は、
「まだ見習工です。」
と再三に渡り断るが、
遂に押し付けられた。
職工の出勤時間に門に立ち、
皆に挨拶を繰り返す。
作業の段取りを話して仕事に掛かり、
その後は仕事を教えて貰った。
変則な見習工。
一度京阪神に豪雨があり、
淀川の堤防が危険に陥る。
本社に荷を運び、
帰りは通行止め。
堤防すれすれに激流が流れる。
上流より二階建ての家が流れて来て、
阪急電鉄の鉄橋に引っ掛かる。
鉄橋は大きく揺れて危険に陥る。
その頃は十三大橋より上流には、
橋は無かった。
途中、
所々に川を渡る渡船が往復する。
鉄橋に引っ掛かる家にロープを結び、
群集の助力を応援に、
そのロープを引く。
その傍らでハンマーで、
家を叩き崩す。
十三大橋も大きく揺れるが、
遂に成功。
引っ掛かる家を下流に流すが、
今度は十三大橋に引っ掛かる。
これは難無く引き離す。
得難い経験をする。
当時の会社の職工の勤務時間は、
午前七時より、
昼の休憩四十五分を挟んで、
午後五時が終了。
それを官庁並みに、
午前八時就業、
昼は一時間の休憩で、
午後四時終了にせよと、
各地でストライキが蔓延する。
連日のごとく、
新聞に報道される。
要求貫徹迄は絶食する。
煙り吐く煙突に登り、
真っ黒になり要求貫徹を叫ぶ。
大小の会社、
連日のごとくストライキが蔓延して、
遂に大混乱に陥る。
我が工場もストライキ決行する。
臨時の工場長の私は、
社長と工員の中で苦慮する。
工員の要求を社長に取次げば、
「お前がしっかり工員を取り締まれ。」
と一喝される。
工員からは次々と要求が出されるが、
遂に時代の流れに勝てず、
全国一斉に午前八時就業。
昼の休憩は一時間、
午後四時終了となり、
工員側が勝ち取る。
社長、
「ストライキの指導的工員を辞めさす。」
と言い出すが、
工員側は承知をしない。
もめに揉める。
この工員、
家は貧しく病人を抱える身。
私は独身。
遂に意を決して、
臨時ではあるが、
責任上、
私が辞めると言い出す。
両方から説得されたが、
惜しい思いで会社を辞める。
知人を頼りに、
またまた歳を偽り、
市内のミシン店に住み込みで入る。